03:神話大系11〜エリスの審判〜
最初に訪れたのは、パラ・トリタニアの国だった。
海岸沿いの細長い国を持っているトリタニア。
彼の国は船と空船を多く保持しており、漁業が盛んだ。
土地自体は特に大きく無く、国民も少ないが、豊かな物資と戦力を持った、安定した軍事国家だ。
トリタニアは軍神としても有名で、国民にも尊ばれる神だった。
女性に対しては苦手意識があるのかなんなのか、伴侶は居ない。
あまり例の女神にも魅了されてしまうタイプとは思えなかったのだが……
「ああ。あれな。……なんつーか、最初は、凄く良いって思うんだよ。ほら、半端じゃなく可憐だったじゃん?」
王宮の王座に座るトリタニアが、どこか目を泳がせながら、曖昧に言った。
マギリーヴァ、プシマ、彼を睨む。
「い、いや、ほら。でも、俺やばいって思ったんだよ。基本的に女が苦手だからさ、俺は。ストイックな俺は女の色香には騙されない!」
「……」
「で、俺はすぐに宴を抜けて、自分の国に戻ったんだ。二日くらいは、あの女神の事を考えていたさ。でも、だんだんとどうでも良くなってきた……なんなんだろうな、これは」
トリタニアがぼやいた。本気で不思議そうにしていたから、俺たちも顔を見合わせる。
突然、プシマが嘆いた。
「でも、エリスは私をもういらないって言ったわ。婚約も破棄するって」
「プ、プシマ」
トリタニアは焦りだした。奴はプシマに特別弱い。
「そりゃあ、私たちの婚約は、ログ・ヴェーダの前にアクロメイアに国をとられない様、同盟を結ぶ意味もあったのだけど……でも、私は本当に、エリスと結婚するんだって思っていたのに」
トリタニアは王座を降りて、焦りを露に数段の階段を下りて、地面に伏して泣くプシマを慰めるような何も出来ないような奇妙なジェスチャーをする。
こいつ面白いな、と誰もが思っている。
「あ、あなたがそんな風に泣く必要は無い」
トリタニアは男らしく断言した。
しかし、プシマは手のひらで顔を覆って、首を振る。
「ううん。でも、私、分かっていたの。エリスが私の事、本気で好きじゃないってこと。あの人、いつも飄々としていて、何を考えているのかさっぱり分からないんだもの」
「……プシマ」
「でも、急に別の女神の方に気移りするなんて、失礼な男よ。私とあれこれ比較して。私、酷く傷ついて、もう自分に自信が無いの。だからこんなに悲しいのだわ」
「あああっ、あなたはとても魅力的ですよ!! つーかエリスの奴、何様だ!! ぶっ殺してやる!! 戦争だ戦争!!」
拳を握りしめ、力を込めて、トリタニアは断言した。
とにかく力んでいて、プシマも俺たちも驚かされた。
トリタニアはハッと我に帰って、ゴホンと咳払いをして、そこらをぶらぶらしたあと戻ってきて、先ほどまでの力み具合からは考えられない程冷静に言った。
「俺が思うに、多分アクロメイアがあのゴーレム女神に何か施しているんだ」
「何か、とは?」
「男神には魅力的に見え、女神には嫉妬する程羨ましい存在、とかだな。俺たちに自慢できる女神を創りたかったんじゃないのか?」
トリタニアは随分適当な口調で言っていたが、俺もユティスもハッとさせられた。
アクロメイアの力があれば、そういった魔法を女神に含ませる事は、不可能ではないのかもしれない。
「アクロメイアの性格を考えるに、特にクロンドールを煽りたかったのだろうけど……歪んでるよね」
「アクロメイアはずっと前から、歪みまくってるだろ」
ユティスの言葉に対し、トリタニアは遠い目をしながら正論を言う。
「しかし、怖いよなあ、なまじ創造の力があるからって、自分で理想の女神を作り上げるとは。マジありえねえ……マジどん引きだぜ……」
「なぜ、アクロメイアはそんな事をしたんだ」
俺は真顔で尋ねた。
トリタニアとユティスは顔を見合わせて答える。
「さあ。自分の妻にでもするつもりなんじゃないのか?」
「きっと、寂しかったんだろうね……」
「……」
二人の答えた内容が、この時の俺には、不可解でならなかった。
なぜ寂しいと、女神を創る事になるのか。
この世には、多くの人で溢れているのに。
他人と関わらずに国に引きこもり、一人で居る事だって、そこそこ楽しいのに……
少なくとも自分が傷つく事は無い。
「ところで、トリタニア義兄さんは独り身で寂しく無いんですか?」
「てめー喧嘩売ってんのかよユティス。表出ろ、この野郎。つーかそれはハデフィスにも言えよ!」
ユティスとトリタニアが喧嘩を始めたのはさておき、俺は、さっきからやけに大人しくしているマギリーヴァが気になった。
マギリーヴァはどこでもない一点を見つめながら、青ざめている。
本人曰く、二日酔いの症状、らしい。
次に、俺たちはトリタニアも連れて、エリスの国へ赴いた。
エリスの国は知的な学術国家で、軍人よりは文化人の方が多く排出される国であった。
また研究所も多く、様々な発明品が生まれる国で、経済は豊かであった。
エリスの城に居た気位の高そうな大臣たちは、皆急がしそうにしている。
エリスへの面会を求めると、エリスは出かけようとしている所だった。
最初こそ、プシマを探しに行こうとしているのではないかと、誰もが淡い期待を抱いたが、どうやらそうではないらしく、エリスもまた、アクロメイアの国へ赴こうとしていたのだった。
「おや、珍しい。皆さん揃って、何の用ですか?」
「どうもこうもない! てめえ、エリス、どういう事だ!」
すっとぼけた態度のエリスに、憤慨したのは、トリタニアだった。
エリスは不安そうにして俺たちの後ろに居るプシマの表情を見てから、ああなるほどと顎に手を当て、意味深な笑みを浮かべた。
「プシマとの婚約解除の事ですか? 元々、契約婚姻だったのですから、何も問題は無いでしょう。戦争は終わり、世界に平和は訪れたのですし」
「何をいけしゃあしゃあと! 貴様のせいでプシマが悲しんでいるんだぞ!」
「私にはもうどうでも良い事です」
「て、てめーーー!」
トリタニアが怒るのは無理も無いが、俺は違和感を感じていた。
エリスは元々何を考えているのか分からない奴だったが、今までは紳士的な男だった。
こんな酷い男だったか?
「では、私は忙しいのでこれで。あ、どうぞゆっくりしていってくださいね。おもてなしはさせるので」
ただエリスは、もう本当にプシマの事はどうでも良いようで、俺たちの事は無視して爽やかな笑顔で王宮を去った。
これにはプシマも大ショックを受けた様だ。
彼女が倒れてしまったものだから、俺たちはエリスを追うのを諦め、一晩この城で休み、プシマを介抱することになる。
「プシマがかわいそうだわ」
プシマが寝込んだ部屋の隣で、マギリーヴァがまた酒を飲みながら、ぼやいた。
さっきまで二日酔いの症状に苦しんでいたと言うのに、もう飲んでいる。
ただ、今は自分の事よりも、プシマの事の方が心配の様子だった。
「だって、『どうでも良い』なんて言われちゃったのよ。いっそ清々しいけれど、プシマはショックに違いないわ。全否定されたんだもの」
「……なんで、あんな男が良いんだか」
「トリタニア。あんた、やけにプシマの肩を持つわね。あんた昔っからそうよね」
「お、お、俺はただ、プシマの事が不憫で」
トリタニアもまた、どもりながらも酒を飲むのが止まらない様だった。
酔っぱらった騒がしいマギリーヴァとトリタニアに挟まれながら、俺もまた、ちびちびと酒を飲んでいた。
正直俺はあまり酒が飲めないので、付き合い程度で少しだけ。
「でも、エリスの奴、何だか人が変わったようじゃなかった? あんな冷たい奴だったっけ? 私たちの中では、まともな部類だと思ってたんだけどな」
「……」
マギリーヴァの言葉に、俺は遥か昔の事を思い出していた。
俺たちがまだ、メイデーアで死の概念を生み出す前。
この世界に召喚され、影の魔物に襲われ、再び召喚をやり直す、あのループの中にあった時間の事を。
第一周目は、確かにエリスとは問題児であった。
だが、第二週目からのエリスは、まるで人が変わったように、親切で人当たりの良い人物になっていた。
特に支障があった訳ではなかったので、誰にも言わずに、気にする事も無く忘れていたが、今になって思い出したのだった。
あれは結局なんだったんだろうな……
「とにかく、明日クロンドールの元へ行って、それからアクロメイアに会いに行こう」
「はん。どうせあの男はとっくにアクロメイアの所に行っているわよ」
「帰ってきているかもしれないじゃないか。確かめてから、アクロメイアの元へ行くのが良いよ」
ユティスが提案すると、マギリーヴァはしぶしぶな顔をした。
「なら私、自分の国に帰るわっ」
「クロンドールの所へ行くのがいやなのかい? マギリーヴァ」
図星をさされたのか、マギリーヴァはあからさまな顔をした。
「だって……プシマを見ていると怖くなるわ。もし、クロンドールにいらないって言われたら、私、どうしよう……」
俯いて、長い髪をいじるマギリーヴァ。
俺たちは顔を見合わせた。
「だって、私たちもプシマとエリスと変わらないわ。もともと、アクロメイアに立ち向かう為の婚約だったんだもの。クロンドールが私の事、本当に好きだったかなんて、わかんないもの」
「……そんなこと、言ってやるな。クロンドールはお前の事を思っている」
俺は、以前クロンドールと会った時の事を思い出した。
クロンドールは確かに、マギリーヴァを愛していると言っていた。
でも、それはマギリーヴァにはいまいち伝わっていないようだ。
「どうせ、全部の元凶はアクロメイアだろ。あいつがゴーレム女神に、なんかこう、男を惑わす細工をしてんだよ」
「トリタニア義兄さんはそう思いたくて仕方がない訳ですね。惑わされた自分が情けなくて……」
「うっせえハゲ」
ユティスとトリタニアはまた言い合いを始めた。
この二人は、デメテリスの兄と夫と言う、また特別な関係であるがために、嫌みの言い合いも多い。
酒の席だからか、それぞれ言いたい放題だ。
「つーか俺は本気で、あのゴーレム女神をどうにかした方が良いって思ってるんだぜ。いっそ、破壊した方が良いんじゃないかってな」
「トリタニア義兄さん、また戦争を引き起こすつもりですか」
「ちげーよ。このままだと、もっとヤバい事になるかもって、嫌な予感がするだけだ。それこそ、ログ・ヴェーダなんて目じゃない戦争にな」
冗談のような口調でそう言ったが、トリタニアの予感は馬鹿に出来ない。
ユティスもまた、そのように思っている様だった。
「……」
そんな中、俺はなんとなく、子供であった頃とは、誰もが少しづつ変わったなあと思っていた。
見た目は若いままでも、国を治め、駆け引きを必要とし、また戦争を経験し、様々な文明を生み出した者たちだ。
綺麗なものばかりを見ていられない状況が、彼らを賢く、また容赦のない性格にしたのだろう。
自分はどうなんだろうか。
自分は、何か変わったんだろうか。
ほとんどを地下の世界で引きこもって、何かを生み出す事も無く、傷つく事も無く過ごしているうちに、誰もが先へ先へと行ってしまったような気がしてくる。
目の前の葡萄酒の、濃い赤の色が揺れた。同じように、視界が揺れる。
というか俺が揺れていた。
「どうかした、ハデフィス」
「……いや」
「顔色が悪いわよ」
マギリーヴァが俺の異変に気がついていた。
「多分……酔ったんだろう」
「あんた、相変わらず酒に弱いのね」
「というか、地上酔いじゃないのか? こいつ、ずっと地下に引きこもってたじゃないか」
「あり得ますね……」
神々は好き勝手に言いながら、ふらふらする俺を引きずって、寝室へと連れて行こうとした。
しかし、その直後だった。
大地が揺れ、葡萄酒の瓶がテーブルの上から転がり落ちた。
「きゃあ」
俺たちもまた倒れ込み、揺れが収まるまでその場に留まった。
かなり強い地震だ。
「……」
皆、頭を守る体勢でいたが、揺れが収まるとそれぞれ顔を見合わせ、首を傾げる。
「地震……?」
誰もがこの現象を、かなり不思議に思っている表情だ。
「おかしいね。今まで、この世界で地震なんて無かったのに」
ユティスもまた、不審に思っている様だった。
確かに、彼の言う通り、この世界で地震が起きた事は無い。
「みんな!! みんなぁ!!」
そんな時、ドタドタと足音を鳴らし、寝巻き姿のプシマが俺たちの居る部屋の扉を開けた。
蒼白な顔をして、心無しか身震いしている。
「どうした?」
「そ、そと……」
「外?」
プシマが華奢な体をめいっぱい動かして、身振り手振りで何かを伝えようとしているが、こちらは何も分からない。
いよいよ伝わらないと思ったのか、彼女はまたドタドタと足音を鳴らして、俺たちの部屋の窓を勢い良く開けた。
「……」
方角は、アクロメイアの大国。
目に映る、闇夜を塗り替えるような真っ赤な空に、俺たちは言葉が出なかった。
真っ赤な空を、突き抜けるように、“何か”がぼんやりと浮かび上がっているのだ。
巨大な、人のような、でも何なのかは分からない何かが。
「何が……起こっているの? “あれ”は、何?」
マギリーヴァが呟くように言った言葉が、ここにいる俺たち皆の疑問だった。
ただ、何かが起きていると言う事は、目の前の嫌な空の色で良くわかる。
俺たちが、のうのうとエリスの王宮で一晩を過ごそうとした、その日に、“何か”があった。
アクロメイアの元に居たのは、『クロンドール』と『エリス』だった……
神話上この日は『エリスの審判』と呼ばれている。
後々に分かった事であるが、どうやらヘレネイアは、不完全なゴーレムであり、女神であった様だ。
女神創造の素材となった複数のものが、人工の肉体には付加がかかりすぎていたのである。
クロンドールは、それをアクロメイアの元で察したのだろう。
ヘレネイアは既に、随分と命をすり減らし、弱り切っていたのである。
ヘレネイアは泣きながら、クロンドールにここから連れ出して欲しいと懇願したようだ。
ヘレネイアはアクロメイアの元から去る事を望んでいたらしい。
クロンドールに惚れていたからか、アクロメイアの束縛を疑問に思っていたからかは、分からない。
重要なのは、この時点でヘレネイア自身が、強く自我を持ち始めていたと言う事だ。
クロンドールは、最初こそヘレネイアの要求に戸惑われた様だが、同じくアクロメイアの宮殿に居たエリスによって、何かしら審判を受けた後、ヘレネイアを攫ってアクロメイアの宮殿を逃げた。
おそらく、クロンドールの中にあった、かつて仕えていた姫君への思いが、強く揺り動かされたに違いないが、本当の所は分からない。
大事な女神を攫われたアクロメイアは、これに激怒し、クロンドールを追うための戦力を、一気に解放した。
これが、巨兵である。
クロンドールはその後、自分の国に逃げ込み、得意とする結界を国全体に張り、外敵の侵入を阻止した。
ヘレネイアを守り通す為だったと思われる。
故に、俺たちもまた、クロンドールの国には入れなくなった。
それは、マギリーヴァも同じ。
クロンドールは、アクロメイアに対抗する為の兵器を、かねてより創り続けていた。
創造の力と同等の、空間構築のちからによって。
それらを用いて、二人の神とその国は、絶え間なく争いを続ける事となる。
これが、巨人族との戦い。
この時、その神話用語はまだ生み出されていなかった為、俺たちは真っ赤な空にちなんで『黄昏戦争』と呼ぶ。