14:神話大系17〜追うもの、追われるもの〜《sideクロンドール》
5話連続で更新しております。ご注意ください。(2話目)
地上へ戻り、すぐにアクロメイアの元へ赴こうとした。
アクロメイアに、ヘレネイアをウゥラの元へと返すように説得するために。
マギリーヴァが俺についてきたがったが、ダメだと言った。
アクロメイアへの説得が上手く言うとは思えない。最悪、戦闘になる。
この件に、マギリーヴァを巻き込む訳にはいかない。
マギリーヴァは酷く怒った。
おそらく俺が、あのヘレネイアと言う女神に会いに行くと思ったのだろう。
以前、ヘレネイアがかつての主であったヘレーナにそっくりであると話したからだ。
「もういいっ、私、デメテリスの所へいくから! しばらくかえってこないから!!」
マギリーヴァはそう言って、俺の国からも、自分の国からも出て行った。
デメテリスの国であれば、安全だ。
何もかもが終わったら、マギリーヴァに全部説明したい……
ただただ、マギリーヴァの背中を最後まで見送るしか出来なかった。
アクロメイアは案の定、俺の説得を聞き入れなかった。
「ヘレネイアは僕の娘だ! 絶対に、返すもんか!」
「……」
「ああ……何だお前、マギリーヴァからヘレネイアへ心移りしたんじゃないだろうな? 僕から引き離し、ヘレネイアを奪う算段なのだろう……ヘレネイアが、かつての主に似ているからかい?」
「馬鹿を言え! お前、そうやって俺を煽っても、意味なんか無いぞ! 今はそれどころではない。お前は怒らせてはならないものを怒らせたんだ!!」
俺はウゥラの事をアクロメイアに言って聞かせたが、それでもアクロメイアは、決してヘレネイアを手放そうとはしなかった。
俺は数日間アクロメイアの元へ通い、説得を続けたが、アクロメイアはまるで聞く耳を持たない。
そんな中、俺の元へひょっこりと尋ねてきたのはエリスだった。
エリスはなぜか事情を知っていて、俺に囁いた。
「もうヘレネイアを攫うしかありません。私が手を貸しましょう」
俺はエリスと協力し合って、アクロメイアの元からヘレネイアを攫った。
ヘレネイアは元々、アクロメイアの元から離れたがっていた。
事情を聞くと、アクロメイアは自分を部屋に閉じ込めてばかりで、外に出してくれないと不満を募らせていた様だった。
ただ、やはりと言うべきか、これが大きな戦争の引き金となる。
アクロメイアはヘレネイアを攫った俺を殺そうと、見た事の無い巨大な人型の兵器を解き放ったのだった。
それこそが、巨兵。
終焉の戦争を象徴するものである。
また、俺の誤算であった事と言えば、エリスがこの時、自分の味方と言う訳ではなく、ただただ戦争を引き起こしたかったに過ぎなかったと言う事だ。
エリスはアクロメイアにも、何かしら働きかけをしていたものと思われる。
こいつの目的は、ただただ、混乱と、災厄を、もたらす事だった。
ヘレネイアを攫って分かった事だが、彼女の肉体は既に腐敗し始めていた。
この腐敗した肉体から、愛の概念を解き放たなければ、ヘレネイアを奈落へと戻す事は出来ない。
結局の所、それを可能にできるのはアクロメイアだけであり、またアクロメイアを殺す事でヘレネイアを解き放つ事も出来た。
ただ、まずかったのは、ヘレネイアの腐敗した肉体から、悪質なマギ粒子が漏れていて、これがかなり高濃度の毒であり、神を殺すハデフィスの神器の力が働いたせいで、神々すらも汚染する物質だった事だ。
俺は、これを他国の神々にもたらしてはならないと思い、自国を閉じた。
一刻も早くアクロメイアを殺さなければならない。
その目的にとらわれていた。
ウゥラは毎晩俺の元へ訪れて、俺を脅しては、恐ろしい奈落の光景を見せつけた。
黒くシミの出来始めた腕を、俺は見つめていた。
神殺しのマギ粒子は、既に自らの体を蝕み始めていた。
こんな姿では、誰にも会う事は出来ない。マギリーヴァに触れる事も、叶わない。
それでも一度だけ、マギリーヴァに会いに行った事がある。
マギリーヴァは俺の国へ入ろうとして、空間の結界の阻まれ、国境辺りをうろうろしていた。
彼女は泣きべそをかいていたし、それを無視する事が、どうしても出来なかったのだった。
結界越しに、俺たちは語った。
「すまない、マギリーヴァ」
「すまないって何よ!」
マギリーヴァは声を荒げた。
「あんた、私の事なんてもうどうでもいいって言うの」
「……」
「あの女神の方が好きになっちゃったの?」
首を振ったが、言葉が出ない。
両手を結界の壁に当て「開けてよ」と言うマギリーヴァを、見つめる。
「……開ける事は出来ない」
「なぜ」
「出来ないからだ」
俺もまた、マギリーヴァが壁に当てた手の上から、自らの手を重ねた。
それでもお互いに触れる事が出来ない。
「あんた、それ……」
マギリーヴァは俺の手の黒いシミに気がついたようだった。
俺はスッと手を引っ込めて彼女に背を向けた。
マギリーヴァは寂しそうな、悲しそうな声で、俺に言う。
「ねえ、あんたがあのヘレネイアって女神を、アクロメイアから攫ったのは知っているわ。事情は色々あるのでしょうけれど、私、手伝うから、中に入れてよ」
「……」
「あんたも、相当やつれてるじゃないの。怒らないから、私……もうわがまま言わないから」
涙声で訴えるマギリーヴァ。
本当は、すぐにでもマギリーヴァの方を向き、結界を解いてしまって、彼女を抱きしめ、今までの事を全部話してしまいたい。
助けてくれと、縋りたい。
だけど、それはダメだ。マギリーヴァを巻き込む事になる。
俺はこれを最後に、マギリーヴァと会う事は止めようと思った。
彼女の姿を見るだけで、自分の気持ちが一気に弱くなるし、マギリーヴァをより悲しませる。
出来れば、これから起こる戦争からは、離れた場所に居て欲しい。
そう願って、彼女の元を離れた。
だけど、事態は思いも寄らぬ方向へ向かう。
アクロメイアはヘレネイアを取り戻す為、俺の弱点をつついた。
わざと、マギリーヴァの国に近い場所を戦場にするよう、仕向けていたのだった。
この時、初めて俺の前に姿を現したのが、魔導粒子砲を備えた大巨兵。
銀色の炎は俺の空間結界を貫き、マギリーヴァの国に降り注いだ。
マギリーヴァの国は、たった一夜で火の海に沈み、壊滅したのだった。
「マギリーヴァ! マギリーヴァ!!」
俺は居てもたってもいられず、マギリーヴァを捜した。
この火の海の中、マギリーヴァにもしもの事があったらと、生きた心地がしなかった。
自分の無力さを責めた。
マギリーヴァを巻き込まない為に、彼女に何も言わずに戦争を始めたのに、結局一番の被害を受けたのは彼女と彼女の国だった。
なぜもっと上手く立ち回れない。
大事なものを守るためだったはずなのに……
マギリーヴァは、以前の戦争で俺が作っておいた、地下の防空壕付近で倒れていた。
辿り着く前に、倒れてしまったのだった。虫の息だった。
「……マギリーヴァ……」
神とは言え、体に大きな損傷を受ければ死ぬ。俺たちはそう言う神だ。
死の概念を生み出した時、不老ではあるが不死ではない体となった。
体のあちこちを、銀の無慈悲な砲撃によって貫かれたマギリーヴァに、俺は触れる事が出来なかった。
自分の穢れが、彼女に移る事を恐れた。
「……こんな時に、何を考えているんだか」
俺の悪い所だ。
全部、嫌な方へイメージを働かせ、どんな些細な事も回避しようとする。
全てを守ろうとして、一番大事なものを守れない。
彼女の周囲に結界を張り、外界の熱気を遮断し、治癒魔法を施した。
俺の治癒魔法なんてたかがしれているが。
「……クロンドール?」
マギリーヴァはか細い声で俺の名を呼んだ。
「……来てくれたの?」
ゆっくりと手を伸ばすマギリーヴァ。
俺は手袋をつけたままの手で、戸惑いながらも、マギリーヴァの手を取った。
「すまない……すまない……ごめん……マギリーヴァ」
俺は何度も謝った。
泣きながら、彼女の側で頭を垂らして、ただひたすらに懺悔した。
「どうしたの、クロンドール……せっかく、会えたのに」
「ごめん……ごめん、マギリーヴァ。俺のせいだ。俺のせいで、お前の国が……」
「……」
マギリーヴァは震える俺の手を見つめて、尋ねた。
「ねえクロンドール……いったい何を抱えているの」
「……」
「あんた、ずっと何かに怯えている。……ずっと、一人で、抱えきれないものを抱えて、苦しんでる」
「……マギリーヴァ」
「馬鹿にしないでちょうだい。私、あんたの事くらい分かるわ……あんた……体が、嫌なのものに蝕まれている」
「……」
掠れるようなゆっくりとした声だ。
彼女は自分の状態を気にするより先に、俺の事を心配した。
マギリーヴァの目を見ていると、また涙がこぼれた。
マギリーヴァは、気がついていた。俺の事を、分かってくれていたんだ。
なのに俺は……彼女を傷つけてばかりで……
震える唇をぎゅっと結んで、マギリーヴァの手を離す。
じわじわと自らを蝕む、神殺しの呪いの音に耳を傾けるように、しばらく沈黙の中にいた。
「私には……話せないの?」
「……ああ」
「……そう。でも、いいわ。私、勝手に辿り着くから」
「……」
そっと俺の服を摘んで、マギリーヴァは言った。
俺もまた、蝕まれていない方の手で、彼女の髪に触れた。
ささやかな触れ合いだった。
前まで、こんな触れ合いは当たり前だったのに、今じゃただこれだけの事が、嬉しくて、切ない。
「マギリーヴァ……もう俺の事は忘れろ。アクロメイアを倒しても、俺は死ぬ……死の呪いが、体を蝕んでいる」
「……あんたが死んだら私も死ぬわ」
「ダメだ。いったい何の為に、俺が……」
「私も死ぬのよ。あんたが居なかったら、どのみち私、生きていけないもの……」
「……」
ぐっと胸が、苦しくなった。
それは悲しみより、嬉しさの方が大きい、胸を締め付けられる言葉だ。
「なら、もういっそ、一緒に死のうか……」
ぽつりと口にしてしまったその言葉は、俺の望みからはかけ離れた言葉だったのに、なぜだか最後の希望のようにも思えた。
もう逃げ出したい。
“あれ”から。ヘレネイアから。
過去の後悔から。アクロメイアへの責任から。
この世界、メイデーアから。
神として、国の王としての責務も、全部捨てて、マギリーヴァと一緒に逃げる事が出来たら良いのに。
だが、その思いを募らせ始めた矢先に、俺の背後から“あれ”の声が囁かれる。
『 ニゲ ら レ る と オモ う ナ 』
背筋が凍った。
一瞬にして、奈落ではりつけにされた神々のイメージを、脳裏に植え付けられる。
奈落は地獄だ。永遠の苦しみだけがある。
マギリーヴァをあんな場所へ落としてはならない。
「……クロンドール?」
目を見開き、顔を手で覆って震えている俺に、マギリーヴァも気がついていた。
俺は魔道要塞“癒眠の神殿”を、急いで展開し、マギリーヴァがこの地下でも隠れて体を癒せるようにした。
彼女を絹の寝床が包み込む。
「しばらくここで療養すると良い」
「……い、いや! クロンドール、そしたらまた、どこかへ行ってしまうのでしょう! 次はもう、会いにきてはくれないでしょう」
「……」
「私はあんたの高見まで行く。絶対に、辿り着く。触れてみせる。それがどんな事だって、何をしてでも、あんたに全てを背負わせたりしない……あんたを一人じゃ、死なせないわよ……っ」
「…………すまない」
マギリーヴァは必死で訴えていた。彼女の言葉は力強く、だからこそ辛い。
やがて落ちるように、溶けるように、彼女は意識を失った。
俺は、マギリーヴァが言った言葉を脳内で繰り返しながら、また泣いていた。
このメイデーアにやってきて、誰もが不安で居る中、泣かないように心がけていたの。強くあろうとした。
だけど、今日だけで何度泣いただろうか。
そっと、彼女の寝床の側に、ルビーのネックレスを置いた。
俺がこれを持ってプロポーズできる日は、二度と来ないのだろう。
すまないマギリーヴァ。
それでも俺は、お前にあのような場所へ落としたくは無かった。
奈落へ落ちてしまえば、俺たちはただの概念に成り果てる。
例え死んでも、俺は転生の可能性を、失うわけにはいかなかったのだった。