72:神話大系5〜エリスについて〜
4話連続で更新しております。ご注意ください。(1話目)
機織り小屋の火事の後、ヴァベルの中央棟に集まり、会議をした。
女子は酷く傷心していて、三人とも今は休んでいる。
今回の事を知り、確認し合った男子は集まり表情を強ばらせていた。
「機織り小屋を燃やしたのはエリスだ。間違いない」
アクロメイアは断言した。
誰もがそうかもしれないと思っていたが、真っ先に言ったのはアクロメイアだ。
「エリスだって言う証拠はあるのかよ」
トリタニアが頭の後ろで指を組んで、少し気がかりな様子で問う。
「証拠? 証拠なんて無くとも、誰かがあの小屋を燃やしたのだと言う事が分かっているだけで、十分な証拠だ。なぜならこの世界には、僕らしか居ないのだから」
アクロメイアの決断は早かった。
「エリスだって決めてしまうのか?」
「あいつ以外に、誰がそんな事をする。以前からエリスは機織り小屋を気にしていたようじゃないか」
「いや、分からないぞ。何かがきっかけで発火し、小屋が燃えたのかもしれない。決めつけるには早い」
慎重なクロンドールが、エリスが犯人であると言う決断を出すのにワンクッションを置く。
「ハデフィス、プシマは何か言っていたか?」
そして、俺に顔を向け尋ねた。
俺は静かに会議の行方を見守っていたが、そう言えばと、プシマから聞いた情報を思い出す。
「プシマが言っていた……小屋に何かが投げ込まれて、それが爆発し火事になった、と」
「なに」
「それを見つける事が出来れば、何が原因なのか分かるかもしれない」
そこまで提案して、俺は考え直した。もう少し女子達にその時の状況を聞くべきだろうか、と。
ただアクロメイアが机の上で指を組んで「その時点で確実にエリスだ」と言う。
「そう言う小細工に利用する“物”を作れるのは、エリスだ。小型の爆発物など、得意とする所だろう」
「それはそうかもしれないけれど……」
ユティスが神妙な表情になる。
「なぜエリスはこんなことを? もし、エリスだとして、じゃあ僕らは彼をどうしたら良いんだ……」
戸惑いの見え隠れする言葉だ。
あのユティスが悩む事なのだから、この事態は相当に複雑なのかもしれない。
しかしアクロメイアは意思を固めているようだった。
「そんなのは決まっている。エリスを捕まえて、罰を与える」
「……え!?」
流石にこの言葉には、誰もが驚き、それぞれの反応を見せる。
クロンドールはアクロメイアの言葉に、ちょっと待てと言うように問う。
「罰って……何をするつもりなんだ、アクロメイア」
「牢屋を作り、閉じ込めるのさ。奴が反省するまでな。要するに投獄だ」
「投獄……?」
「そのくらいしなければ、奴はいつまでも、僕らを甘く見て、行動はエスカレートすると予想できる。悪戯は悪戯ではすまされなくなる。奴は卑怯者だ。弱い女子を狙って、小屋を焼いた。下手をしたら、三人は死んでいたかもしれない。投獄ですら、甘い罰だ」
「そ、それはそうかもしれないが、まだエリスだと決まった訳ではない」
アクロメイアはクロンドールをキツく横目に見た。
「……クロンドール、君は甘いな」
そして、視線を逸らす。
「こんな風に、悠長に話し合っている間にも、エリスは遠くへ逃亡している可能性がある。今回はたまたま君たちが小屋の火事を察知し、誰一人死なずに済んだかもしれないが、ヘタをしたらマギリーヴァが死んだ可能性もあったんだ。そうなったら、君はそんな悠長な事を言っていられたか」
「……それは……」
マギリーヴァを助けたクロンドールは、言葉に詰まった。
確かに、アクロメイアの言う事は一理ある。
しかしユティスが「落ち着こうよ」と、場の空気を整えた。
「クロンドールが言っているのは、思い込みで断言するには、早いと言う事じゃないのかな。エリスは確かに問題ばかり起こすし、厄介な所もあるけれど、僕には女子を傷つける必要があったとは思えないんだよ。だって、僕らに意見があるのならまだしも……彼女たちがエリスに何をしたって言うんだ」
「害があるかどうかではない。弱い者を狙ったんだ」
ユティスの言葉に、アクロメイアは強く言い放った。まるでそう言う事は、当たり前にあるのだと言うように。
アクロメイアは憤りを隠す事は無い。
だが、どこか落ち着いているようにも思える。
少しの沈黙が出来た。
「……俺も、今回女子を狙った事に意味はあまり無いような気がするな。……まあ、エリスがやったという証拠が無いのに、奴を裁くって言うのは、どうかと思うがな」
トリタニアはアクロメイアの言う事に一部納得して、「お前はどう思う?」と、俺に問いかけた。
俺には分からなかった。
国も無く、法も無く、判断する人も少ないこの状況で、誰かを裁かなければならない状況がやってくるとは思わなかった。
「とにかく、エリスに会って、話を聞くしかないんじゃないか……? 妙な生物も生まれ、うろうろしているようだし、どのみち一人で居ると危ない」
「妙な生物?」
「ああ。クロンドールと一緒に調査に出た時に見たんだ。……なあ」
誰もが“妙な生物”というのを気にした。
クロンドールに投げかけると、彼も「ああ、でかいのが居たよな」と。
「ただ、それが何なのかは分からない。影のような……とにかく大きな何かだった。調査が必要だ」
「……確かにそれも気がかりだ。だが今はエリスだ。エリスを見つけなければならない」
アクロメイアは話を戻して、今後何をすべきか言いきった。
確かに、今回の事がエリスによる悪戯の延長であるのなら、許される事ではないのだろう。
俺だって、ひやひやとしたし、誰かが死んでいたら酷く落ち込んだだろう。
だが、例えばの話。
俺たちの中で、誰かが誰かを殺したとして、それを裁く権利が、誰にあると言うのだろう。
誰がそれを許し、誰が咎めるのだろう。
「……マギリーヴァ?」
会議をしていた中央棟から、自分の住処のある一番奥の塔へと帰ろうとしていた時だった。
マギリーヴァが俺たちが出てくるのを待っていた。
マギリーヴァはあちこちをやけどしていて、手当てされていたが、すでにしっかりした様子で立っている。
だが、どこか心配そうな表情だった。
「マギリーヴァ。もう大丈夫なのか?」
「おい、あんまりうろうろしない方が良いんじゃないのか?」
「気分は悪く無いかい?」
クロンドールやトリタニア、ユティスが、気を使うように口々に声をかけていた。
マギリーヴァは「大丈夫よ」と、気丈な態度だ。
後ろの方に居る俺に気がつくと、ハッとしたように寄ってきた。
「ありがとうハデフィス。プシマとデメテリスを助けてくれたのでしょう?」
「……助けたと言っても、元々あの二人は小屋を出ていたし……」
俺はクロンドールみたいな、勇敢な事はしていない。
そう言おうとして、何だか言葉が詰まった。
「だけど、デメテリスとプシマは、あなたが居てくれて良かったと言っていたわ。私もそう思うもの。……本当にありがとう」
彼女は俺に、そう礼を言って、今度はアクロメイアに、今どうなっているのかを聞きに行っていた。
そこにクロンドールが入り込んで、説明をしていたが、マギリーヴァは端から見ても面白い程に、クロンドールに対してどぎまぎしていた。
俺には素直に礼を言ったのに、自分を助けてくれたクロンドールに言えずにいるあたり、彼女らしいと思ったが、クロンドールはそこの所に気がついていない様子だった。
その後、燃えた機織り小屋の調査は進み、投げ込まれたものは黒くて丸い爆弾のようなものだと判明した。
エリスの得意とする、金属製の小型造形物だ。
エリスは森を越えた場所にある洞窟に隠れていた所を捕らえられた。
引きずってヴァベルに連れて帰られたが、彼は今回の事件への関与を否定した。
「ふざけるな! 僕がやった証拠がどこにあるって言うんだよ!! 僕が邪魔だから、僕を排除したいだけだろう!!」
そう言って喚いた所を、クロンドールの作った牢獄に入れられた。
アクロメイアがキツく尋問していたらしいが、エリスは頑として今回の件を認めなかった。
ふてくされて食事もとらず、彼は徐々に弱って行く。
だが眼光はギラギラとしていて、俺たちに対する憎しみは、日に日に増しているような気もした。
さて、こうなると、ただの子供であった俺たちそれぞれの心に、浮かぶ疑問と言うのはあるものだ。
本当に、あの事件はエリスが起こした事だったのだろうか。
間違っていたならば、とんでもない事だ。たった九人しか居ない仲間の一人に、ひどい仕打ちをしている事になる。
皆が、どこかぴりぴりした雰囲気で食事をしていた時だ。
「ねえ……エリスを出してあげましょうよ」
最初にそう言ったのは、プシマだった。
彼女は弱って行くエリスを見ていられないようだった。
「エリス、本当は辛いのよ。この前食事を持って行った時、部屋の隅で泣いていたもの。可哀想だわ」
「罪人に可哀想などと同情する事ほど程、愚かな事は無い」
だがアクロメイアは決してそれを受け入れなかった。
確かに、ここでエリスを許してしまうと、今後の秩序に問題が出てくる。
たった九人とは言え、意見の食い違う事もある。ここにはコミュニティーが形成されている。
今後、様々なルールを定めるとき、今回の事は大きな基準となってくるだろう。
なので、アクロメイアとしても妥協は出来ないのだ。
「エリスが犯人で間違いは無いのだ。機織り小屋に投げ込まれた爆弾が、奴のいた岩穴に沢山あっただろう。奴はあれで、僕らを脅そうとしていたのかもしれない。危険な奴だ」
「だが、もしも間違っていたらどうするんだ、アクロメイア。俺たちはエリスに対して、どう責任が取れる。ここには法も無ければ、裁判官も居ない。何を基準に、俺たちはあいつを罰してるんだ」
クロンドールは淡々としていたが、慎重に言葉を選んでいるようでもあった。
おそらくクロンドールにも分かっている。ほぼエリスで間違いないと。
確かに、エリスが引きこもっていた岩穴には、一体何に使うつもりだったのか分からない金属製の武具が沢山あった。
そう言うものを作るのがとても得意だったのは知っていたし、エリスが所持していたと言うだけで、危ない予感は確かにある。
だが、徐々にエリスを牢から出すべきだと言う意見が出始めて、皆が戸惑い始めたのだった。
独断的なアクロメイアと、問題提起するクロンドール。
エリスを許してあげてほしいという優しいプシマ。
どの意見が、正しいのか……そんな事は分からない。
分かっていたなら、こんな所へは来ていない。
争いが嫌で、悲しい事が嫌で、自由を求めてここへ辿り着いたのに、自由はまた争いをもたらした。
やはり、何かがどこかで間違っていたんだろう。
エリスは結局、最後まで機織り小屋の件を認めなかった。
そして、クロンドールの作り出した檻を何らかの力で押し破り、逃げ出したのだった。
檻はまるで、大きな獣にでも食い破られたかのような穴が出来ていた。
これを、弱り切っていたエリスの力だけでやったのだとは考えにくい。
崩壊は実にあっけなかったと言っていよい。
エリスを捜す為に、しばらくヴァベルを離れる事となった。
女子は衣服や保存食をまとめ、男子たちはエリスの逃げた足跡を探って、ヴァベルを抜けた荒野の、どちら側へと向かうべきか会議した。
翌日には旅立つ、という日の夜。
俺たちの住む、ヴァベルの周囲を囲むように、奇妙な黒い影のようなものが現れたのだった。
最初にそれと遭遇したのは、トリタニアだった。
彼が中央棟から、自分の棟に忘れ物を取りに行こうとした時、外をふらふらする黒く巨大な何かを見つけた。
「おい!! 外に何か居るぞ!!」
そして、慌てた様子で中央棟に戻ってきて、俺たちに知らせた。
俺とクロンドールは、それが何なのかすぐに察したが、他のものは確認のため外を見に行く。
それは人影のようでもあったし、何かの獣のようでもあった。
実態は無いのに、輪郭だけを持っていて、屍のように蠢いている。
それは、以前俺とクロンドールが見たものに違いないと思った。
「なんだ……あれ……」
「あれだ。あれが、最近出没した何かだ」
誰もが、そこに存在した蠢く影を理解できず、呆然とした。
そいつらが一体なんだったのか。
この時の俺たちはまだ知らない。
「あはははははははは!!! あははははははは!! おめーら全員ぶっ殺してやる!!!」
どこからか、不安定な笑い声と共に、エリスの声が聞こえた。
エリスがこいつらをけしかけたのか?
やばい、と思って、皆中央棟の奥へ逃げたが、そいつらはやがて建物の壁を壊し、俺たちを見つけた。
“そいつら”が俺たちを見つけた時、俺たちはいとも簡単に捕らえられ、引裂かれ、飲み込まれた。
痛みはあったかもしれない。
あちこちから悲鳴が聞こえ、誰かの名を呼ぶ声も聞こえ、助けを求める声もあった。
それはまるで、野生の獣が、補食するかのような状況だった。
その時点で、俺たちはこのメイデーアの、食物連鎖のピラミッドの頂点に居た訳ではなかった。
俺はそう悟る。
本当にあっという間だった。
瞬きしてたら、目の前が真っ暗になっていた。
今になって思えば、それはゲームオーバーを意味したのだろう。
だが、俺たちは死んだのか、と言われると、そうではない。
俺たちに死は無く、ただメイデーアの意思のままやり直しを強いられたのである。




