29:マキア、麦穂の流れに隠れ行く。
(◯月12日:トール)
わははは、教えないよーん。笑
お子様はレモンケーキを食っときなさい。
「うわあああああ、もうっ!! 絶対に許さないトールめっ!!」
私はトールが扉の前に貼っていったメモの紙を、今にも引きちぎらんとしていました。
「何が仕事よ!! おいしいもの食べてるだけじゃないのよ!!」
だってもう、あいつ最悪ですよ。
何でカルテッドに仕事に行って、そんな豪華な海鮮フルコースなんて食べてるんですかって話。
お母様に聞いた所、どうにもカルテッドの学食メニューの試食をしている様で。
「あいつ、あいつ私に自慢だけしていって、あいつ………あいつ………うわああああ!!!」
地団駄しても、ベットでゴロゴロしても、この怒りは抑えられません。
パールサーモンや桃エビという単語だけで、私の唾液は留まる事を知らないのです。ヤバい、お腹すいてきた。
机を拳で叩いて、収まり様の無い怒りと唾液、その闘志を沈めました。
荒ぶった息づかいを整え、唇を舐めニヤリと笑います。
「いいわ………あんたがその気ならこっちだって考えがあるわよ」
私は机の中に隠している沢山のドングリを確かめました。
(◯月13日:マキア)
決めました。
お前を爆殺します。
明日は部屋から出たら、一歩一歩注意して歩きなさい。
再び、生きてこの家に入れると思うなよ。
トールめ、私を怒らせた事を後悔させてやる。
そう思って、私はいつも以上に沢山のトラップをトールの行動範囲に仕掛けたと言うのに、流石のトールはそろそろ私の攻撃のパターンを見抜いているよう。
部屋の窓から見た限り、落とし穴にも仕掛け網にも、だいたいお父様か、稀にヨーデルが引っかかっていたのですから。
トールはその度にこちらをチラッと見るものですから、本当に気に食わない。
(◯月14日:トール)
お前のトラップは、ほとんど御館様に当たっていました。
御愁傷様です。
そして普通に家に入れました。
相変わらず寝るのが早いですね。
翌日の扉の前に貼ってあったメモが、私に決心させます。
そうだ、カルテッドへ行こう。
私は、基本的にトールを付けなければ遠出する事ができません。
そもそもカルテッドには年に一回も行くかどうかです。この家の者は私を箱入りお嬢様として大切に扱いたくて仕方が無いのです。
しかし、今日と言う今日はあいつの心底恐れおののいた表情を見なければ、腹の虫が収まりません。
私は、幼い頃お母様にいただいた人形“キャロライン”の、見えない所に、自分の血を僅かに塗って命令しました。
「私の代わりに返事をなさい」
このキャロちゃん人形は、私の口調、返事のレパートリーなど多く覚えています。
この子であれば、代わりに返事をするという命令くらい聞いてくれるのです。
可愛らしい少女の人形はこくんと頷き、机の上で返事をしました。
「了解ですマキア様」
その声は私そのもの。
さて、私は部屋の扉の前に“勉強中”という札をかけて、外用の丈夫なブーツを履き、茶色のローブを羽織って窓から飛び降りました。
勉強中であれば家の者は部屋に入らないのが決まりです。
返事をしてくれる人形さえ居れば夕方までは大丈夫。
私はこそこそと館を抜け出し、広いデリアフィールドの麦穂の流れに身を隠しつつ、カルテッドへ向かいました。
空がとても青い午後のカルテッド。
しかし、最近は少しだけ肌寒くなってきました。冬が近いですからね。
こんな時期になると、あちこちに幼い煙突掃除夫が駆け回っているのが目立ちます。トールもあんな事をしていたのね。
久々の港町は相変わらずガヤガヤしていて、人が多いです。
南の大陸のあらゆる場所から人が集い、東の大陸の移民も多いので、どこか特殊な空気が漂っているのでしょうね。
デリアフィールドではお目にかかれない珍しい品物も多く店に陳列していて、こんな私でも興味を持ってしまいます。
「さあて、トールはいったいどこに居るのかしら」
聞いた話によると、あいつはこの町を朝から晩まで駆け回っているらしい。
何をしているのか良く分からないけれど、どうやら新しい学校の為にとても必要な事なんだって。
「まてえええええ!!! このクソガキども!!!」
私が深くローブを被って、露店に並ぶ揚げ菓子のいい匂いに気をとられていたら、どこからか聞き覚えのある声がします。
少しだけドキッとしました。
「……この声って……」
人ごみに紛れて、声の聞こえた方に視線を向けると、何故か数人の子供たちを追いかけ汗だくになっているトールの姿を見つけました。
久々に彼を見たのでなんだかおかしな感じですが、それ以上に状況が変。
おそらく煙突掃除夫や商人の子供たちであろう、その集団を追いかけていたのです。子供たちは「やーいやーい」とトールを囃し立てています。
「……は?」
いったい何事でしょうか。
いつも飄々としている彼にしては、とても必死な形相でした。
トールとは言え、数人の悪ガキパワーにどこか押されている感じです。
やがて彼らはこの露店の界隈を抜けて行ってしまいました。
本当に、一瞬の事です。
「ふー、トールも懲りないねえ。子供たちはすっかりトールをいじって遊んでるよ」
「今日は何の授業だったんだろうね」
トール他、子供たちの集団が去った後、店の人々は口々に彼らの噂話をしていました。
私はただ顔をしかめるばかりです。
あいつはいったい何をやっていると言うのか。
ついでに揚げ菓子を一袋買って、ふらふら食べ歩きながら調査を開始します。
とにかくトールを見つけなければ話になりません。
さっきはあまりに一瞬の事で、追いかけようと言う発想すら浮かばなかった訳ですから。
露店街のすぐ横の、海辺の堤防沿いを歩きながら、私は向かい側から10歳ほどの子供が歩いてくるのを見逃しませんでした。
「ねえ、そこの君。トールっていう黒髪の男を知らない?」
そう聞くと、少年はくすくす笑って答えます。
「知ってるよ。トール先生だ」
「先生?」
「うん。中央にある教会の、隣の空き地で、俺たちみたいな子供集めて面白い話を聞かせてくれるんだ。クイズに答えたらお菓子をもらえるから、みんなよく行ってるよ。トール先生、昔は伝説の煙突掃除夫だったっんだって」
「……」
伝説の煙突掃除夫……
じわじわくるフレーズ。
奴が何をやっているのか今でも良く分かりませんが、あのトールが子供たちを集めて先生ですって。
「……教会の隣、か」
私はその子供に揚げ菓子を一つ分け与え、昔一度だけ行った事のあるカルテッドの教会を目指しました。
どうにもこうにも、凄く面白いものが見れそうだわ。