86:『 1 』トール、火種の燃えた夜。
翌日の夜の事だ。まだ雪の降りやまぬ日。
レピスによって伝えられた情報によると、革命軍の一部が、この雪に乗じて計画も無視して城へ突入したらしい。
革命家にも派閥があり、意見が割れただけで暴走する奴らも居る。
東区に居た旧王家の者たちも警戒を強め、隠れ家を変えようとしていたらしいが、気がつくとタチアナ様がお部屋から居なくなり、行方不明になったと言う事だ。
ギリギリの所で進んでいた何かが、一気に壊れたような気がした。
「どうやら、城へ突入した過激派の革命家たちの数人が、昨晩あの東区の隠れ家に訪れ、タチアナ様に決断を迫ったようでして。フレジール側はまだ待てと言っていたのに、あの者たちは月末の舞踏会を待たずして、総帥暗殺を企て、今朝決行した様です。ですがやはり失敗に終わり、革命家の数名が中央政府に捕われたとか。タチアナ様は状況に酷く怯えられ、他の者たちが対応に追われているうちに、例の抜け道から外へ出て、メイドのカーリーが慌ててあの二人の騎士に知らせたと。しかし今でも、タチアナ様は見つかっておりません」
「……なんてこった。なぜ今まで俺たちに知らせが来なかった」
「革命家たちはフレジールとの協力関係にありますが、どこかでフレジールの力にのみ頼るのを恐れているのですよ。革命が成功した所で、フレジールに国を乗っ取られるのでは、と」
「そんな事を言っている場合か!」
俺は頭を抱えた。
マキアは暖炉の前の椅子をゆらゆら揺らしながら、パチパチと燃えるオレンジ色の炎を見ている。
「タチアナ様は、例の劇場の君と一緒に居るのかしら」
「……分からないな」
「とにかく、タチアナ様を無事に見つけ出さなくちゃ。トール、あんたのナビを展開なさい」
「あ、ああ。そうだな」
様々な状況がいまだに信じられずに居た俺だったが、マキアは案外冷静だった。
タチアナ様の無茶な行動への心情を、まだ分かってやれるのかもしれない。
俺は目の前にキューブの立体魔法陣を展開した。
その表面には、ここキルトレーデンの地図が浮かび上がっている。
「タチアナ様の居場所を記してちょうだい」
マキアはそのキューブに自らの血を一滴垂らした。
すると、タチアナ様の情報が俺の魔法陣に刻まれ、彼女の居場所が記される。
赤い点は、外区ではなく、貴族層の中央区を示していた。
「……何だと。タチアナ様は、中央区にいらっしゃるのか」
「と言う事は、やっぱり例の彼と一緒なのかしら」
俺とマキアは、難しい表情で顔を見合わせた。
「とにかく、タチアナ様を追いかけましょう。このような雪の日では、何かと危ないわ」
「そうだな。タチアナ様に何かあったら、それこそ大変な事になる」
俺とマキアはお互いの手を取り合い、変化の魔法を展開し、性別を転換し、変化した。
「更に私は金髪のカツラを被る」
「なんかもう訳分からん姿だな」
マキアは更なる変装の為に、金髪のカツラを被っていた。
これではただの金髪ロンゲの男だ。
「レピス、お前はシャトマ姫にこの事を伝えろ。俺たちがタチアナ様を保護しに向かう」
「了解しました」
レピスはこの場から、スッと消えた。
俺たちも厚手のローブを羽織って、俺たちは教会の裏口から外に出る。
外に出た所で、凍てつく寒さに身を震わせた。雪は顔面に吹き付ける。
「ああああっ、寒ーい」
「すぐにタチアナ様を追いかけよう」
少し寒さに慣れた所で、俺はマキアの腕を引っ張って、転移魔法を展開した。
「中央区。タチアナ様の元へ」
魔法陣の光に飲まれ、転移の間隔に身を委ねた所で、俺たちは別の場所へと降り立ったのであった。
「……?」
俺とマキアは転移した先で、目の前の銀色の建造物に、少しの間言葉を失った。
人は居ない。当然、こんな雪の日だ。
だが目の前にそびえていたのは、氷を張ったようなガラス造りの巨大な温室だった。
「……ここは、中央区の温室公園だな」
そこで俺はすぐに、タチアナ様と、あの青年が会話していた事を思い出す。
確かあの青年、タチアナ様を中央区の温室に誘っていたような……
「待て!」
しかし、すぐに聞こえてきたのは、誰かを追うような叫び声と、逃げてくるような足音だった。
俺もマキアも、慌ててモニュメントの裏側に隠れたが、通りを横切るように逃げていたのは、二人の男女だ。
すぐに、タチアナ様とあの青年だと分かった。
彼ら二人を追いかけていたのは白い軍服たちで、中央政府の者だと分かる。
状況は読めないが、タチアナ様があいつらに捕まったら大事だ。
俺たちはすぐに先回りして、タチアナ様たちと合流を計った。
「タチアナ様!」
「トール!?」
タチアナ様はすぐに俺たちに気がついた。
しかし、出会った所で、彼女たちの背後からは複数名の軍人がすでに追いつく。
それだけではなく、背後からも、横からも。
「仲間が居たのか。では間違いでは無いな」
軍人の中から一人の男が出てきた。
そいつは、黒髪に白い軍服を着た、眼帯の武骨な男で、だが見覚えのある風貌に俺はとっさに自らのフードを深く被る。
「……ガド」
マキアが低い声で、そいつの名を呟いた。
以前話していた、トワイライトの男だ。
「ミハル様。その者たちは賊の可能性があります。危険ですので、こちらへ」
「ば、馬鹿を言うな! どうせお前たちも、父の言いつけで僕を見張っていたのだろう!」
ミハル・ユロフスクはタチアナ様の手を握りしめ、震える彼女を引き寄せ、強い口調で問いただす。
ガドは皮肉なため息を漏らした。
「お父上より、あなたが最近、外区で誰かと会っているのではと気にされておりましたが、まさかあなたが、我々の探していた旧王家の者たちと繋がっていたとは、思いませんでしたよ」
「何だって……?」
ミハルはガドの言葉に、顔をしかめていた。
俺もマキアも内心ドキッとした。
バレている。タチアナ様が旧王家の者だと言う事がバレていて、この状況となっている。
いったいどういう事だ。
「今朝、王宮が賊の襲撃を受けた事はご存知でしょう。革命家の一人を捕らえ、魔導尋問した所、革命家がトップに据えているのが、旧王家の直系であるタチアナ・レイクサンディロ・ガイリアだと分かりました。奴らは東区に拠点を構えており、今すでに軍を向かわせております」
「な……っ」
思わず、俺もマキアも声を漏らした。
東区はここからそう遠く無いが、嫌な予感がするものだ。
「その赤毛に、16歳程の見目。東区からの出入り……得た情報から言って、その娘こそが、公女タチアナに間違いない。……まあ、間違っていても良い。どのみち外区の娘だ。危険因子は排除するまでだ」
「……な、何を言っている。彼女はただの、このキルトレーデン市民だ。旧王家の公女だなんて……馬鹿げている」
ミハルは首を振った。
しかし、この言葉に、タチアナ様はあからさまにびくりと肩を震わせた。
ガドには確信があったようで、口の端を上げて皮肉に笑う。
「さあ、ミハル様。こちらへその娘を引き渡していただければ、あなたが賊と繋がっていたとしても、その罪は不問とされるでしょう。しかし、このままその娘を庇い続けるのなら……あなたもまた、革命家の一味とされてしまいます」
この言葉に、ミハルは眉を潜めたが、タチアナ様を守ろうと彼女を強く引き寄せていた。
「……ったく」
しかしこの時、さっきからずっと黙っていたマキアが、俺の手を取って指を絡め「解除」と小さく唱えた。
「は? お前……」
「あんた、タチアナ様たちを逃がしなさい。私の事は放っておいていいから」
「は?」
「早く」
淡々とした口調で彼女は俺に命じ、スタスタとガドの前まで向かっていく。
変化の魔法も解除され、俺は男に、マキアは女に戻っている。
マキアは金髪のカツラを取り外し、高々と投げ捨てた。
また、着ていたローブも脱ぎ捨てる。この極寒の中。
「私こそが、タチアナ・レイクサンディロ・ガイリアだ!」
そして、敵の前で堂々とそのように宣言したのだった。
赤毛の怪人のその派手な衣服を晒しながら。
「お前……赤毛の怪人……!?」
「お、女だったのか?」
兵士たちは口々に言う。
「そうだ……いや、そうよ。有名な赤毛の怪人は実は公女タチアナだったのよあっはははははは」
高笑いするマキア。
当然、いきなり現れた宿敵に、ガドも、軍兵たちも驚きを隠せない様だった。
マキアはその隙に「早く!」と俺に向かって睨みをきかせた。
彼女の表情は、何か面白い事でも思いついたかのように愉快そうでもあった。
俺はそれを見た瞬間に、タチアナ様とミハルを連れて、転移魔法を使う。
マキアも連れて行きたかったが、彼女の周囲には既に赤い茨が蠢いており、俺にすら触れさせないぞという刺々しい魔力に満ちていた。
「……っはあ、はあ」
転移魔法に慣れていないタチアナ様とミハルが、転移先である俺とマキアの隠れ家の床に伏せて、息を整えていた。
二人はしばらくここに待機してもらう他無い。
「レピス!」
レピスの名を呼ぶと、彼女はすぐに、俺たちの前に現れた。
「……トール様、東区の旧王家の隠れ家が襲撃され、あの近辺は既に火の海です」
「……な、何?」
いや、分かっていた事だ。
レピスに告げられた事実に驚きつつも、即座に納得する。
タチアナ様だけが、青ざめている。
「だが、今はマキアだ。幸いにもタチアナ様は無事でいらっしゃる。レピス、俺が戻るまで、ここで二人を見ていてくれ」
「……了解しました」
すっと頭を下げたレピスを尻目に、俺は再び転移魔法を使って、あの中央区の温室公園へと急いだ。
しかし、その時にはすでにマキアの姿はどこにも見当たらず、またガド・トワイライトの姿も無かった。
マキアはどこかへ逃げたのだろうか……
立体魔法陣を使って調べた所、どうやらマキアは、すでに中央政府の存在する王宮の中に居るようで、要するにそれは、彼女が捕らえられたのだと言う事実でもある。
敵側も転移魔法を利用したのか……。
今回、“公女”と分かった赤毛の怪人に逃げられるわけにはいかなかったのだろう。
ただマキアに限って、そう簡単に捕らえられるはずもない。
わざと捕まったものと思われる。
「……マキアの奴、いったい何を考えているんだ」
マキアの、あの表情を思い出す。
何かを思いついたのだと言うような、あの憎らしい笑みを。