42:メディテ卿、宴の始まる素晴らしい日。
俺はウルバヌス・メディテ。
毒の一族メディテ家の当主。
ただいま王宮の廊下にて、とんでもないものを目にした所だ。
「何て事だ……おい見たか、聞いたか、オルガム。十戒目の精霊なんて初めて見た」
「ウル坊、ちょっと興奮し過ぎだぞ、ええ?」
それはちょっと仕方の無い事だ。
第五王子ユリシス殿下を尾行していて、待ち望んだ驚くべき事実と遭遇した。
今まさに王宮の長い廊下の曲がり角に隠れ、殿下とシャトマ王女、カノン将軍の会話を聞いている。
「白賢者……? 伝説の勇者……? 藤姫だって……??」
そわそわ浮き足立ったまま、俺は自分の魔導片眼鏡に手を添え、シャトマ王女とカノン将軍の顔を確かめる。
「……ほお」
しかし瞬間、冷静になる。
流石は元藤姫と名乗るシャトマ王女だ。殿下同様白魔術を心得ている分、公開情報を制限してやがる。
とんでもない魔力数値である事は分かるのだが、詳しい数値は分からない。
しかしそれ以上に俺がしてやられたと思うのは、カノン将軍の方だ。奴の情報は一切分からない。
これは情報を制限すると言うレベルの話ではなく、ただ単純に、名前が違うのだ。
「あの男……名を偽っているな……」
「勇者は元々そう言う奴だ」
「……」
俺は足下でうろうろしているオルガムに視線を向け、瞳を細める。
「そう言えば、そうだよな。お前は元白賢者の下僕だったんだろ? 当然、殿下を見た時、気がついていた訳だ」
「……あ。……あ、いやはは、だって一応賢者様には義理があるし……ええ……」
「てんめえ、今の主が誰だか分かってるんだろうな」
白賢者には契約の切れた今でも様付けで、今の主である俺は愛称もしくは呼び捨てか。
その前に、今まで知っていたくせにしらばっくれていたと言うのが酷い。
「てか、いいのか? エスタ家の小僧がこの事を言いふらすかもしれないぜ。白賢者様はあいつを見逃したからな」
「………」
先ほど俺に気がつかず情けない表情で逃げていったトンマーゾ・エスタの戯れ言を、誰が信じるものかと言いたい所だが、念には念を、と言う言葉もある。
さあ、どうしようか。
「あっははははは、ただ今帰ったぞ、ジゼルよ!!」
「……うわっ……何なの、何でそんなにテンションが高いのよ」
教国の側にあるメディテの館へ帰るやいなや、俺は妻ジゼルに抱きつき、ただいまのキスをした。
案の定妻は俺に腹パンチを食らわせ、うずくまった俺を冷めた表情で見下ろしている。
「い、いつもながらに重いパンチを……」
「何なの? 気持ち悪いんですけど」
つばを吐き捨て本気で嫌そうに唇を拭うジゼル。うん、いつもの彼女だ。
俺も自分の口に付いた口紅を指で拭う。
「ジゼル、こいつは今、頭がパラパラ〜になる毒をエスタ家の小僧にお見舞いしてきた所で、自分も若干パラパラになっているんだ」
オルガムは呆れ返った表情だ。パラパラって何だ。
しかし今の俺はそのくらいでへこたれたりしない。
「あははははは、とんでもない事が分かったぞジゼル!! 魔王だ!! 魔王クラスが帰還しているのだ!!」
「……は?」
俺はうずくまった惨めな姿のまま、満面の笑みで叫び、喜んだ。
「宴が始まるぞ!!!」
頭にたんこぶを二つほど作ってやっと大人しくなった俺は、心の落ち着く温かい葡萄酒を口にして、一息つく。
「気でも狂ったかと思ったわ」
「ふっ……元々俺は狂っている」
「何なの? 別に格好よくないんだけど」
オルガムが「違いねえけどな」とツッコミを入れつつ、俺たちは話題を元に戻す。
晩酌をする部屋はいつもの寝室で、他の者は居ない。
「俺は今日見てしまったのだ。あのユリシス殿下が十戒目の精霊を召喚している所を!! ああ恐ろしかったなあ。あれが精霊の本来の姿か」
「恐ろしい恐ろしいと言いながら、顔のワクワク感が凄いんですけど」
「ワクワクと恐ろしさは紙一重!! 言うだろう、怖いもの見たさって奴さ」
「………あんたって何戒目まで召喚出来るんだっけ?」
「ああ〜………死ぬほど頑張って四戒目、かなあ………」
「まるで駄目ね」
ジゼルは今日、珍しく晩酌をしていない。
だいたい彼女が酒を飲むから俺が付き合うと言うのが通例なのに、今回は俺にだけ温酒を出し、自分が飲まないとは珍しい。
凄い。お前、人が酒を飲んでいる所を見ても、我慢出来るんだなあ。
「そうは言うが、普通の人間で四戒目まで行ければ凄い方だよ? それにメディテは精霊魔法を主な手段にしていない。静かに、計画的に、少しの魔力で結果の出せる毒薬魔法がアイデンティティーだ。………あ、そうそう、今日エスタのクソガキから戦利品を持って帰ったんだ。見てくれよ」
「……クソガキって。あんたの方が年下じゃなかった? トンマーゾ・エスタより」
なんて妻が細かい事を気にしているが、俺は気にしない。
深い袖からごぞごぞ取り出したのは、魔法陣が書かれている小さな木箱。
それを開けると、中から小さな蜘蛛が出てきた。金色の模様が艶かしく光っている。
「金蜘蛛タランテラだ。トンマーゾの契約を、頭がパラパラしているうちにぶっつり斬ってきて、ついでにもらってきた」
「あんた……本当にエスタ家には容赦ないわね」
金蜘蛛は戸惑う様に、うろうろちょろちょろしている。
「タランテラ。お前は毒蜘蛛だろう? だったら俺と相性いいはずだ」
「嫌でつ。賢者たまの所に行きまつ」
「ほーら、さっきからこんな調子だ」
金蜘蛛は俺の指をかじかじ噛みながら抵抗してくるが、あいにく俺に毒は効かない。
「まあ仕方ねえんじゃねえの? 精霊たちにとって白賢者ってのは特別な存在だからよ、ええ?」
「なんだオルガム。お前も向こうに行きたいのか?」
「いいや、俺は別にここも気に入ってるからさあ。今の契約を破る気なんかさらさらねえよ」
オルガムは舌をチロチロさせ、温酒を舐めている。
そのうちに眠くなったのか、体をぐったりさせて何も言わなくなった。
さて、記録のある限りの魔王クラスを示そう。
3000年前の、金の王、銀の王。
共に英雄伝説である。
2000年前の、西の紅魔女、北の黒魔王、東の白賢者。
こいつらをメイデーアの三大魔王と言い、奴らの残した魔術が今の魔術の基盤となっている。
そして南の緑の巫女。伝説の勇者。
1000年前の、青の将軍、藤姫、聖灰の大司教。
青の将軍は北の国の指導者で、かつて居たとされている魔族の軍勢と戦い勝利した逸話で知られている。
藤姫は、西からの移民と東の民の共存出来る国家を目指した悲劇の姫。
聖灰の大司教は南の聖域にヴァベル教国を建国したことで、教国にも彫像がある。
「ユリシス殿下がかつての白賢者で、シャトマ王女が藤姫、フレジールの将軍が伝説の勇者って……はあ、生まれ変わりなんて本当にあるのね」
ジゼルが不審に思っている。
「何を言うか。人は皆何かの生まれ変わりだぞ。メイデーアでの魂の絶対数は変わらないと言われている。故に、魔王クラスは生まれ変わり、回帰すると言うのは納得な現象だな。俺はしっくり来たぞ」
「だったら、あのマキア・オディリールも何かの生まれ変わりなのかしら」
「……そうだなあ」
記憶する限りの、あの少女の事を思い出してみる。
その容貌はあどけなさが残るが美しく、赤毛はどこか血の色に似ていた。
俺はさっきタランテラに噛まれた指の、血の滲む部分を見つめる。
「……あの容貌だったら、紅魔女が一番しっくり来るがなあ」
「あんたね、それってただの見た目の印象じゃない。まるで根拠にならないわ」
「だって、二つ名なんてそういうものだろう? 見た目の印象が一番の手がかりだと思わんかね」
「また屁理屈ばっかり……」
「屁理屈を立てられずにどうして理屈を立てられようか」
基本的に俺の八割は嘘、煽り、屁理屈で出来ています。
ジゼルはいつもながら冷めた視線を送ってよこすが、それ以上つっこんではこなかった。
温かい葡萄酒を味わう様に飲んで、今日の収穫を感謝する。危ない橋を渡っていると知っているが、知的好奇心を抑えられないのはメディテの宿命。
「ねえ、一つ報告があるの………」
「何だ? 珍しいな、お前から話があるなんて」
ジゼルはらしからぬ態度で、しおらしく顔を背ける。
ますます俺は不審に思う。酒も飲まないし。
どうしよう、離婚してくれなんて言われたらどうしよう。俺は死のう。
「私、身籠ったみたい……」
「……」
ガシャン
持っていたグラスを寝ていたオルガムの頭の上に落とした。
オルガムは熱い酒をひっかぶって「痛ってええ!!」と飛び起き、何事かとキョロキョロしている。
「……え」
「だから、身籠ったの。子供を授かったのよ」
何度か思考が途切れたが、俺は頭を振ってその事実を理解出来る様、分解し再構築する。
「や、やったあああああ!! うわああああ!!!」
俺は勢い余って妻に抱きついたが、押し倒すほど激しいとお腹の子供に影響するかもしれないから、抱きつく直前でワンクッション入れる。
ああ、全ての運が俺に向いてきている。
「よくやったぞジゼル!! お前は素晴らしい!!」
「……あんた、意外だわ。喜ぶのね」
「当たり前だ!!」
興奮気味に声を上げる。
「ジゼルよ、それで飲酒を避けていたのか」
「……そう。私これから酒は遠ざけるから」
「……」
彼女は自分の腹を優しく撫で、どこか困った様に笑っている。
このジゼルが、身籠った我が子を労って、大好きな酒をやめているのだと考えると、無性に泣けてきた。
メイデーアの生命の女神、パラ・プシマに感謝するしかない。
今日は素晴らしい日だ。