15:神話大系18〜誓い〜《sideクロンドール》
5話連続で更新しております。ご注意ください。(3話目)
マギリーヴァが力を得て戻ってきたのは、間もなくしての事だった。
今までの彼女とは全然違う。
その凄まじい破壊の力も、彼女を取り巻く魔力の量も。
ああ、マギリーヴァが俺を追って来てしまったのだ。
俺たちの戦いの場所まで。
彼女の言った通りだ。
どうやって力を手に入れたのかは知らないが、俺はそれを、嫌でも思い知らされた。
「……ハデフィス、か」
一度、ハデフィスが俺の城までやってきた事があった。
地下を経由してきたのだろう。
「どういう事だ、クロンドール……なぜ、あんな戦争を続ける」
ハデフィスは怒りの感情を滲み出し、俺に問いかけた。
彼は本来、淡々として見えても、非常に穏やかな男だ。
神々の中で、俺は最もハデフィスの事を頼っていたし、凄い奴だと思っている。
「……ハデフィス、お前には苦労をかけていると思っている。戦争が終わったら、しかるべき補償をしよう」
「そうじゃない! マギリーヴァの事だ!!」
ただハデフィスが気にしていたのは、マギリーヴァの事だった。
「なぜマギリーヴァを側に置いてやらない! なぜ拒絶した!」
「……」
「彼女がお前を止める為に、何をしたか分かっているのか……っ、絶対に触れてはならなかった力に、触れてしまったんだぞ!! 彼女はもう、以前の彼女ではない。とんでもない力を手に入れてしまった……」
「……」
「その対価に、毎日毎日、体を焼き、血を流し、終わりの無い苦痛に耐えている。俺には分かる。……マギリーヴァはお前と対等になる事で、もう一度お前に、触れたいのだ」
ハデフィスは、俺の知らない場所で力を手に入れたマギリーヴァの現状を伝えた。
それでやっと、マギリーヴァが俺と同じように、元始神と契約して力を手に入れたのだと悟った。
マギリーヴァは、やっぱりマギリーヴァだ。
俺の想像を、はるかに超えていく。
凄い奴だ。強い奴だ。弱く、儚く、脆く優しく、一途であるがゆえに。
俺に、ただ彼女を守らせてはくれない。
「ハデフィス、お前には、何を犠牲にしてでも……守りたいものはあるのか」
「……え?」
俺はハデフィスに向き直って、そう問いかけた。
彼は言葉を見つけられないでいる。
「俺には、分からないんだよ。何をどう守れば、一番大事なものを守った事になるのか」
結局の所、俺のやっている事も、マギリーヴァのやっている事も、お互いを諦める事が出来ないだけにすぎない。
どちらかが折れれば、どちらかを失う。
折り合いを付ける事が出来ないのだ。
悲しい事に、お互いを守りたいからこそ、戦っている。
だが、もう引き返す事は出来ない。
「だけどもう、ここまで来たら、自分の選んだ道を貫き通すしか無いじゃないか。……誰に理解されなくとも良い。例えマギリーヴァを傷つける事になったとしても、彼女に憎まれる事になっても良い」
彼女が俺を嫌いになってくれたら、もっと良かった。
「クロンドール……お前にとって、一番大事なものは、マギリーヴァではなく、アクロメイアの創り出したゴーレムだとでも言うのか……?」
「……」
ふいにハデフィスが、眉を寄せた苦悶の表情で、言葉を絞り出した。
俺は少しだけ固まる。
「そうか……そう思われているのか……」
「違うと言うのか? 違うのならば、ちゃんとマギリーヴァに説明しろ。そうでなければ、彼女が……っ」
「それは出来ない。そう思われているのなら、それで良い。そっちの方が良い」
「……お前」
むしろ、そう思われてた方が、良かったのかもしれない。
俺がもう、マギリーヴァに興味が無いと言う振る舞いをしていた方が、こんな状況にはならなかったのかもしれない。
「それでもアクロメイアは討たなければならない。本当は、ログ・ヴェーダでそうするべきだったのに、俺の甘さのせいで、奴を生かしてしまった。ここで、アクロメイアを倒す事こそが、俺の使命だ。アクロメイアは、メイデーアの禁忌に触れた。創ってはいけないものを創り出した。……“あの方”はお怒りだ。このままじゃ、全てが奈落に落とされる」
「……メイデーアの禁忌? 奈落?」
だが、もしマギリーヴァを止められる者が居るのならと、ふと思って、俺はハデフィスにこの話をした。
巻き込まないと決めていたのに、あまりに誰かに、助けを、救いを求めたくて。
ハデフィスは意味が分からないと言う表情だ。
そりゃあ、そうだ。
「戦争はもうすぐにでも終わらせる。心配するな、ハデフィス」
「……ち、違う。俺は、そんな事を聞きにきたんじゃない。マギリーヴァの事を聞いているんだ。地上がどうなろうと知った事じゃない。新しい女神も、アクロメイアがどうであろうと、俺には関係ない! お前は、マギリーヴァをどうするつもりだ」
「………」
しばらく沈黙が続く。
「ハデフィス、お前から、マギリーヴァに忠告してくれ。もうこの戦争に関わるな、と」
「……クロンドール、お前」
「マギリーヴァをこの戦いから遠ざける為に、俺は彼女を拒絶したのに……あいつは結局、あんなに強力な力を手に入れて、俺の前に現れた。……凄い奴だよ、本当に。強い奴だよ……本当に」
「……」
凄い愛だ。
深く重いのに、どこまでも澄んでいて、乱れなくまっすぐで。
彼女こそ愛の女神に相応しいのに……そう思っていた。
「ふざけるな……っ、ふざけるなクロンドール! ならば、俺がここでお前を殺してやる!!」
ハデフィスは神器“冥王の宿命”を抜いて、俺に向って振り上げた。
ハデフィスは俺の言葉が、許せなかったのだ。
霧状の剣は、禍々しい鈍い色と、歪んだ音を吹き出している。
俺はその剣を自らの剣で受け止め、ハデフィスの足場を空間の魔法で歪ませた。
地に膝をつくハデフィスが、俺を睨み上げて問う。
「クロンドール、お前はマギリーヴァを愛しているんじゃなかったのか……?」
「愛しているに決まっている」
自分でも驚くくらい、その返事は早かった。
「だが、彼女を拒絶してでも、俺には守らなければならないものと、やらなければならない事がある。もう時間がない。一刻も早くアクロメイアを討たなければ、手遅れになる」
「……?」
「なあ、ハデフィス。お前……マギリーヴァが好きなのか?」
「……え?」
なんとなく、ここ最近ずっと思っていた事だ。
いや、もうずっと前から、俺だけは気がついていたのかもしれない。
ハデフィスとマギリーヴァはどこか似ている。
その、一途すぎる思いを、ただ一人の為だけに、ひたすらに貫ける所が。
だからこそ、マギリーヴァを止められる者は、ハデフィスしか居ないと思っていた。
「なんとなくな……もし、そうであるのなら、マギリーヴァの側に居てやってくれ。あいつを戦いから、引き離してくれ。頼む」
「何を言っている! ふざけるな、俺には何にも出来ない。クロンドールでなければ……あいつには意味が無いんだよ!」
だがハデフィスは、その一途すぎる思い故に、俺の頼みを断った。
俺もまた、首を振る。
「……俺は最低な奴だ。マギリーヴァの尊厳を傷つけ、遠ざけた。彼女を裏切り、国を滅ぼした。償いきれない事をしてしまった。俺はもう、後には引き返せない……」
「そんな、そんな事は無い。マギリーヴァはお前を待っている。頼むから、マギリーヴァを思っているのなら彼女を迎えに行ってやってくれ。声をかけてやってくれ。抱きしめてやってくれ……頼むから」
「……」
それが出来たら、どんなに良かったか。
でも結局、俺が会いに行く事は、マギリーヴァを破滅へと導く事となる。
彼女を遠ざける為に避けていたのに、結局会いに行ってしまって、彼女を引きずり込んでしまった。
マギリーヴァがとても一途に俺を思ってくれているのだと、知っていたくせに。
マギリーヴァは俺にすべてを背負わせる気は無いのだろう。
同じような立場となり、同じ目的を持って、敵として戦うのだ。
彼女の背後に居る元始神の目的は分からないが……
もう、いくら俺が言っても、彼女は俺に向ってくるだろう。
俺が言えば言う程、彼女は……
「……クロンドール……様……」
この騒ぎの中、廊下の奥の部屋から、じっと俺を覗いている瞳があった。
名を呼ばれ、俺は肩を震わせる。
俺はその存在を恐れていたが、恐怖を押し殺し、そちらに向って歩む。
「いけません、お部屋を出ては……お体に触ります、“ヘレネイア”様」
一度だけ、ハデフィスの方を見た。
ハデフィス、お前の思いは良くわかった。
本当に、マギリーヴァが好きなんだな……
だけど、ハデフィスは自身が報われようとは一欠片も思っていない。
その無償の愛情は、美しくもある。
凄い奴だ、マギリーヴァも……ハデフィスも……
愛は人を弱くする。だが同時に、強くする。
彼らがどちらであるのかと言えば、やはり俺は“強い奴ら”だとしか、言い表す事が出来なかった。
黄昏戦争が終わった日。
それはマギリーヴァが死んだ日だ。
ハデフィスがマギリーヴァの側で泣き崩れ、俺はそれを見ていた。
最初は、何が何だか分からなかった。
今日こそはアクロメイアとの戦争に決着を付けようと思っていた。
最後の戦いになるだろうと、覚悟していた。
ただアクロメイアと俺の力は常に競り合っていて、結果がどちらに転ぶかは分からなかった……
それでも負けられない。
負けたら、今までの全部が水の泡だ。
俺は追いつめられていた。
だがそんな時、俺たちの戦いにハデフィスが割って入ってきた。
彼は、もう止めろと言った。
巨兵も持っていない非力で無防備な状態で、俺たちにただ止めろと言った。
アクロメイアはハデフィスを攻撃しようとしたが、それを防ぐように、二つの巨兵に向って神器の刃を向けたのがマギリーヴァだった。
マギリーヴァはハデフィスの前に立ち、ハデフィスに自分の神器を手渡した後、俺を見上げた。
「……」
彼女の優しさに満ちた微笑みは、美しかった。
アクロメイアが今にも魔導粒子砲を放とうとしていたのに、俺は身動きが取れそうに無い程、その微笑みに縛られたのだ。
やがて、俺たちを真っ赤な光が包んだ。
温かくて、どこまでも清らかな光だ。
その光は、俺の片腕をもぎ取った。
まるで緩い泥沼から引き上げてくれるようで、痛みは無い。
流れ出る血は魔法の光に溶けてしまったけれど、その代わりに俺の体は死の穢れを浄化したのだった。
光が収まった中、訳も分からず立ちすくんでいた。
片腕を失った姿のまま。
浄化の雨が降り注ぐ中、俺の巨兵はすでに瓦礫と貸していた。
「……」
目を見開いた。
なぜなら、マギリーヴァが目前で倒れていたからだ。
血まみれになり、浄化の雨に打たれ、俺の創り出した巨兵の瓦礫に埋もれるようにして、マギリーヴァが倒れていた。
ハデフィスが側で伏して泣いていた。
それだけで、マギリーヴァが死んでしまったのだと、理解する。
残っていた片腕で握っていた神器をも、地面に落とす。
ずるずると、足を引きずり、マギリーヴァの元までゆっくりと歩んだ。
「……マギリーヴァ……?」
マギリーヴァはかつて、俺に言った。
俺が死んだら、自分も死ぬのだと。生きてはいけないのだと。
「……」
だからって、先に逝ってしまうなんて、それは無いじゃないか、マギリーヴァ。
それは残酷じゃないか。
ならば俺も連れていってくれよ。
何の為に、俺は今まで……
今まで、ずっとずっと、自分の足場を保ってきた意思が崩れた。
糸が切れた。
もう何もかも、どうでも良くなった。
奈落も、ウゥラのことも。
アクロメイアは決着を付ける事を望んだが、俺にはもう、立ち上がる力も、剣を取る意味も無かった。
どうにでもなればいいと、この時の俺は、マギリーヴァを失った喪失の思いに、打ちひしがれていたのだった。
マギリーヴァが使った、0を1にする奇跡の魔法は、パラ・α・ガイアによって聞き入れられ、創世神は奈落へと落とされる事無く、世界は再生のチャンスを得る。
その後俺たちは、今に至る神々の棺システムを確立し、メイデーアを再生させる事となる。
今まで作り上げた文明を無に帰し、この世界を0からやり直す。
誰もが望んで作り上げたシステムだ。
だが、俺の中にあったものは、マギリーヴァを失った悲しみと、もう一度、どこかで彼女と巡り会えるチャンスを得た喜びと、マギリーヴァを傷つけ続けた先に得たものの、この虚しさだけだった。
「……マギリーヴァ」
棺に横たわる彼女の頬に触れ、俺は自分がすぐ側の棺に入る日まで、彼女に誓い続けた事がある。
今度こそ、マギリーヴァに追われる俺ではなく、彼女を追いかける、迎えに行ける、ただ一人の男でありたい。
マギリーヴァに追いかけられてしまったら、追い抜かれるまで一瞬だ。
彼女は本当にまっすぐで、どこまでも突っ走って行く、純粋で、危うい女性だから。
だけど運命は俺たちに過酷だ。
理想を抱いて、今度こそという思いで、希望の床についたのに、世界の再生の何もかも上手く行く事など無かった。
どこかにミスがあり、バグがあり、それは時代を追うごとに表に現れて行く。
世界の法則は、俺たちを導いても、決して俺たちを幸せにはしてくれない。
俺たちの望みは叶えてくれない。
“魔王”が転生すればするほど、過ちは、悲劇は、繰り返された。
だけどそれらが歴史を作り上げるものだから、時が経てば経つほど、過ちは顕著に表に出てきてしまっていた。
回収者としての役目を負ったハデフィスにも、全てを修正することなど、不可能だった。
結局、神話時代の後始末が、今の時代にまで続いる。
どんなに法則で縛っても、必ずここへたどり着く。
俺とアクロメイアの中断されていた戦いが、今の時代にまで引き延ばされたに過ぎなかったのだった。