94:『 1 』レナ、何の力も無い少女。
6話連続で更新しております。(2話目)
ご注意ください。
私の名前はレナ。
マキアが私を迎えに来てくれたあの夜、私は一度、イスタルテから逃げられたはずだった。
なのに、私は逃げなかった。
なぜなのだろう。
イスタルテは幼い少女の見た目をした、大人だ。
自分よりずっと大人に思える。それなのに、私は彼女を放っておけない。
これが神話時代に私を創ってくれた人に対する、思いなのだろうか?
分からない。
怖いと感じているのに、どうしても気になってしまう。
イスタルテが苦しそうにしているのを、見ていられない。
それは表面的な傷だけでは無い。彼女は心を、酷く傷つけながら、この世界を生きている。
そんな気がしていた。
イスタルテに「おやすみ」と言われたあの日、私は一晩、眠りにつく事が出来なかった。
久々に見たマキアの顔も、傷ついたイスタルテも、脳裏に残って離れなかった。
「イスタルテ……何を始めようと言うの」
昨晩の、ナタンさんとのやり取りで、イスタルテが何かを始めようとしているのは、分かっていた。
それがとても怖い。
彼女の行動を止めたいと言う思いだけが、私の中にはあった。
何かをするたびに、あの子は傷つき、苦しみ、狂う。
今、この場に居るのは、トールさんでもマキアでもなく、私だ。
あの子を止められるのは、私だけだ。
その思いを固めた時、私はまた部屋を抜け出そうとした。
今度ばかりは、怖がってもいられない。何かが手遅れになりそうな気がして、気持ちが悪いのだ。
ゴーレムは、白魔術で何とかしよう。
何の為に、私は今まで白魔術を勉強してきたと言うの……
「……あ」
だけど、部屋の扉を開いた所で、私は早速大きな障害にぶつかる。
何と部屋の前に、眼帯をした白い軍服の男の人が立っていたのだった。
驚いたのは、見た事の無いその人が、トワイライトの一族の魔術師だと一見して分かったからだ。
やっぱりトールさんに似ている……
「あ、あの」
声をかけると、その人はちらりとこちらを見て「お部屋からは出られませんよう」と言った。
「あなた、誰?」
「俺はガド・トワイライトと言います。昨晩は俺が取り逃がした賊が、ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」
「……あなた、イスタルテに言われてここに居るの?」
「……」
仏頂面のその人は、少し間を開けてから「ええ」と頷いた。
何を考えているのやら。淡々とした態度は、やはりトワイライトという感じだ。
「私、イスタルテに会いたいの。ここを出してちょうだい」
「それはいけません」
「なぜ」
「俺も、ここであなたを守るように言われているからです」
ガドという人は、キツい口調で言った。この人もまた、今の状況に不満を抱いている様だった。
私はそろっと扉を閉めると、部屋をうろうろとしながら、他の策を考える。
早くしないと。イスタルテが何かを起こしてしまってからでは遅いのに。
脱出出来そうな場所と言えば、あとはもう、窓しか無いと思った。
以前、ここからの脱出は諦めた程、この部屋は高い場所にある。
窓を開けると、冷たい風が顔に吹き付ける。だけど怯んではいれれない。
「……“南西の風を示す翡翠の妖精よ、その名の力を貸し与えたまえ……汝の名は“クラン・ウィー”」
胸の前で指を組んで、呪文を唱えた。
意を決して、そのまま窓に乗り上げ、この高い場所から飛び降りる。
「〜〜〜〜〜〜〜」
悲鳴を上げたら、あのガドという人にバレてしまうと思って、声にならない声を上げる。
時々風のクッションに落下の衝撃を抑えてもらい、それでも最後は、雪の上に尻餅をついて落ちた。
「あっ……あたた」
冷たい空気を吸って、ゲホゲホとむせ込んだ後、立ち上がり辺りを見渡す。
見回りをする兵士は多い。
私は落下の衝撃で今でもドキドキする胸を押さえながら、息を整え直し、この場から離れたのだった。
イスタルテを見つけたのは、それから随分と彷徨った後だった。
知っている魔法を、どうにか応用して使いながら、広い王宮の敷地内を捜していた。
運良く兵士には見つかる事は無かったが、イスタルテはナタンさんを連れて王宮の議事堂へと向かっている様だった。
彼女の怪我は、まだ完治とは言いがたい様だった。
表情はどこまでも冷たく、だけど視線だけはずっと前を見据えていて、足取りは早い。
「……イスタルテ……何をする気なの」
嫌な予感がしていた。
今すぐ、彼女に駆け寄って、腕を引いて連れ戻したい。
イスタルテが何をする気なのか分からないのに、そう思っていた。
だけど、それを許しはしない程、イスタルテを取り巻く空気は緊迫している。
「……え?」
驚いたのは、イスタルテが議事堂を守る兵士たちの間を進むたびに、次々と兵士が倒れていったからだ。
音も無く、まるでふっと意識を失うように。
彼らは皆、口から血を流し、体をよじらせて地に伏せている。
私は結局、足がすくんでしまったのだった。
イスタルテが、まるで虫を踏んだ事にも気がつかない程、いとも簡単に、そして静かに、人を殺したから。
「……」
やがてイスタルテは、大会議室に消えた。
私は震え上がる体を一度抱きしめ、乱れる息を整えようとして、大会議室の大きな扉へと向かった。
私の歩みを止める兵士は、一人としていなかった。
大会議室の重い扉を僅かに開き、中を覗く。
「…………え」
目の前で繰り広げられた残虐な光景を、私は刮目して見ていた。
イスタルテがあの総帥に逆い、そして、ナタンさんを始めとするトワイライトの者たちが、自らが傷つくのもいとわず総帥を討った。
ナタンさんが、あの総帥の首を落とした……
鼻に届く血の匂いに、私は気分が悪くなり、こみ上げる胸の苦しみに、思わず口を押さえた。
涙があふれそうになったけれど、頑張って堪える。
泣いてしまっては、この先を見る事が出来ない。
私は見なければならない。
イスタルテ……あなた、自分の父を討ったのね……
そこに胸を抉るような苦しみもあったが、イスタルテの事を思うと、必然だったようにも思う。
だけど、イスタルテはこれで、より重い十字架を背負ってしまった。
倒れたナタンさんが、再び立ち上がり、青の将軍として蘇った一連を確認する。
次々に起こる事象を目で追うので精一杯で、それがどういう事なのか考える余地もない。
ただ、イスタルテが大会議室を出る為にこちらを向き、私は彼女のその表情を見た。
「……」
まるで幼子が、もう誰にも頼れず、もうどこにも帰れないと、絶望をしているような表情……
いや、表情は実に凛々しいものだったが、私にはそう思えた。
何故かは分からない。
私が、イスタルテから創られたからかもしれない。
胸を太い杭で貫かれたような苦しみは、私のものだったのか、イスタルテのものだったのか。
どこかに救済を求めているのに、どうせ誰にも自分を救う事は出来ないと、絶望している瞳。
その事に、彼女自身が、気がついていない。
「……僕をつけてきたのかい?」
「……」
ヘレネイアは、大会議室を出て、すぐに私に気がついた。
「ダメじゃないか。部屋で休んでいろと言っただろう。ガドを見張りにつけたのに」
「だって……だって、あなたが気になったから……」
「僕が?」
「あなた…………なんて事を……っ」
私はなんと言って良いのか、分からなかった。
「だって、あなたのお父さんだったのでしょう? ナタンさんだって……あなたの、大事な」
「誰一人大事じゃない。君以外は」
「……」
嘘だ。
本当は、もっと救いたかった人たちが居た。
イスタルテは否定するかもしれないけれど、分かる。伝わる。
私はやるせない思いが高じて、思わずイスタルテの頬を平手で叩く。
「馬鹿を言わないで! じゃあ、なんであなた、そんな顔をしているのよ!!」
「……」
なぜそんな事をしてしまったのか。言ってしまったのか。
分からない。だけど、私の言葉を、どうか聞いて欲しいと思っていた。
イスタルテは目を見開き、驚きのまま私を見ていた。
「今にも泣きそうじゃない。倒れそうじゃない! 悲しくて、仕方が無いって顔をしているじゃない……。どうしてこんな事をするの。私には、何も分からないけれど……、イスタルテ、あなたはなぜ、そこまで自分を傷つけるのよ……っ」
思い切り、ただ力のままに、彼女を包むようにして抱きしめる。
どんなに大人ぶっていても、抱きしめれば、それが細身の少女だと嫌でも意識できる。
冷たい体だ。
「なぜいつも、一人になろうとするの。本当は誰かに助けてもらいたいくせに、なぜ」
「……へレネイア、お前」
イスタルテ……いや、アクロメイアはいつも一人だった。
いつもいつも、神話の時代も……
そうしてしまったのは、多分、私だったはずなのに。
私は、自分の言葉の矛盾と、思い出しつつある神話の時代の記憶に気がついていた。
だからこそやるせないのだ。
イスタルテは無理矢理、私を引き離した。
「やめてくれ。これ以上は……ダメだ、僕は」
「イスタルテ……?」
「僕は行かなくちゃいけない」
「いったい、どこへ行くと言うの?」
「……聖地ヴァベル……全てが眠っている場所だよ」
「……ヴァベル? それって……ルスキア王国の……?」
「……」
途端に、私は不安に思った。
イスタルテ……今度は何をしようとしているの。
ただ、私の不安をよそに、彼女はそっとつま先立ちをして、私の額に口づけた。
「君は、あいつの元に戻ると良いよ」
「……え?」
ふっと、足の力が抜け、その場に座り込む。
体が動かない。これは魔法だ。
「な、なぜ」
「だって君は、僕よりもクロンドールが好きだろう? あの男の元へ戻り、そして、元の世界へと帰ると良い。そしたら、君だけは巻き込まれないから……」
「……イスタルテ」
イスタルテは、私に、元の世界へ帰れと言っているの?
それを言われてしまったら、私にはもう、何を言う資格も無い気がした。
だってそれは、私の目標だったから。
血の気が引いていくのが分かる。
そんな私から顔を背け、イスタルテはもう振り返りもせず、遠ざかっていく。
「待って、待って……待って、イスタルテ!!」
「……」
「イスタルテ……!!」
何度名前を呼んでも、彼女はもう、私を見ない。
ぼろぼろと涙が溢れる。
このメイデーアにやってきて、誰かの一番になりたいと思っても願わなかった。
だけど、多分、私はあの子の一番だ。
与えられた恐怖も、強い執着も、分かりにくい愛情も、最後の最後に私を解放した優しさも……
全部が、私には特別なもののはずだ。
今世、私たちの関係を、言い表す事は出来なくても。
動かない体を必死に動かそうとしても、どうにもならない。
私はなんて無力なのだろう。
「誰か……イスタルテを止めて……」
声を絞り出した。
このままだと、イスタルテは本当に、取り返しのつかない事をする。
それが、メイデーアという世界を守る為の、自分の役割だと思っているから。
それならば誰か、彼女をこのメイデーアから解放してあげて……
「う……っ、うう……」
止まらぬ嗚咽。無力さに嘆き、その場にしゃがみ込んでいた。
いつもいつもいつも、どうしていつも、大事な時に何も出来ない。
自分が嫌になるばかりだ。
「レナ様」
そんな時、後ろから肩を叩かれた。
途端に、魔法は解け、体が動くようになる。
振り返ると、そこには予想外に、レピスさんがいた。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか」
「……レピスさん?」
「……とんでもない事になりましたね」
レピスさんもまた、表情が強ばっていた。
彼女はいったいどこから見ていたのだろう。
私の手を取り、立ち上がらせてくれる。
レピスさんは議事堂の大会議室の扉を開き、中へと進む。
その足取りはいつも通りだ。だが、背中は影を落としている。
「……」
黒いローブを纏ったトワイライトの者たちを一人一人確かめている。
その中の、ある一人の壮年の男の前で立ちすくみ、彼女はローブが血に浸るのも構わず、顔をじっと見ていた。
トワイライトの者にしては、髪は真っ白で、とても痩せている。
「レピスさん」
「……この人、私の父なんです」
「レピスさんの?」
「ええ。できれば、生きている間にもう一度お会いしたかった」
レピスさんはその男の人の冷たい手を取って、軽く口づけた。
「トワイライトの人たちは、総帥と相打ちだったの。みんなが道を作って、ナタンさんが……」
「……そうですか」
私の少ない説明で、レピスさんは状況を察した様だった。
数々の修羅場をくぐってきた彼女には、この部屋の惨状で、ある程度何が起こったのか分かるのだろう。
「救いなのは、彼らが自らの敵を討てたと言う事です。長年の苦しみから解放され……」
「……」
「救えなくて、ごめんなさい……っ」
今まで淡々としていたレピスさんは、最後に声を震わせ、ごめんなさいと言った。
途端に、たまらない気持ちになる。
レピスさんが、トワイライトの一族を救う為に身を粉にして動いていた事は知っていた。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
なぜ、こんなに悲しい事ばかり……
「誰だ!」
大会議室の入り口から、大きな声が聞こえた。
そこに立っているのは、ガド・トワイライトだった。
彼はこの状況にも怯む事無く、こちらを警戒する様子でいる。
だけど、レピスさんの存在に気がついたのか、パッと表情を変える。
「まさか……レピス姉さんですか?」
「……あなたは」
レピスさんもまた、ガドに対し、驚きの声を上げた。
二人は駆け寄って、顔を見合わせた。
レピスさんはガドの頬に手を当てる。ガドもまた、レピスさんの手に、自らの手を重ねて、眉を寄せていた。
「あなた、ガドなの? うそ……私はてっきり、あなたはもう死んでしまったものだとばかり」
「俺は一度死んだようなものですが……それでも生きております。俺の体のほとんどは、ゴーレムと同じなのです。セレン様とイスタルテ様が、死にかけた俺を救ってくれました」
私には、二人のやり取りは良くわからなかった。
「しかしそのおかげで、俺は今も生きているのです。俺はトワイライトの研究には参加せず、軍のゴーレムとして数えられていたので、トワイライトに対する邪毒は植え付けられておりませんでした。イスタルテ様も、最後は俺に、レナ様をお守りするようにと命令され……」
ガドは、私の方を向いた。
「レナ様。あなたの行動は把握しておりましたが、ずっと見守っておりました」
「……」
通りで、私が兵士だらけの王宮をうろうろ出来た訳だ。
ガドに説明されて、理解できた事があった。
「ガド……あなたも、こうなると言う事は分かっていたのですね」
「ええ。これが、トワイライトが最後に出した結論です。誰もがもう、疲れておりました。最後の最後に、復讐を成し遂げ、また巨兵開発の罪を償うため、死を選んだ。この技術は後の世に残しはしないと……」
「……そう」
「すみません。姉さんたちが、俺たちを救おうと、捜してくれていた事は知っていたのですが……」
「いいえ。最後にトワイライトの誇りを貫けたのなら」
レピスさんは、憤りもあったはずだ。
あんなに必死に、トワイライトの者たちを解放したいと言っていたのだから。
だけど、震える唇をぎゅっと結んで、現状を受け入れようとしている。
そして、ゆっくりと私に顔を向けた。
「申し訳ありません、レナ様。私とガドは、従兄弟にあたる関係でして……。しかしここでは、あまり説明していられません。今すぐ、王宮を脱しましょう」
「……ええ」
私は力なく頷いた。
ここにはもうイスタルテは居ない。何となく、それを感じ取っていた。
「ガドも、レナ様をお守りするように言われているのでしょう。一緒に来てくれますね」
「……分かりました。最初から、レナ様をこの場所からあなた方フレジールの元へとお連れするのが役目です」
「転移魔法を連続展開します。まずは、王宮から外区の教会まで」
ガドとレピスさんは、私を挟むように両端に並んだ。
やがて聞こえ始めたのは、この状況をやっと察した兵士たちが、こちらに向ってきている、そんな足音。
気になる事は多々あったけれど、私はレピスさんの指示に従い、転移魔法に身を任す。
自らの無力さにひたすらな失望を感じる。
それでもイスタルテだけは諦めてはいけないと言う強い思いも、私はただ一人、しっかりと抱いていた。




