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俺たちの魔王はこれからだ。  作者: かっぱ
最終章 〜ゼロ・メイデーア〜
398/408

fin1:マキア、トールと共に故郷へ帰る。


5話連続で更新しております。ご注意ください。(1話目)






マキア・オディリールの人生において、そこは確かに故郷と言える。

だけど、今の私はただのマキアだ。

オディリールの名は持っていない。






麦畑の匂いが、開け放った馬車の窓から流れ込む。

もう少しで収穫と言う、その麦穂の香りは、私の鼻をくすぐるたびに「おかえり」と囁いた。


私たちの乗る馬車は、すでにデリアフィールドの小道を走っていた。


「……あと、少しだな、マキア」


「トール」


隣に座っていたトールもまた、窓から外を覗く。

のどかな麦畑の景色を見ていると、王都ミラドリードを襲ったあの巨兵戦争が嘘のように思えてくる。

ここはどこまでも平和だ。


「あ、オディリールのお屋敷」


私は、遠く麦畑の向こう側にぽつんと見え始めた、ここらでは一番大きな館を見据えた。


それが見えると、一気に懐かしさが溢れてくる。

幼い頃、ここから出て行きたいと、退屈でつまらないと感じていた日々を思い出して、クスッと笑った。


あの頃はもう二度と戻ってこないけれど、かけがえの無い、遠き日々だ。

また同時に、不安がこみ上げてきた。


「お父様とお母様……私の事、分かるかしら」


「……なぜいまさらそんな心配を」


「だって、だってもう、何年前の話? 私、見た目も変わっちゃったし……」


「……そうか?」


「わ、私、なんて言えば良いのかしら」


「……」


私の不安は、トールには良く伝わっているようだ。

ただ彼だけは落ち着きはらって、心配ないと言うようにケロッとしている。


「そんなに難しい事じゃないだろ。……ただいまって、言えばいいじゃないか」


「……ただいま?」


「そうだ。お前、里帰りするだけなんだぞ」


「……そ、そうなのかな」


久々に着た、赤い貴族令嬢風のドレスをにぎにぎといじって、私は席に着いた。


トールってば何でこんなに落ち着いているのかしら。

私は緊張して仕方が無いって言うのに。


そうこうしているうちに、私たちはとうとう、オディリール家に辿り着いたのだった。








「……」


お屋敷の門を前に、立ちすくむ。

トールに手を引かれて、門を開けて入っていった。


門番が居たけれど、私の知らない門番だ。

トールが王宮の証明書を見せると、訝しげにこちらを見つつも、あっさりと通してくれた。


「前まで門番なんて居なかったのにね」


「……オディリール家は今、アルフレード殿下とルルーベット王女を庇護しているからな」


「懐かしい……名前ね」


ルスキアの王権を巡る、王子と王女の物語は、遠い昔。

今、二人はここに居るという事だった。


家の扉の前で待つように言って、門番は御館様を呼びに行った。

門番は私たちを、ただの客人と思っているようだ。


「……若い二人の……王宮の遣いらしいのですが……」


そんな声が、扉の中から聞こえた。

直後、扉が開いて、気品のある出で立ちの一人の老人が出てきた。


「……」


「……お久しぶりです、御館様」


「……トール……か?」


老人はトールに気がつき、とても驚いていた。


私はトールの後ろから出られずにいたが、こそこそと覗いて、その老人を見ていた。

髪はすでに真っ白になって、痩せた体をしている。

お父様はあんなに老けていたかしら……


会わなくなって、3年は経っただろうか。

会う事の無かった長い月日を思えば、お父様が歳を取ったのだと言うのも納得できる。


だけど、彼があんなにやつれてしまったのは、もっと違う理由もあるのだろう。

私が……私が、死んでしまったから……


「トール、立派になったな。王都は色々と大変だったと、話は聞いているよ。……良く、無事に帰ってきてくれた……!」


「……御館様」


「良かった、本当に……」


トールの手を取って、固く握りしめる。

そこに、お父様のトールに対する愛情を感じ取る事が出来た。


「御館様。今日はご報告に来たのです」


「……報告?」


「ええ。俺……結婚することになりました」


「……」


お父様はハッとして、でもなるほどというような、少し寂しそうな顔をした。


「そうか。……良い人が出来たんだな、トール」


「ええ」


「……そうか……良かった」


良かったと言って微笑みながらも、少しだけ視線を落としたお父様。

どのような心境なのだろうか。


トールはそんなお父様を前に、私に「ほら」と言って、出てくるように促していた。

だけど私はなかなかトールの背中から出られずにいた。

彼の背に顔を押し当てて、そこから離れられない。


「こ、こら……お前、何をそんなに恥ずかしがって」


「……あはは。トールの良い人は、とても恥ずかしがり屋のようだ。きっとつつましやかな、箱入りのお嬢様に違いない」


「……い、いや、そんなおしとやか系じゃないです」


トールに馬鹿にされた気がして、私は思わず顔を上げた。


「ちょっと、それどういう意味よ!」


「……」


「……あ」


空気が止まったかのような沈黙の後、私はそろっと、お父様の方を見た。

お父様は、目を見開いて私をじっとみている。

瞬きもしない。


「あ、あ、あの……あの……私」


「……」


「私…………お、おと……」


私は視線を落としたり上げたりしながら、ちゃんとした言葉を出せずにいた。


赤い髪をした女の子なんて沢山居る。

私は、マキア・オディリールとして生まれ育った、そのままの姿ではない。


私は、この人をお父様と呼んでも良いのだろうか……


「マキア……か?」


「……」


「マキアだな。マキア……マキアなんだろう……なぜ……」


お父様は混乱と同時に、どっと溢れる涙を我慢できず、何度か首を振って、口元を抑えていた。

お父様の涙を見た途端、私もまた、わっとこみ上げてくる思いに、涙を我慢出来なかった。


「お、お父様……私」


「マキア……マキア、なぜ」


「私、私……」


足がすくんで動かなかった。

見た事も無い程、激しくむせび泣く父を前に。


ただ、私の背をトンと押す手があり、私はそのままお父様に飛びつく形となる。

お父様は驚いていたけれど、私はその懐かしい香りに、たまらず彼を抱きしめた。


「お父様……お父様、ただいま……っ」


「……マキア」


「そうよ。……私、戻ってきたの」


「……」


「私……マキアなのよ……お父様……っ」


詳しい話など、ここで語る程の心の余裕は無かった。

ただ、私がマキアであるのだというのを信じて欲しくて、私はただただお父様に訴えた。


お父様はしばらく何も言えずに、ただただ目を見開き、止めどなく涙を流していたが、やがて私を抱きしめ、その場に崩れた。


「マキア……っ、マキアだ。私には分かるさ……お前はマキアだ。私の可愛い娘だ……っ」


「……お父様」


「マキア……っ!」


何度も何度も彼に名を呼ばれて、私はやっと、帰るべき場所へ帰って来たのだと思った。


「ただいま。ただいま、お父様」


ただいま……


もう少し、もう少しと思っていた。この言葉を口にするのは、もう少しである、と。

ここへ帰る為に、沢山の事を頑張っていたと言うのもある。


胸が苦しいのは、嬉しいからだ。

私はまた、お父様をお父様と呼ぶ事が出来る。



トールは私たちを、優しく見守っていた。


門番は当然、何が起こったんだと思って、戸惑っていた。

騒ぎを聞きつけ、屋敷のメイドたちや、使用人たちが出てきた。

お母様も。


お母様もまた、この光景を見て、すぐに私をマキアだと判断した様だった。

駆け寄ってきて、私に縋った。


アルフレード王子も、ルルーベット王女も、ここに私たちが居るのだと言う事に驚き、また涙した。


誰もが、私たちの帰還に歓喜した。



メイデーアに再び転生を果たし、一番最初に降り立った場所。

それが、デリアフィールドのオディリール家だった。

私たちを育んでくれた多くの優しさが、この場所にはあったのだ。

無償で愛情を注いでくれる肉親の温もりは特別で、私に、限りない安堵を与える。


ふと、かつてのお父様の言葉を思い出していた。



『もう何もかも上手くいかなくて、何もかもに絶望して、何もかもを敵だと思っても、お前たちが安らげる場所は、確かにデリアフィールドにあると言う事を、絶対に忘れてはいけない』



言葉は力だ。

その言葉は、確かに私の拠り所であった。


長い長い旅路を経て、やっと戻ってきた。


私にとっての、安住の地。

懐かしき、私たちの故郷デリアフィールドへ。


















私は再び、マキア・オディリールとなった。

それとほぼ同時に、トールがトール・オディリールとなった。

私とトールが婚姻届を役所に提出し、結婚したのだ。

そして、トールがオディリール家の婿養子となったのだった。


レイラインの事もあるし、それで大丈夫かと何度も尋ねたが、全然大丈夫とか、余裕な返事をされた。

それにしても、トール・オディリールって変な響きよね。


お父様とお母様は、私たちの結婚をとてもとても喜んでいた。

この屋敷に住んでいるアルフレード王子やルルーベット王女も、お祝いの言葉をくれた。


毎晩毎晩、デリアフィールド流の宴を催し、家族で食事をした。

私は今までの事を、沢山話した。


前世の事、今世の事。色々……



あれこれ慌ただしくしていたら、デリアフィールドに戻ってきて、一週間程が経っていた。







「ふああ……」


とても早くに目が覚めたけれど、目覚めはとても心地よい。

だってここは、恋いこがれていた故郷、デリアフィールドの我が家なのだから。


むくっと起き上がり、お母様の編んだベッドカバーのレモンの樹をぼんやり見つめていた。

秋の涼しさにぶるっと身を震わせて、もういちど寝てしまおうかしらともぞもぞしてから、ハッとする。

隣で寝ていたはずのトールが居ない。


「あ、あれ……トール〜?」


ベッドの中を覗き込んでも、当然居ない。

何だか不安になって、私は乱れた髪と寝巻きを整え、急いで部屋を出た。


早朝である。

それこそ、まだメイドたちも起きていないような、夜明け前だ。


「トール……トール〜」


お屋敷の廊下を走って、彼を捜した。

降りる階段で、トールの背中を見つける。


「トール!」


私は彼を追って、降りていく。


「トール、トールってば」


だけどトールの足取りは速くて、なかなかおいつかない。

いったいトールはどこへ行こうとしているのだろうか。

一度、私の方を振り返って、「早く来い」と口を動かした。


「???」


トールは屋敷の出口のドアノブに手をかけて、そこから出て行った。

いったいなんのつもりだろうか。


私は彼を追って、屋敷を出た。


「トール、トール……いったいどこへ行くの?」


「……」


彼は、もうすぐ朝日の昇りそうな東の方を見ながら、外で待っていた。

手には大きなバスケットを持っている。


「朝のピクニックにでも行こうと思ってな……お前も行くか?」


「朝のピクニック?」


「ああ。……あんまり清々しい空気だったから、目が覚めちまってな。厨房へ行ったら、良いものがあってな」


ニッと、子供っぽく笑ったトール。

私は何が何だか分からなかったけれど、トールが「ほら」と上着を私の肩にかけてくれたから、それを着てみた。

温かい厚手のカーディガンだ。


トールが手を差し伸べてきたので、彼のその手を取った。


「お前の手は、小さいな……」


「……何よ。馬鹿にしてるの?」


「違う。よくもまあ今までこんな小さな手で、あんな驚異的な魔法を使っていたなって」


「……もう、魔法は使えないけれどね」


「……」


ぽつぽつと会話をしながら、静かな朝のデリアフィールドを歩いた。


周囲はまだ少し暗い。

麦畑の隙間の、小さな道を歩みながら、私たちはやがて緩やかな丘への小道に出た。


小さな頃、この丘の上で、お友達たちと遊んだっけ。


丘の上には大きな樹があって、その側にも小さな樹があったから、お嬢様である私たちは大きな樹の根元でピクニックをして、トールが小さな樹の根元で私たちを見ていた。


あの頃は、本当に平和だったな……


様々な思い出のある場所に、足が止まりがちになっていたけれど、トールに引っ張られる形で丘の上までやってきた。


「ここから見える景色は変わらないな」


「……あら、本当に」


デリアフィールドを一望できるその丘からは、ちょうど東の空と、一面に広がる麦畑が拝める。

オディリール家の屋敷も。


優しい夜明けの空の下、デリアフィールドは清らかな静けさに包まれていた。


「そう言えば、レイラインでも夜明けの空を見たわね……。夜明けって何でこんなに、切ない気持ちになるのかしら」


「……でも、黄昏時程じゃないだろう。切ないけど、これから一日が始まるんだって言う、期待感がある」


これから……


それは確かに、未来への期待を込めた言葉であると思う。

夜明けはまさに、一日を迎える為の時間帯だ。


優しい薄紫色とオレンジ色の混ざった空には、まだ薄らと白月が見える。


「マキア、良いものがあるんだ」


トールが大きな樹の根元に座り込んで、持ってきていたバスケットをごそごそと漁っていた。


「も、もしかして食べ物? 朝ご飯??」


「じゃーん。レモンケーキでしたー」


「レ……」


レモンケーキ。

その名を聞くと、体が震えてくる。


デリアフィールドに帰ってきて、散々宴があったにも関わらず、レモンケーキだけがずっと出てこなかった。


なぜかって言うと、パティシエのバルナバが修行の為に別の街のホテルで働いていた所を、昨日の夜、やっと帰ってきたからなのよね。


トールの言う事には、昨日の夜に帰ってきたバルナバが、私の為に徹夜してレモンケーキを作ってくれていたらしい。


バスケットから取り出した皿の上には、白く滑らかなレモンクリームに飾られた、美しいレモンケーキのお姿が。

何度夢に見たか分からない、あのケーキが今目の前に……


「レ、レモンケーキ、レモンケーキ!!」


「まてまて。まるで猫にマタタビだな……」


「レモンケーキ!!」


私が「レモンケーキ」しか言わなくなったので、トールがすっとフォークを取り出し「ホールで食え」とゴーサインを出してくれる。


私はトールからフォークを奪い取ると、そのままレモンケーキにとびついた。


一口食べて、固まる。

だけどまた再起動して、今度はもう、止まる事無く食べ続けた。


レモンケーキを無我夢中で食べる私を、トールは微笑ましいくも珍妙なものを見る様子でいる。


「美味いか?」


「ええ! この甘酸っぱくて滑らかなクリームは、きっとメイデーアのどこを捜しても、バルナバにしか作れないでしょうね。ふわふわのスポンジは、更にパワーアップしてる! このレモンケーキは、世界一よ!!」


「……はは、そっか」


「トールも食べる?」


「ん? お裾分けなんてお前にしては珍しい…………ぐっ」


この味をトールと共感したくて、大きな一口分をトールの口につっこんだ。

トールはもぐもぐと口を動かして、悟った表情で「これだなこの味」とだけ。


故郷のお菓子程、恋しいものは無い。

私はまた大きな口を開けて、レモンケーキを頬張った。


「ああ〜幸せ〜」


「……幸せか、マキア」


「そりゃあ幸せよ。今ほど幸せな時って、記憶を遡ってみても、見当たらないわよ」


「……」


トールは「へえ」と、微妙な反応だ。

何だか癪だったので、私はケーキを食べる手を止めて、彼の顔を覗き込む。


「ねえ知ってる? 私、あんたのお嫁さんになったのよ」


「……はあ。もう逃げらんないな」


「何よあんた、私がお嫁さんで、何か文句があるって言うの!?」


ちょっと怒って、膨れっ面になると、トールは大きな声で笑った。


「何を言っている。文句なんてある訳が無い。……俺は、お前がどんな横暴な嫁になるのか、今から楽しみだって言うのに……」


「……あら、私、これでも少しは落ち着いた方だと思うのだけれど」


「そうか? 気のせいじゃないのか」


「……」


またムッとなる。

トールは、私の膨れあがった頬を手で挟んで押さえた。


無くなってしまったレモンケーキの大皿。

代わりに、もうすっかり朝日が昇って、朝焼けの明るみがこのデリアフィールドを照らし始めた。


「ほら、見てみろマキア。麦穂が燃えているみたいだ」


「……わあ」


麦の穂は黄金色に輝いて、とても美しい。


「……」


私が世界の法則を壊したせいで、これから、このメイデーアがどうなってしまうのか、それはまだ未知数な未来だ。

でも、世界はそれでも、こんなに綺麗で、まだまだ命の脈動を感じる。


それは終わりの始まりではなく、終わったからこその始まりであるのだ。

あの時、カノンはこれを、希望だと言っていたっけ。


美しい麦穂の景色を見ていると、期待が胸に溢れた。

それと同時に、この金色を、切なく思った。


「みんな……元気かな」


途端に、今は離ればなれになっている、腐れ縁の仲間たちの事を恋しく思った。


「デリアフィールドで一休みしたら、それぞれに会いに行こう。俺たちは、ずっと休んでいる訳にはいかないからな。やらなければならない事は、まだ山ほどある」


「……そうね」


「でもまあ……もう少し休んどけ、お前は」


「……」


ポンポンと頭を撫でられたので、隣に座るトールの肩にこてんと頭を乗せて、身を委ねた。


「トール…………」


そして、最近私の旦那となった、愛おしい彼の名を呼ぶ。

一生、一緒に居ると約束したその人は、「何だマキア」と、私の名を呼んだ。


「トール……愛しているわ」


「……俺もだよ。マキア……愛している」


愛している。

ただそれだけの言葉を口にする事が、私には泣きたくなる程、幸せに思えた。


私はもう、おそらく、二度と魔法が使えない。

だけど、魔法はもう、私には必要の無いものだ。


だって、世界を滅ぼすような凶悪な魔法を使えた魔女ですら、幸せになる為の魔法は知らなかった。


大好きな人と、一緒に生きていく事……

それは、魔法よりずっと難しい事だったのかもしれない。

幾度となく転生し、何度となく大好きな人を追いかけ続けると言う事は、とても切なく、辛い事だった。


「……でも、それでもね、トール……私、生まれ変わっても、何度でもあんたと出会う事が出来るって言うのは、結ばれるよりずっと奇跡的な事だったのかもしれないって、今でも思う時があるの」


「……マキア?」


「私、私……世界の法則を壊しちゃった……私たち、もう、今世で……っ」


その先を言葉にするのが怖くて、私はトールの肩に顔を押し付けた。


私の言わんとしている事は、きっとトールも考えている事。

だけどトールは私の頭を抱きかかえて、こう言った。


「大丈夫だ、マキア。……今世が最後じゃない」


「……トール」


「次の世があっても、俺たちはきっと巡り会える。世界の法則なんか無くったって……そんな絆が無くったって、俺がきっとお前を見つけてみせる」


「……」


「だから、今を精一杯、幸せになる為に生きてみよう」


トールの真剣な眼差しと、落ち着いた声音は、その言葉を信じさせるには十分なものだった。

私は目元の涙を拭って、大きく頷く。


今までの記憶の量に比べたら、これからの人生なんて、本当にあっという間のことかもしれない。

だけど、それでも私たちはまだ、輝かしい未来の待っている若者たちなのだ。


私たちはお互いにそっと口づけあい、額をくっつけ、手を握り合った。

その温もりを、手放すつもりなど無い。


メイデーアの朝焼けは、やっと結ばれた私たちを祝福するように、惜しみなく世界を照らしていた。






長い記憶の物語は、一度ここで終わりを迎える。


そして、ここから新たなステージを迎え、私たちは新しい物語を描くのだ。

それは、何のしがらみも苦しみも無い、ただただ幸せな物語であるのだろうか。


いや、そんな事は無いだろう。


人は生きているだけで、その時その時の苦しみにぶつかり、その度に戦う生き物だ。

私とトールだって、夫婦になったからと言って、何もかもが上手く言う事は無いだろう。


だけど、今まで出会ってきた人々の生き様を、苦しみもがいて勝ち取った未来を、私たちがちゃんと覚えていれば……

これから、どんな困難に遭遇しても、乗り越えるためのヒントを彼らが教えてくれるかもしれない。


いつかの自分たちが、そっと手を差し伸べてくれるかもしれない。



今までを忘れる事は出来ない。

だけど、ここから先は、本当にまだまだ未知数な未来だ。


期待と希望に溢れた未来をトールと共に生きていけたなら、私は、ずっとずっと欲しかったものを、手に入れた事になるのだろう。


それはきっと、永遠の片思いを越えていく、後悔の無い一度きりの人生に違いない。







道は続いていく。



私たちの物語は、これからだ。







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