05:神話大系13 〜何を犠牲にしてでも守りたいもの〜
2話連続で更新しております。ご注意ください。(2話目)
ヘレネイアを攫い、彼女を守るために戦争を始めたクロンドールに対して、マギリーヴァの心中は穏やかではなかっただろう。
それは、最初から分かっていた事だった。
だが、俺は当然のように、こう考えていたのだった。
そのうちにきっと、クロンドールとマギリーヴァは仲直りして、また以前のような関係になる……
俺が憧れた、二人の関係に。
しかし、現状はそのように穏やかなものでは無かった。
アクロメイアとクロンドールの争いは日に日に増し、この争いを始めてひと月もせずに、マギリーヴァの国を焼いた。
マギリーヴァは自国を失った。
アクロメイアが放った、魔導粒子砲による被害だった。
クロンドールが空間結界で防ごうとしたが、この砲撃はそれを破る火力を有していた。
このまま戦争が長引けば、メイデーアはダメになる。それこそ、世界がどうなるというよりは、大地が死んでしまって、取り返しのつかない事になる。
マギリーヴァが悟ったのは、第一にそれだった。
第二に、クロンドールとアクロメイアを何とかして止めなければと言う思い。
それは、マギリーヴァにとって、どのような選択だったのだろう。
彼女は力を求めた。それに応えたのが、この戦いで大地を痛め続けている、地の概念であるパラ・α・ガイアという元始神。
ガイアはマギリーヴァの血を求めた。それが、大地を癒す雫となるからだ。
マギリーヴァは代わりに、力を求めた。
アクロメイアやクロンドールと言う、序列一位と二位の創世神に対抗しうる、力を。
この取り引きが、結果として現代でも彼女が使う、破格の破壊の魔法に繋がる。
何ものをも壊し尽くす、彼女だけの“血”による命令魔法だ。
不老の神の命すら削る、破格の対価を先払いして、彼女はこの力を手に入れた。
それは、“地”の神がマギリーヴァにだけ与えた、世界の運命を左右する力。
マギリーヴァはこの力をもって、誰もが割って入る事の出来なかった、ギガント・マギリーヴァに参戦する。
アクロメイアもクロンドールも、これには驚いた様だった。
今までお互いの巨兵でしか傷つけ合う事が出来なかった。その兵器の攻撃と同等の力を、マギリーヴァは持ってしまったのだから。
俺は結局、マギリーヴァを止める事が出来なかったのだ。
マギリーヴァがまっすぐに見ていたのは、ずっと追いかけていたのは、ただ一人、クロンドールだけだったのだから。
そんな事は、もうずっと前から、分かっていた事だ。
マギリーヴァは戦いに参戦する事で、クロンドールを止める事で、その思いを貫こうとしていた。
俺に出来る事はあるのだろうか。
日に日に、満杯になる死の国で、俺は考えていた。
黄昏戦争が始まってから、クロンドールがここへメンテナンスに来た事は無い。
当然、彼は絶え間ないアクロメイアの攻撃に、自国を空ける訳にはいかなかったからだ。
そもそも、なぜクロンドールのような正義を尊ぶ男が、メイデーアを破壊しかねないこの戦争を引き起こしたのだろう。
ヘレネイアが例の姫にそっくりだったと言っても、クロンドールがそのような事だけで、この状況を造り出すとは思えない。
だけど、実際にはそうだ。
クロンドールはマギリーヴァではなく、ヘレネイアを守る事を選んだのだ。
マギリーヴァの国が滅んだ事が、何よりの証だ。
俺は、クロンドールへの憤りを、抑える事が出来なかった。
なぜ、という思いばかりが、増していく。
何の力も無い俺とは違う。
クロンドールは、何もかもを持っていた。
アクロメイアはそれを嫉妬へ変えてしまったが、クロンドールへの憧れは、やはり俺の中にもあったのだと思う。
今だって、憤りを感じながらも、クロンドールを羨ましく思っている。
なぜだろうか。
マギリーヴァが、あんな痛みを背負ってでも、クロンドールを思い続けているからだろうか。
誰とも関わりたく無くて、羨ましいとも、憎らしいとも思いたく無くて、悪意にも偽善にも触れたく無くて、この死の国に引きこもっていたのに……
この戦争が始まってから、俺はマギリーヴァやクロンドール、アクロメイアの事ばかり考えている。
なぜこんな事になってしまったのか、そればかり考えている。
こんな戦争は早く終わってしまえば良い。
そしたら、マギリーヴァも、あんなに苦しまなくてすむ。
マギリーヴァは力を得るたびに、自らの命でもある血をガイアに捧げていた。
笑う事が少なくなり、苦痛の表情ばかりになっていった。
俺にはそれが、辛かったのだ。
初めてメイデーアに来た時、マギリーヴァに手を差し伸べられた事を、今でも覚えている。
彼女だけが、今でも変わらずに俺の元に来てくれていた。
穢れるから来るなと言っても、食べ物のお裾分けを持ってきて、どうでも良い地上の話をしてくれた。
多少気が強い所があったが、マギリーヴァの笑顔は大輪の花のように眩しく、彼女と話をするのは、鬱陶しいと思いながらも、密かな楽しみであった。
マギリーヴァが俺を、他の神々と変わらない、大事な仲間の一人だと思ってくれている事が、嬉しかった。
たとえ、一番の特別ではなくても、それで十分だった。
マギリーヴァが笑顔でいてくれるだけで、彼女が幸せそうにしているだけで、俺もまた、救われる思いだったのだ。
酷く暗い死の国でも、彼女の輝きは衰える事は無く、温かみを帯びていた。
「……クロンドール」
なのに、どうして……クロンドールはマギリーヴァを選ばなかったのだろう。
彼女の思いだけを持って行ったまま。
この戦争のせいで、俺もまた心が濁り、答えの出ない葛藤の中にあった。
誰もがそうであったように。
俺は死の国を経由し、クロンドールの国へ向った。
クロンドールがここへ簡単に来れる様、秘密の道を作っていたから、クロンドールの国へ行くのは簡単であった。
俺から彼の国へ行くのは、これは最初で最後となる。
「……ハデフィス、か」
クロンドールの王宮の、一番高い階層の廊下から、クロンドールは外を見ていた。
俺はひっそりと、彼の側に忍び寄っていたが、やはり気がつかれる。
クロンドールは、少しやつれたように見えた。
このような戦争では、無理も無いか。
「どういう事だ、クロンドール……なぜ、あんな戦争を続ける」
「……ハデフィス、お前には苦労をかけていると思っている。戦争が終わったら、しかるべき補償をしよう」
「そうじゃない! マギリーヴァの事だ!!」
俺がマギリーヴァの名を出すと、クロンドールはピクリと眉を動かした。
「なぜマギリーヴァを側に置いてやらない! なぜ拒絶した!」
「……」
「彼女がお前を止める為に、何をしたか分かっているのか……っ、絶対に触れてはならなかった力に、触れてしまったんだぞ!! 彼女はもう、以前の彼女ではない。とんでもない力を手に入れてしまった……」
「……」
「その対価に、毎日毎日、体を焼き、血を流し、終わりの無い苦痛に耐えている。俺には分かる。……マギリーヴァはお前と対等になる事で、もう一度お前に、触れたいのだ」
語るのが苦手な俺が、必死になってクロンドールに訴えたが、彼は無言でいた。
ただただ、寂しそうな、苦しそうな瞳で、濃紺の空を見上げている。
「ハデフィス、お前には、何を犠牲にしてでも……守りたいものはあるのか」
「……え?」
突然、クロンドールが真面目な顔をして俺に問いかけた。
俺にとって衝撃的な質問で、この場で考えても答えは出てきそうに無かった。
今までそんな事は考えた事が無かった……
「俺には、分からないんだよ。何をどう守れば、一番大事なものを守った事になるのか」
「……」
「だけどもう、ここまで来たら、自分の選んだ道を貫き通すしか無いじゃないか。……誰に理解されなくとも良い。例えマギリーヴァを傷つける事になったとしても、彼女に憎まれる事になっても良い」
クロンドールは絞り出すような声で言った。
言葉とは裏腹に、心の底から何かを不安に思っているような、複雑な表情だった。
俺もまた、同じような顔になっただろう。
「クロンドール……お前にとって、一番大事なものは、マギリーヴァではなく、アクロメイアの創り出したゴーレムだとでも言うのか……?」
「……」
クロンドールは一度驚きの表情を浮かべ、吹き出すように苦笑した。
額に手を当て、自らを馬鹿にするように。
「そうか……そう思われているのか……」
「違うと言うのか? 違うのならば、ちゃんとマギリーヴァに説明しろ。そうでなければ、彼女が……っ」
「それは出来ない。そう思われているのなら、それで良い。そっちの方が良い」
「……お前」
クロンドールが何を言っているのか、俺には全く分からなかった。
何だか辛そうで泣きそうなのに、自分の意志を曲げようとしないクロンドールを前に、何も言えない。
クロンドールは続けた。
「それでもアクロメイアは討たなければならない。本当は、ログ・ヴェーダでそうするべきだったのに、俺の甘さのせいで、奴を生かしてしまった。ここで、アクロメイアを倒す事こそが、俺の使命だ。アクロメイアは、メイデーアの禁忌に触れた。創ってはいけないものを創り出した。……“あの方”はお怒りだ。このままじゃ、全てが奈落に落とされる」
「……メイデーアの禁忌? 奈落?」
更に訳が分からなくなる俺に対し、クロンドールもまた、これ以上言ってはいけないとでも言うように、すっと自らの口を抑えた。
しきりに周囲に目配せし、何かを警戒しているようにも見える。
彼の頬に伝う汗が、何を意味するのかも分からない。
「戦争はもうすぐにでも終わらせる。心配するな、ハデフィス」
「……ち、違う。俺は、そんな事を聞きにきたんじゃない」
俺はやっと、自分がここに来た意味を語りだす。
「マギリーヴァの事を聞いているんだ。地上がどうなろうと知った事じゃない。新しい女神も、アクロメイアがどうであろうと、俺には関係ない! お前は、マギリーヴァをどうするつもりだ」
「………」
クロンドールは黙り込んだ。
しばらくして小さく頷き、淡々とした暗黒の色をした瞳を俺に向けた。
「ハデフィス、お前から、マギリーヴァに忠告してくれ。もうこの戦争に関わるな、と」
「……クロンドール、お前」
「マギリーヴァをこの戦いから遠ざける為に、俺は彼女を拒絶したのに……あいつは結局、あんなに強力な力を手に入れて、俺の前に現れた。……凄い奴だよ、本当に。強い奴だよ……本当に」
「……」
マギリーヴァが、強い?
本当に、そう思っているのか、クロンドール。
俺は拳を握りしめた。
「ふざけるな……っ、ふざけるなクロンドール! ならば、俺がここでお前を殺してやる!!」
マギリーヴァがもう、戦いに赴かなくて済むように。
俺は、自らの神器“冥王の宿命”を抜いて、振り上げた。霧状の剣は、禍々しい鈍い色と、歪んだ音を吹き出しながら、クロンドールを狙う。
クロンドールはその剣を自らの剣で受け止め、また俺の足場を空間の魔法で歪ませた。
俺はそのままふらつき、片膝を床に着く。
戦い慣れていない俺が、そもそも常に戦いの前線に居るようなクロンドールに敵うはずも無い。
クロンドールは先ほどまでの淡々とした表情で俺を見下ろしている。
俺もまたクロンドールを見上げて、奥歯を噛んだ。
「クロンドール、お前はマギリーヴァを愛しているんじゃなかったのか……?」
「愛しているに決まっている」
クロンドールの返答は早く、また力強かった。逆に俺は怯んでしまった。
「だが、彼女を拒絶してでも、俺には守らなければならないものと、やらなければならない事がある。もう時間がない。一刻も早くアクロメイアを討たなければ、手遅れになる」
「……?」
クロンドールは俺にとどめをさす事無く、自らの剣を鞘に収め、背を向ける。
何が何だか、分からなかった。
クロンドールはこの時、一体何を知っていて、何を抱え、何を恐れていたのだろう。
何のために戦い、何を守ろうとしていたのだろう。
疑問は多々あったけれど、俺には、そんな事は何一つ、どうでも良かった。
マギリーヴァを“強い”の一言で片付けたクロンドールが、許せなかった。
いや、本当はクロンドールも分かっていたに違いない。彼女は強いのだと思う事で、諦めようとしていたのだ。
だけど、俺には諦められない。
マギリーヴァは決して、強く無い……
「なあ、ハデフィス。お前……マギリーヴァが好きなのか?」
「……え?」
クロンドールが一度振り返り、穏やかな口調で、そう尋ねた。
俺はこの上なく、訳の分からない表情になる。疑問だけが、頭の中にあった。
クロンドールは小さく笑った。
「なんとなくな……もし、そうであるのなら、マギリーヴァの側に居てやってくれ。あいつを戦いから、引き離してくれ。頼む」
「何を言っている! ふざけるな、俺には何にも出来ない。クロンドールでなければ……あいつには意味が無いんだよ!」
自分でそれを言葉にしながら、自分で酷く虚しく思った。
なんだろう、これは。
クロンドールは少しだけ声を低くした。
「……俺は最低な奴だ。マギリーヴァの尊厳を傷つけ、遠ざけた。彼女を裏切り、国を滅ぼした。償いきれない事をしてしまった。俺はもう、後には引き返せない……」
「そんな、そんな事は無い。マギリーヴァはお前を待っている。頼むから、マギリーヴァを思っているのなら彼女を迎えに行ってやってくれ。声をかけてやってくれ。抱きしめてやってくれ……頼むから」
「……」
俺がどんなに頼んでも、クロンドールは首を降り続けた。
分からない。
なぜ、こんな事になってしまっている。
クロンドールは心のどこかで、マギリーヴァの事をちゃんと思っているのに。
「……クロンドール……様……」
この騒ぎの中、廊下の奥の部屋から、誰かがこちらを覗いていた。
か細く掠れた声が、クロンドールの名を呼ぶ。
暗闇に隠れ顔は見えないが、長い金髪が差し込む月明かりに照らされ、淡く輝いている。
しかし見えている足や腕は、死の王である俺がぞっとしてしまうほど、腐敗して、干涸びていた。
「いけません、お部屋を出ては……お体に触ります、“ヘレネイア”様」
クロンドールもまた、小さな声で返事をして、一度俺に意味深な視線だけを投げかけ、そのまま背を向け声の主の元へと消えた。
「……」
ヘレネイア、か。
クロンドールがその女神を、かつての主と思っているのなら、その名ではなくヘレーナと呼んだのではないだろうか……
ますます、分からない。
全ては、混沌の中にある気がした。
誰かがどこかで、少しずつ歯車を狂わせていた。
徐々にそれは不協和音を生み出し、俺たちの関係を、ガタガタに壊していったのだ。
俺には、それぞれが何のために戦っているのか、分かるはずが無かった。
『ハデフィス、お前には、何を犠牲にしてでも……守りたいものはあるのか』
だが、クロンドールが俺にふった、この問いかけが頭をよぎる。
誰に理解されなくとも良い。貫き通すしか無いと言いきった、彼の言葉が。
これは、その後の俺にとって最も重要な問いとなる。
長い長い時間を、膨大な記憶を抱いて、ただ一つの目的、結果の為に生きていく。
その、道しるべとなる。




