61:『 2 』ユリシス、ノアと箱船。
5話連続で投稿しております。(1話目)
ご注意ください。
大地に巨大な影ができた。
それほどに、この世界はリアリティを帯びている。
ノアの展開した魔導要塞“ノアの箱船”は、まるで幻想要素を感じさせない、物質量を伴っているように思えた。
ノアは戦艦の先端部に立っている。
冷ややかに見下ろされたその視線は、かつてのノアのものではないようだ。
「ノア……ノア……」
その戦艦を見上げて、キキルナが彼の名を呼んでいる。
何が何だか分からないと言う表情だった。
そんなキキルナをノアはちらりと見てから、何を言う事も無く無数の砲弾を大地に落とした。
僕もまた、何を言う事も無く、精霊宝壁で防ぐ。
キキルナは自らの空間魔法で回避。
爆音は止む事無く、無慈悲に降り注ぐが、僕は魔法陣の消費を惜しむ事無く、ただただそれを防ぎ続けた。
「……なるほどね」
この子は、魔王クラスではない。
それは攻撃の感覚で分かる。
トール君の魔道要塞を知っているからこそ、火力の感触で分かる。
要するに、本体ではないのだ。
「……!?」
爆煙の中から、鋭く煙を薙ぐ刃を目の端で捉える。
しかし僕はそれをかわそうとはしなかった。
ピタリと、大鎌が止められる。僕を引き裂く為に真横から勢い良く振られたのに。
「……なぜ……精霊壁を発動しないのですか。あなたなら、僕の攻撃なんて余裕で避けられるでしょう……っ」
ノアは尋ねた。
「君がその鎌を振れるか、確かめる為に」
僕はそれだけ答える。
さっきから一歩たりとも動かず、僕はそこに立ち続けた。
ただ、杖を大地につけたまま。
「……っ」
僕の言葉に触発されたのか、彼はもう一度鎌を引いて、思い切り振りきった。
「!?」
だがノアは、手応えの無さで分かっただろう。
僕だと思われたそれが、ただの霧の塊であった事を。
僕は彼の本心を知りたいと思った。
本当に青の将軍であるならば、一体いつから、ノアは、奴だったのか。
ノアは僕が消えた事に焦り、同時にキキルナの行方を気にする。
キキルナはと言うと、その場でしゃがみ込んで、動けずに居るのだ。
それを確かめてから、僕はノアのすぐ真横に現れた。
「精霊ミスティアラの力だよ、ノア君」
僕の肩には、薄青い髪をした小さな少女が、僕の襟をひぱって微笑んだ。
妖精のような姿をした霧の精霊だ。頭に銀色のティアラをのせている。
ノアは鎌を持ったまま、頬から汗を一筋流して、ちらりとこちらを見た。
しかし彼の体はあまり動かない。
ノアを囲むようにして、足下をぐるりと、尾をくわえ円を描いた黒い蛇の精霊ウロボロスが。
この精霊は、第七戒召喚に金縛りの効果を持っている。
先ほど、杖を地面に突き立て、仕掛けておいたものだ。
ノア君が引っかかるのを待っていた。
「ノア君……君はルスキア王国に来た時から、もう“青の将軍”だったのかな?」
「……」
「それとも、途中で変わったのかな。…………それとも」
「やめてください。何も、語る事はありません」
「……」
僕は無言で杖を振り上げ……そのままそれをキキルナの方へ振り下げた。
「なっ!?」
ノアは驚きの表情を見せ、慌てた様子で戦艦に再び砲撃を命じた。
しかしどんなに高性能の戦艦とはいえ、その動きは、まさに対戦艦、もしくは対巨兵のものだったんだろうと思わせる。
個人であちこち動き回れる僕に対しては、不利な要塞だ。
要するに、ノア自身、巨兵や戦艦と戦う事を見込んで魔道要塞を作っていた事になる。
フレジールや、ルスキアの為に。
僕はその砲撃を、戦艦と僕らの間の宙に作った三重の精霊宝壁によって防ぎ続けた。
魔法陣の展開をやめる事無く、キキルナを狙って、第六戒召喚を行い、ピノードラの炎の矢を放つ。
「きゃあああっ」
「姉さん!!」
ノアは自らの空間魔法で、僕の精霊魔法を解こうと必死だった。
僅かにウロボロスの金縛りが緩む。
この僕の精霊魔法に対し、一般の魔術師がそこまで出来るのだから、たいしたものだ。空間魔法に弱い精霊魔法、というのもあるのだろうけれど。
「……必死だね、ノア君。そんなに、彼女を守りたいのかい?」
「当たり前だ。姉さんは、僕らの家族だ……っ」
「……青の将軍に、乗っ取られていても……?」
「……っ」
その問いに、ノア君は歯を食いしばっていた。
どうしようもない憤りと、ある種の決意のようなものを、瞳に抱きながら。
「ふふ………きゃはは」
そのとき、炎の矢に貫かれ、ぶらんと鉄一枚で繋がった義手を、キキルナは引きちぎるようにして捨てた。
今までの戸惑いの表情を諦め、嫌な笑みを浮かべて大笑いしていた。
「きゃははははははははははっ!! どーして……“こっち”だってわかっちゃったのかなあ」
「……やはり、そっちだったか」
「ていうかー、なんで疑っちゃったんですか〜? 私たちの中に“私”が居るって」
まだキキルナらしい口調だが、その態度は明らかに、元々の彼女のものではない。
知っている人物に、奴が居たと言う疑念が確信に変わった時、少なからず心が痛んだ。
「青の将軍……フレジールで、エスカ義兄さんにヒントを与えすぎましたね。あの方はバカですけど馬鹿ではありませんよ」
「……」
また大きく、口に弧を描き、微笑んだキキルナ。
その瞬間の、ひやりとした魔力が、少なからず伝わってくる。
「ま、別に良いですけど〜」
そう言って、彼女は収納空間から小刀を取り出した。キキルナはそれを振り上げると、持ち方を変えて、自らの体に振り落とそうとする。
「だ、駄目だっ、駄目だあああああ!! 姉さん!!!」
ノアが叫んだのと同時に、上空の精霊宝壁の間に忍ばせていた魔法陣によって、第七戒・精霊の楔の召喚を行い、白い茨で彼女を拘束する。
「……お前、キキルナを使い捨てようとしたのか……っ」
思わず、憤りの声がにじみ出た。
青の将軍は、その体を使い捨てようとしていた。
バレたから、もう要らない、と。
おそらくだが、ノアが僕に攻撃を仕掛けたのは、これを恐れていたからだ。
ノアはキキルナが青の将軍に乗っ取られているのだと知っていたが、同じ一族のキキルナである為……
少しだけ、自らの魔力を落ちつかせる。
「死なせない。僕が目の前に居る限り、お前は死ねない。すぐに治癒を施す……諦めるべきだ」
「あーあ、残念。すぐに自由になりたかったのに」
「……」
キキルナの声で、心から残念がる青の将軍。
いっさい、油断が出来ないのは分かっている。
僕には、黒の幕は使えない。
それ以前に、あの魔道要塞自体、今は信用できるのかが分からない。
「駄目だ! キキルナ姉さんに手を出さないでください……っ、駄目です、ユリシス殿下」
ノア君は今にも泣きそうな、切実な声だ。
恐くて恐くて、仕方が無いという目をしている。
「……なら、その場でじっとしているんだ。魔道要塞も解いてはならない」
僕はノアにそう言いつけた。
元々、ノアだって僕に勝てるとは本気で思っては居なかっただろう。
無謀な事をする前に、ノアもキキルナも、動きを封じなくてはならなかった。
ノアは、自分がどうなっても良いからと、キキルナを助けようとしていたのだから。
「ふふ……白賢者。私を捕らえた所で、何ができると? 何も出来ないと思いますが? 乗っ取られたこの娘の体、あなたには元に戻す事も出来ないでしょう」
「……やはり、キキルナは乗っ取られているのか。と言う事は、本体ではないと言う事だ」
「おっと、口が滑った」
キキルナの姿をした青の将軍は、その口調を徐々にらしいものに変えながら、くすくす笑う。
マキちゃんのような優れた名前魔女としての力の無い僕に、本当にそうなのか、そうでないのか、疑わせる為の一言だったのかもしれない。
「しかし……元々、キキルナもノアも、かつて紅魔女……そう、マキちゃんにその名と情報を見てもらっている。本体であった可能性は低い。ただ……そんな名前魔女の瞳をもごまかす手があったのなら、話は別だけど」
僕は、できるだけ淡々と、青の将軍と“やりとり”をしようと思った。
「ふふふ。それはどうですかね……そもそも、紅魔女はもう“この世に居ない”し、もうそんなものを恐れる必要も無いのですが」
「……」
青の将軍の言い方は、僕の感情を逆撫でするものだった。
誰のせいで。
誰のせいでマキちゃんが死んだと思っている。
本当は、ついに青の将軍と対面したならば、絶対にこいつを許しはしないと思っていた。
かつてマキちゃんが死んだ時に誓った事だ。
だけど、視覚的な情報が空しい。
やっと対面したかと思うと、それが仲間だと思っていたキキルナだったなんて……
無慈悲にキキルナを攻撃する事も出来ず。
たとえ出来たとして、本体以外の青の将軍に死は無い。
ただ、キキルナが死ぬだけだ。もしかしたら、もう死んでいるようなものなのかもしれないけれど……
ぐっと、沸き起こる怒りを抑えた。
「いったいいつから、キキルナの体を……?」
「ん〜、いつだったかなあ。ああ、そうだ。紅魔女が死んだ、すぐ後かな〜きゃははっ」
「……」
キキルナのふりをしていた時の口調で、またしてもマキちゃんの事を話題に出して、奴は続けた。
「一つ教えてあげましょう。私は不動の本体以外の6つの魂を自在に操る事ができ、また呪いの種を植え付けておいた他人の体を乗っ取る事が出来ますが、“呪いの種”の制限は別です。芽吹いていないだけで、種を植え付けられた者と言うのは、実はあなた方の側に沢山居るかもしれませんよ……」
「……」
「なーんちゃって。本当かもしれないし嘘かもしれない話」
「そう言う事を言って、僕を惑わそうとしてもムダだ。お前、何が目的なんだ……どれだけトワイライトに居る」
「!?」
僕の問いに、驚きの反応を見せたのは、ノアだった。
その表情を、僕は見逃さない。
キキルナの姿の青の将軍も、少し面白く無いと言う表情をしていた。
やはりここが、肝となるのか。