21:マキア、災厄の道標。
2話連続で更新しております。ご注意ください。(1話目)
「……レピス?」
久々に見た彼女の姿は、いつものように洗練された佇まいで、落ち着いた様子でいる。
目の前に、突然現れたレピスに驚き、私は思わず駆け寄ろうとした。
「待て」
しかし、カノン将軍に止められた。
彼は真面目で、真剣な表情だ。いや、それよりずっと、何かを警戒しているような目をしている。
不穏な空気が流れていた。
「レピス・トワイライト。なぜお前がここにいる」
「……」
「お前はキルトレーデンで連絡がつかなくなったはずだ。ここに連れてきた覚えたも無い」
「レナ様を、お連れしたのです」
どこまでも澄んだ声で、彼女は答えた。
「レナ様はここへ来たがっていました。銀の王イスタルテに会うために……」
「……銀の王に?」
「故に、連れてきました。連邦には、イスタルテがかねてより用意していた転移装置がありましたので」
「……」
レナがイスタルテに会いにきた理由を、私は知らない。
だけどそこに、かつて私がレナをつれて逃げようとした時、彼女に拒否された理由がある気がした。
あの二人の特別な関係が……
だけどカノン将軍は警戒を怠る事は無かった。
「ならばお前は、何の目的でここにいる。レナを連れてきただけならば、彼女と共にいるのが普通だ。この場所で、この大樹を見つけていること自体が……お前が普通の存在ではない証だ」
「……え?」
カノンがレピスに対して放った言葉だったはずなのに、私が先に反応してしまった。
それって……それは……
突然のごとく私の中に浮かび上がってきた疑念に、冷汗が一筋頬を流れた。
「……そうですね。カノン将軍の予想は、概ね当たりだと思います」
レピスはレピスで、それを肯定した。
まるで大したことではないというように、いつもの調子で、淡々とした声音で。
「ちょ、ちょっと……ちょっと待ってよ。どういうことよ。探り合いなんてまっぴらだわ!」
はっきりとしない状況が嫌で嫌で仕方がなく、私は思わず声を上げた。
だがカノン将軍はレピスから目を逸らす事無く、腰の剣を抜いた。
それは濃い霧に覆われた形の無い剣……冥王の宿命だった。
「レピス・トワイライト……お前は……エリスだな」
そして、やっとそれを問う。
私は一瞬頭が真っ白になったが、そのままの表情でレピスの答えを待った。
「……ええ、そうですね」
レピスはまた淡々と答えた。
いつも、私と話していた時と同じような口調で。
「ならば、本体か?」
「……それは違います」
「じゃ、じゃあ、あなたはエリスに乗っ取られたというの!?」
かつて、自分の体をエリスに乗っ取られかけた私には、あの呪いの強制力がよくわかっている。
もしそうであるのなら、レピスは元々の意識を失っていることになる……
いったいいつ……どこで……
でも、もしそうなら、なぜ私に、青の将軍の印が見えなかったの……?
「ええ……そうですね。しかし、マキア様。あなたのお考えとは状況は少し違うかもしれません」
「……え?」
「私は最初から、ずっとエリスだったんですよ」
レピスはその言葉を告げた後、ゆっくりと大樹の幹の先を追うように、視線を上方に向けた。
大樹がこぼす一雫が、彼女の頬をかすめ、まるで涙のように大地に流れ落ちた。
「そ……それは、どういうことなの?」
「言った通りです。私はあなたに出会った時から、ずっとエリスでした」
「嘘よ! だってあなたには印が無いもの!!」
「青の将軍の印……ですか?」
「ええ。奴に乗っ取られていたら、私にはその印が見えるはずよ」
「かつて、私の体にも、印はありました。しかし、私の体の半分は、機械で出来ています。印が見える場所から消える様、連邦を脱し、最初に展開した魔導要塞のリスクによって、齧ってもらったのです」
「……」
「ただ、私は本体からの直接の支配でしたから、マキア様の知っている印からは、独立した別物だったので……どのみち情報足らずで、気がつかれなかったかもしれませんね」
レピスの説明は、私を更に混乱させた。
「で、でもあなたは……っ、連邦を恨んで、一族のために戦っていた。トワイライトのことになると、いつも冷静なあなたでも、冷静ではいられなくなっていたじゃない!! あれも全部、嘘だったっていうの?」
「……いいえ。あの感情は、確かなものです。私はエリスであると同時に、連邦に残してきたトワイライトの者たちの救出を願い、トワイライトの一族を苦しめていた連邦サイドの“エリス”をひどく憎んでいました」
「……え?」
レピスの物言いは、簡単には理解出来るものではなかった。
私の理解が追いついていないと分かっていても、彼女は続ける。
「エリス、とは災厄を意味する神です。それは、カノン将軍……あなたが一番理解していますね」
「……ああ」
「しかし、実際に“エリス”という神は存在しません。なぜなら神話の第1週目の最後に、エリスは混沌に支配されてしまったからです」
レピスは遠い昔のことを、まるで昨日のことであるかのように簡単に語った。
私には何がなんだかわからなかったが、カノン将軍は、何か覚えがあるというような反応を見せた。
「混沌……ケイオス……。なるほど、元始神か」
「ええ、その通りです。あなたには覚えがあるのでしょう、ハデフィス。エリスの中身が、まるで入れ替わったかのような境目があったはずです」
「……ああ」
「最初のエリスは、誰より早くに原初の存在に気がつき、それらに魅入られました。混沌の神ケイオスは、そんなエリスに取り込んで、彼の肉体を乗っ取ったのです」
「……なるほどな」
カノン将軍は声を低くして、よりレピスを睨んだ。
「パラ・エリスの行った大半の事は、パラ・α・ケイオスという元始神の意志によって行われたことと言えます。分魂と肉体支配の呪いは、エリスの能力というよりは、ケイオスの能力と言えるでしょう。要するに、本来のパラ・エリスという神は、遠い昔に死んでいるのです。……しかしまあ、ややこしいので、エリスと呼んでください。ここまできたら、“私たち”はやはり、“エリス”ですから」
胸元に義手の手のひらを当てて、彼女は小さく微笑んだ。
その笑みの意味することは分からない。空雑な微笑みだ。
「何よそれ……私は、そんな遠い昔のことは聞いていないわ。レピス……あなたがなぜ青の将軍……いえ、エリスであるのかが知りたいのよ」
訳の分からない話で、大事なことが曖昧になるのを恐れた。
私はじっと彼女を見つめる。今でもレピスを信じたいと思っている。
「マキア様……私はあなたが好きです」
「私だってそうよ。あなたは、大事な仲間だったもの」
「ええ。私はあなたの側で、あなたを見守る……そういう役目を背負った“エリス”でした」
「……役目?」
「ええ。エリスには、本体を含めて7つの意識がありますが、私は分魂の一つです。分魂には、実のところ一つの命令しか出されておりません。メイデーアの最大の災厄を導く。……それだけです」
「……災厄……」
思わず、その重要なキーワードを繰り返した。
メイデーアにとって最大の災厄……
「この世界にとっての最大の災厄を生むことができるのは、他でもなく“魔王”と呼ばれる存在でした。それは神々の生まれ変わりであり、かつて世界を一度滅ぼした者たちでもあります。私は、メイデーアにとって最も悲劇的な災厄の可能性を一つ、エリスの本体に任されているのです」
「……本体に?」
「ええ。……私たちが連邦を脱出する理由は、そこにありました。エリスは災厄の可能性を分散させるべく、トワイライトの一族から二人の若者にエリスとしての意思を委ねて、外の世界に解き放ったのです」
「二人? 二人って、いったい……」
「私と、ソロモンお兄様です。私はマキア様やトール様を、ソロモンお兄様はフレジールのシャトマ姫とカノン将軍を、それぞれの立場に溶け込むことで見守っていたのです。誰が、何をすることが、メイデーアの最大の災厄となるのか……それを見定める為に」
「……」
息を呑んだ。
一つ一つの真実に驚きを隠せなかったにも関わらず、私は黙ってしまった。
説明を聞いた所で、何も結論が出ていないから。
レピスは、私が納得できていない面持ちで居るので、小さく頷き付け加えた。
「連邦の顧問魔術師ラスジーンをご存知でしょうか? 彼は、エリスとしてはスタンダードな考え方をもったエリスでした。要するに、青の将軍の記憶と意志を一番に引き継いだエリスで、マキア様の肉体を乗っ取ろうとしたのはラスジーン系のエリスです」
「……それってどういうことよ。あなたたちは皆、同じ意思を共有しているわけではないというの?」
「ええ……そういうことになります。エリスの“本体”は、世界のバランスを見ながらそれぞれのエリスに指示を出す司令塔の様なもので、中立でありますが、分魂は主にラスジーン、ソロモンお兄様、そして私の三つの確立した意思があり、残りは使い捨ての魂としてその都度利用されておりました。……まあ、分魂の方は主にラスジーンが独り占めしておりましたが」
「……」
「私とお兄様は、どちらかというとスタンダードな考え方のエリスからは独立した、“その他の可能性”を追求したエリスだったのです」
憂いを込めた吐息を漏らし、レピスは寂しげに微笑んだ。
ソロモンまで、エリスだったなんて……
その驚きと憤りはあれど、レピスがそうであるのならば、ソロモンもまたエリスであるのだろう。
ただ、彼女とソロモンに関しては、私たちの抱くエリスからは離れた存在に思えた。
そうであってほしいと思っていた。
「……なるほどな。ならば、お前とソロモンがエリスに乗っ取られたのは、連邦に居た時か」
カノン将軍は、レピスの話をもともと知っていたわけではない様だったが、彼女の話でつながっていった事象も多くあったらしい。
「ええ。まだ連邦の囚われていた頃、幼かった私とお兄様にエリスは忍び込みました。とはいえ、私はあまり、自分自身が変わった気がしないのですよ。エリスに乗っ取られると意思を失うと言いますが、私の場合、本体から直接のコンタクトでしたので、レピス・トワイライトであったことを忘れることもなく、ただ同居する存在が増えただけのようで……時には、自分がエリスであることなど忘れて、マキア様を乗っ取ろうとした“あちら”のエリスを憎むほどでした。きっとお兄様もそうでしょう。信じてはもらえないかもしれませんが」
「……レピス」
囁くような彼女の言葉の数々は、それでも信用できるものだと思ってしまった。
レピスは無意味に、こんな嘘をつく子じゃないもの。
「あなたは私の知っている憎らしい“青の将軍”の雰囲気とは違うわ。あなたの言うことは……きっと、正しいのでしょうね」
「恐れ入ります……マキア様」
すっと、彼女は私に向かって頭を下げた。
途端に、複雑な思いがこみ上げてくる。
レピスは、やっぱりエリスだったんだ……
レピスがエリスであったのなら、私はいったい、彼女をどうすれば良いのだろうか。
彼女がこの局面でここへ来た目的とは、一体何なのだろうか。
「なら……なら、あなたの目的は一体なんだというの? レピスとしてのエリスは、何のためにここにいるというの」
問いかけると、レピスは再び大樹を見上げ、今度はその幹に触れた。
聖なる雫が、彼女の黒髪を流れて落ちる。
レピスは吐息を漏らすように、告げた。
「エリスの本体は、すでに、メイデーアの最大の災厄が何であるのか、見定めました。……私はそれを見届けるために、ここへやってきました」
「……最大の災厄は、ここにあるというの」
「ええ。今この目の前に」
視線をすっと流して、レピスは私に視線を向けた。
深い闇の色をした彼女の瞳は、わずかに潤んでいる。
「マキア様。あなたが大樹を破壊すること。……それこそがメイデーアにとって最大の災厄です」
「……」
「メイデーアを導いてきた魔王たちを、この大樹より伸びる鎖から解き放つということは、この世界を終わらせるということ。ここはあなた方の箱庭の世界だった。あなた方は自立を選び、この箱庭を捨てるのです。大樹という、母なる存在を破壊することで……」
レピスの告げた言葉は、私が覚悟していた事でもある。
しかし、災厄の象徴に告げられると、それは一気に現実味を帯び、自分自身がとんでもないことを行おうとしている気になる。
私の行おうとしている事は、間違っているのではないだろうか……
迷っている時間なんて、本当は無かったはずなのに、泉のように溢れ出る迷走する思いは、私の体を支配した。
「マキア様……大樹を破壊してください。それで、全てが終わります」
レピスは、災厄を象徴する神ゆえに、迷うことなく私を導こうとした。
その言葉は、どこまでも重いものだった。