31:マキア、メディテの毒蛇と出会う。
私の背後音も無く立っていたのは、身なりの良い若い男。
細い銀の鎖で繋がった片眼鏡を付けた、なんだか胡散臭そうな奴。
匂いの強い煙管の煙が、この教会の高い天井に昇っていきます。
「……えっと、おじさん誰?」
「え〜……おじさんは無いよね。こう見えて結構若いのだが」
男は目を細め、私をまじまじと見おろしています。
おじさんと言うワードが気にいらなかったようです。
確かに見た目はとても若いのですが、態度がどこか偉そうなので、思わずおじさんと口走ってしまいました。
「お待たせしました、メディテ卿。そうですね、来年の聖教祭は…………」
そんな気まずい空気の中、柔らかい声が割って入ったのは幸い。
教会の奥の部屋から司教が出て来たのです。
白い服を着た、優しそうなおじいさんです。
その司教様は私を見ると、少し驚いた瞳をしました。
「おや、あなたはオディリール伯爵のお嬢さんでは?」
「……えっ」
少々焦りました。まさか私を知っているとは思ってなかったからです。
しかし確かに、この司教様に見覚えがある気がしました。
「ほっほ、覚えておりませんかな? 以前伯爵といらした際、お目にかかった事があるのですよ。マキアお嬢様、でしたよね……オディリール伯爵といらしたので?」
「えっと……えっと……」
まずい、非常にまずい。
ここでイエスと答えても、もしお父様が教会を訪れたとき話題に出されるかもしれないし、ノーと答えても、このカルテッドに居るお父様に知らされるかもしれない。
どうしようどうしよう。
「ほおー、オディリールって言えばデリアフィールドの田舎貴族か」
「田舎は余計ですぞ、メディテ卿」
その口ぶりや出で立ちから、このメディテ卿という男、どうにも我が家よりずっと格上の存在のようです。
男の持つ煙管はいかにも貴族のものの様な、立派な装飾が施されています。
その男の胡散臭さはどこかビグレイツ公爵を彷彿とさせるのですが、煙管に彫刻されているのは鷹ではなく、“蛇”でした。とても気になる、禍々しい蛇です。
「……では、聖教祭の折りは、先ほどの通りに」
「よろしい。ではそれで事を運ぼう」
司教と男は、なにやら“聖教祭”の事について話しています。
聖教祭とは、年に一度、春にあるお祭りです。聖地ヴァビロフォスの聖なる恵の日と言われています。
そうですね、地球で言うクリスマスみたいなものです。
「少女よ、ヴァベル教国にて聖教祭を過ごした事はあるか?」
「………いいえ、無いですけど」
「そうか、なら一度訪れると良い。ヴァビロフォスの恩恵に与れるかもしれないぞ」
瞬間、少しだけ彼の片眼鏡の奥の瞳が動いたのを、私は見逃しません。
わずかに生々しい魔力の匂いがします。
いや、この匂いは、魔力以外にもっと、鼻につく……
煙管の煙の匂いの奥に、もっと別の……
「おじさん、お名前は?」
「おや少女、名乗っていなかったか? 俺はウルバヌス・メディテ。少女の名は?」
「私は……マキア・オディリール」
ニコリと笑う私と、私を見おろすメディテ卿の、その一瞬のぴりっとした空気。
私はその瞬間、男の名を知る事で、彼の情報を読み取っていました。
「おっと………そろそろ行かねば。高貴な身の上は多忙でいけないねえ」
「メディテ卿、ここは聖なる教会です。タバコはおやめ下さい」
「あーはいはい」
なんて、司教の言葉に鬱陶しそうに手をひらひらさせ、適当に振る舞っていても、私には分かります。
この男のいい知れぬ、深い狂気じみた魔力を。
「ま、じゃあ冗談抜きで。………ヴァビロフォスの御心のままに」
「はいメディテ卿。ヴァビロフォスの御心のままに」
挨拶の後、メディテ卿は私たちに背を向け、教会を出て行きました。
その去り際に、目の端で私を伺ってニヤリと口の端を上げていましたが、私自身は無邪気な少女を振る舞って「さよならおじさん」と手を振るのです。
正直言って、内心かなりドキドキしていました。
こんなに心拍数が上がったのは久々かもしれません。
だって、このメイデーアに転生して初めて出会った、高い魔力数値を示した人物だったから。
情報を知って分かった事です。
その男、ウルバヌス・メディテは、このルスキアの大貴族の一つメディテ家の若き当主。
蛇の紋章を持つ、王都ミラドリードの毒の歴史を司るような、毒薬の魔術師の一族でした。