24:マキア、トールの覚悟。
2話連続で更新しております。ご注意ください。(2話目)
「……マキア」
「トール!!」
トールが私の元に駆け寄ってきた。
倒れこむように縋る私を、彼は抱きとめてくれる。
「マキア、よくやったな……世界の法則は、破壊されている」
彼は私の耳元で、優しくそう言った。
だけどその優しい言葉が、私には突き刺さる。
「……でも、でもトール……ごめんなさい……私のせいで……カノンが……っ」
「……」
「カノンが奈落に落とされちゃった……っ」
トールは、泣きじゃくる私の頭を撫でて、背をポンポンと優しく叩いた。
「しっかりしろ。カノンは奈落に落ちたのなら、迎えに行けばいいだけの話だ」
「え……? で、でもどうやって?」
私はキョトンとしてしまった。
トールは私の体を離して、ニッと強気の笑みを浮かべる。
「俺は、奈落がどのような場所かを知っている。奈落への道を、かつて埋めたことも、よく覚えている」
「……あんた……もしかして記憶が……?」
「ああ。全部思い出したよ」
「……」
トールは私の体の自由治癒が働いていないことに気がつき、自分の魔法で治癒を簡単に施した。
私ははっきりと神話時代のことを思い出したわけではない。
だけど、トールは鮮明に、時系列の事件を映像として、感情を自分のものとして、思い出しているようだった。
それは、トールの空間魔法があったからこその鮮明な記憶なのかもしれない。
どおりで、先ほどトールが現れた時に、彼から得た印象がいつもと違うと思った。
「……マキア」
トールは切なげな表情で、私の頬に手を当てる。
その手は温かく、治癒の光が顔の無数の傷を癒した。
「……?」
しかし、私は自分の傷の具合より、ずっとトールの表情の方が気になっていた。
彼の瞳は、寂しそうな、苦しそうな色をして揺れている。
しかしすぐに、キッと鋭い視線を横に流して、彼は立ち上がった。
「グリミンド……もう全部、後払いだ。わかってるな」
「はいはい。でもあまりに遅いと、利子がとんでもないことになりますよ?」
「死ななければなんだっていいよ、もう」
「……また無茶おっしゃる」
自らの使い魔グリミンドにリスクの後払い交渉を手早く済ませた。
迫ってくる敵に、トールは油断を見せない。
剣を構えて、足元に空間の歪みを作り出していた。
表情はいつもと同じようで、やはり全然違う。
気概に満ちている。
「ふふ……あははははっ。よくもまあ、レピスを逃がしてくれましたね。でも良かったんですかあ? あれもまた、メイデーアの災厄であることに、変わりはないのですよ?」
ナタン・トワイライトが、森の木々の向こう側から、その身を引きずって現れた。
義手や義足が、ギシギシと鈍い音を鳴らし、具合が悪いのかバチバチと火花を散らしている。
しかしその痛々しい体とは裏腹に、ナタンの表情は歓喜に満ちていた。
もはや、かつてのナタンの落ち着いた面影は無い。
「……はあ。今のお前を見たら、リリスが泣くな」
トールはため息をついて、続けた。
「詳しいことは分からないが、レピスとお前は違う。お前は、俺のよく知る性悪の“エリス”であって、何より“青の将軍”だ」
「ほお。クロンドール……あなたは私を、青の将軍と呼びますか」
「ああ。お前こそが、俺の天敵だ。レピスたちじゃない」
「……」
どんな言葉にも揺れないトールを、青の将軍と称されたナタンは、面白く無さそうにしている。
しかしすぐに、愉悦を帯びた笑みを浮かべる。
「しかしこちらには、神殺しの短剣があります。これがあなたを貫けば、あなたは一瞬で……」
トールはナタンの言葉を聞き終わる前に、「時空王の権威」と自身の神器の名を唱え、一瞬で奴の懐に入った。
ナタンは言葉を遮られるも、短剣と長剣を巧みに操り、トールの剣を交わす。
ただトールはその刃の長さを空間魔法で継ぎ足している分、ナタンの脇を容赦なく貫いた。
「魔導要塞……“影の王国”」
「!?」
淡々と形成された魔道要塞のせいで、周囲が深い闇に飲まれた。
魔法の闇が苦手な私の周りにだけ、白く小さな花畑が出来ている。
「……トール」
トールも激しく負傷しているはずなのに、魔法を研ぎ澄ませ、いつになく鬼気迫る様子でいた。
それでいて隙が全く無い。
なぜトールは、宿敵との対峙に、この魔道要塞を選んだのだろうか。
「これは……」
ナタンはトールの刃から逃れ、脇を抑えつつ、現れた影の世界に驚いていた。
「なぜ、この魔道要塞なんですか? これはかつて、あなたを出し抜いた魔導要塞ですよ」
「うるせえな。これはお前の位置を全方向から察知するための魔道要塞だ。……こちらが先に広範囲の魔道要塞を作ってしまえば、お前に魔道要塞を作る隙は無くなる。俺の魔道要塞を破るくらいの空間が、お前に作る事が出来たら別だがな」
「……なるほど。それは、無茶を言う」
ナタンは手に持っていたレナの小刀を、もう片方の手に持っていた長剣に重ねて、青い炎で包み込み、より洗練された蒼剣を作り出した。
青い炎を纏った剣は、神器にも近い、禍々しい強力な力を帯びていた。
「ふふ。死の呪いを二重に仕掛けた、新しい神器です。これは、ハデフィスの持つ冥王の宿命を、はるかに超えた新たな神器。聖なる武具精錬の力を持つ、パラ・エリスたる……!」
「追加要塞……“六花の柱”」
ナタンが説明を終えていない中、またしてもトールが無視を貫き、途中で魔法を展開。
影の王国の一部に別の魔道要塞を付け加え、ナタンの足元から鋭い六つの柱を生み出した。
それは勢い良く空を貫き、ナタンを突き上げる。
流石の青の将軍とはいえ、体はナタンであるので、ダメージは相当なものだろう。
その時すでに、トールはナタンのはるか頭上に浮足場を形成し、奴を淡々と見下ろしていた。
「追加要塞……“鳴神の魔鎚”」
暗闇の中、激しい稲光と共に、突き上げられたナタンを逃げる間もなく撃ち落とした巨大な槌が、この空間をも揺らす。
視界が鮮明ではないからこそ、どこから新たな魔道要塞が仕掛けられて来るか分からない。
しかし、この空間はどこに誰がいるのか、すぐにトールには伝わるようになっている。
この空間ではトールが、絶対的な王だ。
トールの周囲には無数のモニターが、休む間もなく空間の情報を書き込み続けていた。
「……っ」
地面に激しく打ち付けられ、雷の魔鎚によって潰されたナタンは、それでもまだ生きていた。
青い炎を纏った剣だけが、めらめらとその怨恨を思わせる火の揺らめきを抱いている。
地面より、無数の影の手がのびて、倒れ込んだナタンを闇に縫い付ける。
ナタンの体は、徐々に闇に食い込んでいった。
「……」
トールは、必死に闇から抜けようとしているナタンの側に降り立ち、ナタンの手に持つ青い剣を蹴って飛ばすと、心臓に剣を突きつけた。
私は何とか動けるようになった体を起こし、側に転がってきた青い炎の剣を、自分の戦女神の盟約で刺し折った。
しゅっと音を立て、青い炎が鎮火する。
神器には、まだ破壊の力が残ってくれていた。
「……私を、殺しますか、クロンドール」
ナタンはぼんやりとトールを見上げて、問いかけた。
「……ああ」
トールは声を低め、肯定する。
「あなたの子孫の、ナタン・トワイライトの体ですよ」
「ナタンは死んだ。お前は、ただナタンに乗り移っている、憎い“青の将軍”だ」
「……」
「お前は、“エリス”でもあり、原初概念の“ケイオス”でもある。奈落へ縁のあるお前なら、あちらへの穴を作るための、素材にはなってくれるだろうよ」
「……ふふ」
ナタンは、歯を見せて清々しいまでの悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「あなたに、私を殺すことができるのですか。神話の時代、誰かを殺すことも、大事な者を守ることもできなかった、甘いあなたに!」
「……」
「レピスやソロモンを、情に流され解き放ったあなたたちに。これでパンドラの箱は、永久に閉じやしない! 私を殺したとして、何も終わりはしない!! 本体が生きている限り……レピスとソロモンが、逃げ延びる限り、メイデーアに災厄は残り続ける!!」
大きな笑い声が、この影の空間に響いた。
それは、狂気に満ちた笑い声で、不安を抱かずにはいられない、耳障りな声だった。
いつものトールなら、ここで複数の複雑な未来を想像するところだが、今のトールは、ただただ無情の味気ない視線を、ナタンに落としていた。
「そんなことは、どうでもいい」
「…………何?」
「お前はここで、俺が殺す」
そして、どこまでも冷淡な声を零す。
流石のナタンも、このトールの態度には、こわばった表情をした。
「俺がお前を殺す理由は、ただ一つだ。世界がどうとか、災厄がどうとか、そんなことはもうどうでもいい。ただ一つ…………お前が、俺の愛したマキア・オディリールを、殺したからだ」
彼の殺気に気圧されて、その表情は徐々に恐怖を帯びたものになる。
でも、もう遅いようだった。
まるで影絵の劇でも見ているかのような、青の将軍の討伐劇。
絶対悪であった彼は、その心臓をトールの剣に貫かれ、勢い良く血を吹き出して、長い悲鳴を上げた後、しばらくして沈黙した。
しかし直後に、ナタンの義手と義足が、最後の力を振り絞り鋭い金属の串となり、トールを襲う。
「トール!!」
とっさに彼の名を呼んだが、トールはちゃんと、全てを警戒し、隙を見る事は無かった。
トールの背中にはリリスがちょこんと乗っていて、彼女の長い髪が鉄串を全て絡めとる。
「…………リリス…………」
最後の最後に、ナタンは僅かばかり、穏やかな表情をした。
それは青の将軍のものだったのか、ナタン本人のものだったのかは分からない。
全てを諦めたように、すっと目を閉じ、やがて彼は息を止める。
リリスの周囲に、ブラックホールが形成されていた。
ナタンの遺体を粒子状にして吸収したのだった。
「お父様の体……食べた。……これでずっと一緒」
リリスは愛らしい声で、遺体の吸収を完了したことを、トールに伝えた。
「……すまないな……ナタン…………リリス……」
トールは、やっとその表情を、いつものトールらしい、少し複雑そうなものに戻した。
闇の中佇む彼は、まるで、かつて魔族の王として君臨した黒魔王のようでもあったし、自分の知っている現在のトールでもあったし、わずかな安息の時代であった、斎賀透の純朴さすら感じた。
そして、私が今でも、ぼんやりとしか思い出せない、神話時代のクロンドールも、確実にそこにいる。
全ての“トール”が訳も分からず抱いていた、負い目にも似た複雑なものを、彼は克服した様だった。
影の王国が解かれ、景色は再び、古の森となった。
「トール……トール……!!」
私はもつれそうになる足を、何とか彼の方に向けて、走ってトールに抱きついた。
「トール、トール、トール」
「……マキア」
「トール」
何度も彼の名を呼んだ。
何がそんなに嬉しくて、何がこんなに悲しいのかはわからない。
トールが、自分で乗り越えるべきものを乗り越えて、青の将軍を討ったのだ。
返り血を浴びて、体の半分を血に染めていた彼を、私は残っていた全ての力を込めて、抱きしめている。
「……」
トールは私の肩に顔を埋めて、少しの間だけ、静かに泣いた。
私たちはその場でしゃがみこんで、お互いの温かさだけを頼りに、涙を零す。
少し遠くで、リリスが静かに、私たちを見ていた。
「すまないな……マキア。本当に、いつもいつも……お前には、苦労をかけてしまって」
「……何よそれ。なんで、そんな老夫婦の最後の言葉みたいなことしか言えないのよ。……嫌よ、私たち、だってまだ、“これから”じゃないのよ」
「……」
「あんたがいつのことを、私の謝っているのか、私はさっぱり分からないわ」
「……なんで、そんなことを言えるんだ。お前は……なんで、俺なんかが好きなんだよ」
「……トール?」
「俺は……俺は、本当はお前と結ばれる権利なんて、無いんだ。俺はそれだけ酷いことを、お前にしてきた男だ」
「……」
トールはポツポツと、懺悔の言葉を零していた。
神話の時代のことを思い出していたトールが、私に対して抱いている感情が、より複雑になっているのだと悟った。
だけど、私はその時代のことを、今更どうこう言うつもりはないし、そもそも私は、しっかりとは覚えていない。
あの時カノンが、阻止してくれた……
思い出すつもりもないし、きっともう、思い出せない。
「何を言っているのよ。あんたを好きになることを選び続けたのも、また私なのよ」
「……マキア」
「そりゃあね、あんたは完璧そうに見えて全然完璧じゃないし、ダメな所も沢山あるけれど……」
「……」
「でも、それは私だって同じよ。あんたは私のダメな所、全部知ってるでしょう?」
「……あ、ああ」
トールは涙声で、頷いた。
色々なものが相まって、涙声の様だった。
「トール……私、あんたの事が好きよ」
「……」
「ずっとずっと、大好きだったの。否定なんかさせないわよ。だって、私があんたの事を好きな事も、あんたが一番分かってるでしょう?」
「……ああ」
「私ね、自分でも怖いって思うくらい、本当に一途なのよ。……百年の恋も冷めるとか言うけれど……私は全然冷めてくれなかったわね……」
トールの瞳を見つめた。
お互いの瞳には、遠く、今まで出会ってきた、無数のお互いのシルエットが、交互に浮かび上がっている。
どの時代の私にも言える事があった。
「惚れてしまったら、その時点で負けなんだわ……」
諦めにも似た言葉だ。
私たちは、抱きしめあっていた体を離し、お互いに見つめ合う前に、ゆっくりと唇を重ねた。
長いキスは苦味と血の味を帯びていた。
だけど、今の複雑な心を落ち着かせるには、十分な温かみであった。
本当は、お互いに語りたいことが沢山あったけれど、今ばかりはそれを諦めた。
心を落ち着かせ、強く擦るように涙を袖で拭う。
「まだだ。まだ何も終わっていない……カノンを、助けに行かなければ」
「……ええ」
「奈落へ行こう……一緒に」
「……」
今までだったら、トールは一人で奈落へ行き、何が何でもカノンを助け出す道を選んでいただろう。
だけど、今度は私をちゃんと連れて行ってくれると言ってくれた。
「当然だわ。私たち、二人でカノンを救いに行かなくちゃ」
「だが、あの場所は禁忌の場所だ。もしかしたら、戻れなくなるかもしれないぞ」
「……それでも、カノンは救わなければならないわ。カノンは私の神器を、ずっと大事に預かってくれていた。きっと私は、彼に重い使命を残してしまったんだわ。それだけはわかっているの、私」
「……俺もだよ。結局、奴に全てを投げて、苦しいこと全てを忘れてしまっていた。あいつはずっと、覚え続けていたのに」
トールは立ち上がり、私に手を差しのばした。
私はその手を取って、ゆっくりと立ち上がる。
「マキアは覚えていないかもしれないが、クロンドールとマギリーヴァは、ハデフィスと仲が良かったんだぞ」
「え、そうなの?」
「ああ。……あいつは死の国の王だったから、俺は死の国の空間をメンテナンスするために奴の国に通ったし、お前は……なんか、訳の分からない食物を量産しては、ハデフィスに食わせてた」
「何よそれ。嫌がらせじゃないのよ」
「……知っているか? 当時のお前はその自覚がなかったんだぞ?」
トールがぷっと吹き出した。
私は「あー」と、どこでもない虚空を見つめる。
ありうるなあ、と思って。
「だけど……あいつはきっと、嬉しかったと思うよ」
トールは伏し目がちになって、小さく呟いた。
リリスがちょこちょこと寄ってきて、私の足にしがみついた。
「リリス、目が覚めていたのね。……さっきはトールを助けてくれてありがとう」
「……リリス……奈落への道……作れるよ」
「……え?」
「お父様の体……素材にできる」
リリスは、先ほどカノンが飲まれた、混沌の泉のあった場所まで駆けていき、小さな機械の耳をぴくぴくと動かして、長い髪の先端を槍のように尖らせて、その場に刺した。
「ここから。……ねえ」
そして、トールに同意を求めた。
トールは頷き、横にモニターを展開し、魔道要塞を選ぶ。
「魔導要塞…………“奈落の砂時計”」
その魔道要塞の構築が始まった時、私たちは巨大な砂時計の中に閉じ込められ、足場が崩れた。
ふらつく私の腰に、トールが手を回す。
「さあ、行くぞ」
「……ええ」
ぎゅっと、お互いの手を握りしめて、足場が崩れゆくままに、落ちていった。
サラサラと心地良い音を鳴らして、砂時計の中の砂は、下へ下へと吸い込まれていく。
その流れに逆らうことなく、私とトールはずっとずっと、果てのない落下に身を委ねた。
はるか昔の友人に、私たちは会いに行くのだ。
ずっとずっと昔、それが当たり前だった時代がある。
その面影を、どこかで背負って。