90:『 1 』マキア、ユリシスとの共闘。
この、言い様の無い安心感は何だろう。
私は何度も名を口にしていた。
「ユリ……ユリシス……」
「久しぶり、マキちゃん。本当に」
「いったい、どうして」
戸惑う私に、ユリシスはニコリと微笑んだ後、すぐに真面目な顔になって、目の前にオリジナルに顔を向けた。
「まだ懐かしさに浸る事は出来ない。まずは、こいつをどうにかしないとね」
「ユリシス、でも、こいつ、世界の理で守られているの。絶対に、破壊できないのよ。盾の力で、再生されてしまうの」
私は慌てて説明した。
例えユリシスが助けてくれても、私たちの力では、こいつをどうにも出来ない。
「……なるほどね」
ユリシスは、この心もとない説明で、ある程度納得してくれた様だった。杖を持ち直す。
巨兵はユリシスに斬られた腕を再生しながら、再び体勢を整えようとしていた。
「チッ……パラ・ユティス……白賢者か」
イスタルテは苛立を隠そうとはしなかった。
「どういう事かなあ。この空間は、ナタンが管理している。白魔術師であるお前が入って来れるものでもないだろうに。ああ……でも前にも居たなあ、白魔術師のくせにこの空間へ割って入ってきた馬鹿な奴が。思い出すだけでも腹立たしい出来事だ」
イスタルテの言葉に、ユリシスはクスッと笑う。
「確かに、僕の白魔術では、本来この空間へ侵入する事は不可能だ。だけど、空間破壊の力のある者なら可能……ここで、その力のある者は、マキちゃんに他ならない。彼女は内側から、空間にヒビを開けていた。ヒビがあれば、僕はマキちゃんの魔力を追って、ここへ辿り着く事は出来る」
私は思い出していた。
神器により、巨兵を撃退せんとレーザー砲を撃った先ほどの事を。
あれは確かに、空を割り、空間を僅かに歪ませた。
「……ナタンめ。所詮はトワイライトか」
表情を歪ませつつ、イスタルテはオリジナルに命令した。
「もう一度だ。もう一度、あいつらに銀の雨をお見舞いしてやれ。血の一滴も残さず、このメイデーアから消し去ってやる!」
イスタルテには、言い様の無い焦りがあるようだった。
ユリシスがやってきたからといって、圧倒的にイスタルテの方が有利だと言うのに、彼女の様子は、この状況がとにかく気に食わず、早く消し去ってしまいたいかのようだ。
「マキちゃん……」
ユリシスはすぐに、私に耳打ちした。
「あいつを破壊できないのなら……」
「……え?」
彼の提案した計画に、私は思わず目を見開く。
ユリシスは本気なのだろうか。
「そんな事……出来るの?」
「それができれば上出来さ。大事なのは、今あれを破壊する事じゃない。……痛手を負わせる事だ」
ニッと小粋に笑うユリシス。
彼らしいと言うか、なんと言うか、やっぱり私には思い至らない事を、冷静に、かつとっさに思いつく。
闇雲に攻撃しても、奴はまた再生する。
今はまだ、破壊の時ではない。
私はユリシスを見て、頷いた。
「マキちゃん、行くよ」
ユリシスはその錫杖をかざし、白魔術の魔法陣を何枚も何枚も、オリジナルの周囲に環を描くように連ねる。
「何の小細工をしても無駄だ。お前たちはオリジナルの前に、成す術も無く死ぬんだ!」
イスタルテの号令を合図に、巨兵の周囲に、魔力を収縮させた球体がバチバチと音を鳴らして形成される。
私は神器を指輪に変え、指輪のはめられた手で、ユリシスの持つ錫杖を、同じように握る。
呼吸を整えた。
銀の雨が降り注ぐ宙をユリシスと共に見上げた。
ただただ、見つめるだけなら、とても美しい雨だ。
破壊の音が耳に届く。ユリシスの精霊宝壁が私たちだけを守るが、周囲の大地は抉られている。
連なっていた精霊宝壁はすぐに穴が開き、私たちはその身に雨を浴びた。
しかし、すぐにユリシスの準備していた治癒魔法が働く。
傷つきながらも、すぐに治る。
ユリシスの力があれば、治癒がギリギリ間に合う。私の魔力も、指輪を通じてユリシスの魔法に注がれる。
雨はやんだ。
その瞬間を待っていた。
「第七戒・精霊の楔」
もくもくと、抉られた大地の土ぼこりが舞う中、ユリシスの精霊魔法が発動する。
第七戒は精霊の楔。
オリジナルの周囲をグルグルと回っていた魔法陣が、ピタリと静止し、一斉に光の楔を放ち、オリジナルを大地に、この空間に縛り付けたのだ。
「何?」
イスタルテは、視界の悪い下界を警戒していたが、私はユリシスが打ち付けた白い鉄柱のような楔を上りながら、神器を槍の形に変えた。
巨兵の目前に飛び出し、槍をくるりと回して命じる。
「戦女神の盟約! 瞳を貫け!!」
槍は一直線に、オリジナルの右の瞳を貫いた。真っ赤な宝石のような瞳は、粉々に砕け散る。破壊の勢い余って、顔面の半分もちぎれるように飛散する。
イスタルテが私の存在に気がついたのは、そのすぐ後。
彼女はすぐに盾をかざして、「再生しろ!」と叫んだ。
途端に破壊は止まり、逆再生するように巨兵の顔が元に戻る。砕けた瞳も、鈍い光を放ちながら、徐々に元の球体に戻っていった。
私はそれを確かめ、地上に舞い落ちながら、ニヤリと笑みを作った。
イスタルテはそれに気がついていただろうか。
「第十戒……盗持の大精霊ネア・トレア召喚」
地上ではユリシスが、十枚の魔法陣を連ね、その時を待っていた。
青く柔らかい人の手が、まるで樹の枝のように伸びてきて、元に戻ったばかりの瞳を掬うようにして包む。
ネア・トレアは“盗む”という概念の百精霊。この精霊の手にかかれば、“掬い盗れ”ないものは無い。
オリジナルの右目は、ちょうど肉体から離れ、再生されたこのタイミングで、この大精霊の手によって盗まれた。
「な……っ」
ほぼ一瞬の出来事だった。
ネア・トレアの腕がしゅるしゅるとユリシスの足下の魔法陣に戻るのを、イスタルテは目で追ったが、彼女は巨兵の再生に力を注いでいるため、何も出来ない。
私はスタッと地上に降り立ったタイミングで、槍を大地に突きつけた。
血はそこかしこから流れている。
「空間を破壊しろ!」
その命令のまま、大地は鏡を割るように、高らかな音を響かせた。
ガラガラと足下が崩れていく。
振り返り、ユリシスに手を伸ばした。
彼は私の手をしっかりと取る。
落ちていく感覚に身を任せ、私はそのまま、彼を引き込んだ。
魔法の空間から現実へ移行する。
その節目を確かに意識して。
「……」
真っ白な雪の上に落ちたようだった。
あまりの寒さと、体の軋みに、鈍い声を上げた。
「大丈夫かい、マキちゃん」
私の顔を覗き込んだのはユリシスだった。
彼はしっかりと立っている。私を助けるようにして抱き上げ、「早く、ここから逃げないと」と、冷静に言う。
「ここは?」
「キルトレーデンの西の丘の上だ。変な所に落ちちゃったね」
「雪の上で良かったわ」
痛む体をゆっくりと動かした。
魔法を使いすぎた。あんなに、大規模な魔法を連続して使った事は、ここずっと無かった。
それでもあのオリジナルは倒せなかった。
「ユリシス……“瞳”は」
「大丈夫。ネア・トレアが盗んだ瞳は、保持の精霊ククル・チャクタがしっかりと管理している。僕がちゃんと持っている」
「……良かった」
ユリシスに助けられながら、一歩一歩足を動かす。
丘の上から、遠くキルトレーデンの町と、中央にそびえるエルメデス王宮を見つめた。
イスタルテとあのオリジナル……どうなったんだろうか。
レナは……
「王宮には、レナが居たの。結局、助けられなかったわ」
「……タイミングは、また巡ってくる。僕らは、もうあの場所に戻る力を残してはいない」
「……分かってる」
ゆっくり頷き、側にいるユリシスのローブを掴んだ。
ユリシスの顔を見上げる。
ユリシスは、以前の彼と変わらない端正で清涼な佇まいのまま、少し大人っぽく、そして男らしく精悍な面持ちになっていた。
落ち着き払った様子は、無条件で安心感を与えてくれる。
この数年感、彼に何があったのか、私には分からない。だけど、静かな覚悟のようなものを感じる。
彼に聞きたい事、言いたい事が沢山あるのに、どんどん気が遠のいていく。
やはり、随分と疲れている。
「マキちゃん……っ、大丈夫かい」
ふらつく私を、ユリシスは支えた。
「ごめんなさい……私、魔力だけは馬鹿でかいんだけど、それを使いこなすだけの体力が足りないのよ」
「ああ、マキちゃんらしいね……っ」
そんな、懐かしい感じのやり取りをしていた。極寒の、吹雪の中。
「いたぞ」
その時、私たちを囲むように、湧いて出来てた者たちが居た。3人程だろうか。
真っ白の軍服の上に、長いコートを羽織った者たち。
連邦の軍人だとすぐに分かったが、どこか空気が重い。転移魔法の痕跡がある。
こいつらは、魔術師たちだ。
おそらく、空間魔術師。トワイライトだ……あの、ガド・トワイライトも居る。
「賊め。逃げられると思うな」
ガド・トワイライトが声を張った。
同時に、空間の檻が私たちを囲い、拘束する。
しまった。捕らえられた。
逃げる方法を考えていた。いくつもあるのに、あまりに疲労していたからか、魔法がすぐに発動せずにいた、その時だ。
上空から黒い影が舞い降り、長い剣が敵とこちらの間雪を薙ぎ払う。
真っ白な雪煙が舞い、同時に、私たちを囲んでいた空間が、別の空間によって破裂させられた。
「逃げるぞ!」
私とユリシスを押すようにして、突如現れた真っ黒なそいつは、転移魔法を展開する。
聞き慣れた声だし、良く知る魔法。トールの魔法だ。
トールが私たちを見つけて、助けてくれたのだ。
私も、ユリシスも、トールも、一同に顔を見合わせる瞬間があった。
「……」
ああ、トールと、ユリシスだ。
私は当たり前の事だけを考えていた。そこに居るのは、トールとユリシスだ、と。
当たり前の事だったのに、今では遠い昔の事のように、懐かしい。
やっと、私たち三人がここに居る。
銀世界がパッと別の景色に変わる間際に、こみ上げる喜びを押さえられそうに無く、震える唇を強く噛んでいた。
でもこの喜びを二人に伝えるには、私はあまりに疲れていたのだった。




