59:『 2 』ユリシス、問いかける。
僕の名前はユリシス。
かつて、白賢者と呼ばれていた男だ。
「……繋がったのか」
その瞬間は、良くわかった。
地下の聖域でペルセリスとともにいた時に、お互いが顔を上げたのだから。
「ユリシス……」
「大丈夫だよ。君は、君の出来る事をしてくれ」
「……分かったわ」
頼もしい様子で頷くペルセリス。
だけど、すぐに、彼女の渾身の力で僕を抱きしめる。
「ペルセリス」
「うん……分かっている。大丈夫よ」
「……そうだよ。今度はね、沢山の人たちが、僕らを助けてくれるから」
僕は可愛い妻を抱きしめ返した。
側にあるゆりかごで眠る、まだ赤ん坊の娘オペリアの顔を見つめながら、スズマが「またいちゃいちゃしてるねえ」と。
まるで頷くように、オペリアが「ア…」と声をあげた。
スズマはよくオペリアを見ている。
血のつながった妹ではなくても、大事にしてくれているのだった。
赤ん坊の妹や弟が出来ると、母親はそちらに手を焼き、兄や姉と言うのは少なからず嫉妬をするものだが、スズマはそんな事にはならなかった。
むしろ、率先してオペリアの面倒を見たり、ペルセリスの手伝いをしたり。
エスカ義兄さんの言う通り、魔法の勉強もさぼらない。
でも遊ぶ事も諦めない。
毎日毎日を、楽しんでいる。
彼がどのように育ってきたのか、僕は話に聞く以上の事を知らない。
両親は居らず、東の大陸のオアシスで育ったらしいけれど……
「じゃあ、行ってくるよ、マキちゃん」
僕は、聖域に並ぶ八つの棺の中で、赤毛の少女の眠る棺の前に立ち、言葉をかけた。
マキア・オディリールの墓だ。
彼女はこの国を守る為、紅魔女としての罪を清算するため、不可避の死を受け入れ、この棺に収められた。
「綺麗な人だね……このお姉ちゃんも、“マキ”って言うんだね」
「……」
「僕の知っているマキお姉ちゃんは、どこにいるのかな……」
これはスズマの口癖だ。
スズマは東の大陸のオアシスで、マキと言う不思議な力をもった少女と出会ったらしい。
その少女は長い槍を持っていて、長い黒髪をなびかせ、不思議な服を纏った綺麗な人だったとか。
シャンバルラ王国を乗っ取った連邦の陰謀により、スズマは人さらいにあったが、そのマキと言う少女に救われたらしい。
マキと言う少女は、横暴かつ大食いで、不可能な事は何一つ無く、まるでむちゃくちゃな女神様のようだ、と、スズマは評していた。
その話を聞いて、僕はハッとした。
それは、驚く程静かな、悟りだったと言える。
なぜ、と言う疑問は、その時は無かった。
おそらくそれは、きっと、僕の知っているマキちゃんに違いないと言う思いしかなかった。
違う。マキアではないマキちゃんだ。
そう信じたかっただけなのかもしれないけれど、転生の経験がある僕だからこそ、彼女の存在を信じられる。
おそらく、マキちゃんがスズマを見つけ、助けてくれ、そして、僕の元へ帰してくれたのだ……
「スズマ、お母さんの側にいるんだ。今日は、外に出ちゃ駄目だよ」
「海で遊んじゃ駄目なの?」
「……今日はね、海が少し……荒れると思うんだ」
僕はスズマの頭にポンと手を置いて、その髪を撫でる。
スズマは「分かったよ」と、頼もしく頷いた。
そして僕は聖域を出て行った。
例の、スズマを助けてくれたマキという少女について、分からない事は沢山あるとも。
なぜ。彼女がこの世界に再び現れたと言うのなら、なぜ僕の前に姿を現してくれないのか。
僕は、内密に僕に伝書を届けたエスカ義兄さんと、様々な確認の為、一度精霊魔法を駆使した長距離伝心魔法を試みた事がある。
これは、共に魔王クラスの精霊使いだからこそ出来る術だと言える。
その時、尋ねた。彼女は、マキちゃんは、もしかしてこのメイデーアに、再び現れたのか……と。
エスカ義兄さんは嘘をつけない体質だから、ゲッと表情を歪め、しまいに暴露した。
彼女は、西の大陸で、トール君の元にいる、と。
「……」
そうか。
よかった。
この時、思ったのはそれだけ。本当に、心から嬉しかったとも。
彼女が僕の前に姿を表さない理由は、おそらくあまり無い。
だけど、それは決して、僕らルスキアに残された者たちを、大事に思っていない訳ではない。
単純に、今では無い、というだけの話。
きっと今は、西の大陸で国づくりに勤しんでいるトール君の側で、トール君を支えているんだろう。
知っているよ。
マキちゃんは、僕やトール君との関係を、何より大事にしていた。
今だってそうだ。
だけど、僕が今世、最も大切なものをペルセリスやスズマ、オペリアとしたのと同じ。
マキちゃんは、再びこの世に現れた彼女は、今世、最も大事な存在にトール君を選んだ。
それは、彼女にとって変わる事の無い、選択だったのかもしれない。
ただ今世、違う事があるとすれば、おそらくトール君も彼女を選んだのでは、という事だ。
今、二人が二人でいる事が、僕にそう思わせた。
かつて、三人で、友達以上でありながら、ただの気楽な関係を作っていた時代を思い出す。
地球にいた時の事だ。
その頃を懐かしく思うからこそ、それは少なからず寂しさを帯びた郷愁であったけれど、それ以上の喜びはあったとも。
今、トール君とマキちゃんは二人でいるのだ。
愛する者に、最後までその弱さを見せなかった“マキア”を知っている。
“マキア”を失い、記憶まで封じられたトール君の、あの生きているのか死んでいるのか分からない時代を知っている。
邪魔させない。
邪魔させやしない。
僕は、出来る事をしよう。
そして、マキちゃんが僕に会いにきてくれるのを待つのではなく、僕が、彼女に会いに行く。
トール君を助けに行く。
僕の推察が正しく、本当に二人に会えたなら、僕は心から、二人の幸せを願うだろう。
地下庭園を出た外は、驚くくらい静かだった。
教国は今日も、とても清らかな空気に包まれている。
多くの人が大聖堂に集まっているし、司教やシスターたちは皆、いつものように落ち着いた佇まいだ。
魔導研究機関への海岸線を歩き、海を確かめてみても、海の波は穏やかで、風もほとんど吹いていない。
空は透き通る程の青さで、雲もない。
今日、この日、三つのタワーが繋がった事で、中央海の半分以上が、僕たち三国同盟の管轄下になったと言える。
「……緑の幕はあの辺りかな……」
水平線の彼方を見つめながら、ぽつりと呟いた。
それがどの辺りか、なんて目印も無いのだから、はっきりとした事は分からないのだけれど。
以前、目に見えていた“島”というのがある。
今はもう見えないけれど、あの幻想の島は、また現れるだろうか。
「……?」
あまりに意識して、海の向こう側を見ていたからだろうか。
ぼんやりと、何かが見える気がした。
だけどそれは、ふっと消えたり、また現れたり。
目を凝らしても、変わらない。
三つの魔導回路システムが繋がった事で、ここら辺の残留魔導空間に影響が出てきているのだろうか。
いつか……再びあの島を、はっきりと見る事が出来るだろうか。
「……もう一度見たいな」
何故か僕は、あの島をもう一度拝みたいと思った。
それは何故か。
あの島を思うだけで、とても懐かしい気持ちだったからだ。
「やあ……ノア、キキルナ」
「お待ちしておりました、ユリシス殿下」
トワイライトの一族である、ノアとキキルナが、ルーベルタワーのシステム管理室で、僕を待っていた。
僕は二人に微笑みかける。
「しかし、凄いよね……三つのタワーが繋がっただけで、トール君が居なくともそれぞれのタワーを行き来する転移魔法が可能だなんて……」
「ええ。転移するには、転移魔法を可能とするグランタワーの許可が必要ですけれどね。トール様の魔道要塞が組み込まれたグランタワーがあるからこそ、と言えますが。レジス・オーバーツリーはヴァルキュリア艦隊を有し、ルーベルタワーは多くの魔法陣のストックと魔力を保持し、グランタワーは黒魔王様の魔道要塞を管理している……三つのタワーが揃えば、怖い者なしですよ」
「……そっか。それは凄いな。連邦はきっと、この三つのタワーを脅威に感じているだろうね」
「ええ。これがあれば、連邦など一網打尽に出来ます……」
「……」
このルーベルタワーの管理を、現在任されているのはノアだった。
ノアは、始めて見た時よりずっと大人びて、背も高くなったし顔つきも幼い少年のときのものとは違う。
レピスさんやマキちゃんにちょこちょこくっついていた、あの黒いローブの少年と言うよりは、トール君に似た頼りがいのある存在だ。
「きゃはははっ、でもいーなーいーなー。ユリシス殿下、トール様の所に行くんでしょう? 私だって会いたいなあ。ずっと会ってないんだよ?」
「駄目だよキキルナ姉さん。僕たちは、ここでルーベルタワーを管理しなくちゃ。それに、トール様の国は魔族の国だ。キキルナ姉さんは、魔族が嫌いじゃないか」
「わーかってるわよぅ。魔族なんて見たくも無いわ。……それが、このタワーが連邦を討つために必要な事だって事も分かってる。トワイライトのみんなを、助け出さなきゃ……」
「……」
ノアと、キキルナは、子供らしい無邪気な一面を見せつつも、やはり、内に秘める連邦や魔族への憎しみを忘れてはいない。ひしひしと感じる。
「ふふ、でも、僕は今日旅立つ訳じゃない。下見をしにきただけさ。どれだけのものを持って行けるのかなって」
「何か運びたい物資があるのですか?」
「うん。ほら、レイラインは今物資不足らしいし、三つのタワーが繋がったら、ルスキア王国も色々と提供すべきものがあるかなって。それ以外にも……そうだなあ。僕は、甘いお菓子でも持って行きたいね。……レモンケーキとか」
「……?」
ノアとキキルナは顔を見合わせる。
「トール様は甘いもの、そんなに好きでしたっけ?」
「うーん、トール君はそこまででもないと思うけどね……」
「??」
僕は、不思議がっているノアとキキルナに、目を向けた。
僕は……
「ねえ、一つ質問しても良いかい?」
「え? ええ、何でもどうぞ」
「そうかい……」
少しだけ間を置いて、僕は目の前の二人に向かって、いつもの変わらない調子で尋ねた。
「二人はさ……どっちが……“青の将軍”なのかな……」
「……」
「……」
「それとも、二人ともそうなのかな……」
沈黙は、低く唸るようなルーベルタワーの起動の音を、より強調させる。
驚きを飛び越えた、ノアとキキルナの、強ばった表情も。
『 トワイライト は 敵 の 可能性 あり 』
あのカメのカードに書かれていた、文字列を思い浮かべる。
信じたく無いさ。こんな事。
だって、もし本当にそうだったなら、マキちゃんはどれだけ悲しむだろう。
もし本当にそうだったなら、何もかも、今までの何もかもが、一体なんだったと言うのかと言う程の“崩壊”に繋がる。
惑わしこそが、“青の将軍”の最大の力なのだから。