80:『 1 』トール、マキアとデートする。(上)
俺の名前はトール・サガラーム。
最近、性別を変更しての隠密行動に徹しているのだが、マキアが少し疲れているようだった。
最初こそ楽しんでいた男装も、なにやら不満があるらしい。
「トールが何か冷たい」
そんな事を言うのだった。
今でこそ、早朝の隠れ家の中なので、お互いに本来の姿ではあるが。
「嘘言え。俺はいつも、お前の世話ばかりしているぞ。ふざけるなよ」
俺は憤慨して言いかえす。
マキアは暖炉の前の、よくおばあちゃんとかが編み物をしているような、揺れる椅子をガンガンに揺らしながら、文句を続けた。
「冷たいわよ。絶対、女のときの方が優しい!」
「そりゃあ、俺は男だからな。お前の男の姿なんぞ、別に嬉しくも何ともない。むしろ何か怖い。お前が男じゃなくて、心底良かったと思い知らされる」
「何よそれ何よそれ」
「例えば、美少女であれば許される数々のわがまま、迷惑な言動、ひどい仕打ち、暴力も、男になったとたんに許されざる行動に変わる。正直イラッとする」
「何よそれ何よそれ何よそれ〜」
「おい、その椅子を揺らすな。公園にある遊具じゃないんだから」
俺は自分の剣を磨いていた最中ではあったが、それを中止して、さっきからうだうだ言うマキアの側に寄る。
「女の子の姿で、外に出たい。トールにちやほやされたい」
「そんなに堂々と願望を言われるとは思わなかったな」
椅子の上で膝を抱いて、膨れっ面のマキア。
その膨れた部分をつぶす。
「俺はまだ良い。似た様な特徴の男なんて山ほど居るからな。だがお前は女の姿だと目立つんだよ。それで無くても、連邦は赤毛の人物を手当り次第に捕えているってのに」
「じゃあ、かつらをかぶるから。外で遊ぶ」
「そこまでして女として遊びたいのか……」
マキアはこの自由の無い生活に、そろそろ限界が来ている様だった。
外に出られるときは、男の姿で、噂の赤毛の怪人となった時だけだ。
それもまた自由ではなく、危険と隣り合わせのお仕事と言える。
時には、本来の女として、自由に外へ出て行きたいのだろう。
気持ちは分かる。
「まあなあ……最近はお前を働かせ過ぎたしな」
「そうよ。危ない目にも合ったわ。それなのに毎日毎日魚の缶詰ばかり……寒いし辛い。足に霜焼けが出来るし、動き過ぎて筋肉痛になるし、トールは冷たい。これじゃあ、やりがいが無いってものよ」
「……」
マキアはピョンと椅子から降りて、俺の胸元に指を突きつけて言う。
「トール、私はあんたの婚約者よ。それなのに、こんな仕打ちって無いと思うわよ」
「また訳の分からない我が侭を言って」
「……だって……ご褒美が欲しいだけよ」
うりうりと胸元に指を突きつけて、しゅんとして言うマキア。
なんだこいつ。
可愛い事いってりゃ、俺が言う事を聞くと思っているんだろう。
思っているんだろう……
「ふん。……まあ、お前にやる気が無くなられても困るしな。今日俺たちには何の予定も無いし、まあ、かつらをかぶってりゃあ、大丈夫だろう」
「ほんと!?」
「今日だけだぞ……」
俺は負けた。
嬉しそうにしているマキアに、よりとどめを刺された。
まあ良い。
こういう時の為に、俺たちは事前にカツラを用意していた。
マキアはその赤毛を結い上げ、金髪さらさらロングストレートなカツラに収める。
なんかもう別人になった。
「このかつら……どうせあんたの趣味でしょう?」
「は? なぜそうだと言い切れる」
「だってあんた、昔っからブロンドが好きじゃない」
「……」
じとっとした視線のマキア。
いやいやマキアさん。違うんですってば。
さらさらブロンドは男のロマンなんです。
「ま、良いわ。ブロンドはこの国に多いから、目立たないしさ」
マキアはサラッと、ブロンドを払って、不敵な笑みを浮かべた。
「服は、俺の女装時ので良いな」
「あれかあ。あれ地味なんだけど、まあ良いわ」
いそいそと、俺から服を受け取って、着替え始めるマキア。
ただ、背中のファスナーを上げる所で、彼女が俺に言った。
「ねえ、これ以上あがらないんだけど」
「はあ? お前、太ったんじゃないのか?」
「そんな訳無いでしょう! あんなひもじい食生活で! 違うわよ……胸が、苦しいのよ」
少々の恥じらいを見せつつも、俺のワンピースに対する不満を的確に言ったマキア。
思わず、その部分に視線を落とす。
ああ……ああああ。
俺の女姿の服。マキアが着ると、豊かな胸元がぱっつんぱっつんな訳ですね……
分かります!!!
「新しいのを買ってちょうだい」
「なぜ敵国で、お前の服を買ってやらなくちゃならん」
「だって……」
ねだった後に、ごにょごにょと言葉を濁すマキア。
何だ、はっきりと言ってみろと言うと、マキアはこう言った。
「だって、せっかくのトールとのデートなのに。もうちょっと可愛い格好がしたかったわ!」
「……」
まあいいや。服の一着くらい、自腹で買ってやろう……
遠い所を見ながら、そう思った。
俺もつくづく、マキアには甘い男になってしまったものだ。
「でもな、マキア。なぜ俺たちが自らの性別を偽り、変化してまで行動していたのかって言うのを、しっかりと考えろよ?」
「分かっているわよ」
「目立った行動はよせよ?」
「分かっているってば」
マキアは、さっき買ってやった、焼きたてのピロシキみたいなのを頬張りながら、頷いた。
キルトレーデンの外区は比較的貧困層が住んでいるとは言え、賑わった繁華街というものもある。要するに中階層が住んでいる付近に。
派手なブティックは無いが、町娘の為の服を売る店は並んでおり、マキアはさっきから、ショーウィンドウを見て回っている。
「私ってば、いつも赤い服を着ているでしょう? だから、たまには別の色の服も良いかなって思うのよ」
「例えば?」
「……白とか?」
「……」
「水色とか!」
「うーん、どうかな〜」
想像してみた。
そんな清楚な色合いの服なんて、マキアの強烈な個性に負けちゃうんじゃなかろうか、と。
でも今のマキアは金髪だし、いけるかな。
「着てみれば良いじゃないか。外から見てるだけじゃなくて」
「うーん、でも。似合わなかったら恥ずかしいし」
マキアはもごもごと口ごもる。
らちがあかないので、俺は彼女の背を押して、服屋へと突入した。
店員が愛想良く俺たちを迎えた。
「どのようなお品物を用意しましょうか?」
店員の派手なお姉さんが、さっそく俺たちに尋ねた。
「えーと、こいつに似合う服を見繕ってくれ。値段は特に気にしないが、これくらいで」
指を三本立てて、予算を伝えた。
お姉さんは眉をぴくりと動かして、いっそうにこやかになる。
「ええ、ええ。ここではキルトレーデンでの流行の衣装を取り揃えております。お色などのご希望はありますか?」
お姉さんが尋ねると、マキアが「赤色以外ので」と端的に伝えた。
「そんなのじゃあ、分からないだろ。もっと的確な色を言えよ」
「だって、似合わないかもしれないでしょう? こういうのは、プロのお姉さんにお任せした方が良いのよ」
「……そういうもんかよ」
「そういうもんなの」
マキアは全面的に、お店のお姉さんにお任せするつもりらしい。
すると、お姉さんはマキアをじろじろと見た後に、思い当たる商品でもあったのか、奥の棚へと向かった。
「こちらなんていかがでしょう? 白地で、襟元に紺色のリボンがあしらわれており、シンプルさと愛らしさを兼ね備えた、トレンドの商品でございます。奥様のようなスタイルの良い方には、うってつけかと」
「……奥様?」
俺とマキアは顔を見合わせた。
俺はてっきり、マキアの従者に間違えられたのかと思った。何となく、経験上。
「ほほ。お若い素敵なご夫婦ですね。羨ましいですわ」
「……」
しかし、どうやらこのお姉さんは、俺たちを若い夫婦だと思ったらしい。
まあ、確かに態度が慣れきっていて、初々しい若いカップルのデートとは思えないよな。
「でも、とても可愛いわね、このワンピース。私、あんまり襟付きの服って着ないんだけど、ちょっと着てみても良いかも」
「……谷間が」
「え? 何?」
「いや何でも」
基本的にマキアが着てきた服って、谷間が覗く赤いドレスだったからか、俺はほんの少しだけ寂しい気持ちになった。
しかし襟付きの服も新鮮かもしれない。
「試着するわ。気に入ったら、そのまま買う」
マキアは意気揚々として、試着室へと向かった。
「……」
マキアの服を一緒に買いに来たのは、始めての事では無い。
かつては、共に水着を買いに行ったこともあったし、それこそ地球では、マキアは友人が少なかった事もあり、基本的に買い物に付き合わされるのは俺だったな。
マキアが試着をしている間は、ブティック店の女たちにざわざわされたり、無駄に視線を向けられるが、俺は飄々としてお姉さんとの世間話を楽しんでいた。
お姉さんは商売上手で、さっきから「奥様にお靴はいかがですか?」「ブローチはいかがですか」とすすめてくる。
俺はなんとなく聞き流しながら、マキアが試着室から出てくるのを待っていた。
「着たわ」
ガラッとカーテンを開けて出てきたマキアは、甘すぎず辛すぎない襟付きの白いワンピースを着ていて、いつもよりずっと娘らしい。
俺は、おおと思ったものだ。
「良いじゃないか。いつもより大人しそうに見えるぞ」
「それどういう事かしら」
俺の褒め言葉にも、マキアはじーと疑わし気な視線を向けて来るが、「分かった。これにするわ」と、結局このワンピースを買う模様。
「上着はいかがですか? こちらのロングコートは今年のトレンドですよ」
「じゃあ、それももらうわ」
マキアは俺の財布事情も構わず、コートとブーツを購入。
とは言え、全体的にいつものマキアと違うコーディネートで、新鮮な気分になる。
金髪姿と言うのもあるかもしれないが、きっとこの格好は、赤毛のいつものマキアでも似合うんだろうなと妄想した。
慣れきった関係だからこそ、時にこういうのも悪く無い。