27:トール、外回り営業をする。
俺にとって長い一ヶ月が始まった。
カルテッドに新しい学校を設立すると言う事で、あちら側が食堂関連の協力をデリアフィールドに求めてきたのだ。
久々のカルテッドは相変わらず活気のある港町で、静かなデリアフィールドとはまるで別の世界の様だ。
とにかく人と品物が多く、そして流動が激しい。
何もかもが動き続けている町。
ここの領主はガメット伯爵という、ガマガエルのような顔をした男だ。
「ようこそ、ええようこそオディリール伯爵。ささ、こちらですぞ。やや、トールではないか。立派になって全く全く、見違えたぞ。煙突掃除夫の星だった頃のお前とは別人ではないか、がはははは」
「……どうも」
成金らしいごてごてした風貌のガメット伯爵であるが、まあ根は悪い奴じゃないんだ。見た目はどこか悪い事してそうな顔だけど。
「それにしても、新しい学校とは、思い切りましたな」
「がはは、カルテッドの財産は結局人ですからな。品を売ったり買ったり、交渉、取引するのは人の繋がりと信頼。移民の受け入れもルスキア一で、子供たちも多く居ます。しかし圧倒的に就学率が低いのもこの町の欠点です」
カルテッドを見渡せる小高い丘の上に建つガメットの館の、南国風の部屋で、我々は彼の話を聞いた。
どうやら大きな学校は既にカルテッドの東側に建設されている様で、主に10歳以降の少年少女をカルテッドの知識ある商人に育てる為の学校らしい。
あくまで、カルテッドの為の学校。
この町の子供たちであれば、どこの出身であろうと幅広く受け入れる方針らしい。
「で、です。私は学校の食堂をある種の観光スポットにしたいと思っています」
「……と言いますと?」
「このカルテッドと、デリアフィールドの食材を使って、多くのメニューを用意するんですよ。学生の為の食堂スペースと、一般人に開放する為の食堂スペースを作って、誰でも手頃な値段で食堂を利用出来るようにしたい、と言う訳です」
「………ほほお〜」
俺と御館様は、同じような反応を見せた。
流石、このガメットの親父は考える事がいちいち商人である。
御館様は瞳をキラキラさせている。
なかなか乗り気のようだ。
この人は一度面白いと思ったら、他の者なら少し躊躇するような危ない橋でも渡る人だ。
しかし、幸運なのか見る目があるのか、彼が乗った船は大きな成果を生む事が多い。今回ばかりは俺も心配してはいなかった。
「ぜひ、力にならせていただきたい、ガメット伯爵。こちらもいくつかサービス致しますぞ」
「がはは、デリアフィールドがバックに居れば、怖いもの無しです。良い学校を作りましょう」
お互いが握手をして、カルテッド町立商人学校の食堂プロジェクトが始まった。
それから数日の間、メニューの考案や食材の取引の話し合いが行われたが、俺は少し意見を言うくらいのもので、もっぱら仕事はカルテッドの子供たちの入学意欲調査だ。
学校が出来たら通うかどうか答えてもらい、学校への入学を勧めお菓子をあげると言う何とも言えない外回り営業。
しかし、煙突掃除夫など働く事が一番大切だと考えている子供やその家族に、学校へ通わせる意欲を高めてもらうには、俺がこの役をするのが一番良いとあのガメット伯爵は考えたのだ。
「色々と大変だと思うけれど、君には期待しているよトール」
そう言って送り出しやがった。
俺がこの町で顔が広く、また東の大陸出身で、代表される“成り上がり”であるから。
「………なんて仕事押し付けてくれた、あのガマガエルは」
この日、俺はヨーデルと共にカルテッドの町に繰り出していた。
対象の子供がいる家庭の記された調査用紙を俺が持ち、お菓子の入ったバスケットをヨーデルが持つ。何とも間の抜けた二人組だ。
「このお菓子、僕もつまんで良いかな」
「駄目ですから」
ヨーデルは相変わらずである。
そろそろ落ち着いても良い歳なのに、トールがカルテッドで初めて彼を見た緩く平和そうな顔のままだ。
「トール君ってー、あれだよねー。意外と真面目だよねー」
「ヨーデルさんが緩すぎなんですよ」
まったく緊張感の無い素朴な顔が、たまにイラッとする。
何か語尾に(笑)がついているような気がしてならないのだ。
しかし彼に悪気が無いのも、もう知っている。
「はあ? うちの子を学校に? そんな金無いよ」
「……そうですか。しかし奨学金制度と言うのもあるので」
「結局借金でしょ。うちの子には働いてもらわないといけないんだから。いくらあんたの勧めでもそれは無茶だよ」
まあ、予想通りの反応だ。
以前トールが住んでいた界隈の住人は子供を学校へ行かせるお金が無く、また子供を働き手としている家も多い。
学校へ行かせようと言う考え方が無いのだ。
とにかく、こちらの質問に答えてくれた家族にお菓子を配って帰る。
数件回ってみたが、良い返事が来るのは商店街に店を持っている商人の家庭ばかり。貴族や金持ちの学校は手が届かないが、町立ならばと言う事なのだろう。
それなりに期待している様だ。しかし、漁師の家庭や移民の家庭はほとんどNOである。
この町の漁師はそれなりに潤っているくせに、学はいらないと言う考えの者が多い。学校へ行くより、子供の頃から海へ出ていた方が良いと言うのだ。まあ、そうなのかもしれない。
しかし問題は、移民や店を持たない貧しい家庭だ。俺が戸を叩くと、以前からの知り合いであれば歓迎してくれるものの、子供の学校への入学は思いきり首を振る。
「……はあ。何か大丈夫なのかな新しい学校。反応に手応えが無さ過ぎる」
「まあまあ、トール君なら何とかなるでしょうよ。あ、お菓子食べる?」
「……」
海沿いの堤防から、懐かしいそのキラキラしたマリンブルーを眺めている。
手に持つ調査用紙の×印の多い事。
ガメット伯爵はこの現状を知っていて、なお俺にどうにかしろと言うのか。
そして、ヨーデルの空気の読めなさがこれまた凄い!! 余ったお菓子を食べ始めた。もう何も言うまい。
「……」
海を見ていると、自分がなんでこんな事をしているのか分からなくなるよ。
今朝、マキアが嫌がらせで窓から投げつけてきたドングリ爆弾によって、負傷した右手の甲が赤い。もう、色々と酷い。
俺っていったい何なんだっけ?
魔王? 何それ、知ってる? ねえ知ってる?
こんなに惨めな俺が、かつての黒魔王だったなんて、誰も信じないだろう。