69:神話大系2〜九人の子供たち〜
5話連続で更新しております。ご注意ください。(3話目)
『この地は神々が捨てた世界メイデーア 世界の境界線を越え ようこそ』
そう書かれた石碑が、大樹の根元に埋め込まれていた。
俺たちはこの世界の文字と言うものを知らないのに、それを読む事が出来たのだ。
銀は先導の盾アクロメイア
黒は構築の剣クロンドール
赤は命名の槍マギリーヴァ
白は精霊の杖ユティス
緑は守護の殻デメテリス
紫は言霊の筒プシマ
灰は均衡の杯トリタニア
青は祭典の鏡エリス
金は記録の宝ハデフィス
碑文の一番下に、このように書かれていた。
訳が分からない。
だが、この謎の文字列を理解できたのは、9人の子供のうち、ただ一人。
俺に手を差し伸べた、あの赤毛の少女だけだった。
「これ……私たちの名前だわ」
「何だって?」
黒髪の少年が、すぐに問う。
赤毛の少女は瞳の色を変え、何かに取り付かれたようにその名を読み上げ、俺たちそれぞれに名を振り分けた。
面白い事に、名の冒頭の色はそれぞれの髪の色と同じで、俺たちななぜかすぐにその名を受け入れられたのだ。
むしろ、かつての名を思い出そうとしなくて良いから、新たな名には言い様の無い喜びを感じる。
それは、各々そうだったのだろう。
皆それぞれ新しい自分の名を呟いたりして、何度も確認しているのだから。
「ならば、僕らはこの名で呼び合う事にしよう。呼ぶ名があった方が良い。さて、今後の事を考えよう」
「住処と食い物の水が必要だ」
「そうだ。僕らには衣食住を整える必要がある。……せめて、木の実や川があればな」
銀髪の少年、名をアクロメイア。黒髪の少年、クロンドール。
この二人が、予想通り俺たちの中心に立ち、この場を仕切った。
元の世界へ帰りたいと言いだす者は一人としておらず、ここで生きていく事が前提で話が進められる。
だがこれに文句を言ったのは、青髪の痩せた少年エリスだ。
「なんでお前たちが仕切ってるんだよ……偉そうにしやがって。なんで僕がこんな所に住まなきゃならないんだ……」
厄介だったのは、それが大声で意見を言う訳ではなく、ぼそぼそとひたすら文句を言う陰険っぷりだったことだ。ギラギラした眼光があちこちへ移る。
誰もが早く、今の状況を打破したいのに、こいつがいちいち文句を言うから話が先に進まない。
こいつは案を出す訳でもないのに、自分が皆を率いる事が出来る訳でもないのに、ひたすらに文句を言っていた。
「お前、何がそんなに気に入らない」
アクロメイアはいよいよ目を細め、エリスに威圧的に問いただした。
エリスは少しだけびくりと肩を震わせたが、そのギラギラした目でアクロメイアを睨む。
「お、お前何様のつもりだよ……僕より年下だろ。年上にそんな態度でものを言いやがって……教育がなってねーよ、教育が……」
「…………教育って、おいおい」
呆れた声を上げたのは、灰色の髪の背の高い少年、トリタニアだ。
誰が見ても、よほどアクロメイアの方が教養があるように思えていたからだ。
しかしアクロメイアも、この言葉にはカチンと来たようだ。
「この現状で年上も年下もあると言うのか。それに、僕は王族の出だ。教養を疑われるのは残念で仕方が無いが、この場で皆をまとめる素質があるのは僕だと思われるが。現に、僕は“先導”のアクロメイアだ」
碑文のキーワードを用いて、アクロメイアは淡々と語った。
彼は別に自慢がしたかった訳ではなく、話を進めたかったのだ。それは誰もが分かっていたが、これがエリスには更に気に入らない事のようだった。
「王族ってなんだ。自分が偉いと思ってんのか。こんな所じゃ、出自なんて意味ないじゃねーか……ったく、ふざけやがって。裸の王様とはこの事だな」
「……何だと?」
「おいおい、待てって」
黒髪のクロンドールが、二人の間に割って入る。
このままだと、色々と良く無いと思ったんだろう。
「やめろよ。喧嘩している場合じゃないだろ。……衣食住だ。とにかく、住処と、食い物と、水。これをどうにかしなければな。周囲を探ってみよう」
「はいはい、賛成」
「僕も賛成」
早く行動に移したい灰のトリタニアと、白のユティスがすぐさま賛成した。
エリスに口を挟ませない為だ。
「お前は?」
クロンドールに問われ、俺は「じゃあ、俺も」とだけ答えた。
女子三人も、寄り添うようにして現状を見守っていたが、コクコクと頷く。
緑髪のデメテリスがめそめそと泣いていたのを、紫のプシマと赤のマギリーヴァが慰めていた。
まだまだお互いを知らない、見知らぬ土地の、見知らぬ者たちとの生活が、少しだけ不安に思えたのは、きっと誰もがそうであっただろう。
希望だけが全てではなかった。
エリスだけが、「はあ? なに勝手に仕切ってんだよ…」と、またぼそぼそと文句を言っている。
ここに無かったものは、何だろう。
それは、衣食住以上に、法による秩序。
複数の人々が積み上げて作るべき営み。
俺たちは自由の変わりに、無秩序の中へ放り出されたのだ。
幸いにも大樹の側の森には、赤い果実と小川があった。
食い物と飲み水だ。
俺たちは喜び、数日はそれで何とかなったが、次第にそれだけではダメだと分かった。
果実だけでは生きていけない。
「せめて川に魚が居たらな」
だが、アクロメイアがそれを呟いた直後、川には数種の魚が出現した。
これこそがアクロメイアの不思議な力だった。
彼が望んだものが、何かをきっかけにこの世界に出現するのだ。
この力を、俺たちは“魔法”、と呼んだ。
不思議な事はそれだけではない。
9人はそれぞれ何かしらの魔法を使う事が出来た。
それに気がつくきっかけは、生活をしていく上で何度だってあった。
例えば、火だ。
「魚を焼く火があれば」
誰もがそう思った時、白のユティスが指先に火を灯した。
最初はそういった魔法なのだと思っていたが、ユティスに出来るのは“精霊”を生み力を借りる事、らしく、また精霊とは俺たちがこの世界に召喚された時に、望む事で生まれた概念的存在らしい。
大樹の根元の碑文に、そう書かれていた。
碑文は時に書き変わり、俺たちに何かしらの助言をするものだった。それは大樹の意思だと思われている。
俺たちは導いてくれる大樹を母のように思い、大樹の側から離れようとはしなかった。
その根元に、木の枝を組み合わせて作った家に住んだのだ。
しかし、そんな家は少し風が吹けば吹き飛び、時々降る雨に押しつぶされた。
そこで、「立派な家を建てよう」と言ったクロンドールに従い、石と泥を運んだ。
クロンドールはそれを素材とし、自らが発見した構築の魔法で、土壁の簡素な家を作り出した。
地味だったが、風には負けないし雨漏りも無いし、俺たちにとっては快適な家だった。
後々に分かる、9人の事情と力をまとめるならこうである。
銀のアクロメイアはどこぞの異世界の大国の、王族の出身らしく、暴君であった父に母を殺され、自らも暗殺されそうになった時、気がつけばここに来ていたと言っていた。当時16歳。
銀の髪と王族なりの気品があり、一際目立ったのは主導のカリスマ性と、何より生命を創造できる時別な能力だ。
集団の行動に厳しく、独断的な所はあったが、だからこそすぐに生活の基盤が整ったのだと思う。
彼の決定は常に俺たちを導いたし、彼もその使命感を感じていたようだった。
黒のクロンドールは、別の世界の小国家の貴族の出であったらしい。
幼い頃より自国の姫に仕える騎士だったとか。
ただ元の世界が終わりの時代を迎え、大規模な天災に見回れたようだ。
逃げ場も無く大事な人を救う事も出来ず、無力な自分を恨みながら、死んだと思ったらここへ来ていたと言っていた。
黒髪の美男子で、アクロメイアより柔軟で親しみやすさがあった。当時16歳。
元の世界の文明が高度だった事もあり、彼の建築や土木の知識、また建造能力が、俺たちの生活レベルを押し上げる活躍を果たす。
白のユティスは、元々魔法のある異世界からやってきたらしく、この世界で得た力を最初に理解した者だった。当時16歳。
幅広く豊富な知識があり、異世界の存在も元々知っていたらしく、自らの国家が戦争の為に異界生命の召喚を試みた際、自らがこの世界へやってきてしまったと言っていた。
一見最も優しい面立ちと雰囲気があったが、誰より大人の判断ができ、誰より冷静だった。表立つ事は無かったが、先頭に立つ二人を助ける役割をした。
元々の世界の魔法を応用し、精霊の力をいち早く理解して精霊の魔法を確立していた。
灰のトリタニアは、世界大戦の最中の世界からやってきた。
彼は少年兵として、空を飛ぶ兵器に乗っていたらしい。
敵の戦艦の爆撃により海に散ったと思っていたら、気がつけば異世界との事だった。当時17歳。
彼の身体能力は特別高く、空をも飛ぶ力があった。
この状況を受け入れるのも早く、サバイバルの経験もあった事から、何かと頼りにされていた。軍人と言う事もあり、最も体力もあった。
狩りは誰より得意で、男子たちにとってはムードメーカー的な存在ではあったが、何故か女子が苦手なようだった。実はデメテリスの兄であったと知ったのは、この世界に召喚されて少し経った頃の事。
赤のマギリーヴァは、赤毛に猫目の、少々口うるさいが世話焼きで美しい少女だった。
ただ彼女の赤毛が原因で、元の世界では忌み嫌われる存在だったらしく、“魔女狩り”にあい処刑されようとしていた所、こちらの世界へやってきたらしい。当時14歳。
彼女は魔女狩りの詳細を皆に言う事は無かったが、色々と理不尽な目にあっていたようだ。服の隙間から見える体のあちこちには傷があり、本人もそれを気にしていた。
彼女には元々から魔法の力があった訳ではなかったが、この世界では単純な“力”を手に入れていた。
樹を切ったり、石を砕いたりを簡単にしてみせたから、クロンドールの様々な構築素材の確保に役立った。ただあまり魔法が得意ではなく、これらの力も、失敗しがちだった。畑仕事や調理を率先してやっていた。
紫のプシマは、素直で正しさを重んじる、清らかで愛嬌のある可憐な少女だった。
どこからやってきたのか語る事はあまり無かったが、元々着ていた衣装はヒラヒラした袖や裾の長い馴染みの無いもので、彼女の持っていた扇子には“漢字”と呼ばれる文字が書かれていた。。
自らの体から甘い匂いを発する特殊な体質を、誰もが素敵だと言っていたが、彼女はそれを嫌っていたようだ。だが、彼女の甘い匂いは心落ち着くものがあった。
俺にも気兼ねなく話しかける、笑顔の多い無垢な少女だったが、ふとした時に、少し寂しそうな表情をしていたと思う。メイデーアにやってきた当時は15歳。
彼女は沢山の物語や歌を知っていて、時に辛くなる俺たちに語って聞かせ、心を癒した。彼女は機織りが得意だった。
緑のデメテリスは、特別臆病で対人恐怖の激しい少女だった。
トリタニアの妹で、幼い頃、戦争で離ればなれになった所を、この異世界で再会を果たしたのだとか。
二人が兄妹であったと気がついたのは、こちらに召喚されて随分後の事だった。
口数も少なく、メイデーアにやってきた時も、一番おどおどしていて、何もかもを怖がっていた。当時最年少の12歳。
ただ、大樹の言葉を聞く特殊な力があり、碑文の文字も、彼女がその場に居なければ変更する事の無い仕組みで、大樹に特別愛されている気がしていた。
基本女子の後ろに居て、優しいユティス以外の男には全く関わろうとも話しかけようともしなかった。後に兄と分かるトリタニアとも、打ち解けるのに時間がかかった。特にエリスを怖がっていた。
青のエリスは、痩せていて猫背で、お世辞にも見目麗しいとは言いがたい少年だったが、とにかくひねくれ者で、厄介ごとを起こすのが得意だった。やってきた当時、17歳。
最年長であるくせに、人の食料を奪ったり、畑を意味も無く荒らしたり、人を傷つける言葉を吐いたり、偉そうにしたり。皆に好かれていたとは言えない。
ただ道具を作る事に関しては器用で、隅でぶつぶつ言いながら何やら作っている事もあったし、それを悪さに使う事もあった。
アクロメイアの言う事には従わず、クロンドールには特別な劣等感を抱き、ユティスには偽善者と言い捨て、トリタニアには関わろうとせず、マギリーヴァにはいつも怒られ、プシマには密かな憧れがあり、デメテリスには怖がらせる事をして笑っていた。俺にだけは、何故か優越感を抱いていたようだった。
とにかく厄介で危なげな奴で、時に大樹の元から居なくなる事もあったが、いつの間にか戻ってきていた。
俺には、何も無かった。金のハデフィスと言う新しい名、以外に。
生まれも育ちも悪い。
働かされるだけの貧困の町に居たせいで、学も無く、現状で役に立つ知識もあまり無かった。
当初は自分に何の力があったのか分からず、だからこそ周囲の特別な者たちがまぶしく思えた。
周りに尊敬されたり、愛される要因が一つもなく、だが仲間はずれにもなりたく無くて、ひたすらに自分の身一つで働いた気がする。周囲は皆、良くしてくれていたのに、自分だけがじわじわした焦りを抱いていたのだと思う。
エリスは俺に対しいつも高圧的で、偉そうに「無能」と言っていたっけ。
無能なら無能で良い。
俺はとにかく、人の力で出来る最大限の事をした。ここで生きていく為に、だ。
ただそれだけだった。