20:マキア、同罪の意味を知る。
3話連続で更新しております。ご注意ください。(3話目)
私の名前はマキア。
神話名は、パラ・マギリーヴァ。
「トール、大丈夫かしら」
トールとはぐれてしまった後、カノン将軍と共に、大樹を目指していた。
トールを心配して歩む私を、カノン将軍はちらりと横目に見る。
「そう簡単に死ぬやつじゃない」
それだけ、断言する。
かつて黒魔王を殺した勇者が言う言葉でもないと思うけれど。
「でも、あんただって知ってるでしょう。トールは強烈な不運体質なのよ。あいつに自覚があるのかないのかわかんないけど……でも私は不安だわ」
「……」
カノン将軍も思うところがあるような表情だが、特に何も答えない。
「……だが、奴はお前のところへ必ず行くと言った」
「あいつの言うことなんて信用できないわよ」
「……」
「ずっとそうよ。でも私は信用ならないトールを含めて好きなのよね」
「…………知っている。ならば、やはり信じてやれ」
「……」
淡々と、一言そう言ったカノン将軍。
先を歩むカノン将軍の横に立ち、彼の顔を見上げた。
信じてやれ、か。
何だろう。かつても、こんな会話をして、そう言われたことがあるような妙な気がしてくる。
カノン将軍が、トールを信じろと言うのに、違和感も感じるのに。
「そういえば……ねえ、カノン将軍。私ずっと気になっていたのだけれど、なぜあなたは私の神器を持っていたの?」
「……」
「なぜ、あの時返してくれたの?」
私に、なぜ自分の神器がカノン将軍の手にあったのか、それを知るための記憶は無い。
だけど、彼が私の神器を持っていたということに、何か意味がありそうだと、ずっと考えていた。
「それは、借りたものだったからだ」
「……借りた? それって、ずっと前の私に? 神話時代の私?」
「…………そうだ」
「へえ。私、てっきりあなたは、ずっとずっと私たちに立ちはだかっていたのだと思っていたのだけれど、私たち、仲がいい時もあったってこと?」
「……」
特に、何も答えないカノン将軍。
色々と怪しいけれど、言いたくないことなのかもしれない。
相変わらず無口で、無表情。
彼は最初から、神話時代から、こうだったのかしら……
「私も、神話時代のことを、思い出す日って来るのかしら……」
なんとなくぼやいた。
しかしカノン将軍はきつい視線を私に落として、「お前は思い出す必要は無い」と冷たく言ったのだった。
今となっても、この人の考えていることは分からない。
「!?」
その時、体を駆け抜ける大きな魔力の波動を感じた。
「…………今の、何?」
「……」
それは背後から迫り来るような、大いなる力だった。
一瞬、心がざわつく。
この魔法は、なんだか懐かしい。だけど、怖い。
そういう魔力の波だ。
「まさか、トールに何かあったんじゃないかしら……」
「……急いだ方がいいな」
私の心配をよそに、カノン将軍は私を急かした。
通路をまっすぐに進んでいき、行き止まりのある場所で、カノン将軍は壁に手を当てて術式を探っていた。
わずかに探ったあと、いとも簡単に術式を解いて、彼は一歩下がった。
スーと、ただの壁に円形の光の筋が通り、それが扉のようになる。
「転移扉だ。ここを越えれば、向こう側へと行ける」
「変なところへ行かないでしょうね……」
「さあな。だが行ってみないと、大樹のある場所へはたどり着けない」
「……あんた、慎重な奴かと思っていたけれど、案外博打打ちなのね」
「この段階で、慎重に進んで何になる」
「……それもそうね」
諭されながらも、私はその転移扉を槍でちょっと突いた後、足を踏み入れ越えていった。
一瞬、トールの転移魔法に似た感覚に見舞われ、ちょっとだけ目眩がした。
出た先の地で、子守唄のような優しい声が、太陽の光のように上から降り注ぐ。
ハッとして目を開けると、そこは見知らぬ森の中だった。
森は、もうずっとずっと人が立ち入ってない様子で、木々が生い茂っている。
「……ここは」
「ここは、旧ヴァベルだ」
「旧……ヴァベル」
「この場所をヴァベルと名付けたのは、お前だったな……マギリーヴァ」
「……」
覚えはなくとも、なんとなく懐かしいと思う。
だけど、私の懐かしいという思いは、このカノン将軍のものには比べものにならないのではないだろうか。
カノン将軍は、まるで無表情ではあったけれど、無感情とは到底思えない瞳をしていた。
ここは、彼にとって、そして私たちにとって、どういう場所なんだろう。
森を進む。
枯れたリンゴの木々や、葡萄棚があった。
木々の隙間から淡い光が差し込んで、それら滅んだ世界の残骸を照らしている。
この光は、何の光なんだろう。
まるで、ずっと開けてこなかった屋根裏部屋を開けた時のような、静寂の中にいる。
埃くささに似た、朽ちた大地の匂いと、滅んだ文明の哀愁。
それらが、鼻をかすめ、体にまとわりつく。
嫌な感じはしないが、心がざわざわと乱され、郷愁の思いに胸が締め付けられるのだった。
「……大樹だ」
私の前を歩いていたカノン将軍が、立ち止まった。
いろいろな思いでいっぱいいっぱいだった私は、思わずカノン将軍の背中に頭をぶつける。
だが彼はそんなことは気にしすることなく、ただ目の前に聳えるものを見上げていた。
「……」
私もそれを確かめる。
カノン将軍の背中から顔を覗かせ、彼より一歩前へ出て。
かつてのマキア・オディリールが、教国でよく見ていた大樹のはずだ。
だがそれは、教国にあった大樹とは、何かが少し違って思えた。
あの大樹よりずっとずっと大きくて、どこまでも伸びる無数の枝葉は、まるで一つの国ほどあるのではないかと思えるほど、ここら一帯を覆っている。
「……大樹」
母なる大樹の木の根元には、当然、私たちの棺は無かった。
代わりに、つる草のまとわりついた石碑がある。
苔を手でこすって取り、私は石碑を読んだ。
『 おかえりなさい 』
そこには、そう書かれていた。
思わず胸が苦しくなったのは、それを言ってくれた大いなる存在を、私の魂は確かに知っていたからだ。
耳をすませば聞こえてくる、子供達の笑い声。
それは、いつも私が、ふいに聞いてきたもの。
遠すぎる、はるか昔の、おとぎ話にも似た時代の残響だった。
「……懐かしいと思うのか?」
「ええ、なんでかしらね。私に、神話時代の記憶があるわけじゃないのにね」
カノン将軍の淡々とした問いかけに、私は目頭を押さえながら、頷く。
「ねえ、私、どうしたらいいの?」
「……」
「ここに、世界の法則が眠っているのでしょう?」
ぎゅっと神器を握って、私は大樹に向けていた顔を、カノン将軍に向けた。
彼は目を細め、少し間をおいて答えた。
「世界の法則は、この大樹に封印されている。……お前の破壊の力で、大樹を切り倒すしかない」
「……大樹……を?」
「そうだ。このメイデーアは、原初の存在と地上とを、大樹でつないでいた。大樹は母体だ。ここに世界の法則があるのなら、これを破壊するしかない」
「それって……それは」
それは、メイデーアから、大樹を奪うということだ。
世界の象徴を失うことになる。それは、とてつもない不安だ。
私のやろうとしていることは、結局その場しのぎの破壊行動で、メイデーアにとって、何一つ良いことではないのだろう。
それを、大樹を失うというわかりやすい結果を突きつけられることで、思い知らされる。
「……迷うな」
「カノン将軍」
「迷っていては、大事なものを失って、結局後悔する。……お前は、自分のことを考えろ。自分の幸せを、第一に考えろ。人は結局、一番大事なものを救うことができなければ、他の何一つをも、救うことはできないのだから」
「……」
カノン将軍の、澄んだ湖のような瞳の色は、私とは裏腹に落ち着いていた。
そこでやっと、私たちってとても似た瞳の色をしているのに、得る印象は全然違うのね、と、悠長なことを考える余裕ができた。
「カノン将軍……ならばあなたも、自分にとって一番大事なものを救うために……今までの全てを、あんなに膨大な時間を費やして行ってきたというの?」
「……」
また、答えてもらえないんだろうなというような、わずかな沈黙の後、カノン将軍はただ一言「ああ」と頷いた。
驚いてしまった。
「なら……あなたの一番大事なものは何だったの?」
「……」
「それは、答えてくれないの?」
「……」
カノン将軍は、こればかりは答えなかった。
らしいなと思いながら、私は小さく笑った。
「まあいいわ。……あなたも、自分の大事なもののために、今までのことを行なってきたのなら、私だって自分の大事なもののために、世界の法則を壊す勇気が湧くというものよ。……私たちは同罪ね」
「……最初から、そうだと言っている」
「……そうだったわね」
いつだったか。
私がまだ、マキア・オディリールという、幼い少女だった時、カノン将軍は確かに私たちを同罪だと言った。
あの時はこの人が憎くて憎くて、また怖くてて仕方がなかったけれど、今は全然怖くない。
分かり合った訳でもないのに、なんだか落ち着く。
これが、本来彼に向けていたような感情なのかな……
大樹の前に立ち、槍を構えた。
ふう、と、一つ深呼吸をする。
この大樹を破壊してしまえば、全ては終わる……
足元にスーと、魔法陣の光が走る。
「お待ちください……マキア様」
しかし、私が魔法を神器に込めようと魔力を研ぎ澄ませていた時、ふいに大樹の背後から出てきて、私に語りかけた者がいた。
「……え?」
流れる艶のある黒髪に、赤い小さな唇に、怖いくらいに白い肌。
そんな可憐な容貌とは裏腹に、全身を覆う分厚い飾り気のないローブが揺れる。
気だるげな目元は、より哀愁を帯びていた。
その人物を目にした時、私は思わず魔法を停止させた。
目の前に現れたのは、ここにいるとも思わなかった者。
レピス・トワイライトだった。