fin4:カノン、◯◯◯と会話する。
5話連続で更新しております。ご注意ください。(4話目)
ここはフレジール王国の南端の田舎ヨカメル。
俺は、シャトマ姫に促され、長期休暇をとっていた。
ヨカメルは南の大陸に近い、温暖で自然の多い土地だ。
俺はその山奥のコテージで、静かに日々を送っていた。
「……」
鳥の泣き声が、澄んだ空気の中、良く響いている。
さわさわと木々の枝葉の揺れる音を聞いていると、なぜか大樹を思い出す……
ウッドデッキに椅子を置いて、その椅子に座って、日がな一日を過ごしていた。
ここ最近、毎日こんな風にして過ごしている。
メイデーアの各国では、復興が急がれていると言うのに、俺はこんな所で何をしているんだか。
それでも、毎日毎日、整理したい思いや記憶があって、シャトマ姫の言う事に甘え、ここで静かに過ごしている。
『カノン……まだそこにいるつもりか? 早く帰ってこい、早く〜〜』
「……姫。なら、明日帰ろうか」
『い、いや。……いや、まだ休んでおれ』
「……いったいどっちなんだ」
ただシャトマ姫は毎日通信魔法で語りに来るのに、早く帰ってこいと言ったり、まだ休んでいろと言ったり。
彼女の複雑な思いは、俺にも分かっているつもりだ。
だから、あと少ししたら、フレジールに戻ろうと思っている。
「まるで、余生を過ごす老人の様ですねえ」
通信魔法を終えて、少しだけのんびりとしていたら、空から声がした。
見上げると、リリスがフワフワと浮いて、こちらを興味深そうに見ている。
「……なぜお前がここに居る、リリス」
「いいじゃないですか……“黒の幕”は何も無いつまらない場所ですし、暇ですからね」
「……」
嫌にはっきりとした口調だ。
そもそも、リリスはこのような喋り方をする娘ではなかった……
そして、ふと、思い至る。
今まで理解の出来なかった、あらゆる事が、繋がって行くように。
「ああ……なるほど。お前が……“本体”だったのか」
「……そうですね。正解です」
リリスは側に降りてきた。
探し求めていた宿敵の本体を前にしても、俺は特に面持ちを変えなかった。
なぜなら、こいつがもう、俺たちの敵ではない事を知っていたからだ。
「あなたは願いを叶えて、満足ですか……?」
「……そんな事を聞きにきたのか」
「私にとっては、重要な事です」
ニコリと微笑むリリス。テーブルの上にあった瓶の桃ジュースを開けて、勝手に飲んでいた。
その姿は、ただの幼い少女であるのに……これが、災厄のパンドラの箱か。
「あなたは、これからどうするおつもりです?」
「それは、こっちの台詞だ。お前は、これからどうするつもりなんだ」
「……特に、何も。私の役目は終わりましたから……」
「……」
リリスの口調は、青の将軍のあの嫌らしい敬語のようでもあり、ソロモンのようでも、レピスの様でもあった。
今思えば、皆、口調が似ていたなんだな。
リリスはジュースを飲み終わった後、穏やかな空を見上げた。
「メイデーアは神々を失いました。これ以上の災厄はありませんよ。……あとはもう、あなたと同じです。ふらふらとメイデーアを見て回りながら、面白おかしい事でも捜します」
「奈落へは帰らないのか?」
「あはは。奈落への入り口は再び閉じてしまいましたからね。今世、再びクロンドールが一度でも開かなければ、もう二度と開かれる事は無いでしょう」
「……」
奈落への道を作る事が出来るのは、トールと、このリリスだけだ。
リリスだけでは、あの場所へは行けないと言う事だろうか。
確かな事は、まだこの災厄は、地上にあり続けると言う事だけだ。
「というか……お前、マキアやトールたちの前で、可愛らしい幼女の演技をしていたのか?」
ふとそんな事が気になった。
リリスはしばらく真顔になった後、
「………………ふふ。……あははははっ」
リリスは桃ジュースの瓶を持ったまま、そこで笑い転げた。
笑いたいのはこっちだが、俺にはそんな気力も無かった。
「リリスはリリスですよ。結局の所、私に本体など無いのです。あったものは、本来の肉体と言うよりは、そのための主箱ですからね。リリスという少女は私のパンドラの箱だっただけです」
「……」
「リリスの中には、ちゃんとリリスも居ます。リリスは私を、秘密の友達と思っていますよ。私は彼女と意識を共有しながら、たま〜にこうやって、顔を出すだけです」
暢気な事のように言って、彼女はひょいと飛んで机に座った。
視線が同じくらいになる。
「分魂たちはどうなった」
「ラスジーン系の……ああ、青の将軍と言った方が良いでしょうか。彼は私の中に吸収されました。ナタンを食べた時に、ですね。お父様は最初から、私がエリスだと知っていたので……裏の立役者と言いますか……私の為に、沢山の事をしてくれました」
足をぶらぶらとさせて、彼女は遠くを見ながら語った。
「レピスや、ソロモンも、です。あの二人にも、随分と頑張ってもらった。……なので、あの二人には自由を与えました」
「……ならば、黒の幕の中のエリスたちは、どこへ行った」
「あれらも、全部食べてしまいました。なので、レピスとソロモン以外の“エリス”は、全部この、リリスの中にあると言う事ですね」
「……」
なるほど、と、全てを納得できた訳ではないが、こいつの正体は原初の神ケイオスだ。
俺に理解できない事は、沢山あるのだろう。
「レピスとソロモン……あの二人が“エリス”であるのではないかと、疑った事が無かった訳じゃない」
「……でしょうね。まず先に、怪しく思うはずですから」
「でも、確信に至る為の証拠も無かった。俺は、結局最後まで騙されていた」
「……」
リリスは鼻に止まった蝶々をつつきながら、くすくすと笑う。
「まあ、あの二人は、青の将軍の要素を持たない、イレギュラーでしたからね。……あなた方の味方である様、徹したエリスです。味方であった事に変わりは無いのですから、疑っても、無意味だったかと」
「……」
はあと長い息を吐いて、また空を見上げた。
もう、あまり深くは考えたく無い。
揺れる木々の隙間から木漏れ日が落ちて、俺たちの上に光の斑点を作る。
ゆらゆら……ゆらゆら……
これらは、まるでゆっくりとした時間の中の、おとぎ話の様だ。
それで良いような気もする。
メイデーアに住む精霊たちの笑い声が聞こえてきそうで、俺は一度目を閉じた。
「あれ……? 寝てしまうんですか?」
「……」
「もう少しお話ししましょうよ。ねえ、ハデフィス」
「……俺はもう、ハデフィスじゃないぞ」
片目を開いて、隣の机に座るリリスを見た。
彼女は何がそんなに面白いのか、さっきからニコニコ、ニコニコと。
「……お前、先ほど俺に、尋ねたな。……願いを叶えて、満足か、と」
「ええ。……尋ねました」
「納得はしている。……これが答えだ」
そう言うと、リリスは首を傾げた。
「……はて。それはどういう事でしょうか。長い片思いが実る事が無かったから、満足ではない、と?」
「……ふっ。何だ、それは」
俺は鼻で笑った。
リリスは意味が分からないと言う様子だ。
「だって、あなたはマギリーヴァを愛していたのでしょう? 私だって、マギリーヴァは欲しくて仕方が無かったけれど……でも、あの人はやっぱり、クロンドールを選びました」
「当然だ。彼女がそうしない訳が無い」
そんなことは、遠い昔から、ずっとずっと分かっていた。
分かっていて、俺は追い続けたのだ。
「…………俺は別に、報われたくて、願い続けた訳ではない」
「……」
「俺は、ただ幸せになりたかった。……最後に行き着いた答えは、これだ。マギリーヴァの幸せを願ったのは、当然……大好きだった人にも、幸せになって欲しかったからだ」
漏らす言葉は、始めて他人に言う思いでもあった。
いつも一人で抱き続けていたのに……なぜ、天敵であったこいつに、言えてしまうのだろうか。
リリスは少しの間、黙っていた。
「……そういうものですか? 普通、愛した人が自分を見てくれなかった時、何が何でも自分のものにしたくて、殺意すら湧いてきません?」
「……そんな感情は、知らないな」
「あなた……本当に、純粋なんですねえ」
「……」
横目にリリスを見た。
彼女は俺に、興味津々と言う表情で、機械の小さな耳をピコピコと動かしている。
純粋だとか、そんな事を、こいつに言われたくは無い。
愛らしい幼女の姿をしているくせに、混沌を抱くこいつに。
「でも、面白いと思いませんか? 純粋なあなた、混沌の私…………メイデーアを救おうとしたあなた、メイデーアに災厄をもたらそうとした私…………希望を語ったあなた、絶望を語った私………行き着いた先が、同じ場所だったなんて」
「……」
「私はねえ……世界の法則の破壊を、あんなに望んでいながら……今更、少しだけ寂しく思っている事があるんですよ」
そして、彼女は足をぶらぶらさせるのをやめて、虚空を見つめた。
笑みは消えて、無表情である。
「神話時代から幾度となく転生を繰り返してきたあなたたちを、苦しめ、苦しめ、苦しめてきた私ですけれど……私はね、楽しかったですよ」
「……」
「何も無かったメイデーアに、突然召喚された子供たち……彼らに興味があって、父であるウゥラを裏切って、奈落の掟を破ってまで地上に出てきた。……そのかいがあったと言うものです」
「なら、何がそんなに寂しいんだ」
「だってもう……あなたたちとは遊べないじゃないですか。あなたたちは、今世限りの、終わりのある魔王だ」
「……」
「生まれ変わったら、もうただの人です。……私の事を憎らしく思ってくれる人は、いなくなるでしょう?」
リリスは机の上からぴょんと飛び降りて、スカートを叩いた。
長い髪はリボンで結われていても、床に着く程だった。
先ほどまでの無表情をやめて、彼女はくるっと回って笑顔を作った。
「さあ、もう行きましょう。ノアたちが、タワーの捜索魔法を駆使して、私を捜していますから」
ぴょこぴょこと歩いて、彼女はコテージの階段を下りた。
俺は椅子から降りる事も無く、彼女の背中を見ていた。
「少しだけ、聞きたい」
「……?」
「奈落で、原初の神々が何もしてこなかったのは、お前が居たからだろう。……俺を引き込んだウゥラでさえ、地上へ戻る事を許したくらいだからな」
「……さあ、それはどうでしょうね」
戯けた顔をしたリリス。
だが、多分俺の推測は正しいと思う。
あの場に居て、原初の神々をどうにかできたのは、同じ原初の神であるこいつだけだ。
リリスが、何かしらの働きかけをしたに違いない。
「…………リリス」
「はい?」
「また、気が向いたら、俺の所に来ると良い」
「……」
リリスはこちらを振り返り、俺を見つめた。
その瞳の色は、巨兵であり、魔道要塞でもある彼女の、人形の瞳ようなきらめきとは裏腹に、ぞくっとする程の感情的な冷たさを帯びている気がした。
「……ふふ」
そして、彼女は口持ちに手をあて、意味深に笑う。
「また……何かしでかすかもしれませんよ……私」
「……」
「私は災厄を求め続ける、混沌の概念です。あなたたちの幸せな姿を見ているのに飽きたら、また苦しみを与えてしまうかも」
悪意に満ちた表情は、まさにエリスと言った所か。
しかし俺は、穏やかな笑みを作ったまま、やはり木々の枝葉の揺らめきを見ていた。
のどかな空気が変わる事は無い。
「何を言っている。この世界から、災厄が居なくなる事など、そもそもあり得ない」
「……」
「受けて立つさ。魔王たちは……人々は、そこまで弱く無い」
少しだけ強い風がふいて、俺の金髪も、リリスの長い黒髪をも、気ままに揺らした。
「誰にだって、頑張っても頑張っても、報われない事はあるだろう。……辛く悲しい出来事に見舞われる事だってある。弱さ故に、人はそれに嘆いて、苦しみもがくのだろう。足を止めてしまったり、過ちをおかす事もあるかもしれない。……俺がそうだったように」
長い記憶を背負い、かつての仲間たちを殺す役目は、辛く険しいものだった。
あまりの、長く惨い人生に嫌気がさして、生きる事に疲れてしまった時もある。
全てを、諦めそうになった事だって……
「だけど、俺は……ギリギリの所で、絶対に諦めなかった。俺だけではない。マキアも、トールも……ユリシスもシャトマも、エスカもペルセリスも……レナも、イスタルテも……皆、自分の幸せを諦めなかった」
「……」
「諦めなければ、希望はある。…………絶望はしない」
希望はある。
俺はその言葉を、自分自身に言い聞かせた。
「……あなたが……希望論を語る事になるとは、思ってもみませんでした。これは誤算ですね」
「そうだろうか。……お前だって、希望を持っているんだぞ?」
「はい?」
「パンドラの箱から飛び出たのは、確かに災厄だ。だが……最後に残ったのは希望だと言われている。……地球ではな」
「……」
「……ふふ」
歪んだ表情のリリスが愉快だ。
最後の最後に、こいつにこういう顔をさせる事ができて、何だか嬉しい。
「要するに、希望も災厄も、裏表でしかないと言う事だ。……ちょうど、俺とお前が、正反対のものを目指して、同じ場所にたどり着いたように」
「……」
リリスはしばらく黙っていたが、そのうちに背中の羽を出して、宙を飛ぶ。
そして、もう一度問いかけた。
「あなた、これからどうするんですか?」
「……俺は、自分なりの幸せを考えてみるよ。何が幸せで、どうしたら幸せになれるのか、そんな事は一つも分からないがな」
「あなたには不幸がお似合いですのに」
リリスもやはり、最後に言ってくれる。
だが自分でも、そうだろうな……と思ってしまったり。
だけど、それではダメだ。
幸せを諦めないと、彼女と約束したのだから。
「まあ、良いでしょう。……せいぜい頑張る事です」
「……」
「さよなら、カノン。また会いましょう」
「……ああ、さようなら。……リリス」
そして、リリスは空高く飛び、すぐに見えなくなってしまった。
彼女がこれからどこへ向かうのかは分からない。
もしかしたら、マキアやトールの所へ行くのかもしれない。
いや、すぐに帰ってしまうのかもしれない。
だが、まあ良い。
もう誰もが自由だ。
お互いを咎めるものなど何も無い。
昼下がりの温かい陽気の下。
俺は、囁くような眠気に襲われた。
俺は今まで、あまりに眠る事が嫌いな男だった。
眠ると、抱えていた膨大な記憶が映像となり、再びこの身に降り掛かる。
そんな恐ろしい事が、多々あったからだ。
だが、最近、遠い昔の記憶を夢に見る事は無くなった。
眠りは、本当にただの安息の為のもので、俺はそれが気に入っている。
「……」
お疲れさま……
ゆっくりとおやすみ。
そう言ってくれたのは、誰だったのだろう。
遠く、懐かしい古の匂いが、鼻をかすめて通り過ぎて行く。
俺は今、誰かに手を取って引かれるように、深い眠りに誘われたのだった。
そして、手を引いた誰かが、眠る直前に、耳元で優しく囁いた。
君の物語は、まだまだこれからだ。