65:『 2 』ユリシス、またこの場所からあの二人を追いかけている。
5話連続で更新しております。(5話目)
「61:『 2 』ユリシス、ノアと箱船。」が最初の投稿です。
ご注意ください。
ここは、教国の、真っ白な隠れ部屋。
ザーザーと、壁から流れる聖地の水が、床の窪みを伝い、部屋全体に神聖なまじないをかけている。
人口的でありながら緑色の植物も植えられている。
“豊女王の殻”のある空間と隣接した、地下庭園以上の教国の心臓部と言っても良い。
この部屋がどこにあるのか、それは教国の設計図で知る事は出来ない。
様々な複雑な術式のもと、この部屋へ辿り着く結界を通過できるようになっているのだ。
キキルナは、そこに寝かせている。
何重にもかけた、僕の結界の中で。
確か、前にマキちゃんもこの部屋で、乱れた魔力を整えた事があるのだとか。
黒い亀ブラクタータが、のそのそと、その白い床を歩み、溝の水を首を伸ばしていた。
「で、どうだった…………ミラーロード」
「……キキルナの“記憶”には、確かに誰かに呪いの種を植え付けられる言動があったようですが、相手の姿は、まるでマジックで黒塗りにされているかのように見えません。流石に、記憶から消されていますわ」
「……そうか」
肩もとに浮かぶ、鏡を抱いた髪の長い精霊に、僕は問いかけた。
鏡の精霊、ミラーロードだ。
ノアに預けたミラーシードとミラーロードは、合わせ鏡の双子の精霊。
ミラーシードにキキルナの姿とキキルナの人格をコピーさせた際、ミラーロードにキキルナの記憶を少しだけ覗かせた。
しかし、大事な事は何一つ分からず。相手も、最初から様々な手を打っている。
「本当に、キキルナは、目を覚ますかな」
ペルセリスが、若草の上に横たえられているキキルナを見つめながら、不安そうにして呟いた。
「分からない。乗っ取っている肉体が死ななければ、青の将軍の魂は解放されないというリスクがある以上、僕は、可能性的には低いと思っているけれど……」
ただ、青の将軍は、あまり嘘をつかないというエスカ義兄さんの言葉を思い出した。
一つの魂を消失する事で、肉体を解放する事など、方法はあるのかもしれないが……
「ユリシス……行っちゃうのね」
ふいに、ペルセリスが僕を見上げて。
それは、かつての妻エイレーティアにも問われた言葉だ。
「……ああ」
「……」
「だけど、絶対に戻ってくるよ。トール君とマキちゃんを連れて……」
「そうだね。二人が居るんだもんね」
ペルセリスはニコリと笑って、まるで不安な様子を見せる事も無く、僕に抱きついた。
「不思議。“前”は、不安で仕方が無かったのにね。今度は全く不安ではないの。そりゃあ、怪我しないかなって心配はあるけれど……でも本当よ。ユリシスをここに引き止めておく事の方が、もっと不安。何もかも駄目になっちゃいそうで」
「……ペルセリス。だけど、僕は不安だよ。君をここに置いていく事になる……」
「私は大丈夫。母は強いのよ!」
顔をひょこっとあげて、ペルセリスは何だか凄く自信のある表情をした。
その様子は、強いというよりは愛らしい。
「ここで、教国を守るわ。大丈夫……私だって魔王クラスだもの。それにスズマも居るし……オペリアを守らなくちゃ」
「……」
「寂しいけれど……待っているわ。みんなルスキア王国から居なくなっちゃって本当に寂しいけれど……でも、大丈夫。今度は、大丈夫よ。みんなで戻ってきてくれるって信じてるもの」
大丈夫、と言って笑顔を向けながらも、少しだけ潤んでいる彼女の瞳。
さらっと、彼女のオリーブ色の髪を撫でた。あまりの愛おしさに、頬を両手で包んでお互いの顔を近づけ……
「おい、俺が居るぞ!」
「……ん?」
どこからか、この雰囲気の中あまり聞きたく無かった声が聞こえた気がした。
少し向こう側の白い壁をバックに、司教服姿のエスカ義兄さんの姿が。
なんか凄く不快そうな顔をして仁王立ちしているが、僕とペルセリスはぽかん。
「あれ……お兄ちゃん? いつ帰ってきたの?」
「さ っ き 帰 っ て き ま し た !」
ペルセリスの微妙にどうでも良さそうな声音に対し、エスカ義兄さんは断言。
「白賢者が北へ行くって言ったら、シャトマ姫様が、俺に一度教国に帰るようおっしゃられた。まあ……ずっと居られる訳じゃないが、頻繁に俺が帰ってきますよ。ここも心配だし……!」
「……ふーん」
「巫女様の反応薄っ!!」
軽くショックを受けているエスカ義兄さん。
せっかく戻ってきたと言うのに、ペルセリスと来たら。
ただ僕は、少しだけ気になる。
「しかし、エスカ義兄さん、もう怪我は良いのですか? かなり厄介な怪我をしたと聞きましたが……」
「はん。あんなのすぐに治るわ。俺様を誰だと思ってやがる」
イライラした様子のエスカ義兄さんは、鬱陶しいのかその司教装束の一つである帽子を取って、投げ捨てた。
彼の側によちよち寄って来ていたタータ。
「エスカーエスカー」
「はいはい……ったく」
エスカはイライラしつつも、子亀姿のタータを抱き上げた。
なんだかんだ、ここはやっぱり仲がいいよな、と思う。
「しかし、エスカ義兄さんがここに帰ってくてくれるのなら、僕は安心して北の大陸へ行けます」
「はん。本当は俺様が行きたいくらいだがな。戦争は血が騒ぐ」
「……」
「だが、今回はお前じゃないと駄目なんだと、シャトマ姫様も言っておられた。……あの方がそう言うんなら、そうなんだろうよ」
少しだけムスッとしていたエスカ義兄さんの言い草だが、僕は色々な後押しでこの大陸を出て行けるのだと思うと、嬉しい。
それだけで、かつての自分とは違うのだと思わされる。
「ほら、さっさと行きやがれ。ちんたらしてる暇なんて無いんだぞ」
「そうだよユリシス。教国の事は、任せておいて。トールとマキアを、追いかけて……」
エスカ義兄さんとペルセリスの言葉が、身にしみる。
「はい。追いかけてきます。あの二人を……」
思わず二人に頭を下げてしまった。
「……」
ああ、そうか。と、思った。
僕はまた、あの二人を追いかけて、北の大陸へ行くのだ。
この聖域から、司教様と巫女様に命じられ。
少しずつ関係図は変わっていても、二千年前から変わらないのは、僕がここから、あの二人を追いかけると言う事。
今度はあの二人を討ちに行くのではなく、仲間として助けにいく。
何だろう。
それが、僕には泣きたくなる程嬉しい事だった。
教国を去る前に、次代“緑の巫女”のオペリアの部屋へ向かい、オペリアとスズマの顔を見ておきたいと思った。
「あ、パパ」
「……スズマ。オペリアは寝ているかい?」
「うん! ぐっすり寝ているよ」
僕は一度オペリアの寝顔を見つめ、その頬を撫でる。
「可愛いよねえ」
と、ゆりかごを覗くスズマが。
僕はクスッと微笑んみ、スズマの側にしゃがみ込んで、スズマの手を取った。
スズマはきょとんとしていたが、僕が何か大事な事を言うんだなと分かっていたようだ。
「スズマ、僕はしばらく、北の大陸へ行くよ」
「……北へ? ここから居なくなっちゃうの?」
「そう。ここを留守にするんだ。……スズマ、良いね。お母さんを助けて、妹を守るんだ。エスカ義兄さん……師匠や大司教の言う事は、ちゃんと聞くんだよ」
「うん。……分かっているよパパ」
スズマが納得するのは早かった。コクンと頷く。
「だけど、もし何かあったら自分の身を、ちゃんと守るんだ。何より大事なのは、自分の命だからね」
「……うん」
二千年前も、こんな風にシュマに色々と言い聞かせたっけ。
だけど今、何より念を押すのは、自分自身を守れと言う事。
スズマに何かあったなら、例えペルセリスやオペリアが無事であれ、誰も救われない。
「大丈夫だよパパ。僕は魔法も、少しだけ使えるようになったもの。ママとオペリアを守るよ。エスカ師匠と一緒に。でも僕、逃げ足も早いんだよ……? 何かあったらとりあえずさっさと逃げろって、他人の事なんて二の次よって、マキお姉ちゃんが言ってた。しっかり者よりちゃっかり者が一番長生きすんのよって。前に、僕の居たオアシスで」
「……」
スズマの言う言葉は、確かにマキちゃんの口調で脳内再生され、僕はぷっと吹き出す。
「はははは!! ……そうだね……っ。大丈夫だね、君は。マキちゃんの教えがあるもんね」
思い切り笑って、握っていたスズマの手を、より力強く握った。
小さなスズマの手は熱く、彼が生きている事をより強く実感する。
あの冷たい水の棺に入っていたシュマとは、違うのだ。
僕が初めてシュマの遺体を見つけた時、あの殻の器にすでに魂は無く、この世に転生を果たしていた事になると言う事なら、何だか救われる気分だ。
一度、逞しくもちゃっかり者の我が子を、しっかりと抱きしめた。
「パパ……どこかで僕を助けてくれたマキお姉ちゃんに会ったら、また会いたいよって、言っておいて。あ、あと、トールお兄ちゃんも」
「……トール君はついでか」
僕が何も言わなくとも、スズマには、僕が二人に会いにいくのだと言うのは、会えると言うのは、何となく分かっていたのかもしれない。
本当に不思議な子だ。
僕は、またこの場所からあの二人を追いかけている。
今度は敵としてでは無く、彼らを助ける為に。
旅立とう。
今世はまだ見ぬ、僕ら三大魔王の巡り会い、長い時を戦ったあの北の大地へ。