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俺たちの魔王はこれからだ。  作者: かっぱ
第六章 〜カウントダウン〜
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45:『 4 』エスカ、全ては自らの為の戦い。




俺の名前は、エスカ。

本名はトリスタン。

前世の名はエストリア。


神話名はパラ・トリタニア。




自分でも覚えるのがややこしい複数の名は、俺にとってあまりに意味の無いものである。

俺は俺であり、俺を認める他人もまた、俺であるのだから。









「騙された騙された騙された……っ!! あの男に全部騙された!! 私は何てことを……」



あの男に、騙され続けた人生。


千年前の聖灰の大司教の生き方は、実にダサかった。

善人も悪人も分け隔てなく救い、信じ、他人の為に生きようとしたその性格を、当時の“青の将軍”はよく調べていた。

それを逆手に取られ、俺は信頼する人間の肉体をことごとく青の将軍に乗っ取られ、数多くの裏切りに合い、最終的にどんな人間も信じられないようになってしまった。


藤姫様を殺し、また自分を苦しめ続けた青の将軍を憎んだ。

奴を殺す事だけを生き甲斐に、藤姫様の死んだ後の150年を生きながらえたが、その後半の人生は思い出したくも無い。


やっとの思いで青の将軍の“本体”を追いつめ、回収者と共にそいつを棺送りにした時、もうガタの来ていた自らの体を見つめ、俺は嘆き喜んだ。


藤姫様の敵は討った。

聖灰の大司教としての役目も終えた。


これでやっと死ねる。

これでやっと死ねる!!


その思いは、長らく俺の中にあった唯一の願いであった。

青の将軍の事など放っておいて、早々に死ねたらずっと楽だったろうが、そう出来なかったのも俺の甘さである。

結局の所、回収者に全てを委ねる事が、愚かで残酷な事であると分かっていたのだ。



「我々はいったい、何の為にこの力をもって生まれて来たのか……」


「……」


「お前の手を煩わせる必要も無い。……来世があるなら、また会おう……回収者」



役目を終えた俺は、ヴェビロフォスの御元で、自らの手で死を選んだ。

回収者の目の前で、首を掻き斬って死んだ。


それこそが、聖灰の大司教が唯一選んだ、自らの為の選択だった。


他人の為に生きるなんてクソだ。

聖灰の大司教として生きた人生の空しさが証明している。


それならば、次の人生こそは、魔王クラスとしての力の役割や大業など気にせず、ただ自らの為だけに、好きなように生きよう。


ただ、自らの為に……ただ、自分の幸福の為に……







『いいね……それでこそ、あたしたちのエスカだネ』


濁った古くさい空気の流れるこの空間に立ち、タータは俺の側で言った。


『あんたは結局、他人に奉仕する事を忘れられない。自らの為と言いながら、あんたが本当に自分の欲の為にやってきた事なんて微々たる事ばかりだ』


「……あ?」


『あんたは結局、何一つ捨てられやしない。他人を信じる事は辛くとも、他人の為に生きる自分を選ぶのだから』


子供の姿のくせに、分かったような口をきくタータだ。


「……はっ」


俺は皮肉めいた口調で答える。


「冗談言ってんじゃねーよタータ。俺はただ、“あれ”と戦いたくてここにいるだけだぜ」


『……そうだネ』


タータは、少しばかり視線を落とし、仕方が無いと言う様子で小さく笑っていた。

そうして、お互いに目の前の敵……オリジナルの巨兵ギガスを睨み上げる。

その巨大な人型兵器の肩には、面白く無さそうな表情で淡々と睨み下ろす銀の王イスタルテが居た。





「……どういうつもりだ、パラ・トリタニア……いや、聖灰の大司教と呼んだ方が良いかな?」


「どーもこーもねーよ。おいっ、てめー銀の王、俺を邪魔していたナタン・トワイライトがいきなり消えたからどこへ行ったかと思って探してたら!! 何してやがる!! あ、それよりてめーっ、レナをどこにやったんだよ!! てめーが牢屋から攫ったのは分かってんだぞこら」


俺は、俺を見下ろす銀の王に、指を突きつけ質問攻め。

しかし奴は飄々とした態度で「ふーん」と、何かに感心している。


「……ほお、お前、ナタンの魔導要塞を破ったのかい? そういえば、大四方精霊には空間破壊アンチスケールの能力を持っていると、どこかで聞いた事があったな……魔王クラスの白魔術師じゃ、お前が一番劣っていると思ってたけど、その能力は逆に空間魔法に有効だ。結構やるもんだね」


「はあ? うっせーよ、俺様最強、で片付く話だろ! つーか、藤姫様をあんな目にあわせやがって。てめーは地獄送りだよくそガキが!」


「……見上げた忠誠心だね。藤姫を前世で死なせた罪滅ぼしってか? 青の将軍に聞いていた通り、反吐が出る偽善者っぷりだねえ」


奴はクスクスと口元に手を当て、馬鹿にしたような笑みをこぼす。

だが俺は「はあ?」と耳に手を当て、我ながら腹立たしい顔をする。


「うっせーーーよチビ。死ねっ、この性格ブス!」


「……」


「ガキが粋がりやがって。次からは、子供に高価なおもちゃを与えちゃいけないって教えをヴァビロフォスから布教するしかねーな。よし、そうしよう」


割と本気でそう言うと、銀の王は鼻で笑った。


「……お前は馬鹿か? “次”なんてお前にある訳が無いだろう?」


「うっせーーーブス。俺に口出ししてんじゃねーよ死ねっ!!」


「……お前……さっきから、誰に向かってそんな口を聞いている……」


銀の王は目を細め、額に筋を立てる。

おっ、煽られてる煽られてる。ざまあ。


俺は「ひゃははははは!!」と大笑いして、ふんぞり返った。


「銀の王? 連邦のお姫様? パラ・アクロメイア? 主神??? プッ、笑えてくるぜ。てめーがどこのどいつだろうが、俺にとってはただの“気に食わない奴”でしか無いんだよ。あと、世間一般ではてめーは絶世の美少女かもしれないが、俺から見たらただのブスだ。俺の判断基準はまさに俺だ。俺様、至上主義だ!」


「……」


「それに比べて、藤姫様はとても美しい。麗しい美しい愛らしい。……いや、そんな事を言うのも恐れ多い程の尊ぶべき存在だが、てめーはただのクズだ。俺様の大いなる清掃活動でゴミクズとして燃えるゴミ処理すべき存在だ!」


「……」


「そもそも『誰に向かってそんな口を聞いてる』って、それは俺の台詞だぜ。てめーこそ俺様を誰だと思ってやがる?」


歯をむき出しに大げさな笑みを浮かべ、指を突きつけ、断言してやる。


「俺様は、メイデーア最強最高の“エスカ”様だぜ! てめーに審判を下してやるよ!!」


決まった……にやり。

銀の王はさっきから無言で、白々とした表情で俺を見下ろしている。

見下ろしているっていうか見下している。……ゴミクズを見る目で見てる!!


「お前…………そんな奴だったか? おかしいな、記憶が混乱しているのか? 創世神の中じゃ、一番地味な奴だった覚えがあるんだが」


「あっ、てめっっ、せっかく格好良く決めたのに、ダサかった頃の話してんじゃねーよ死ね!! 精神攻撃やめろや!!」


「……」


銀の王は何が辛いのか、額に手を当てて、首を振った。


「許せないな。……お前みたいに下品なのが、魔王クラスとして数えられるなんて。泣けてくる。殺したくなる」


「は?」


「……まあいいや、話が通じないようだし……狂ってしまったんだな、お前は。そんなに、聖灰の大司教として生きる時代が辛かったのかい? そんなに、青の将軍の力は恐ろしかったかい? あれのせいで、人を信じられなくなったのだろう? あれの力は本当に厄介だよ。周りに居る人間を全て信じられなくする……ふふ。僕だって、あいつの本心を知っている訳じゃないからなあ」


赤い目は細められ、ねちっこい口調で、銀の王は聖灰の大司教の時代の事に触れた。

だが俺は「はあ? 話を逸らしてんじゃねーよ」と、言い捨てる。


「今の俺様は、俺以外を信じちゃいない。故に、誰に裏切られ様が全く気にならない。そもそも信じてないからな!!」


「ほお〜、なら、お前の敬愛する藤姫様は?」


「信じちゃいない。ただ尊敬しているだけだ。故に、彼女の命令なら何だって聞こう。……たとえ裏切られても本望。それもまた、俺の選択だからな」


「……ただのアホだな」


銀の王は、「もういいよ」とだけ言って、これ以上無い冷めた表情で巨兵に命じる。


「あいつを微生物以下の細切れにしろ。単細胞は単細胞以下の存在になった方が良い」


オリジナルの巨兵はその赤い双眼をゴロゴロと動かし、無数の手を俺に向かって振り下ろした。

その速度は音よりも早く、回避は本当にギリギリの事だった。


回避しながらも、俺は青い魔法陣を十連ね、オリジナルの巨兵を睨み続ける。


「第十戒召喚…………その真の姿を現せよ、ブルーウィンガム!!」


第十戒召喚。それは、最高位の精霊召喚。

魔法陣はこの空間の空に柱を作るようにして伸び広がり、やがてその中心から、帯のように長い青い竜が神々しい姿を現した。それは精霊の本来の姿だ。

大四方精霊の第十戒召喚は、流石に負担が多いが、オリジナル相手に力を温存など出来ない。


ブルーウィンガムは大四方精霊の中では特に攻撃力の高い精霊であるが、落とした青い咆哮は、オリジナルに傷一つつけられなかったようだ。


ただ落雷にも似た音が響き、ただ破壊の衝動が周囲に流れて行っただけ。

みしみしと、空間が軋む感覚が伝わってくる。


「……まーじかよ」


ヤバい代物すぎて、笑えてくるぜ。

こんなもの、どうやって倒せって言うんだ……


「あははははっ、ばあああかめええええ!! 精霊ごときの力で、僕のオリジナルを倒せると思うな!!」


銀の王はこれ以上無く愉快そうに笑い、手を宙に掲げた。


「逃げ場なんて無いんだよ!!!」


空には無数の光球がバチバチと音を鳴らして、今にも高密度魔導マギ粒子砲を降らせようと魔力を収束している。

何かが弾けるような音とともに、それらは億の針となって俺に降り注いだ。


銀の王は楽しげに、不安定な笑い声を響かせる。


「あははははははっっ、死ね死ね死ね死ね死ね死ね!! 死ねえっ、聖灰の大司教!!!」


砂埃に似た空間の散りが舞い、銀の王は高見からそれを満足げに見つめていた。


だが、俺がこの程度の攻撃でまいる訳が無い。

巨兵など最初から相手にしていない。


「馬鹿が。背中ががら空きだぜ」


砂埃と、ブルーウィンガムの長い体の影に隠れ、巨兵の裏から、銀の王の背中を狙って行った。


「俺の狙いはてめーだよ銀の王」


「…………な……っ」


銀の王はデカ物に乗っただけで粋がっているただのガキだ。

巨兵は倒せなくとも、銀の王さえ倒せればそれでいい。


振り返り際の銀の王を、慣れたファイティングナイフを振り落とし肩から左腕を斬り落とした。


「う、うわああああああああああっ!!!」


銀の王は絶叫をあげ、よろめき、そのまま巨兵からずり落ちる。

俺は躊躇わない。

そのまま、落ちながら精霊魔法を展開した。


「第七戒召喚……キュービーロ、敵を捕らえろ」


捕縛の召喚により、キュービーロが銀の王を捕らえる枷となる。

銀の王は大地に固定された。


「はっ、良いザマだぜ……」


今度は俺が奴の側に立ち、上から見下ろす。

銀の王はこれ以上無く憎悪に満ちた表情で俺を睨み上げた。


「貴様ああああああああああああっっっ!!! よくも、よくも僕の腕を……っ!!!」


「うっせえ黙れ。はっ……女だろうが、子供だろうが、てめえが銀の王なら俺にとっちゃただの敵。藤姫様の敵。ヴァビロフォスの敵だ。てめーが何をやろうとしてるのか、俺には何となく理解できるぜ……だからこそ、てめーをここで殺す」


「貴様に……貴様に僕の何が分かる!! 死ねええええええっ、殺せオリジナル!! 早くしろ、うすのろめ!!」


銀の王は先ほどの態度とは打って変わって、青ざめた表情をしている。

感情の起伏の激しいガキだ……


「……もう死ね」


「やっ、やめろおおおっ!!」


喚く銀の王に、俺はただ一つのナイフをつきたて、そのまま振り下ろした。

こいつさえ死ねば、たとえオリジナルが世界に残ろうと、それは“あいつら”がどうにかしてくれるだろう。


厄介な王は始末する。

俺が、ここで……



「やめろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」



肉を切り裂く音。

血のこぼれる音。


それは、俺が想像していたより早く、俺の脇腹から聞こえた。


「…………は………?」


自分の脇腹を見ると、黒い霧の刃物が、体を貫いているのが分かる。


「……な……っ」


血は、俺の腹部から止めどなく流れ落ちた。

感じた事の無い痛みと、抑え様の無い目眩に膝をつく。


俺を刺したのは……気配も無く現れた、見覚えのある人物だった。


「……ふふっ」


俺が何かを言うより先に、銀の王の残った右腕が俺の髪を掴んだ。

キュービーロの束縛が、解かれてしまったようだ。


「僕の左腕を持って行った事は褒めてやろう。……だがこんなもの、創造神の僕には何度だって再生できる。お前は僕には勝てない。神話の時代から、それは定められている序列だ……っ」


「……て……てめぇ……」


銀の王は、冷汗を流し少しの疲労を感じさせる表情でありながら、これ以上無く恍惚な笑みを浮かべる。


「僕はねえ……いずれ、魔王クラスを素材に、巨兵を作ってみたいと思ってたんだ。……お前のような単細胞でも、立派な破壊兵器にしてあげるよ」


「……」


「本当は藤姫の方が、綺麗なのが作れそうで良かったんだけどなあ……ま、いいや」


銀の王は空を仰いだ。

この空間を見下ろす巨大な巨人の、純粋にも思える赤い瞳を見上げている。


銀の王の瞳もまた、恐い程に、純粋な何かを思わせた。


「さ、“帰ろう”。……巨兵オリジナル、へレネイア。僕の可愛い子供たち。巨人族との戦いギガント・マギリーヴァはもうすぐ始まる…………全てはまた、ゼロから始まるんだ」


銀の王は、失った左腕からボドボドと流れる血すら気にする事も無く。

俺を投げるようにして地面に捨て置き、脇でただ立ちすくんでいた、霧の短剣の持ち主……異世界の少女レナに寄って行った。


レナは光を失った瞳で、ただ「ごめんなさい……ごめんなさい……エスカさん……」と呟き続け、震えている。

その様子は、少し前に様子を見に行ったときのものとは少し違う。


そんな彼女の頬を、銀の王は満足そうにして撫でた。



「良い子だね、ヘレネイア。これからも僕の為に、みんなみんな、殺してくれよ……」



俺は、地に伏せたまま。


体内に組み立てている治癒魔法の術式が、急速に働きを損なっている気がする……



遠のく意識の中で、遠く、嘆き悲しむような、大樹ヴァビロフォスの枝葉のこすれる音を聞いた気がした。















「…………なーんてなあ」



ニヤリ、とギザギザの歯を剥き出しにし笑ったのは、俺だった。


治癒魔法の術式が、急速に働きを損なっている?

ヴァビロフォスの大樹の枝葉のこすれる音が、何だって?


「んなもの聞こえるわけねーだろ!! アホか!!」


誰に尋ねられた訳でも無いのに、大声で答える俺。そのまま勢いよく立ち上がる。

全ては“気のせい”だ。


走馬灯なんて見てないからな!!


「!?」


いきなり立ち上がった俺に、驚きを隠せなかったのは銀の王とレナだ。


「ひゃーーーーっ、はっはっはあ!! 俺の“防弾チョッキ”はなあ、精霊界最硬と言われているタータの精霊宝壁の産物だぜ? いくら魔王殺しの短剣があっても、常に精霊宝壁を纏っている俺様にそんなもの効く訳ねーだろ、このタコ!!」


「……な」


「つーか魔王クラスって、自動治癒魔法があるからっていつも生身を晒しすぎなんだよ。俺様みたいに常に警戒してりゃ、なーんにも怖く無いのによお」


「……」


「あ、この血はな? てめーらみたいなのを騙す為に防弾チョッキに入れてる血のりだ。はああああ、まんまと騙されやがって、ざまああああああああああああっ!!」


愉快すぎる。

愉快すぎる!!


げらげらと笑う俺を前に、流石の銀の王も、騙し合いの結末に言葉を失っていた。

レナは、その色の無い瞳をゆっくりと見開く。


「だから言っただろうが!! 俺はそう簡単に死なねえってよお!!」


レナと、銀の王の方に指を突きつけながら、足下に魔法陣を形成していた。

ここから離脱するための“空間破壊アンチスケール”の魔法陣だ。


「おい、異世界少女っ、てめえ黒魔王と“約束”したんだろうが。元の世界に帰るって約束したんだろうが!! ……それだけがお前の目的なら、それを決して忘れるんじゃねーぞ。いいか……誰を傷つけたとか、誰を失望させたとか考えるな。自分の為だけに生きろ!! てめえの願いを叶えられるのは、てめえだけなんだからよおっ!!」


「……やく……そく」


レナは、短剣を握ったまま、呟く。

少しだけ、その瞳に光が灯った気がした。


俺にだって、分かっている。

今ここで、巨兵を倒す事も銀の王を倒す事も、レナを救う事も出来ないと言う事は。


俺には彼女を救う事は出来ない。

ここから逃げるだけで精一杯だ。

だが……次のチャンスへと繋ぐ事は出来るはずだ。



「次こそはぶっ殺すからな、銀の王、オリジナル!! 俺の審判を待て!!!」



ガラスを踏み抜くように力強く足踏みし、耳をつんざく高音と共に、俺はその空間から逃れた。

そしてそのまま、現実と魔導要塞の狭間を抜け、フレジール王都の夜空を落ちて行く。







落ちながら、ズキンズキンと痛む横腹に、手を当てる。

短剣は実のところ、少しだけ腹を貫いた。


「……」


これ以上、魔法が上手く使えそうに無い。

ただただ、一直線に、闇の中を落ちていく。


地面に激突しても俺なら生きているかも、なんて悠長な事を考えていた時、視界の端で紫色の光を捕らえた。

シュンと心地よい音がして、何かが俺を掬い上げる。


ひらひらとした藤色の羽衣のようなものが、俺の頬をかすめた。


「馬鹿者!!」


突然、叱咤される。

その声は、俺がよく知る、誰より尊敬する藤姫様のものだ。

だが、いつもの威厳のある口調と言うよりは、どこか不安定な、震える声音だった。


藤姫様が、宙を落ちて行く俺を見つけ救ってくれたらしい。


「……藤姫……さま……?」


「馬鹿者馬鹿者!! 大司教様は大馬鹿者だ!!」


彼女は目に一杯の涙を溜めて、言葉を吐き続けた。

俺を馬鹿だと罵った。


やがて、ふわり、とどこかの高い建物の屋上に降り立ち、彼女は動けない俺と共に、地面にベシャッと倒れた。

お互いに、もう魔力も体力も限界が来ていたのだった。


「う……っ」


藤姫様は、隣で倒れたまま、体を震わせていた。

あちこちにあるはずの傷が痛んだのではないかと思って、慌てて声をかけようと思った。


だが……


「う………うわあああああああああっ……ああああっ、大馬鹿者がああああああっ」


藤姫様は倒れた姿のまま、いきなり声を上げて泣きじゃくった。

流石の俺も、ビビる。


「大司教様が死んだかと思ったじゃないかあああああっ、うわあああああああっ!! この馬鹿者がああああああっ、うっ、ううっ、うああああああっ」


「……藤姫様」


「妾には……っ、妾にはもう、あの空間へは行けなかった。……一生懸命……っ、探して……大司教様を……っ、う、うわあああっ」


「……」


「このおおばかものがあああああっ」


「お、お、落ち着いてください姫様」


まさかこの俺が、他人に「落ち着いて」などと言う事になるとは……


馬鹿だと言われると基本的に俺はキレるが、藤姫様に言われるのは初めてで、全くもって悪い気はしなかった。

だって彼女は、まるで千年前の小さな藤姫様だった頃のように、ただ感情を露にしてボロボロと涙をこぼして泣いてくれているのだから。


「うわあああああん、エスカアアアアアアアアア!! エスカアアアアアアアアアアアアアア!!」


それに同調してか、勝手に出て来た小さな黒亀姿のタータが、ぺたぺたと俺によじ上って、泣きじゃくった。


なんでだろう。

こいつら、俺が死ぬためにあの空間に残ったとでも思ってたのか?


「……まったく、ありえねーよ」


思わず、ふっと笑って、額に手を置いた。

火薬の匂いの中。戦いはすでに終わっていたようだが、その余韻は残っている。



そもそも、死亡フラグなんて最初から無かったんだよ。

俺が俺である理由は、そんなものすらぶっ壊せるカッコイイ俺様であるからだ。


だって全ては、自らの為の戦い。

危ないものにも好き勝手に手を出して、暴れて、ヤバけりゃ逃げる。これモットー。


そこんところ、忘れないでくれよ。



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