62:『 2 』ユリシス、深読みしようとして止める。
5話連続で投稿しております。(2話目)
ご注意ください。
ノアの箱船の空間の中。
停止した戦艦だけが、僕らを見下ろしていた。
「エスカ義兄さんは言った。お前は……果たして連邦サイドの人間なんだろうか、と。お前は、青の将軍は……いや、“災い”は、どちらにも居る。どちらからも、監視でき、世界を操れる。それには……トワイライトの一族が最も適している、と」
「……」
「お前の目的は何だ。巨兵や魔導回路を使って……何をしようとしている」
「……ふふ」
奴は、俯いて笑うだけ。
何がそんなにおかしいのか、その笑みは僕でも少しの恐れを感じてしまうくらい、不気味で、得体の知れないものだった。
「巨人族との戦いの舞台を整えたかっただけなのか? これから、大きな戦いが始まる。おそらく、沢山の人が死ぬ。お前は、お前にとってはそんな事はどうでも良いのかもしれない……っ。だがそれを裏から操って、一体何をしたい。何が見たいって言うんだ……!」
「……何が見たい……ですか。面白い言い方をしますね、白賢者」
目の前のキキルナは、もはやその愛らしい声で、いかにも青の将軍らしい口調のまま、黒い瞳を細めた。
「パンドラの箱は、遠い彼の地で、既に開いた様ですね」
「……は?」
何かを憂う様に、奴は顔を上げる。
「そもそも、私に計画と言うものがあるのなら、それには“紅魔女”の体が必要でした」
青の将軍は、また唐突に紅魔女の話を始める。
目の前の僕なんてどうでも良いように、遠くを見つめながら。
「しかし彼女は死んでしまった……」
「……っ、お前が殺したんだ!!」
あまりに他人ごとの様に言うので、我慢できずに杖を地面に強くついて、声を上げた。
この先、僕がキキルナの姿をした青の将軍に対し、どんな決断をしようとも、マキちゃんを殺した事だけは絶対に許せない。
あの絶望を、辛酸を、果てのない悔しさと寂しさを、こいつに思い知らせてやりたいと、今でも思う。
青の将軍は、キキルナの釣り目を細めて、一つ、僕に言った。
「確かに私は、一度紅魔女を死に追いやりました。しかし白賢者……あなた、知らないんですか? 紅魔女は、このメイデーアに戻ってきたんですよ」
「……」
ゆっくりと、目を見開いた。
こいつ、それを知っているのか?
「え……マキア様……が……?」
ノアが驚いている。
彼には知らされてなかったのだろうか。
「彼女は黄泉の国から舞い戻ってきた。私を追いつめる為の瞳を手に入れてね……。本当にどういう事だろう。いったい何が、彼女を蘇らせたのだろう。転生するには早すぎる。姿も少しだけ違った……だが、彼女であると言う事だけは、確かだった」
不思議に思いながらも、面白そうにして語る青の将軍。
そして、続けた。
「あなたは、紅魔女が蘇っている事を知らなかったんですねえ……仲間だったと言うのに? 知らされてなかったんですか?」
「……」
「紅魔女も酷い人だ。多くの者を悲しませたままにして……もうルスキアの人々なんて、どうでも良いんでしょうかね」
「……」
「私の話、信じられないですか?」
こいつは、また僕の動揺を誘っている。
本当につくづく、責めどころを分かっている。
僕がマキちゃんの存在をスズマから知らされていなかったら、おそらくここで、激しく心乱れた。
それは、負けに、死に繋がっていたかもしれない……
だけど、僕もまた、クスクスと笑って言ってやった。
「何を勘違いしている……その事は既に知っている」
「……ほお。しかし本人に会った訳ではないのでしょう? えらく冷静ですね。本人に知らされた訳ではないのに。あなた、紅魔女に忘れられてるんじゃないですかあ?」
「マキちゃんをそんなに単純に解釈するな」
僕は奴の言葉を遮るように、声のトーンを低くした。
腹が立つのに、不思議と心は落ち着いている。何だろう……これは。
少しだけ顔を伏せる。
「僕らの関係は、お前なんかには推し量れないだろう……あの異世界を知らないお前には……」
「……」
ぐっと表情を引き締め、顔を上げる。
白い茨に捕われているキキルナの姿の青の将軍が、僕を見下ろしていた。その、冷たい漆黒の瞳で。
「マキちゃんは、決して黄泉の国から帰ってきた訳じゃない……僕は、知っている。その可能性を。青の将軍……お前は知らないだろう。“地球”と言う異世界を」
一度、空を仰ぐ。鈍い、歪んだ空間の空を。
ノアの箱船がごうごうと音を立て、ただそこに留まっている。
呼吸を整えた。魔力を、研ぎすますため。
「……地球?」
青の将軍の、疑問を帯びた声。その世界を知らないようだ。
僕は空を見たまま、彼の異世界を懐かしむ。
「……僕らはあの世界を経由して生まれ変わった。規格外な魔力なんて無い、ただの人として過ごした16年。それが、僕らの絆……。僕と、透君と、マキちゃんの……」
あの世界が無ければ、あの16年が無ければ、僕はあの二人をこれほどまでに信じられただろうか。
二千年前は、100年争っても分かり合えなかったのに。
魔法もしがらみも無いただの16年は、ただの人として向き合った僕らの16年は、僕らにとってかけがえの無い時間だった。
そうだ。
その時は、ただ平和に過ごす毎日に、どうしようもない焦燥を感じていた僕らがいた。
だが、何度転生を繰り返しても魔王になってしまう僕らが、ただの人として過ごした16年だ。
貴重でないはずが無い。
ムダだったはずも無い。
他の魔王には、分かり様も無い。
「……マキちゃんはきっと……もう一度地球からやってきたんだ」
何だろう……こんな時に、それこそが全ての答えだと思える。
このメイデーアが辿り着く、最後の理想郷。
「精霊アクティマース…………第十戒召喚……」
杖を掲げ、魔法陣を十連ね、僕は自らの頭上に、金色の宝珠を抱く、まるで天使のような姿の精霊を召喚した。
背中には白い羽が携えられている。
その宝珠の光は、戦艦を抱く箱庭を、連続的な美しい音と共に環を描いて広がって行く。
「な……その精霊は……」
「精霊アクティマース。エレメンツは光。昏睡と停止を司る上位精霊だ………青の将軍、お前を“黒の幕”には入れないし、入れられない。魂もどこにも行かせない。キキルナも殺せない……死なせない」
「…………欲張りな結論だ」
何かを諦めたような、青の将軍のため息。だが、余裕にも、ほころんだ笑み。
僕はそれを深読みしようとして、やめた。
「しばらく時を止め…………深い、眠りにつくと良い」
そう言った頃には、環光はキキルナの体を通り過ぎ、それは耐え様の無い眠りを誘う。
後ろに居たノアも、頭を抑えてその眠気に抗おうとしたものの、最終的にその場に倒れた。
僕が出した結論は、こうだった。
肉体を眠らせ、時を停止する事で、キキルナの肉体の死を防ぐ。
何の解決にもならないし、トワイライトの者たちの真実は、何一つ分からないけれど。
そもそもその真実は、知るべき事なのか、そうでないのか。
それすら僕には、分からない。
「おやすみ……」
ガラガラと、空間が壊れ始めた。
まるで洪水のような空間の歪みが僕を包んだけれど、そんな僕がいつの間にやら乗っていたのは、大きな大きな、黒い亀だった。
「お疲れさま、白賢者様。散々だったネ」
「タータ」
「エスカがね、『あいつのちんけな精霊は空間魔法に弱いから』って、あたしを差し向けたんだよ」
「……」
「その子たちどうすんのさ」
タータは、自らの背に乗せて眠る、キキルナとノアを気にしていた。
「……」
どうしようか。
どうすれば良いんだろうか。
パンドラの箱が開かれたのなら、そこから出てくる災厄は、何だろう。
僕は、水のまどろみのような空間の歪みを見つめながら、前にエスカ義兄さんに聞いた、一つの推察と言うものを思い出していた。




