03:サリア、フレジールの軍人に出会う。
あれは、去年の秋のことだったか。
デリアフィールドの収穫間近の小麦畑を窓辺で見おろしながら、キースが真面目な顔をして本を読み漁っていた時があった。
キースは表向き、大ざっぱなアホに思われている。
だけど興味のある事にのみ関しては、とてつもない集中力を発揮する時があるのだった。
『ねえ、サリアちゃん……不思議だと思わない?』
キースは、側の机で新しい魔道要塞のジオラマを作っていた私に声をかけた。
私はちょうど、父様に見てもらう為の、小規模な幻想100%の空間を作っていたのだった。
『15年前、父様と母様が参加した戦争では、旧連邦の巨大な兵器がルスキア王国を襲ったんだって』
「……そんなの常識じゃない。歴史の本の一番新しい所に書いてあるわ」
『そうじゃないよ。だってさ……なぜルスキア王国の……ミラドリードだったんだろうって』
「……?」
『なぜ、フレジールじゃなかったんだろうって、ね。連邦はフレジールと戦争をしていたんだから』
「聖地があるからでしょう? 旧連邦はルスキア王国が保護している聖地を狙っていたと、歴史の本には書いているわ」
『……聖地、か。あの場所に何があったんだろう』
キースは窓辺から、小麦畑なんて見ていない。
ずっとその向こう側を見ている。
『だって、僕らは何度も聖地に遊びに行ったけれど、何も無いじゃん。あそこ』
「聖地は聖地ってだけで意味があるのよ」
『歴史の本に、本当の事はひとつ書いていないよ……サリアちゃん。つまんないよ』
「なら父様と母様に聞けば? 当事者なんだから。英雄なんだから」
もう作業に集中したい私は適当に答えた。
だけど、キースはそれでは納得しなかった。「ええー」と顔を上げ文句を言う。
『教えてくれる訳ないじゃん。その時の事を、あのひとたちは何も言いたがらない』
「じゃあ諦めたら? 好奇心旺盛なのは結構だけど、世の中、隠されている情報ってのには意味があるのよ。そんなの、追いかけない方が平穏無事よ」
『なんだよー、サリアちゃんは僕と双子のくせに、なんでそんなにつれないんだよー。僕はお兄ちゃんだぞ!』
「知らないわよ。生まれて来た順番の関係で兄ってだけじゃない」
キースはぶーぶー言いながらも、私の側にやってきて、私の背中に自らの背中を合わせてもたれる。重っ。
でも、小さな頃から、私たちは背中を合わせあって、お互いの存在、お互いの魔力の流れを感じ取り語り合って来た。これが慣れた、一番落ち着くポジションだ。
『つまんないよ……こんな場所に居るだけじゃさ』
キースは、うーんと唸っている。
そんなキースを背中で支えながら、私は僅かに振り返り、横目で見た。
……相変わらず変な子。
何がそんなに気になっているのか。
来年、嫌でも王都の魔導学校へと入学することになっているのに。
私の髪とは違って、ちょっとだけ癖のある赤い前髪を弄りながら、彼はひたすら何かを考えている。
キースの見ているものを、勘づいている何かを、父様と母様は知っているのかしら。
好奇心旺盛な事は、結構よ。
だけどキース、あなたのそれは少し、危ういのよね……
***
ハッ……
キースの奴、私が追いかけているのを察したわね!
それに気がついたのは、王都の大通りから転移した直後のことだった。
キースは私が追跡しているのに気がついたみたいで、また別の場所に転移したみたいだ。
その感覚を得て、がっかりした面持ちで、結局さっきまでキースが居たと思われる場所へと降り立つ。
そこは、王宮の裏の海辺に沿った、小さな公園だった。
さざ波の音と潮風が心地よい。
「キースはやっぱり居ないわね……いったいどこへ行ったのかしら』
また追跡しようと思って、立体魔法陣を展開しようと思った時、堤防から海を見ている、軍服の男が居る事に気がついた。
「……」
軍帽の隙間からチラチラと見える、美しい金髪。
その人は、海の向こう側の、どこか一点を見つめていた。
まるで、その一点には、彼だけに見える別の世界でもあるかのように……
「……カノン将軍?」
私はその人を知っていた。
軍帽の男は名を呼ばれ、視線だけでこちらを見る。
その蒼眼は、やっぱり彼のものだ。
「やっぱり! カノン将軍ね!!」
「……サリアか?」
「ええ。私よ!!」
私はカノン将軍に駆け寄った。
カノン将軍とは、フレジールのとても偉い将軍様なのだけど、私の父と母の旧友でもある。
だから、小さな頃から何度か会ってきた。
淡々とした、厳しい人に見えるみたいだけど、そんなこと無い。
私は知ってる。カノン将軍はとても優しい人だわ。
「大きくなったな、サリア」
カノン将軍は小さく微笑み、私に向き直る。
真正面から見るカノン将軍は、とても素敵でカッコイイ。
年齢で言えば父様より上の、もう40歳前後の年齢だと思うのだけど、この人も魔王クラスの一人だから、今でも随分若い見た目をしている。
といっても、醸し出される雰囲気は、私の知っている魔王クラスの人たちより一回り大人びて落ち着いているんだけど……
魔王クラスがみんな大人げなく、若々しいだけかもしれないけど……
カノン将軍は、金髪の王子様みたいな見た目なのに、軍人と言う所が何と言ってもツボね。渋いわ。
「もうルスキアに来ていたのね。聖教祭の直前に来るのかと思ってた。シャトマ様も来ているの?」
「いや。女王は明日、ヴァルキュリア艦でルスキアへ来る予定だ。……ただ、俺は早めに、付き添いで来ているのだ。フレジールの王子のな……」
「フレジールの王子……?」
私は首を傾げた。
だって、今のフレジールの王はシャトマ女王で、彼女には子どもは居なかったはず……
一生独身を掲げた聖なる女王として有名だもの。
カノン将軍は、私のその様子が面白かったのか、ふっと笑ってから説明をする。
「聞いていないのか? 女王は血縁者から養子を迎えられたのだ」
「養子を?」
「……未来の、フレジールの王だ。俺はその殿下を、ルスキアへと送り届ける役目を持って、ここへ来た」
カノン将軍は再び、海の向こう側へと視線を向けた。
フレジールの方角を見ているのか、はたまた別のどこかを見ているのか。
やっぱり分からないな。
「サリアはもしかして、キースを探しているのか?」
「うん、そうよ。あいつ、王都に到着した瞬間に、母様の目を盗んで消えたの。でも、早く見つけないと母様と父様がとても心配しているから。キースが誰かを半殺しにしてしまわないかって」
「……半殺し、か」
カノン将軍はなぜか少し、遠くを見ていた。
「……トールとマキアも来ているのか」
「ええ。今年から、父様が王宮勤務になるの。聞いてない?」
「いや……それはエスカから聞いていたが……いや。来てしまうのか……と思ってな」
「……??」
何を考えているのだろう。彼は軍帽のつばに手をあて、良くわからない表情をしている。
私は立体魔法陣を展開し、再びキースを検索しながら、カノン将軍に言った。
「きっと、父様と母様はカノン将軍に会いたがっていると思うわ」
「まあ……聖教祭でな」
「どうせなら、その王子様と一緒に、うちに遊びに来れば良いのに」
「…………」
無言でまた海を見つめるカノン将軍。
うん。……これはあまり乗り気ではないわね。
「あ、キースが検索にひっかかった」
彼を示す赤い点が、立体魔法陣の位置情報として現れる。
「……んん?」
しかし、私は妙な声を出して、目を見開いた。
だって、キースはとても変な場所に居たから。
「王宮の……最上階?」
「…………」
その言葉に、カノン将軍が僅かに反応し、眉をひそめた。
そして軍帽のつばを持って、見上げる。すぐ側にそびえる、大水晶宮の、その最も高い場所を。
「キースの奴、どうやってそこへ行ったのかしら」
「……王宮には結界が張られている。転移魔法では行けないはずだ。……抜けて行ったのか? あの場所に……?」
そこまで言って、カノン将軍は口をつぐんだ。
少しだけ、険しい表情をしている。
ああ……キースのばかばか。
あなた絶対、行っちゃいけない場所に行ってるわよ、これ。
怒られちゃうわよ、これ。
私は双子の兄に呆れ、一度天を仰いでから、スタスタと王宮の方へと向かうカノン将軍について行ったのだった。
「……?」
しかし、ふと。
王宮の遥か上の、その“どこか”から……
零れ落ちて響く、枝葉のざわめき、雫の音に……
呼ばれた気がして、もう一度、空を仰いだ。