fin3:シャトマ、エスカに助言される。
5話連続で更新しております。ご注意ください。(3話目)
妾の名は、シャトマ・ミレイヤ・フレジール。
先日、フレジール王国の女王に就任した者だ。
「……結婚か」
妾は常務をこなす為の椅子に座って、遠く彼方を見つめ、ぼけっとしていた。
ついでに、目の前に焼き饅頭に手が伸びる。
「お姉様。いくらカノン将軍がフレジールを留守にしているからと言って、ぼかぼかとお饅頭ばかり食べていたら、太ってしまいますよ」
「うるさいうるさい、アイリの馬鹿」
妹のアイリに止められようとも、饅頭に手が伸びる。
何故かと言うと、あのマキアとトールがいよいよ結婚したと言う知らせを、ルスキアの王であるレイモンドから聞いたばかりだったから。
「シャトマ女王におかれましては、今後伴侶はいかがするおつもりで?」
レイモンド自身もまだ独り身のくせに、妾の心配をしてくれる始末。
あの嫌らしいにやけ顔が腹立つ。
「ふん。妾に花婿探しの時間なんて無い。……妾にはやる事が多い」
「しかしシャトマ姫様、我がフレジールは、今やメイデーア最大の大国。跡取りも必要ですよ?」
「ああああああああ」
アイリの言う事は最もだが、妾は座っている椅子をガタガタと揺らして、叫んで誤摩化した。
考える事は多くあるのに、そんな花婿とか跡取りとか……
「そんな事より、キルトレーデンだ。エルメデス連邦だ」
気を取り直して、連邦の話題を出した。
「……あの国は元々数多くの国が集まり形成された連邦国です。今後独立を目指す国も出てくるでしょうね」
「そうだ。中央のキルトレーデンは機能しておらず、あの国は荒れる一方だ」
「ですが、希望はあります。旧ガイリア帝国のタチアナ公女がいらっしゃいますから。彼女は覚悟を決め、あの国のトップに立つつもりでいます。今はキルトレーデンに身を置き、復興の象徴となっている様ですから」
「……」
タチアナ公女と、旧ガイリアの革命家たちを巡る物語には、続きがある。
この騒動の後、タチアナ公女は自ら復興の手助けをしたいと、強く名乗り出た。
王の居なくなったあの国には、かりそめでも、先導者として表に経つ者が必要だ。
かつての藤姫がそうであったように、人々を導く偶像……それを、タチアナ公女も覚悟した。
役に立ったのは、マキアが男装し“赤毛の怪人”として、キルトレーデンで有名になっていた事だ。
タチアナ公女はあの姿を受け継ぎ、髪を切って男装し、“赤毛の怪人”として経ち振る舞っている。
当然、公女だと公開しているので誰もが女性だと知っているが、あの赤毛の怪人が旧ガイリアの公女であったらしいという噂は、彼女の地盤を堅くした。
旧ガイリア派の革命家たちの思惑は、このような形で成就される事となる。
とは言え、敵も問題も多い。
これから先、全てが上手く行く事は無いだろうし、巨大な国家の崩落で、連邦は今後乱れると予想されている。
こちらも気を抜かず、状況を見守り、手を差し伸べたい。
そう思いつつ、饅頭を一つ手に取った。
アイリが饅頭の入った箱ごと、取り上げる。
「お姉様、もう十分でしょう。5個は食べてますよ?」
「た、たった5個しか食べてない……」
「あなたはマキア様とは違います。たった5個のお饅頭が、美の天敵となる事もあるのです」
「う、うう……」
「……全く。お姉様がここまでダメダメな方だったとは。カノン将軍が居なくて、気が緩んでいらっしゃる」
「……」
そう。妾はカノンに暇を出した。
あいつもすっかり毒気を抜かれて、少し疲れていそうだったから、療養にと思って長期休暇を取らせている。
元々、そうするつもりだった。
「自分でカノンに暇を出してしまったが、早くあいつが戻ってこないかなと思っているよ、妾は」
ふうとため息をついた。
今は確か、フレジール最南端の田舎の山奥で、のんびりとしているとか。
「失礼します」
そんな時、大司教様であるエスカが入室してきた。
彼はきっちりとした司教服姿でいる。というのも、ここへやってきたのは教国に関する案件を話し合う為だったからだ。
教国は今、一時的にルスキア王国のルーベルタワーに置かれている。
聖地自体が失われた訳ではないが、大樹という聖地の象徴を失った教国の存亡を、今後どうしようかというのは、メイデーアにとって重大な案件である。
だが教国を立ち上げたかつての聖灰の大司教であるエスカは、存外飄々として、次を見据えていた。
教国に関する問題の答えは、ここ数年で解決する話でもないだろうが、大司教様は今後西へ向かって、西の地に残された大樹の若木を見に行くようだ。
「シャトマ姫様、俺、若木の枝を三つ貰って、それぞれの大陸に納めようと思っています」
「……ほお。それはいったい、どういう事だ?」
「若木は大樹ではありませんが、この存在がどこかから漏れてしまえば、これが争いの元になりかねませんからね。まあ、西の大陸に立ち入る一般人は居ないでしょうけれど、信者というのは時に突飛な行動に出るものですから……」
「確かに……なあ」
「いっそ、小枝をそれぞれの大陸に分け与え、根付かせてしまおうかと。で、可能であれば、それはタワーの頂上が良いかもしれません」
「……タワーの? これはまた、大司教様まで突飛な事を……」
ぽかんとしてしまったが、大司教様は本気の様だった。
彼は、ガラス張りの窓から見えるオーバーツリーを見ている。
「俺は、ずっと思っていたんですけれど……タワーって、樹の様ですよね。今後、魔法の主流媒体が魔導回路となる事は予想されていますし、こうなると、無力な大樹より重要視されるのはタワーです。いっそ、タワーに神聖な象徴を加えてしまえば、新たな世界のあるべき姿が、見えてきそうだなと思いまして」
「……」
大司教様はアイリの持っている箱から饅頭を取って、一口で食べた。
アイリに「なんて下品な」と皮肉を言われていたが、それには「腹が減っては天啓が降りてこない」と意味不明な返事をする。
「ふん……お茶を持ってきます」
アイリはツンとした態度で、一度部屋を出て行った。
大司教様と二人きりとなって、妾は本音を語る。
「しかし、なんと言うか、やはり大司教様は凄いな。タワーを大樹に見立てるとは」
「いや……俺が提案しなくとも、自然と大樹崇拝は無くなって行くかと思いまして。俺は別に、それで良いと思うんです」
「……」
元聖灰の大司教様とあろうお方の言葉とは思えなかったが、そこには深い意味がある気がした。
大司教様はどこまでも理性的である。……あのはっちゃけた姿が別人であるかのように。
大司教様は続けた。
「問題は、教国をどうするか、ですね。元々一般市民は大樹を見た事がありませんので、聖地はただの聖地であっても、問題ないかもしれません。宗教の総本山ってことで、もう一度あの場所に立て直そうかなと思います」
「……なるほど」
「大樹は無くとも、救いの必要な人々は、まだメイデーアに沢山居ますから。大切なのは、そこかと」
「……」
流石だな、と思った。
大司教様の言葉は、彼がやはり大司教として生きてきた立派な証でもある。
人々を救う。そこに迷いが無いから、彼はずっと、毅然としていられるのだ。
メイデーアは今、かつて無い程の転換期と言える。
今後、キルトレーデンにも我がフレジールの魔導回路システムタワーを導入する。
これで、メイデーアは四つの大陸を、魔導回路で繋いでしまう事になるのだ。
移動は簡単になり、それぞれの貿易も盛んになるだろう。
何より、情報の交換が速くなる。
時代は大きく流動し、世界のあり方はどんどん変わって行くのだろう。
それは、良い方に行けばよいと願っているが、そうでもないことも沢山起きるに違いない。
でも、変化を恐れていては、メイデーアは……
「はあ……」
「ど、どうかしましたか、シャトマ姫様」
「大司教様……そなたも、明日から旅立つんだよな」
ため息をついた妾に、大司教様は焦り顔であった。
「そなたまでここを去ってしまったら、妾はフレジールでたった一人になってしまう。カノンは居ないしな……」
ふっと、不安を零してしまった。
ここ最近、妾の中にあった不安だ。
前まではあんなに気を張って、カノンが居なくても強くあらねばと思っていたのに……
絶対的な敵が居なくなったはずなのに、何故か弱気気味だ。
アイリも、頼れる臣下も居ると言うのに。
これはいったいなんなんだろうか。
同じ土俵に立つ者たちが、どこかへ行ってしまうのではないかという、漠然とした不安。
「……シャトマ姫様?」
大司教様はそんな私の不安に、いち早く気がついた。
すっと、目の前までやってきて、真剣な表情をして言う。
「お寂しいのですか?」
「……」
「カノンが、居ないからですか?」
「……ふふ。それもあるだろう。……皆がどんどん先へ言ってしまうというような、良くわからない不安もある」
妾は机の上に肘を立て、手の甲に顎をのせて、苦笑した。
長く藤姫として勤めてきたが、ここになって、少しだけ普通の女になってみたいという欲も出てしまった。
今まではカノンが支えとなっていたが、これからはどうなるのか分からない。
カノンはもう、願いを叶えた。
妾に期待する事も無い。
妾の側にいる必要も、もう無いのだ。
「大丈夫ですよ」
しかし、大司教様は言った。
「あいつは戻って来ます。あいつの帰るべき場所は、なんだかんだと言って、あなたの元しか無いですから」
「……大司教様」
「それに……俺だって居ます。俺は……俺は、教国の大司教と言う立場ではありますが、シャトマ姫様の事はいつも気になっていますし……」
「……」
「お、俺は……あなたが俺を呼んでくれれば、いつでも駆けつけますから!」
照れているのか、少々顔が赤かったし目も泳いでいたが、彼の最後の言葉は、とても力強かった。
大司教様の言葉は信じてみたくなる。
彼はやはり聖者だ。王とは違う方法で、人を導く力を持っている。
「ありがとう……エスカ」
素直に、お礼を言ってみた。
彼とはこれからも、もっともっと、話がしてみたい。
何かあったら、助けを求めて、相談をしてみたいと思った。
「……あれ、エスカって呼びました?」
「ああ。みんなそう呼んでいる。妾もこれからはそう呼ぶ。……ダメか?」
不安げに首を傾げてみる。
片足を上げて、驚愕の表情をしていた大司教様ことエスカが、ワンテンポ遅れて首を振った。
「め、滅相もございません」
「なら、そなたも妾に敬語を使うんじゃない。妾は確かにフレジールの女王だが、そなたとは対等な存在でありたい。いや、大司教様は、かつての藤姫の恩師でもある。……むしろ妾の方が、そなたを敬わなければならない立場だ……」
「な、何を言っているんですか! 俺は、藤姫様を心から尊敬していて……その、タメ口なんてとてもとても」
「……マキアたちの前では、そなたは素を晒している癖に……妾には無理だと言うのか」
「いや、あれは素っていうかなんて言うか」
「……ぶう」
ちょっと拗ねた様子を見せたら、エスカは頭を抱えて、奇妙な動きをした。
まあ、根は真面目な彼だ。敬語の方がよほど気楽であっただろう。
意地悪しすぎたかな……
エスカはいじればいじる程面白いから、つい。
「おい、貴様。姉様の前で奇妙な動きをするな!」
このタイミングで部屋に戻ってきたアイリが、妙な体勢で固まっていたエスカに怒鳴った。
ここでぎゃあぎゃあとアイリとエスカの言い合いが始まってしまったのだが、それを見るのも賑やかで良い。
フレジールは今後のメイデーアを担う要だ。
妾は女王として、使命を全うし続けなければならない。
それでも、支えてくれる心強い者たちは居る。
不安を抱いたりしながらも、時には素直に、周囲に頼ったりして、新しい世界を先頭に立って歩んでみたい。
時に、普通の女としての人生に憧れを抱きながらも、なんだかんだと私は女王を全うするのだろう。
世界の夜明けを、誰より早く、私は目にする事になるのだろう。
カノン。
今、お前はたった一人で、何を考え、何を思って、過ごしているのだろうか。
お前がまたここへ戻ってきた、その時は、また皆で集い、愉快な宴を催そう。
“カノン”の帰るべき居場所を、“藤姫”はずっとずっと、守っているよ。
……妾たちの物語は、これからだ。