88:『 1 』マキア、再会する。
2話連続で更新しております。ご注意ください。(2話目)
その別棟は異様に静かで、人なんて一人も居ないのではと思わされた。
長い廊下には無数のろうそくが灯され、視界は淡く確保できるものの、本当に連邦の王宮の一部であるのかすら疑わしい程、何も無い。
ただ、どこからかとても良い匂いがした。
長い廊下を進んで曲がり角を曲がった所に、明かりの灯った部屋があって、そこから漂ってくるようだ。
驚いた事に小型のゴーレムが二体、扉の前で待機している。やばい。
慌てて、曲がり角を戻って身を隠す。
ゴーレムが居ると言う事は、案外ヤバい場所へ来てしまったと言う事かもしれない。
どうしようか。
ゴーレムをぶっ倒して、灯りのついた部屋に入ってみようか……
『こっちへおいで』
まただ。
また声がした。
いったいどこから聞こえてくるのだろう。あの灯りのついた部屋からだろうか。
それにしても良い匂いがする……
「侵入者確認」
「捕獲」
ゴーレムが私の存在を察知し、動いたようだった。
仕方が無い。あのゴーレムを倒して、前へ進むしかない。
指輪にしていた神器を槍に変え、足下に魔法陣を描き二体のゴーレムの前に飛び出す。
ゴーレムは赤い殺人用のレーザービームを放ってきたが、ギリギリの所で交わした。頬をかすって血が流れた。
ただ迷わず一つ目に槍を突き刺す。
もう一体のゴーレムを壁のようにして蹴飛ばしながら、槍を抜いた勢いで頭部を破壊する。
「もう一体……」
蹴飛ばしたせいで転がったゴーレムの中心に、思い切り槍を突き刺した所で、頬から血がぽたりと落ちた。
破壊された所から血が入り込み、ガタガタと震えたかと思うと、ゴーレムは静止する。
私はふうと息を吐いた。
「……マキア?」
その時、聞き覚えのある声がして、私は声のする方を見た。
明かりの灯っていた部屋から、懐かしい人物が出てきて、驚いた様子で私を見ていたのだった。
「……レナ?」
「マキア? マキアなの? いったい、どうしてここに……っ」
その人は、紛れも無く私の探していたレナだった。
レナは慌てて、駆け寄ってきた。
私もレナに駆け寄る。
レナは何だか痩せて見えた。私は目を潤ませて、一度思い切りレナを抱きしめると、そのままあちこちを触りまくる。
「わあ、レナだ。レナだわ。良かった、無事だったのね。私、あなたが攫われたって聞いて、ずっと心配だったのよ」
「それはこっちの台詞よ。マキア、ここがどこだか分かっているの? ほっぺた、怪我しているわ」
レナもまた涙声で、私の怪我にオロオロとしていたが、たまらないという様子で私を抱きしめ返した。
「マキア、とても冷たいわ」
「さっきまで、外にいたんだもの。ここは極寒だもの、そりゃあそうだわ」
「風邪をひいてしまうわ。どうしましょう……とりあえず、部屋に」
彼女は私から体を離すと、自らが出てきた部屋に、私を招いた。
キョロキョロと外を見てから、パタンと扉を閉める。鍵も閉める。
部屋の中は外とは打って変わって温かく、急激な気温の変化に、何だか体がかゆくなる。
「ここは、あまり人が来ないの。来るとしても、あの子くらいだから、まだ時間があるわ……」
「あの子……?」
「外が騒がしいと思ったわ。さっきからずっと、窓の外を見ていたのよ。眩しいライトがあちこちに向かって伸びていて、誰かを探しているようだと思っていたの。革命家たちの仕業かと思っていたのだけど」
「あながち間違っちゃいないわ。実は、私は革命家の一味なのよ」
「何ですって?」
温かい暖炉の前で、私はしばらく温まりながら、ニヤリと笑う。
あ、テーブルの上に美味しそうな焼き菓子が沢山並んでいる。さっきから漂っていた匂いはこれか。
私はそれをぽいぽいと摘んで食べた。
「ちょうど、甘いものでも食べようかと思ってお茶をいれていたの。マキアもどうぞ。あまり悠長にしている時間もないでしょうけれど。でも良かった、マキアがここに来てくれて」
レナは温かいお茶を入れてくれた。それをごくごくと飲んでから、私はふと思い出して、レナに問う。
「あ、もしかして、さっきの声って、レナだったりするの?」
「へ?」
「さっきから、私を呼ぶ声がしていたのだけれど」
レナが白魔術で、助けを求めていたのかと思ったが、レナは知らないと言うように首を振った。
だが、探していたレナにやっと出会えた。
私はティーカップを側のテーブルに置く。
「レナ、私、あなたを助けに来たのよ。一緒にここから逃げましょう?」
「……え?」
レナは驚きの表情をして、目を丸く見開いた。
その反応に、私は違和感を抱く。
「どうしたの? 何か、困った事でもあるの?」
「い、いえ……でも」
「もうすぐ戦争が終わる。今月末の舞踏会で、革命は起きるの。連邦の総帥は討ち倒されるわ。イスタルテの事も、私たちがどうにかする。そのための準備を、もうずっとやってきたのよ」
「……イスタルテを?」
レナは小さく震えていた。
私は、彼女自身がイスタルテに、酷く怯えているものと思っていた。
「そうよ。あなたはここで一緒に逃げるの。三つのタワーは完成したわ。あなたは、元の世界に戻れるのよ」
「……」
レナは何も答えない。
何かに混乱しているのか、冷汗が頬を伝っている。
「あなた……どうしちゃったの? 何か、怖い事でもあるの?」
「いや……そうじゃない。そうじゃないの、マキア。でも私……あの子を……」
「……?」
レナはぐっと、唇を噛み締めた。
苦しそうにして、私から手を放し、自らの手を押さえ込むようにして、その場に倒れ込む。
「レナ……!」
彼女の手は、黒い霧に覆われていた。霧は徐々に、短剣の形を成していく。
私が側にいるから、彼女は殺人の衝動を抑える事が出来ずに苦しんでいるのだ。
「マキア……っ、私は良いから、あなたは逃げて。早くしなければ、あの子が来る」
「な、何を。レナも一緒に逃げるのよ」
「ダメよ。私は行けない」
「……レナ?」
「今の私が戻っても、みんなを殺そうとするだけよ。それに私、あの子を置いては行けないわ……」
レナが、何を言っているのかが、私には分からなかった。
当然、レナも一緒に来てくれるものだと思っていたから、一瞬頭の中が真っ白になる。
「ほお……賊が逃げたと聞いていたが、何だ。こんな所に居たのか」
その時、扉付近から、怖気のするような冷たい声が聞こえた。
閉められた鍵は音も無くこじ開けられており、少女が佇んでいる。
子供の声なのに、口調は大人っぽく、それがまた、その少女を特殊な何かに思わせた。
「……銀の王……イスタルテ」
銀髪を二つに結い、連邦の白い軍服を纏ったその少女は、私の顔を見て少しだけ表情を強ばらせた。
「…………マギリーヴァ、か?」
逃げた賊と言うのが、私だった事に酷く驚いた様子だった。
だが、状況をすぐに理解したのか、クスクスと笑いだす。
その笑い声は、徐々に大きく、抑揚のあるものになった。
「あっはははははは。まさかまさか、ガドの奴は、お前を公女タチアナだと思ってつれて帰ったのかい? どうしたらそんな状況になると言うんだい。ああ、まさか、お前、革命家たちと手を組んでいるんだな? そりゃあ、いくら高性能の魔導牢でも脱走を防げるはずがあるまい!」
「……」
「マギリーヴァだぞ! 僕と同じ、魔王クラスだ! ただの人間が太刀打ちできる存在じゃあ無いんだよ!!」
イスタルテは感情的に叫ぶ。嬉しそうだったし、腹立たしそうだった。
いかにも憎らしいと言う様子で、私を睨む。
私もまた、真面目な表情になった。
会いたく無かったが、接触は避けられなかったのかもしれない、その人物を前に。
「全く。相変わらずの精神不安定ちゃんね。いくらお子様だからと言っても、もうちょっと落ち着きがないと、あんた一応、かつての主神だったのでしょう?」
「うるさい!!」
イスタルテは怒鳴り、壁を叩いた。叩いた所から、パラパラと壁の砕けた破片が落ちる。
倒れているレナが、不安そうにして状況を見守っていた。
「マギリーヴァ……お前が生きていること自体が、まず不可解なんだよ」
「あら、前にも一度会ったじゃない? シャンバルラで」
以前も、怒り爆発というように、激しく名を叫ばれたのを覚えている。
青の将軍を一人捕まえてやったわ。
私が蘇っている事に、二人とも驚愕していたっけ。
「ははっ。そうだったね。だけど、僕には不思議でたまらなかったよ。緑の幕は巨兵の侵攻を絶対的に許さぬ程の完成系となっている。それは、以前のマキア・オディリールの肉体が“棺”に埋め込まれたと言う事だ。なのに、いったいどういう訳だか……お前はやっぱり生きているんだね」
イスタルテの物言いは、残念で仕方が無いと言うようでもあったし、やはりという、諦めを帯びた、憂いに満ちたものだった。
私もまた、小首を傾げて微笑む。
「不思議でしょう? 私も、今でも不思議なのよ。だけど、とある神様が、あらかじめあちこちにトリックを仕掛けていたみたい」
「とある神様、か。奴は本当に、ずっとずっと昔から、何かを一人で悟り、抱えて、様々な事を事前に仕掛けるような、得体の知れない奴だったよ」
「……」
イスタルテには、私の言った“とある神様”の正体が、すぐに分かっていたようだった。
ふっと笑って、私は神器を構えた。
イスタルテもまた、腰の剣を抜く。
「だ、だめよ……マキアを傷つけてはだめ。イスタルテ、ダメよ」
レナは、沸き起こる殺意を抑えつつ、イスタルテに向かって懇願した。
イスタルテはレナに顔を向けると、少しだけ表情を和らげた。
私が少し驚かされたのは、その表情は、今までに見た事も無いような、優しいものだったからだ。
「大丈夫。僕がこいつを葬れば、君は楽になれるよヘレネイア」
そして、剣を掲げて、イスタルテは再び少女らしからぬ悪意に満ちた表情をする。
「さあマギリーヴァ。お前を墓場まで連れて行こう。お前にはもう一度死んでもらわなければ、こちらの計画も全て台無しだ」
「……」
「……シェム・ハ・クレイドル……開け、古の黒い箱」
私が周囲に警戒したのも束の間、彼女の唱えた呪文に呼応するように、世界は色を変えた。
一瞬、無音となったかと思ったら、遠く、どこまでも響くような、硝子を砕いたような高い音が耳をつんざく。
「これ……空間魔法?」
その感覚は、私の知っている空間魔法とは少し違っているような気がする。
イスタルテの側には、いつの間にやらナタン・トワイライトが佇んでいて、彼はすっと、イスタルテに銀色の盾を捧げた。
盾には、もうこの世界が歴史として記憶していない、遥か昔の王国の紋章が刻まれていた。