32:『 4 』シャトマ(サティマ)、追憶1。
3話連続で更新しております。(3話目)
ご注意ください。
約1000年前
東の大陸フレジール王国王宮
サティマ:幼少の頃
“私”の名前はサティマ・フレジスト・フレジール。
フレジスタ王国から分離した小国家フレジールの、第一王女。
後に、“藤姫”と呼ばれることになるが、この頃は本当に無力な、小さなお姫様だった。
「いたぞ、追え!!」
私は誰かに抱きかかえられ、王宮から逃げていた。
まだ、物心つく前の幼いサティマだった頃。
体から甘い蜜の香りを発し、精霊に愛される特別な力を持つ私を疎ましく思う人たちが、私を暗殺しようとした所を、金髪の男の人が助けてくれた。
「サティマを、よろしく頼みます」
王の側室である母はそう言って、泣きながら私をその男に委ねた。
私は何も分からず、だけど泣く事も無く、ただ男に抱きかかえられ、逃げた。
覚えているのは、遠ざかる城と、鳴り響く鐘の音と、立ち上る炎と煙。
騒々しいのに、とても美しいと思えた、赤らみのある夜空。
「あなた、だあれ?」
暗い路地裏に隠れてた時、あどけない表情で、私は目の前の金髪の男に尋ねた。
その男は、茶色のローブを纏りフードをかぶっていたが、私がそう尋ねると、膝をついて視線を合わせ、そのフードをとった。
青い瞳の美しい、見栄えの良い男だった。
私はぽかんとその男を見つめる。
「サティマ姫……あなたはもう、王宮にはいられない。俺と共に、逃げなければならない」
「……うん」
私は何も分からなかったのに、母がこの男に私を委ねた事と、胸の奥にある小さな疼きのせいで、すぐに頷いていた。
納得が、できていたのだ。
「私、あなたを知っている気がするわ」
「……」
「あなた、お名前は?」
「俺に、名は無い」
「では、何と呼べば良いの? お名前が無かったら、ちょっとだけ困ると思うの」
「……」
大きな瞳をぱちくりとして、私は彼を見上げた。
幼いくせに生意気な、大人びた言葉を言う子供だと、王宮の誰もが言っていたっけ。
そう。私はとても懐かしかった。
この男を懐かしいと思っていた。それがなぜなのか、この頃の私には分からない。
「ならば、父と。それが一番、都合が良い。あなたは俺を父として扱い、俺は、あなたを娘だと言って、旅をする」
「……お父様?」
「好きに、呼ぶと良い」
「お父様!」
私はその男に指を突きつけ、嬉しい様子で言いきった。
なぜなら私は、本当の父であるこの国の王が、とてもとても嫌いだったから。
あの男は母を捨てた。母は、いつも悲しんでいた。
そして私を疎んでいた。神の子であると言われた私を。
別の人が父であれば良かったのに、と、私は思っていたのだ。
「ねえ、どこへいくの?」
「……世界を見に」
「なぜ?」
「あなたの大業の為に」
「なぜ?」
「……あなたが世界を変えるのだ、姫。あなたにはその力がある」
「なぜ?」
「……」
「ねえ、なぜお父様?」
それにしても、私は本当に色々な事を聞きたがる子供だった。
“お父様”は「そのうち分かる」とだけ言って、やって来た追っ手から逃れるように、小さな私を抱えて、暗い道を進んで行った。
私はぎゅっと、彼の肩の服を掴んで、ぺたんと彼の腕に身を任せていた。
それだけで、何もかもが大丈夫だと、分かっている。
やがて都を離れ、私と“お父様”の旅は始まったのだ。
あれは、私が7歳の頃の事だったか。
東の大陸のバティス王国の山岳の村で、私と“お父様”は隠れるようにして暮らしていた。
旅をしたり、どこかに留まり暮らしたり。そんな事を繰り返していた。
「お父様〜っ」
私は藤色の髪を、この辺の女児がしているように二つのお団子に結って、裾の長い服と平たい靴を履いていた。
背中に籠を背負って、私は山のきのこをとってきたのだった。
「お父様、見て〜、沢山とれた〜」
「……」
お父様は、小さな小屋の前で薪を割っていた。
この辺りの夜は寒く、常に薪が必要なのだ。
「見て〜、きのこ、いっぱいとれたの」
「……姫、これは毒きのこだ。食べられない」
「ええ〜〜っ」
「これは、大丈夫だ。これは……ダメだ」
「美味しそうなのになあ」
お父様は一つ一つのきのこを確かめて、毒きのことそうではないきのこを教えてくれた。
この人は何だって知っていた。
私はと言うと、言葉は達者だったが思いのほか物覚えが悪く、毒きのこを覚えられずにいた。
お父様は何度でも、根気づよく色々な事を教えてくれたっけ。
「ちゃんと覚えるように。俺たちは確かに、毒きのこを食べても死にはしないが、一般の常識を知らなければ化け物と言われるぞ」
「……化け物?」
「人は、大衆と違うものを排除しようとする……と言う事だ」
「たいしゅう?」
目をぱちくりとさせ、私はお父様の美しい青い瞳を見つめた。
この人の風貌は、この大陸ではそう珍しくもない。
いや、もともとは無いものだったが、西の大陸の移民が東の大陸に渡って来て千年。金の髪や青い瞳は、それほど珍しくはなくなったとか。
ただ、あまり良いとはされていない。
それはやはり、西の大陸の血を引くものの象徴でもあったから。
「私たちは化け物? お父様」
「……一般の者たちから見たら、そうだろうな」
「千年前の、魔王たちみたい?」
「まあ……あれに比べたら、可愛いもんだがな」
「……」
何となく、この世界の伝説の魔王たちを例に出してしまったけれど、お父様はまるでその人たちの事を知っているかのように、そう言った。
私は物覚えは悪かったけれど、そんな表情から、感情を読み取る力は人一倍強かったのだと思う。
悟る力、というものだろうか。
お父様は遠い空の向こう側を見上げていた。
この人はいったいどこからやって来て、今まで何をしてきたんだろう。
共に暮らしていても、何も分からない。本当に不思議な人だと思っていた。
だけど、常に私の側に居てくれて、守ってくれるお父様の存在は、私の絶対的な味方だった。
何者かは分からなくとも、私はお父様が大好きだったのだ。
「明日は、山を下りて街へ行こう」
「ほんと!? ねえ、お父様知ってる? 今、街ではお祭りがあっているのよ?」
「……ほお」
「ねえねえお父様、私、欲しいものがあるの」
「……なんだ」
「髪結いの飾り紐! 私、新しいのが欲しいの」
「またか」
私はこの頃、髪を結う紐を集めている子供だった。
私たちは貧しい身分を装っていたが、お父様は私の髪を結う飾り紐だけは、立派なものを買ってくれた。
というのも、この国には女の子の髪をまじないのかけられた紐で結う事で、病気も無く健やかに育つと言う伝統があったから。
それ以前に、お父様は髪飾りの紐に魔力を押しとどめる白魔術を施していて、私の垂れ流しの膨大な魔力を隠すようにしていたのだった。
飾り紐は色とりどりの絹糸を編み込んだもので、ガラスや石の玉飾りなどが施されていて綺麗だった。
単純に私は、それを集めて眺めるのが好きなどこにでも居るような女の子で、またその紐で髪を結ってもらうのが大好きだった。
お父様は感情を表に出す事の無い、少し怖い人だと周囲には思われていたけれど、そんな事は無い。
髪結いの得意な、器用な面もあったのよ?
「そうだわ。私、さっき樹の枝で、髪の毛をひっかけちゃったの。お父様、もう一度髪を結ってちょうだい!」
「……」
お父様は渋い顔をしたが、キラキラした私の表情に気圧され、ため息をつくと斧を丸太に刺した。
そして、切り株に座り込む。
私はそんなお父様の膝の上にぴょんと飛び乗り、ポケットに常備している小さな櫛を取り出して、お父様に手渡した。
お父様は静かに、私の髪の紐を解いて、柔らかく長い髪に櫛を通し、まとめて紐で結った。
その作業をただ待つだけなのに、私はそれが好きでたまらない。
「お父様、明日のお祭りでは、私、青い色の紐が欲しいわ」
「好きなものを買うと良い」
「飾り玉の立派なの? 紫水晶のくっついているのでも良い?」
「……ああ」
「わーいわーい! お父様、大好き!」
「……」
お父様が髪を結い終わり、私が振り返って大好きと言うと、お父様はいつも困った顔をする。
なぜかな、と思った事は何度だってあったけれど、私はその言葉を言うのをやめる事は無かった。
お父様は、私がものをねだると、何だって買ってくれた。
それほど買い物に行かないから、ねだったと言っても時々の事なんだけど。
貧しい家を装っていたけれど、私の身の回りに不自由は無かったし、旅の間でなければひもじい思いをする事も無かった。
この頃はまだ、世界の醜いものも、悲しいものも、世界を取り巻く複雑な事情もそれほど知らずにいたし、私は姫であった事も忘れて、お父様との生活の中ですくすくと育った。
いつまでも、こんな生活が続けば良い。
そう思っていても、世界はそれを許さないと言うように、必ず私たちを巻き込もうとする。
だからお父様は、私を世界から隠すように、魔法のかかった飾り紐で、髪を結い続けてくれたのだ。