54:『 3 』レナ、連邦の地で。
私の名前は平玲奈。この世界では、ただのレナ。
メイデーアの救世主として召喚された異世界の人間。
そうだと言って聞かされたのだから、そう思っていた時もある。
今では、全くそう思えない。
「迎えに来たよ……僕のヘレネイア」
フレジールの牢屋に閉じ込められていた、あの夜。
爆発の後の、轟々とした音の中、いびつな形となった牢の柵の間から見えたのは、自分よりずっと幼く見える、銀髪の少女だった。
その少女を見た瞬間に、身に覚えた感覚を、忘れられない。
懐かしさと、愛おしさと、それ以上の恐れ。
「こんな所に閉じ込められて…………だから、言っただろう? 誰も君を、仲間だとは思っていないって」
「……」
目の前の少女とは別の、銀髪の誰かが、脳裏に浮かんでは消える。
情報が錯綜する……
瞬きも出来ない。
「さあ、ここから出して上げよう。そのかわり……僕の言う事を、お聞き?」
少女は、硬直して言葉も出ない私の元へ一歩一歩近づき、目の前にやってくると、そっと体を抱きしめた。
耳元でそう呟かれ、私はすぐに、察する。
どうしたって私は、“こちら”側の存在だったのだ、と。
「……」
私はエルメデス連邦の都キルトレーデンの中心部にそびえ立つ宮殿内の、誰も来ない隔離された部屋に閉じ込められていた。
部屋は広く明るく、何もかもが備わっている。
装飾の細かい家具類や暖炉、大きな絵画、ふかふかの天蓋付きのベッド。
ドレッサーには数々の宝石や化粧品、クローゼットには多くのドレスが取り揃えられている。
だけど私は、いつもベッドに座り込んで、天井のキラキラしたシャンデリアを見つめていた。
暗い地下から連れ出され、敵国にやってきたのに、敵国でこんな扱いを受けるとは……
そう、不思議に思いながら。
「やあ……ヘレネイア」
扉を開けて部屋に入ってきたのは、この連邦の王女イスタルテだった。
魔王クラスの、銀の王とも言われている。
彼女は美しい水色の花の生けられて花瓶を、両手に抱えている。
「この部屋の住み心地はどうだい?」
「……」
「花をね、持って来たんだよ。我が国ではこの花瓶の花を買うだけでも膨大な金がかかる……南の大陸のような恵まれた土地では無いからね」
そう言ってイスタルテは、水色の花の花瓶を凝った装飾のテーブルの上に置いた。
小さな手で、そっとその花に触れる。
「ふふ……この花はね、オルーの花と言って、安眠効果があるんだ。僕も良く、部屋に飾っているんだよ」
「……そんな花、無くたって……私は自分で睡眠の魔法をかける事ができるわ」
「……」
イスタルテの持って来た花の香りが、私はあまり好きになれなかった。
だから拒絶するように、返事をする。
「そうかい」
イスタルテはそれだけ返した。
何だか、いつもと雰囲気が違うと思ったのは、イスタルテがその長い銀の髪を放し、ラフな姿をしていたからだ。
軍服を着て、髪をきっちりと二つに結ったイスタルテの姿が印象的だっただけに、私はじっと彼女を見てしまった。
こうやって見ると、本当にただの少女だ。
「何か他に、欲しいものはあるかい? 君の望みなら、何だって用意するよ」
「……欲しいものなんて無いわ。私の望みは、ものじゃないもの」
「じゃあ何が望みなんだい?」
「……」
ここ最近、イスタルテは毎日私の元へやってきて、望みばかりを聞いて来る。
何が欲しい?
何が食べたい?
何か不自由はあるかい?
いったい何が目的なのか。私には訳が分からなかった。
「いったい……何なの? あなた、私をどうするつもりなの? 大事に扱って、また“みんな”を殺させようとするんでしょう?」
「……それは、君の本能じゃないか」
「冗談言わないで! あなたがそんな風にしたんじゃない!!」
思わず声を上げてしまった。
ここ数日、ずっとずっと耐えてきたもの。
後悔と、緊張感みたいなものが、はち切れてしまったのだ。
仲間を殺そうとした私に、もう帰る場所は無いのではないか。
だって、トールさんやマキアに合わせる顔が無い。
シャトマ姫やエスカさんは、その大きすぎる懐故に、きっと私を許してくれるだろう……だけど私は自分が許せない。
何も出来なかった。
耐えると、頑張ると言ったのに、短剣を目の前にすると、彼らを殺さなければと言う衝動にどうしても勝てない。
元の世界に戻ると誓った。絶対に、戻ると。それを目標に頑張ると。
エスカさんも、それを忘れるなと言っていた。
だけど、こんな状況で元の世界に戻れるなんて、私自身本当に思ってる?
みんなを殺すくらいなら、私は自ら死んだ方が良いんじゃないのか……
「ヘレネイア……親に向かって生意気な事を言うもんじゃない」
イスタルテは口調を低めて、私の前にやってきた。
スッと、彼女の腰が折られ、視線が合わせられる。
その真っ赤な瞳に、体がすくむのは何故だろう。私は本能的に、イスタルテを恐れているのだ。
「……親ですって? あなたが私の?」
「そうだよ。最初に君を作ったのは僕だ」
「そんなの、そんなの知らない……」
「君が知らなくても僕は覚えている。君を作り、君に失望した遥か昔の事を……。君は僕の所有物だった。なのに、あいつが何もかもを奪っていったんだ……っ」
イスタルテの口調は段々と強くなっていく。
表情は険しく、寄せられた眉間のしわは深い。
彼女から滲む憎悪は計り知れない程で、私の体を震え上がらせた。
「私……私はヘレネイアじゃ無いわ……」
私はまず、イスタルテの言うその名を否定した。
色々な事が噛み合ない気がしたのは、イスタルテは私をヘレネイアとして扱うのに対し、私はただのレナで居るからだ。
「君はヘレネイアだ。僕が名付けた」
「私はレナよ。平玲奈。ヘレネイアの事なんて覚えてないわ。私の親は、地球の……お母さんだもの」
「君はヘレネイアだ!!」
だけどイスタルテは、間髪入れずにそう言い切った。
顔を上げると、切羽詰まった苦しそうな表情をしている彼女が……
苛立ちや、焦燥のようなものも感じられる。
「君は……君は、長い時を経て、もう一度僕の元へ戻ってきた“ヘレネイア”だ。他の事なんて……君を傷つけ、君を見放した全ての事なんて忘れ、僕の元に居れば良い。僕の言う事だけを聞いて、僕のために生きれば良いんだ。それが君にとっても、一番の幸せなのだから」
「……あなた……」
私には、この子が良く分からない。
私に対して、酷い言葉を投げかけ、わざと傷つける事もある。
私に対して、他の魔王を殺す様命じる時もあるのに……
なのに、私に対して、何かを求め、何かを与えようとする。
いびつな形の……何かしら……これは……
私はそれを知っている気がするのに、上手く言い表せない。
ふっと、イスタルテが顔を上げた。
私の側から離れ背を向けると、耳元のピアスに手を当てて、誰かと話し始めた。
通信の魔法だろうか。
「何だ。…………何? 父上が? ……全く、あの強欲な狸め。まだ足りないと言うのか……」
「…………?」
「まあ良い。僕が行こう。お前たちでは話にならないだろうからな」
イスタルテはその言葉で通信を終え、深く息をついた。
私の視線に気がついて、皮肉な笑みを浮かべる。
「僕の父上が誰だか知っているかい? ヘレネイア」
「連邦の……総帥でしょう?」
「ああ。ふふ、酷く傲慢で、僕も少しびっくりするくらい冷徹な奴でね。僕が何者か知っておきながら、自分も神と同等以上の存在になろうとしているんだ。あんなのがこの国のトップでは、いずれこの国の秩序は瓦解するだろうね」
「……」
イスタルテは愉快そうに、口元に手を当ててクスクスと笑った。
私は不思議に思う。
「なぜ、笑っているの? あなたの国なんでしょう?」
「僕の? ははは、僕の国なんかじゃないよ。ここは……小汚い砂場みたいなものさ」
「……?」
「じゃあね、ヘレネイア。また来るよ。欲しいものがあれば、扉の外の使用人に言いつけると良い。何だって、用意させるよ」
そう言ってイスタルテは、私の頭を一度撫でた。
スッと真面目な顔になり、堂々とした風格そのまま、部屋から出て行く。
見た目こそ愛らしい、まだ12、13歳程の少女なのに、その雰囲気は実に男性的で、それがいっそう、イスタルテを特別な存在だと思わせた。
「……」
また、一人になってしまった部屋の中の、ベッドの上で、私はしばらく考えていた。
この国で、この場所で、私はどうなってしまうのだろう。
何が出来るのだろう。
捕えられてしまった私を、誰かが助けてくれる、などと言う甘い考えは持ちたくない。
だけどきっと、あの人たちは助けに来るだろう。いいや、来なくとも私にそれを責める事は出来ない。
でも、もし、何もかもが後少しで解決するのに……という局面で、私の手のうちに、小さな解決の鍵があれば……
「手の内…………短剣」
ふと、自らの手を見つめた。
そうだ。
私には、短剣がある。これは、魔王クラスを殺す事ができる短剣だ。
歴代の“私”は今まで、この短剣でどれだけの魔王を殺し、殺そうとしたのか。
それはきっと、不可抗力な、本能的なものに従った殺人衝動だ。
だけど、なぜ?
イスタルテに対してこの感情は湧き出て来ないのか。
魔王クラスには漏れなく抱く殺意だと思っていたけれど、そうでは無いのかしら……
くすんだ色をした手のひらをただただ見つめながら、私は暗い部屋のなかで一度深呼吸をした。
ドクドクと、心臓が高鳴るのは……
ふっと、思い至ってしまった事があったからだ。
ひと月あいてしまい、申し訳ありませんでした。
活動報告には書いていたのですが、8月の間は移動が多く、まる一ヶ月お休みをいただいておりました。
本日より更新を再開致しますので、どうぞよろしくお願い致します。