16:トール、割り込む者たち。
5話連続で更新しております。ご注意ください。(4話目)
「……」
何だ、今のは。
そう思ったのは数秒程。
俺は痛む頭を抑えて、必死になって、今見たヴィジョンの正体を考えた。
いや、すぐに分かるだろう。
今見たのは、神話時代の話だ……
メイデーアに降り立つ前の時代からの記憶。
メイデーアで世界を作り始めた頃の記憶、神として王として、国を作り上げた記憶。
アクロメイアとの関係がこじれていった記憶……
何より、マギリーヴァに恋をした記憶が、最初からそこにあったかのように、思い出せる。
「……マギリーヴァ……」
その名を思わず、こぼした。
彼女は、マキアの最初の姿だ。
いや、改めてそう思わなくても、俺はずっと知っていた。
だがそれは言葉としての情報だけで知っていた事であり、映像として、記憶として思い出すと、マギリーヴァへの思いと言うのは、嫌という程こみ上げてくる。
彼女に対する、懺悔の思いも。
置いて逝かれた、苦しみも……
だけど、それ以上に腹立たしかったのは、俺が結局、あやまちを繰り返し続けていた事だ。
マギリーヴァを一人にはしないと、今度こそ俺が迎えにいくと、失意の念の中、マギリーヴァの遺骸に誓ったのに。
何も覚えていなかったんだ、俺は。
「ふふ……っ、あはは、お前も思い出したようだねえ、クロンドール」
向かい合った場所に居たイスタルテは、何故か片目を抑えて、息をきらしながらも、興奮した様子で俺に言った。
「どうだ。僕の無念を思い知ったか!! 戦いの決着をつける事も敵わず、ヘレネイアとは引き離され、転生しても回収者に殺される運命を、受け入れる他無い無念を……!!」
「……」
イスタルテは声を荒げて、遥か昔の無念を吐き散らしていた。
「マギリーヴァの奴が、あんな魔法を使ったばかりに」
「0を1にする魔法……か?」
俺もまた、マギリーヴァの最後の魔法を思い出す。
俺にとっては、奇跡と言うよりは、彼女の命を奪った絶望に近い魔法だった。
「そうだ。それは簡単に使える魔法じゃない。マギリーヴァは母なるガイアに、自らの命を代償に願った、大きすぎる願いだ」
イスタルテは、淡々と説明した。
彼女にとっても、その魔法は、不可解でいて遠いもののようだ。
「なぜ今の時代、元始神がほとんど我々に干渉してこないか、お前は分かっているかい、クロンドール」
「……何?」
「結局の所、マギリーヴァが願った事は、大前提として一つだったんだよ。……元始神の立ち位置を、奈落への穴を開く前の状態に戻すと言う事。僕が開いてしまった奈落への穴を、閉じる事でね」
「……」
「そうする事で、戦争の背景に居た、最も厄介でいて絶対に敵わないものたちを封じたんだ」
イスタルテは語った。
あの時、何がすべてを狂わせたのかと言うと、四つの元始神が、概念として地上を見守る役割を放棄し、それぞれが地上に干渉しすぎている状態であった事だった。
そもそも、四つの元始神たちの、創世神たちに向ける感情はそれぞれ違った。
俺たちに僅かな嫉妬心と競争心を抱き、監視せんとする天父神ウゥラ。
俺たちに無限の愛と厳しさを向け、見守る地母神ガイア。
俺たちに愛されたいとする、愛の女神ヘレネイア。
結局創世神たちは、我を露にした元始神たちに翻弄されてしまっていたのだ。
ただ規律を重んじ、創世神たちを我が子のように思う地母神ガイアはそれを良しとはせず、マギリーヴァに0を1にする魔法を教え、彼女の命を対価に、状況を打開する奇跡を起こしたのだった。
結果、俺を監視していたウゥラは再び奈落へと帰り、ヘレネイアもまた、愛の概念を肉体から切り離し、ただの人造人間となった。
これら、奇跡という名の修正が入った事で、俺とアクロメイアは一時的に力を失い、序列を最下位まで落とされ、その後のメイデーアの方針を決める権利を失う事となった。
納得した。
マギリーヴァは結局、クロンドールを縛っていたものから、解放してくれたんだ……
だが俺には、いまだにいまいち理解できない事がある。
「なあ。お前、結局、何がしたいんだ……イスタルテ」
「……は?」
俺の問いに、イスタルテは低い声を漏らした。
アクロメイアではなく、イスタルテと呼ばれた事も、不満のようだ。
「お前、馬鹿なのか……? 今の世を、かつて定めた世界の法則を壊して、再構築する……それが目的に決まっているじゃないか」
「違う。それで一体、何を欲しているんだ、お前は」
「……」
「もう一度世界を再構築して、お前は何がしたいんだ。……お前の欲しいものは、再構築後の世界にあるというのか?」
イスタルテは俺を冷たく睨んだまま、余裕の無い面持ちである。
「そんな事は、お前には関係のない話だ」
強く言い張り、剣を持った拳を握り締めている。
神話時代を思い出してこそ、俺は疑問を持ったのだった。
アクロメイア……イスタルテの神としての姿だった男は、ひたすらに俺を憎み、俺と競い戦う事を、好んでいた。
確かにそれもあったが、ギガント・マギリーヴァでは俺からヘレネイアを取り戻したいと言う強い目的があった。
アクロメイアは、ヘレネイアを失いたく無かったのだ。
だから俺と意見が反発して、戦い続けたのだ。世界を破壊し尽くすまで。
だが、今のイスタルテに、それと同等の目的があるというのか?
ヘレネイアの生まれ変わりであるレナを、こいつは手中に入れていたはずだ。
なのに……
「お前、もう目的なんて……ほとんど無いんじゃないのか」
「……」
「俺に勝ってどうする。それを誰に示したい。……なにを」
「うるさい」
俺の言葉を遮るイスタルテ。
表情は歪み、憤りを感じる。
「お前に何が分かる。何もかもを持っていながら、僕の何もかもを奪っておきながら、戦う事を放棄したお前に……。何もかもを忘れて、幸せそうに仲間に囲まれ、愛する者も、愛してくれる者も居るお前に!!」
「……イスタルテ、お前」
「お前があの時、僕を討たなかったから、僕は今でも苦しい。今でも一人だ! クロンドール、お前が黄昏戦争、僕を討ってくれたなら、僕は……っ!!」
叫びながら、彼女は再び剣を構えて俺に向ってきた。
彼女の悲痛な言葉は、記憶を遡ったばかりの俺には、意味の分からない事ばかりで、戸惑われる。
しかしここで、彼女に隙を見せるわけにはいかない。
俺はイスタルテの剣を迎え受けるつもりで構えた。
「ダメ!……イスタルテ……っ!」
しかしその時、俺たちのぶつかり合いに待ったをかけるような声が、この空間に響いた。
「!?」
俺もイスタルテも驚き、動きを止めそちらに視線を向ける。
「……レナ?」
そこに立っていたのは、レナだった。
かなり久しぶりに、彼女の姿を見る。
レナは胸元に手を当て、ぐっと力を込めた表情をしている。
何だろうか。今までのレナの雰囲気とは、どこかが違って思えた。
何より最も、俺自身が驚いたのは、目の前のレナと、記憶の中のヘレネイアが、全く重ならなかった点だ。
それ以外の者たちは、皆転生の姿であると、脳内で一致すると言うのに……
なぜだか目の前のレナを、ヘレネイアだとは思えなかった。
「……へレネイア」
だがイスタルテは、彼女をその名で呼ぶ。
今まで見た事の無いような、驚きの表情で、イスタルテは動きを止めた。
レナは俺に一度視線を送る。
たった一瞬のコンタクトであったが、この場を任せて欲しいという強い意志が伝わる。
伝心の魔法だった。
レナは、俺とイスタルテの間に割って入り、イスタルテの目の前に立って、言った。
「イスタルテ、もう、止めましょう」
「……どういうつもりだ、ヘレネイア。なぜ君がここに居る。僕は、君をあの場所に置いてきたはずだ」
「……」
「クロンドールについてきたのか。僕を止めて、そいつを救いたいのか、ヘレネイア」
「違うわ」
レナは首を振った。
その言葉は力強く、やはり、今までのレナとは何かが違って思えた。
何をするつもりなんだ、レナ。
「私、あなたを救いにきたの、イスタルテ」
「……僕を?」
イスタルテは訝しげな、疑わしげな声を漏らす。
だがレナは迷う事無く、イスタルテの肩に手を置いて、彼女と視線を合わせた。
「分かったの。あなたを救う方法」
「……何が言いたい、ヘレネイア」
「私、ヘレネイアじゃないわよ、イスタルテ。前にも言ったじゃない」
「……君はヘレネイアだ。僕の娘……へレネイア」
「違うわ。そんな形だけの父娘関係なんて、もう必要ないのよ」
「……」
イスタルテは、レナの言葉に拳を握りしめ、ぐっと奥歯を噛んだが、やがて、その全ての力みを緩めるように、視線を落とす。
唯一の繋がりを、失ってしまったとでも言うように。
「……分かっているよ。別に、君が僕の事を、親だとは思っていない事くらい。僕の事が、嫌いだった事くらい」
「……」
「だから僕は君を解放したのに、どうしてここへ来てしまったんだい」
泣きそうな声だった。
俺の前では絶対に見せない、弱々しい姿のイスタルテ。
やはり彼女……いや、アクロメイアにとって、“ヘレネイア”であったはずのレナは、今でも特別な存在なんだ。
今でも、娘にしか見えないのだ。
「……イスタルテ」
レナはそんなイスタルテを抱きしめた。
「もう、戦いをやめましょうイスタルテ。悪者の役割を、いつまで続けるつもりなの。……あなた、本当は、誰より人を救いたいと思っているのに」
「……」
「トワイライトの人たちの事も、あなたが守っていたんじゃない。あなたは決して、惨いだけの王では無かったはずよ。私は、私を守ってくれたあなたを、ちゃんと知っているもの」
レナの言葉に、イスタルテは瞬きできずに居た。
体を硬直させ、彼女を否定する事も拒否する事も、逆に受け入れる事も出来ずに立ち尽くしている。
俺は驚きつつも、レナの声だけはちゃんと聞くイスタルテに、淡い希望を抱きつつあった。
レナとイスタルテには、お互いにしかわからない関係がある。
レナならば、イスタルテを止められるかもしれない。
俺たちは戦わずに、すむかもしれない。
それは、神話時代の戦争の繰り返しを、否定する一手かもしれない……
「……」
しかし、淡い希望は、真っ赤な血によって塗り替えられる。
まず見えたのは、レナが背中から血を流している光景。
背を貫く、剣先。
俺は、まさかイスタルテがレナを、剣で貫いたのかと思った。
だが、すぐに、そうではないのだと理解する。
「いけませんねえ、アクロメイア。あなたがこんな所で迷ってしまっては」
声はイスタルテの背後から聞こえた。
揺れる黒いローブに気がつく。ナタン・トワイライトだ。
そいつの持つ剣がイスタルテとレナを、連ねて一気に貫いたのだった。
「き……貴様……っ、エリス」
「……」
ローブ姿のナタンはニヤリと口に弧を描き、剣を引き抜いた。
ずるりと、レナがその場に倒れた。
イスタルテはよろめいたが、かろうじて立っている。
治癒は始まっているようだが、完治には少し時間がかかる。
「これは返してもらいますね。もともと私が作ったものですから」
ナタンの手には、いつの間にやら、レナの持っていたはずの、神殺しの短剣が収まっている。
それを見た途端、イスタルテは一気に青ざめ、倒れたレナに覆い被さる。
「ダメだ! それが無いと、この子は……っ」
レナは既に、瀕死の状態だった。
イスタルテが焦るのは、きっとその短剣が無いと、彼女の命を保てないからだ。
ナタン・トワイライトはおそらく青の将軍だ。
俺はすぐに察した。
奴は短剣を振りかぶって、レナに縋るイスタルテに振り落とそうとした。
「やめろ!!」
転移魔法を使ってその場から一気にナタンの懐に入った。
奴を弾くようにして、剣を薙ぐ。
しかしナタンの嫌みな笑みは消えない。
弾き飛ばされる瞬間に、奴もまた転移魔法を使って僅かに位置を移動する。
ギンと鈍い鉄の音がして、俺たちは剣を交わし、お互いの剣に込める力を感じ取りながら、向かい合う。
「ナタン・トワイライト……っ、お前が青の将軍だったとはな」
「……」
「まさか、本体じゃないだろうな」
「っはは、それはどうでしょうね、クロンドール」
馬鹿にするように失笑し、ナタン・トワイライトは飛び上がって、空中で浮足場を作ってそこに留まる。
高見から奴に見下ろされながら、俺は歯を食いしばった。
状況は最悪だ。
青の将軍の存在を忘れていた訳ではないが、ここで奴が、イスタルテを裏切りこのような行動に出るとは思わなかった。
以前見たナタン・トワイライトとは、雰囲気が違う。
こいつも分魂だろうか。いや、分からない……
分からない事が、迷いを生む。それこそが、こいつの一番怖い所だ。
「ヘレネイア……っ、レナ……っ」
イスタルテがレナの名を呼び、彼女に治癒の魔法を施しているが、一向に効き目が無いようだ。
伝わってくる。
どこからも、この緊迫した状況の、揺れが。
「青の将軍……いや、エリス。お前、いったい何が目的だ……」
こいつは神話時代から、いつも謎だった。
俺たちに親切な様子を装いながらも、裏ではこそこそと動き、俺たちを惑わし、誘い、選択を迫るような……
今だからこそ、良くわかる。やはり奴には、黒幕と言う言葉が相応しい。
「ふふ。私はただ、最悪の結末というものを、見てみたいだけですよ……クロンドール」
エリスは笑い、指をパチンと鳴らした。
「魔導要塞……“黒の穴”」
足下にぽっかりと穴が開き、周囲は黒と赤の、おぞましい空間に飲み込まれる。
魔道要塞だ。
奴が作り始めた空間は、俺が辿った記憶にあった場所に似ている。
奈落に似ている。
たとえ偽物でも、俺にとって、そこは本当に恐怖しかない場所だ。
しかし、広がり始めた暗黒の魔道要塞は、十字を切るようなプリズムの光に、一瞬にして飲み込まれ、世界の色を塗り替えられた。
その速度は、魔道要塞の構築の速度を、はるかに上回っていた。
「……ここは……」
俺はいつの間にやら、空色の世界に立っていた。
どこまでも続く、青い空と白い雲。
立っている場所はこの空を写し込んだ広い湖のようで、俺を中心に、波紋を広げている。
この場所は知っている。
かつて、マキア・オディリールと別れた場所。
世界の境界線だ。