09:シャトマ、カノンの帰りを待っている。
2話連続で更新しております。ご注意ください。(1話目)
妾の名前はシャトマ・ミレイヤ・フレジール。
フレジール王国の王女であり、藤姫とも呼ばれている。
神話名はパラ・プシマ。
妾は今、オーバーツリーに停泊するヴァルキュリア第1艦隊のコックピットで、目前に迫る戦いを前に、脇のモニターに集められる情報を確認している。
連邦が元々用意していた軍事用の地下防空壕が、キルトレーデンにはある。
そこへの、住民の非難が開始されていた。
連邦の軍幹部に我々と通じている者がいた事もあり、この段階で、連邦軍はフレジールに白旗を上げたのだった。
畳み掛けるような状況で、連邦の運命を担う事になってしまったが、今は敵国を攻略した事など関係ない。
むしろ、今後の状況次第では、大変なものを背負う事となる。
空に開いた穴は、もう誰の目でも見える程だった。
そこから覗く巨大な化け物の片目を前に、国同士の争いなどしていられない。
あれが出てくる前に、出来るだけ多くの者たちを避難させなければならない。
限界時間、残り10時間と言った所か。
そろそろあいつらも、南の大陸側に出現した幻想の島へと出発する。
カノンが、1時間だけ時間が欲しいと言って、異世界である地球へと戻った。
この状況で、将軍であるカノンが抜けるのは本来あり得ないが、妾は許した。
「……おかえり、カノン」
「……」
カノンは約束の時間の5分前に、ちゃんと戻ってきた。
いつもながらに無表情で、我がフレジールの軍服と軍帽をきっちり着こなしたスタイルで、音も無く妾の側に立つ。
妾は少しだけコックピットから離れ、隣の部屋にてカノンと二人きりの時間を作る。
それでも妾たちは、席に着く事も無く、ただ壁に背をつけて並んで立っていた。
「あちらの世界にお別れをしてきたのか?」
「……情報を消してきただけの事だ。あれが地球で発見され、騒ぎになっても面倒だからな」
「ふふ。相変わらず、律儀で生真面目な奴だな」
もう関わる事の無い世界で騒ぎになろうが、どうでも良いだろうに。
妾は横に立つカノンの顔を見上げた。
「お疲れだったな、カノン」
「……」
そう声をかけると、カノンは僅かに妾に視線を向け「何の事だ」と問う。
「俺はまだ、やる事がある」
「そうだ。そなたには今から、あの紅魔女と黒魔王と共に、幻想の島へと行ってもらう。かつてのヴァベルへな」
「……」
「あの場所で、最後の決着を付けてくると良い」
ぽんと肩を叩いた。
カノンの肩の位置は高いし、カノンの肩は硬い。妾が叩いてもびくともしない。
そうだ。
カノンは少し叩かれたくらいでは揺れる事も倒れる事もない。
それが出来ないくらい、ずっとずっと、安らぐ事の無い緊張感の中にいた。
「姫……今度ばかりは、あなたの側にいる事は出来ない」
カノンはやっと妾を正面に捉え、まともな言葉を吐いた。
「……ん? それは分かっている。最初から分かっていたさ」
「……」
「だけど、安心すると良い。妾はきっと、そなたの期待に応えてみせよう。紅魔女が世界の法則を壊すまで、このメイデーアを守ってみせる。“藤姫”はそなたの最高傑作だからな」
妾は自信に満ちた口調で言って、もう一度、カノンの肩をばしっと叩いた。
やはり、びくともしない。妾の言葉では揺れもしない。
カノンの目的は、最初から一貫していた。
千年前に妾を見つけ、守り、育ててくれたのも、彼の中にあった本当の願いの為だ。
だが、それで良い。
それでも妾が、カノンに助けられた事に変わりはない。
育んでもらった事に変わりはない。
むしろ、彼を一番側で支える役目を、妾に与えてくれた事を嬉しく思う。
今の藤姫はカノンに与えられた偶像。
それが世界と妾を、導いてくれる。
「シャトマ姫様……」
カノンは妾の前にスッと跪き、妾の手を取って、そっと口づけた。
「健闘をお祈りします……我が王」
「ふふ……珍しい事をしてくれる」
「……」
「妾も……そなたの願いが叶う事を心から祈っているぞ、カノン」
この言葉で、妾たちの会話は終わった。
カノンは迷う事無く、この部屋を出て行く。振り返る事も無く、いつものようなしっかりとした足取りで。
「……カノン、か」
これは、妾が千年前に与えた名だ。
本当は少しだけ素の自分に戻って、カノンをまたお父様と呼びたかった。
小さな女の子だったかつてのサティマのように。
カノンは二人きりの時、そう呼ぶのを許してくれる。だけど、今回はダメだ。
カノンは妾に、王である事を求めた。
ぐっと拳を握りしめ、真っ白な天井を見上げる。その白い壁の向こう側、遠くの地で血に飢える、討つべき敵を睨むように。
「シャトマ姫様、そろそろ出発のお時間です」
すとんと側に降り立ち、妾に告げたのは、ソロモン・トワイライトだった。
「ああ。……すまないな、ソロモン。そなたもまだ、落ち着いていないだろうに」
「……いいえ。不思議なものでして、私の心は存外に晴れやかなのですよ」
「……」
ソロモンは多くを語る事は無かったが、表情はいつものように、穏やかでいる。
こんな状況で、感情を隠しているだけなのかもしれないが。
「行くか」
妾はこの部屋を出て、この戦いの中枢を担うコックピットへと足を進めた。
ブーツの音は軽快だった。
妾の乗っている第一艦隊の向かい側に、カノンが乗る第七艦隊が停まっている。
カノンがそちらに歩いて向っているのが、コックピットのメインモニターから見えた。
「……」
この先、どのような結末になろうとも、これが妾たちの最後の戦いになる。
オリジナル相手では、楽勝とはいくまい。
妾にもカノンにも、何があるかは分からない。
だけど、戻ってこい。
戻ってこいカノン。
カノンが帰るべき場所は、確かにまだ、この世界に残っている。
それをちゃんと、覚えておいて欲しい。