36:メディテ卿、葡萄酒と長い夜を。
俺の名前はウルバヌス・メディテ。
十二大貴族の一つ、メディテ家の当主であり、王都ミラドリードの教国側に存在する王立魔導研究学校の教授もしている。
結構勘違いされるが、俺はまだ23歳である。
「おいウル坊、えらく殺気立っているじゃんええ? さっきの娘におじさんて言われたのがそんなに気になる? ええ??」
先ほどカルテッドの教会の方に、来年春の“聖教祭”について打ち合わせに行ったのだが、その時少々奇妙な少女に出会った。
名前をマキア・オディリールと言う。
「オルガム、お前も分かっただろう? あの魔力」
「……」
俺は夜の道を走る馬車の中で、足下で蠢く白い大蛇の精霊に返事をした。
これは百精霊の一つ、オルガム=オルガン。
古の時代に聖域に住んでいたとされる聖なる白い大蛇である。
我がメディテ家の守り神として、代々当主が契約を果たしている。
「まいったね〜。俺はてっきりこの魔導片眼鏡が壊れちまったのかと思ったよ。年代もんだからな」
「はん。それがそう簡単に壊れるものかい。ええ?? 歴代メディテに名を連ねる凄腕の名前魔女たちの右目を、集めに集め作ったえげつない魔導器具だぞ」
「と言ってもねえ〜。あんな数値見たら疑うのが普通だ」
この俺が嫌な汗をかいたのは本当に久しぶりだ。
「とか言って、顔が笑ってるぜ、ウル」
「ふふん………ま、当たり前。あの魔導数値は2000年前の魔王に匹敵する。いったいどういった事か知らないが、あの娘は魔王クラスの魔力を持っている訳だ」
「はん。そう言えば、第五王子もあり得ない魔力だって、お前以前騒いでなかったか? いったい何だってこの時代に、そんな馬鹿げた魔力数値をたたき出す者が何人も現れるんだか」
「……もうろくしたかオルガム。教国の資料によれば、ミリオンmg越えの数値をたたき出す者は約1000年を周期に現れる。資料のある限りでは、3000年前の金の王、銀の王、2000年前の三大魔王、緑の巫女、1000年前の青の将軍、藤姫、聖灰の大司教……。それがいったい何を示しているのか、役割は何なのか、教国の中の上層部しか知らない事だがな」
「ちょっと待て、三大魔王がそこに居るなら、伝説の勇者はどうなんだ?」
「言っただろう? これは資料のある限りだって………伝説の勇者の魔導数値に関する資料は、何故か残されていないんだ。だがおそらく、歴代の偉大な魔導王たちに並ぶ数値は持っていただろうと言われている」
苦手だった祖母がいつも文句のように言っていた。
異常過ぎる数値をたたき出す者がいたら、それはこのメイデーアの真理であると。
宿命の全てを見逃すな、と。
カルテッドの隣町にあるメディテの別荘にたどり着いた。門の所に一人の女が立って、今しがた俺の帰りを待っていた様だ。
濃いブルネットの髪を結った細身の女。
すでに真夜中であるため緩く薄手のドレスを着ている。
「おや、ジゼル。起きていたのか」
「起きていたのかって……あんたが起きてろって言ったんじゃない」
「そうだっけ?」
まあいいやと言うように、俺は馬車から降りた。
彼女の名前はジゼル・メディテ。俺の妻である。
三つほど年下の若い美人妻、なかなか羨ましかろう。
「ああ疲れた。一服しようか」
「あまり匂いの強いのはやめてよね。寝る前なのに匂いがついちゃうじゃない」
「おいおい、仕事帰りの旦那の楽しみを取るなよな」
俺は部屋で重い帽子と、幾重にも重なる上着を脱いで、窮屈な姿から開放される。
魔術師は基本的にあまり素肌を晒さない様にしなければいけないとは言え、一日中重い服を着ているとやはり肩が凝る。
煙管を取り出し、深く吸う。
そして、長々と吐く瞬間が好きだ。
ヘビースモーカーはメディテの宿命である。
妻ジゼルは、タバコはめっきり駄目だが大の酒好きで、今もほら、俺には何のご奉仕もしないくせに自分のグラスに葡萄酒を注いでいる。
「あんたも飲む?」
「じゃ、少しだけ。……おっと、オルガムも飲むか?」
足下で蠢く白い蛇の精霊は、名を呼ばれ姿を現した。
彼もなかなか酒が好きで、晩酌に加わる事がある。まあ、好きとは言えこいつは、飲んだらすぐに寝てしまうんだが。
俺はグラスをクルクルと回し、その薄く赤身のある黒を眺めたあと、彼女にグラスを傾けた。
彼女は少々気に入らないと言う表情をしていたが、自分のグラスを俺のグラスの縁に軽く当てる。ガラスの跳ねるような高い音。
「で、なぜ私を起こしておいたのか勿体ぶってないで説明してちょうだい。わざわざ魔導伝書まで使って」
一口葡萄酒を飲んで、彼女は切り出した。
「……愛妻と夜のめくるめく一時を過ごしたいと思うのは罪だろうか」
「うわーやめてー。もう本当に気持ち悪いから」
こう言った事を口にすると、彼女はいつも嫌がる。
照れてるんだとポジティブに考える事にして、俺は本題に入った。
「まあ聞きたまえジゼル。今日とてつもない者と出会ったんだ。魔導数値がミリオンmgを越えた、ほんの12、3歳程度の少女だ」
「…………うそ……」
「俺の魔導片眼鏡あったからこそ、知る事ができたのだ。はあ、歴代の気高い魔女に感謝」
そう言って俺も一口葡萄酒を飲む。
なかなか良い味がした。
オルガムは一気飲みして、すでにうとうとしている。
「その子は魔術を使えるのかしら。潜在的な魔導数値なら、まだ魔術の技術は無いってこともあるでしょう? いったいどこの子なの?」
「デリアフィールドのオディリール伯爵令嬢だそうだ。名前をマキア・オディリール」
「名乗ったって事は、隠してる訳じゃないのかしら。それとも本人自体、魔力の事を知らないとか……」
「いや、どうだか……あの目はとても、そんな純粋な少女のものじゃなかったぞ」
互いに名乗った、あの瞬間のピンと張りつめた空気を、今でも身に感じられる。
「俺が男だから、名乗っても特に意味は無いと思ったか」
「あんたのその片眼鏡、本当に卑怯なアイテムよね」
「何を言う。歴代の名前魔女の命の結晶だ。誰より早く魔導数値という情報に辿り着く事が出来るのは、本当に大切な事だぞ。我々メディテはそうやって、ただ魔導の真髄を求め、観察し傍観し、研究し尽くし、そして静かに処理するがモットー。王宮の王位争いなんかにすぐちょっかい出すエスタ家の魔術師とは違う。そもそもあいつらの作る毒は隙がありすぎる」
ジゼルは鼻で笑って、「そうですね」と。
しかし王位争いと聞いて、ふと思い出したように。
「でもあんた、前に第五王子と会った時、凄い魔導数値だったって言ってたじゃない。いくらメディテが王位争いに無関与だからって、こちらは気になるでしょう?」
「……まあな。でも、第五王子の情報はほとんど得られなかった。ミリオン越え魔王クラスってところまでは分かったが、それ以上の詳しい数値までは。あれはきっと、情報を制限する白魔法だ。かなり魔術を使えるのだろうと推測出来る」
「……でも、いったい誰が殿下に? あのアイザックではないでしょうね?」
「はは。それは無いだろう。殿下はアイザックの遥か上を行く」
「じゃあ何で、魔法を使えるって言うの? しかるべき教育を受けて来た訳ではないでしょうに。生まれつき? そんな事あり得ないわ……」
「それが分からないから、俺だって頭を悩ませているんだろう、ジゼルよ」
ワイングラスをテーブルに置いて、俺は前のめりになって指を組んだ。
向かいの席のジゼルは、そんな俺をいかがわし気に見おろしている。
「そんなこと言って、顔が笑っているわよ」
「はは」
さてと。
どうしようかな。
苦手だった祖母の言葉が頭をちらつく。
まさか俺の代で1000年に一度の周期が回ってくる事になるとはな。
「出来るなら王都でまとめて監視したいものだ。第五王子も、マキア・オディリールも、あれだけの数値を持っているなら必ずこの時代の歴史に関与する存在になる」
「なら、次の聖教祭が良い機会じゃないかしら」
「どうして?」
「だって、“色々”あるでしょう? 次の聖教祭……」
歴史の動くときは、ある意味予測を立てられる。
次の聖教祭は例年のものとは違うだろうから。
一つ、東のフレジール王国から、王族の訪問者が来る。
二つ、この聖教祭後に次期国王が決まると言われている。
三つ、聖教祭の間に、鎖国派、反東派閥が大きく動くと言う情報がある。
これらの要素だけで、歴史が動く瞬間はやってくる。
そんな時に、大きすぎる魔力を持った者が渦中に居ないわけが無い。
俺が手を打たないでも、あの少女は王都にやってくるだろうか……
「……楽しそうね、ウル。何よりだわ」
「それは嫌味かい? 今からもっと楽しい事でもする?」
「……ちょっとそこの酒瓶かしてちょうだい。今からあんたの頭カチ割るから。毒じゃ死なないからねあんたは。物理攻撃じゃないと」
「待った待った待った。物理は無しだって、メディテの魔術師の風上にもおけないって」
「私は別に魔術師じゃないから」
酒瓶を両手で持ち上げるジゼルの顔は、どこか嬉しそうだ。
当然である。彼女は俺を殺したいが為に俺の妻になった。
まあ、その話はまた今度。
今は自分の身を守らねばなるまい。