04:神話大系12 〜ギガント・マギリーヴァ〜
2話連続で更新しております。ご注意ください。(1話目)
パラ・α・ヘレネイアは、様々なものを素材に生み出された、偽りの女神だ。
分かっている素材は、このメイデーアに最初からあった概念“愛”と、俺の神器である“冥王の宿命の造形”。おそらく同年代の娘も複数人犠牲になっており、また、クロンドールの記憶にあったかつての主である姫の姿が反映されている。
この他にも、メイデーアに存在する数多くの魔法産物が、ヘレネイアの創造に力を与えている。
ただの人間でもなく、ただのゴーレムでもない。
神格を持つ女神を生み出すには、それだけ素材も犠牲になるものも多くあった。
アクロメイアが、それらをどうやって集めたのかは分からない。
ただ、裏にエリスが居た事だけは、分かっている。
クロンドールの記憶は、エリスが神器を作る際に引き出したもので、エリスがこれを提供したものと考えている。
エリスはアクロメイアに、取引をしてこれを提供したようだ。
この時の俺はあまりに純粋で、エリスを疑う事も無く、ただ、見て分かりやすいアクロメイアという存在が、厄介事を生み出し、戦争を始めたのだと思っていた。
しかしそれらは、どこかでエリスに操作され、起こるべくして起こった状況だった。
エリスが常に目指していたのは、最悪の結果だ。
この事が薄々分かったのは、それこそ奴が千年前に、“青の将軍”として、俺たちを翻弄した時代だ。
あの時代を経て、俺は地球にて神話を振り返り、また考察し直して、確信に至った。
奴は絶対悪。
メイデーアの災厄。
俺たちの関係を常に引っ掻き回し、世界を最悪の結末に導こうとする者。
だが、奴の正体も目的は、今でも分からない。
(回収者の記録『黄金の林檎』より)
***
黄昏戦争(後のギガント・マギリーヴァ)が始まって、死の国の王である俺の仕事が増えたのは言うまでもない。
慌ただしくしている中、赤い頭巾を冠って、いつもの籠を背負ったマギリーヴァがやってきた。
「ハデフィス、大変そうね」
「……マギリーヴァ」
「あ、今日はね、沢山パンを焼いてきたの。チーズのパンと、野菜のパンと……えーと、これはレーズンパン。お芋のパンに、ただの白パン」
「……おい」
「これ、全部あげる。さっき、プシマにあげてきたやつの残りだけど。桃のお酒もあるけど……あんたは、お酒ダメだからねえ」
「……」
「桃のジュースとミルクを置いてくわ。割って飲むと美味しいわよ。あんた甘党だから、これなら行けるでしょう」
マギリーヴァはくすくす笑った。
だが、俺は笑えない。いや酒がダメで甘党なのはその通りだが、それは今は関係ない。
マギリーヴァをジッと見て、眉根を寄せた。
「おい、お前。……大丈夫なのか?」
「何が?」
「何が……って」
ケロッとした表情のマギリーヴァ。
先日の騒動も冷めやらぬと言うのに、彼女はいつもと変わらない様子で居る。
「クロンドールの国には入れないままなんだろう?」
「……クロンドール? そうねえ……でも一度だけ会ったわ。ごめん、だって。笑っちゃう」
「……」
「私はもうあいつの国には入れないし、あいつはもう……私には会いにきてくれないもの」
彼女はふっと作り笑いをして、顔を背けた。
以前までの嫉妬とは明らかに様子が違う。
俺の為に置いていったはずのパンを一つだけ持って、齧りながら「じゃあ頑張ってね」と言って、早足で地上へと戻っていった。
「……」
俺は何も言えなかった。
状況をしっかりを理解できていないのもあるが、今のマギリーヴァの態度に、僅かにショックを受けたと言うのもある。
明らかに、彼女は感情を押し殺していた。
いつもいつも、うるさい程に感情的だった彼女が。
彼女が置いていったパンは数多く、また、やたら形の整ったパンばかりだった。
俺は長い息を吐いた。
地上は始まってしまった黄昏戦争のまっただ中にある。
今はまだ、アクロメイアとクロンドールの国同士が戦っているだけだが、そのうちに飛び火して、世界規模の戦いになる事は目に見えているのに。
なのに、マギリーヴァの奴……
俺もまた、パンを一つとって、かじる。
いつもながらに、とても美味い。
「……」
俺は仕事をほっぽり出し、地上へと戻っていったマギリーヴァを追った。
暗い道を、一人でとぼとぼと歩く彼女を見て、俺はハッとさせられる。
いつもの凛とした空気は無く、ただただ、弱々しい足取りと、暗く影を落とした背中。
マギリーヴァはパンを一つかじりながら、ふらふらと蛇行し、たまに亡者にぶつかりながらも、ポロポロと泣いていた。
こちらとしては見ていられない姿だ。奇妙な光景ではあったが、なぜだか胸が痛い。
マギリーヴァが一人で、あんな風に泣いているのが、俺には溜まらなく辛い事だった。
感情表現が過激な彼女は、普段からよく人前で笑い、怒り、泣く。
だが、あれらと今は、根本的な何かが違って思えた。
あんな風に一人で泣くのなら、みんなの前で暴れながら泣いてくれた方が、ずっと良い。
うるさくても、面倒くさくても、そちらの方が良い。
「おい、マギリーヴァ!」
マギリーヴァを追いかけ、彼女の腕を掴んで引いた。
マギリーヴァは驚いていたが、俺に泣いている所を見られるのが嫌だったのか、顔を背けて、袖で涙を拭っていた。
「お前……痩せたな」
腕を握って、分かった。マギリーヴァはちょっとだけ痩せたように思う。
「何よ、今まで太ってたって言いたいの」
「そう言う事じゃない。お前、ちゃんと食っているのか」
「今、パンを食べている所よ……」
嫌みは健在だが、涙声で鼻をすするマギリーヴァは痛々しい。
「お前、やっぱり、クロンドールの事が堪えているんだろう」
「……なんで?」
「とぼけるな。こんな時に強がって何になるって言うんだ」
「……」
マギリーヴァはしばらく黙って、困ったように笑った。
だがすぐに下唇を噛み、何かに耐えるように、俯く。
「……あいつは結局、困っている、危機に直面している者を見捨てられない。それが、かつて救えなかった主にそっくりな女神なら、なおさら……今度こそ救いたいと思うはずだわ」
「マギリーヴァ?」
「私の時もそうだったのよ。結局……私の国がアクロメイアに奪われそうだったから、クロンドールが助けてくれただけで。今、あいつが優先して助けるべき人は、もう……私じゃないってだけの話よ」
マギリーヴァは袖で涙を拭って、一度呼吸を整え、落ち着いた表情をした。
しかし、虚空を見つめている。
「……マギリーヴァ」
俺は無意識に、マギリーヴァに手を伸ばしていた。
しかし、俺が彼女に触れる事が戸惑われた一瞬、マギリーヴァもまた、前に歩む。
彼女はただ前だけを見ていた。
「これからどうするんだ?」
細い背に声をかけるが、マギリーヴァはちらりとこちらを振り返り、また、乾いた笑みを浮かべただけで、特に何も答えなかった。
後日の事である。
この死の国に、いつも以上に多くの死者が押し寄せた日があった。
何事かと思い、嫌な予感もあって一度地上に出てみた所、俺はある国が丸ごと焼かれ、失われている事を知る。
方角的に焦りに見回れ、地下を経由し、最強の防御を誇るユティスとデメテリスの国を訪ねた。
確認した所、やはり、失われた国はマギリーヴァの国だった。
マギリーヴァの国はアクロメイアの国と隣接しており、最も危険に晒されていたのである。
巨兵同士の争いが激化し、マギリーヴァの国を焼いたのだ。
クロンドールは争いが飛び火しない様、空間結界を駆使していたが、アクロメイアがそれを上回る火力を生み出したと言う事だった。
「マギリーヴァは? マギリーヴァは、どうなったんだ」
「落ち着けハデフィス。君がそれを把握していないと言う事は、マギリーヴァは死んでいないと言う事だよ」
ユティスだけは冷静だった。
確かに、死の国の王である俺は、死者を管理しているためマギリーヴァが死んだか死んでいないかが分かる。
俺が察知していないと言う事は、マギリーヴァはまだどこかで生きていると言う事だった。
自分でも分かる程、俺は混乱していた様だった。
「でも、じゃあマギリーヴァはいったいどこにいるの?」
デメテリスは口元に手を当て震えている。マギリーヴァを心配しているのだった。
「デメテリス、君の神器と僕の神器で、探す事は出来ないかな」
「私の神器で?」
「あれは広範囲に展開できる。僕の精霊魔法を連動させれば、マギリーヴァを探す事が出来るかもしれない」
ユティスとデメテリスは協力し合い、デメテリスの神器による広範囲守備結界“緑の幕”を展開し、その中で、ユティスの精霊たちにマギリーヴァを探させた。
「しかし、大変な事になったよね」
ユティスは、ぼやいた。
抑揚の無い、低い声だった。
「今までの戦争とは訳が違う。アクロメイアとクロンドールが暴走しつつある。そしたら、一体誰が、彼らを止める事が出来ると言うのだろう……」
「ユティス」
「彼らは特別だ。同じ神でも、僕らとは違う。破格の力を持つ、序列一位と二位の神だ。……だけど、今回の戦争は訳が分からない。関係のないマギリーヴァの国まで滅ぼしてしまって……お互い、本気で殺し合おうとしている様だ」
「……ログ・ヴェーダは、そうではなかったと言うのか?」
「そうだね。……結局あの戦争は、お互いの力比べでもあったんだと思うよ。僕らはなんだかんだと言っても、それぞれを意識し合いながら、言葉では言い表せない絆で繋がっていると思っている。だけど、今回はそれとは違う気がするよ」
「……」
ユティスの言葉は重かった。
そして、彼の表情は、何かに対し酷く失望しているかのように、色味が無い。
俺の中で、嫌な予感はとても大きくなっていった。
マギリーヴァは、一週間程して、焼けた彼女の国の地下、奥深くで見つかった。
死の国ほどの地下ではないが、地上と死の国の間に、いつの間にやら、空洞が出来ていた。
どうやら国が攻撃を受けた際、ここへ逃げ込んだらしい。
俺は死の国を経由し、すぐにマギリーヴァの元へ向った。
空洞の内部では、キラキラとした赤い結晶が大地から生えていて、それが淡い光を灯し道を照らしている。
「不気味な場所だな」
ぞっとした。死者の国に居る俺がぞっとするのもおかしな話ではあるが、まるで地上で焼け死んだ者の血が、大地にしみ込んで、結晶化でもしたのかと思われる程、そこは死と血の匂いに満ちていた。
ちょうど大きな空間に出て、俺はマギリーヴァを発見した。
しかし、そこで見つけたマギリーヴァの姿は、今までの彼女とは違っていた。
真っ赤な血にまみれ、キラキラと輝く血の泉の中心で体を横たえていたのだった。
「おい、マギリーヴァ、何をしているんだ!」
血の泉をかき分け、彼女の側に寄って抱き起こそうとしたが、マギリーヴァに触れる事は出来なかった。
彼女は巨大な魔力を、その身に纏わせていたからだ。
今までのマギリーヴァとは、何かが違う。
そう感じた。
「……っ」
また、俺自身も、体に染みる痛みを感じた。
この泉は、神の体ですら傷つける、毒や呪いにも似た何かだ。
美しい色とは裏腹に、まるで刺に全身を刺されているかのような痛みだった。
「……ハデフィス」
マギリーヴァは、顔面にかかった長い髪の隙間から瞳を覗かせ、俺を見あげた。
僅かに驚いてた様だったが、無表情に近い。
「マギリーヴァ、何をしているんだ。こんな、血を……まさか、お前の血じゃないだろうな」
ゴクリと、息を呑む。
真っ暗な地下の穴の中で、静寂に身を寄せ血の泉に浸るマギリーヴァは、美しくもあり、どこか恐ろしい。
「力が、居るのよ」
マギリーヴァは澄んだ声で、そう言った。
「……力?」
「あいつらと、同等の力よ。今の私では敵わない。それを、思い知ったもの」
マギリーヴァは、自らの国が滅んだ事を、悔いている様だった。
ぎゅっと唇を噛んで、身を起こした。
ゆらゆらと、彼女の周囲に溢れ出る魔力は、異質なものだった。
「クロンドールを止めなくちゃ……。あいつ、時間が無いって、焦ってる。アクロメイアはそんなクロンドールに気がついて、ここ最近クロンドールを煽るような攻撃ばかり……」
「おい、マギリーヴァ。とにかく、体の傷を癒そう。あちこち傷ついている」
嫌に冷淡なマギリーヴァの口調が気になっていた。
彼女を、この池から出さなければと思って、腕を引いた。
しかし、マギリーヴァは動こうとしない。
荒れる呼吸を時に整え、この場に留まっている。
「ハデフィス、あんたはここを出た方が良いわ。この泉は、神の命を削るもの」
「いったい、何なんだ、これは」
「……これは、力を手に入れる為の対価だわ」
「お前……」
マギリーヴァが何を言っているのか分からなかった。
だが、彼女が以前とは比べ物にならない程の力を得ていると言う事だけは分かる。
何だ。
彼女は一体、どうやって力を得た。
「お前……何と……何と、“契約”した」
「……」
あり得ない力だった。
その場に満ちていた、マギリーヴァの静かなる覚悟に隠れた、執念と、愛と、憎悪。
それに応えていた、“何か”。
“何か”がここに、居る。
『 ジャ ま ヲ する ナ …… 死 ノ 王』
どこかから、声が聞こえた気がした。
ぞっと、身震いする。俺はこの時始めて、メイデーアに最初から存在していた“それ”と対峙したのだ。
血の池の底から響いた声は、怒りのままに地響きをもたらした。
俺は一度、血の池に倒れ、沈む。
体が痛い。
皮膚が焼ける。
全身で感じた痛みは、このメイデーア全土を包むような、ある概念が受けた痛みだ。
唸るように、俺に自らの存在を訴えた。やっと意識してもらえたと言うように、それは主張を止める事は無い。
厳しくも、偉大な存在。
今までずっと、俺たちの行いを観察し、見守り続けてきたその存在に、俺は戸惑う。
これは……大地だ。
マギリーヴァが自らの血を対価に、力を求めた相手は、このメイデーアの地母神。
メイデーアの基礎として最初から存在していた四大原初概念の一つ。
地の概念、元始の神パラ・α・ガイアである。