38:ペルセリス、水の棺の少年に花を手向ける。
私の名前はペルセリス。
教国の、緑の巫女と呼ばれている。
聖地ヴァビロフォスの奥に、一般的に知らされていない隠された地下庭園がある。
ここが本来の聖地の中心。緑の巫女と選ばれた司教しか入る事が許されない。
別名、真理の墓。
私はいつもこの場所で、澄んだ水と神聖な空気を感じ、祈りを捧げる。
いったい何の祈りを捧げているのか。
平和な南の大陸でこの平和が続く事を祈るしか無いなんて、本当に贅沢な事だよね。
「ね、君もそう思う?」
私は庭園の中心に存在する古代の大樹の根元で、水の棺の一つに収められた少年の顔を覗きながら、クスクス笑う。
その少年は、私が緑の巫女となる以前から、根元の苔むした大地に埋めこまれた水の棺で眠っているそうだ。
どのくらい昔から居るのか知らないけれど。
まだ幼い、10歳ほどの少年。
死んでいるのだから目を開ける事は無いが、青白い顔はどこまでも美しく保たれている。
この少年を見ていると、どこか胸が苦しくなって泣きたくなる。
どうしようもなく懐かしい気がして、この子の側から離れる事が出来ない。
今日もこの少年の棺の隣で寝転がって、その日あった事を語って聞かせたり、ここらに咲く白い小さな花を手向けたりする。
「今日はね、久しぶりにユリシスが来たの。もうすぐ聖教祭があるでしょう? 私、新しい衣装を見せに行ったんだ。ユリシスってば、いつも褒めてくれるから………」
少年の目は閉じられたまま。
私の投げかける言葉に答えてくれるはずも無い。
「ユリシス〜ユリシスうううう〜」
「はいはい、分かっているって」
私はいつものお決まりの挨拶のように、聖域にやってきたばかりの彼に抱きついた。
幼かった私たちも、今ではユリシスが16歳、私が14歳。
それなりにわきまえるべき年頃となり、気軽に触れ合うとデルグスタがうるさいのなんのって。
「ペルセリス、殿下が困っておいでです。はしたない事はおよしなさい」
「ぶー、けちけち。減るもんじゃないでしょう」
「……ははは」
私が文句を言ってユリシスの腕から離れようとしないと、彼は困ったように笑う。
ユリシスはとても優しい。
私の我が侭にいつも付き合ってくれるから、私もついつい甘えてしまう。
彼の柔らかい雰囲気が大好き。澄んだアメジストの瞳の色も、薄い色素の髪も、肌も。
初めて会った頃は女の子の様な容貌だと思ったものなのに、ここ最近はぐっと大人らしく、男の子らしくなった。
彼の落ち着き具合は相変わらずだが、それに容姿が追いついてきたと言った所だろうか。どこまでも端正で、静寂の中にいる人。
彼の周りにある空気は、本当に泣きたくなるほど懐かしい。
でもなぜか、ユリシスを見ていると悲しくなる時もあるの。
なんでかな。
庭園にある水の棺に眠る、あの少年を見ているときと同じような、胸を締め付けられる感じがする。
それはもう、ユリシスと初めて会った時から。
だけど、それでもユリシスから離れられないなら、私はきっと彼の事が大好きなのだ。
「ねえユリシス。今年の聖教祭の衣装なの。どう?」
「うん、似合ってるよ」
「可愛い?」
「うん、可愛いよ」
薄い緑色の、柔らかい布で作られた祭典用の巫女服を見せにいくと、彼は少し瞳を大きくさせた。
そしてニコニコ笑って、優しい声で似合うと言ってくれる。それはとても嬉しい。だけど、ユリシスならどんな女の子にもそう言いそうだな。
少しだけつまらない。
いつも以上にひらひらふわふわした衣装を左右に振りながら、私は膨れっ面になった。
「あれ……? なんで怒るのペルセリス」
「ふん。どうせユリシスはどんな子にもそう言うんでしょう?」
「まさか……おじさんだらけの王宮で、そんな事言う相手すら居ないのに」
あははと、珍しく大きく笑う彼を見て、少しだけホッとする。
いつもニコニコしているユリシスだけど、それは常に品を保たれていて、大きく笑う事は少ないから。
「あ、そうそう。ペルセリスに新しい友人を連れてきたんだ。……ほら」
ユリシスは自分の肩に手をあて、何かを誘導。
彼がぶつぶつと呪文を唱えると、いつの間にか彼の腕に、小さなフクロウの精霊が乗っかっていたの。
「うわあ……」
「風の精霊ファン・トロームだ」
「どうしたの!? この子」
「えっと………僕の部屋の窓から入ってきたから、そのまま契約したんだよ………」
何だか凄く適当で、曖昧な返事。何か隠していそうだけれど、まあそれはいいや。
とにかくその小フクロウはとても可愛い。でも少し大きな里芋のようにも見える。
大きな目をぱちぱちさせて、首を傾げたりしている。
「ほうほう、これはまた可愛らしいお嬢さんですなユリシス殿。ガールフレンドですかな、ほう」
「こらこらファン。彼女は緑の巫女だよ。間違ってもそんな事言っちゃ、デルグスタ司教に焼き鳥にされちゃうよ」
「ほうほう、それは恐ろしや」
小さなフクロウのくせに、喋るとおじさん臭かったのが少々意外。
でも精霊なんて長生きしているんだから、見た目と話し方なんて関係ないものなのかもしれないけれど。
私はそのフクロウの精霊の頭を撫でた。
「こんにちは、ファン。ペルセリスだよ」
「これはこれは、緑の巫女ペルセリス。いやはやお懐かしい感じですな……2000年前の緑の巫女も、あなたのような美しい若葉色の髪をしていた……ああ、お懐かしいお懐かしい」
ファンは首を回しながら、ほうほうと何かを懐かしがっている。
2000年前の緑の巫女と言えば、有名な三大魔王の逸話に少し出てくる、歴代で最も力のあった有名な巫女だ。
「こらこらファン。おじいちゃん精霊はこれだからいけない。悠久の思い出に浸るのも良いけれど、ペルセリスを困らせちゃいけないよ」
「ほうほう、これは失敬」
ファンはまた大きな瞳をぱちくりさせ、首を回す。
「それにしても、ユリシスは王子様なのに、魔法なんて覚えてどうするの?」
ユリシスはここ最近白魔法の本を沢山読んでいる。ここヴァベル教国には、白魔法の本が沢山あるから。
彼は自分の魔法の事をあまり話さないが、結構使いこなせているように思う。
「え? う、うーん………まあ興味本位っていうか。自分の身を守る事も出来るし、ね。王宮は危ない所だからさ」
「でも、次の聖教祭が終わったら国王が決まるんでしょう? そしたら、ユリシスはもう危ない事なんて無いね」
「うーん……そう簡単に行くか分からないけど。そうだね、そうだと良いな」
少しだけ曖昧な返事。彼は本当に自分の事をあまり話さない。
きっと私の事を、まだ子供だと思っているんだ。
「でも、僕は王様にはならないと思うよ」
「そうなの?」
「うん。最終的に次期国王を決めるのは父上だけれど、今のままだと叔父上だろうから」
「そう、レイモンドが。でも、レイモンドが王様になるのを反東派閥の勢力が許さないって、聞いた事があるよ。大規模な謀反が起こるかもって。アルフレードたちがそれを狙っているって」
「……驚いた。意外と色々知ってるんだねペルセリス」
「……」
ほらね。
ユリシスは私の事、いつまでも幼い少女だって思っている。
「ふん。私はこの南の大陸を守る為の、緑の巫女なんだから。いったいなんだと思ってるの」
「はああ……まいったな。ごめんごめん」
そう言って、誤摩化すように私の頭を撫でる。ユリシスに頭を撫でられるのは好きだけれど、これはこれで子供扱いされているようにも思えて癪だなあ。
ユリシスがここに来る時って、大抵何か嫌な事のある前だったりする。
彼は白魔術の本を読んでいるのかいないのか、さっきから同じページで止まっているものだから。
「実は、明日……東の大陸の使者が来て、王家の皆との食事会があるんだ」
「嫌なの? 楽しそうなのに。東の国の使者って、いったいどんな人だろう」
「東の大国フレジールの、将軍の一人と姫君だよ……多分ね、東の王室を招く事で、叔父上が次期国王になるある種の体制を整えたいんだ。アルフレードの兄上なら、まず東から使者は呼ばないだろうからって。きっと友好的な姿を見せ、協力関係を強化したいんだろうって……だからこそ、有名な反東派閥の正妃様なんかと一緒に食事会なんて……気まずいと思わないかい実際」
王宮のもろもろの事情は、少なからず耳に入ってくる。
デルグスタはあまり知らせたがらないが、たまにやってくるウルバヌスなんかが色々とおもしろ可笑しく教えてくれる。
正妃アダルジーザは、大の東の人間嫌いなのだとか。
ユリシスは正妃が苦手らしい。
憂鬱そうにしていたから、私は彼を元気づけたくて、大きな笑顔を向けた。
随分前に、ユリシスが言ってくれた事がある。私の笑顔は元気が出ると。
「まあまあ、それが終わったら聖教祭じゃない。楽しい事が待ってるよ」
「そうだねえ。そうだったら……いいなあ……」
「……」
ユリシスは、たまにとても寂しそうな顔で笑う。ここ最近特にそうだ。
それがなぜなのか分からないけれど、彼のアメジスト色の瞳は、どこか遠くを見ている様だった。
誰かを、待っているような、求めているような……
彼の寂しそうな顔は、私ではどうにもできないのだと、直に言われるより分かりやすい。
それはとても、心の痛い事だね。