31:『 4 』シャトマ姫、眠りの奥を辿るために。
3話連続で更新しております。(2話目)
ご注意ください。
私の名前は、シャトマ・ミレイヤ・フレジール。
フレジール王国の第一王女であり、千年前は“藤姫”と呼ばれていた。
「第六バジヤード艦隊ヴァルキュリア艦、砲撃を開始します!」
今、フレジールとシャンバルラの間にある大砂漠に、ドーム型の巨兵が出現した。
それは、地中から這って出て来たかのように、こつ然と姿を現したのだ。
数は三体。
156号、157号、158号と認定する。
ただ姿を現したのはいいものの、そこから動こうとはせずに沈黙したまま。
第六艦隊が出向き、大砂漠の頭上でしばらく様子を見させていたが、妾は砲撃を許可する。
「……」
レジス・オーバーツリーのモニター室で椅子に座り、指を組んでその様子を見ながら、敵の目的を伺っていた。
「しかし、動きませんね」
右側に居た大司教様の“エスカ”が、同じモニターを見ながら唸る。
妾はふっと鼻で笑い、肩を上げた。
「しかもヴァルキュリア艦でも破壊できないとは、相当な硬さだな。カメの甲羅のようだ」
「はっ……俺が行った方が速かったかもしれませんね」
大司教様の皮肉に、左側に居た第三艦隊のアイリ将軍がキッと睨みを利かせる。
「……貴様ごときがヴァルキュリア戦艦の火力に敵うと?」
「あ? あんなデカ物のなんちゃって火力、俺の力に比べたらたいした事は無い」
「……」
アイリはそれを認めたくないのか信じていないのか、むすっとした表情だ。
だが特に言い返す事も無く、モニターを見つめる。
三体の丸い巨兵は硬い甲羅の頂点に5つのラクリマを埋め込まれていて、それがこの硬度を生み出しているものだと思われる。
「三体それぞれに三角錐結界を張り、第六艦隊は空に擬態し待機せよ……」
妾は命令を出して、その巨兵を監視するよう指示する。
対策を練らねばならない。長期戦になりそうだ、と思ったものだ。
「俺が、行きましょうか」
大司教様が妾に、自分が出向いて巨兵を倒そうと提案したが、妾は首を振った。
「敵の狙いはそこにあるのかもしれん。王宮から魔王クラスを遠ざける事に」
「……それは確かに」
「しばらくは様子を見よう。あのドーム型の巨兵の力も良くわからない。幸いにも、敵は砂漠のど真ん中に出現した……慎重に対処したい」
「分かりました。ならば俺の大四方精霊を一体向かわせましょう。何かあれば、時間稼ぎくらいは出来るでしょう」
「頼りがいがあるな、大司教様は」
「……い、いや……別にそんな、俺は……」
今までハキハキしていたのに、いきなり目を回してしどろもどろになる大司教様。
足早に妾の元から去って行った。
「ふふ」
思わず笑ってしまう。こんな、一大事な時に。
「姉様……何か面白い事が?」
アイリが少し鋭い口調で尋ねた。
「面白いじゃないか。大司教様は」
「……そうでしょうか。私から見たら、野蛮な男にしか思えませんが」
「見た目で判断してはいけない。今はあのようだが、千年前はとても清らかなお方だったのだ。他人に奉仕する事を、忘れられないと言うような」
「……想像したくないですね」
アイリは青ざめていた。
ただ、眉間にしわを寄せた硬い表情は変わらず。
それ以上、妾に何かを尋ねる事も無く、事務的な会話を少ししただけだった。
それは、その日の夜の事だ。
妾はふと目が覚めた。
目の前を、黒紫色の精霊フィフォナが舞っている。
短い睡眠時間でも体調を整える事ができるようにと、フィフォナの魔法を利用したお香をたいていたのに、たった一時間程度の睡眠で目が覚めてしまった。
効き目が悪かったのだろうかと思って、フィフォナに尋ねた。
「何か、あったのか?」
『お香に組み込まれていた術式が……別の魔力によってねじれてしまっております』
フィフォナはその軽やかな声で答えた。
「……何?」
嫌な予感がして、起きあがる。
蛍の精霊ルルカの力を借りて、魔力の源を探る。
「……レナ?」
レナの部屋から、微弱だが妾の魔法をねじ曲げる魔力の波動を感じる。
これは不味いと、察知したものだ。
妾は寝巻き姿であるのを気にもせず、部屋から飛び出してレナの元へと急いだ。
「ひ、姫様!?」
夜中ではあったが、働く宮殿の使用人や警備兵に驚かれながらも、妾はレナの居場所へと向かった。
部屋の扉の前は静かすぎたが、じわじわと溢れる禍々しい魔力は、妾には良くわかる。
勢い良く扉を開け、暗い部屋をルルカの光りで照らすと、そこには踞り苦しむレナの姿があった。
歪んだ黒い霧が立ち上り、今、彼女が異常な状態であると知らされる。
「レナ!!」
何も考えられず、妾は彼女に近寄った。
「来ないでください!!」
レナは悲痛な叫び声を上げる。
「来ちゃダメです!! 私、このままでは、シャトマ姫を……っ」
「そなた……」
レナの手は、黒い霧に覆われ、よく見ると穴が開いたように黒いシミが点々としていた。
私は眉を寄せ、そして、悔しさに震える。
どんなにレナが意思を保とうと頑張っても、これではどうしようもないじゃないか。
やはり、避け様は無いのか。
この、呪いにも似た世界の法則には……
悔しくて仕方が無いのは、きっとレナの方だろう。
レナは下唇を噛み締め過ぎたのか、口の端から血を流していた。
「どうして……? 私、何も、憎みたくないのに。誰も……殺したくないのに……っ」
レナがキツく、自らの右手の手首をもう片方の手で握りしめても、ズズズ……と、右の手のひらから出てくる短剣をどうすることもできない。
彼女が今、とても危険な状態なのは分かっていた。
だけど妾は、彼女をここで見捨てる訳にはいかないと思っていた。
「レナ……っ」
慎重に、彼女に近寄った。
何かがあれば、妾が全力で彼女を止めるしか無い、と。
「姉様、その女から離れてください!!」
だが突然、入り口の方から声がした。
アイリが銃を持ってレナの部屋に入って来たのだ。
おそらく、ずっとレナを怪しんでいたのだろう。彼女はレナが、魔王クラスを殺す力を持っていると知っている。
こうなるのではと、見張っていたのだ。
「だ、ダメだアイリ!! レナを撃つな!!」
思わず、妾はレナをかばうようにして両手を広げ、レナに背を向けた。
その瞬間が、色々な事に影響をもたらしたのだろう。
レナが見えなくなったアイリ。
アイリを見つめている妾。
誰もの意識が、レナから少し遠のいた。
レナは今まで耐えに耐えて来た自らの衝動を、押さえつけられなくなったのだ。
右手から現れる短剣を引き抜き、そしてその衝動のまま、妾の背を斬りつけた。
「……あっ……っ」
それは、本当に久々の痛みだったと思う。
オートで妾を守る虫の精霊の魔法陣を、まるで無かったもののようにして斬り捨てた。
パラパラと落ちる虫の羽と同じように、妾も床に伏せ、裂けた背から溢れる血に染まる。
「姉様!!」
「シ……シャトマ姫……っ」
妾はアイリの悲痛な声を聞き、レナの青ざめた、これ以上無い絶望の表情を見た。
ヘタを打った……これではダメだ。
これでは、レナがレナを保てない。ヘレネイアを完全に覚醒させてしまう。
レナは泣きながら、自らの意思ではどうにも出来ない腕を、もう一度妾に振り落とそうとしていた。
アイリが銃口をレナに向け、今にも撃ち抜こうとしている。
動かぬ口元に力を込め、なんとかしなければと思った。
「チッ……なんてこった」
その時、アイリの銃口をまっ二つに切り落とし、風のように部屋に入り、誰より早くにレナに対処できたのは、大司教様である“エスカ”だった。
レナの手にある短剣を払い落とし、彼女を床に押し倒して取り押さえた。
そうする事で、誰かがレナに危害を加えるのを防いだのだ。
「俺が“調査”している間にこんな事が起きるなんてな……」
大司教様の表情は、彼らしくない程に複雑そうだった。
「そ……その娘を牢に入れろ!!」
騒ぎを聞きつけやって来た兵士たちに、アイリが声を張り上げて命令した。
レナはさっきまでの様子とは別人のように力なく項垂れ、そのまま兵士に連れて行かれた。
「ま、まて……」
妾が何かを言おうとしても、言葉が出ない。
このような傷、すぐに治る。だから……レナを……
「大丈夫です。少しの間、レナは牢に入れておいた方が良いでしょう。その方が、彼女自身に楽かと……」
妾を抱えて、大司教様が冷静にそのように言った。
その言葉を聞いて安心したのか、妾はふっと意識を失った。
睡眠の魔法を使う事も無く、何を考える余地もない眠りについたのは久々だと思った。
カノン……
こんな時に、遠い遠い場所にカノンが居る。
閉じた瞼の向こう側に、千年前の彼の姿を見た。
ちらちらと、金色の鱗粉の舞う、その視界の果て。
黒紫色の蝶が舞う。妾を、どこかへと誘うように。
ただ、じわじわと背中から伝わってくる痛みのせいで、そのうちに目を覚ます。
妾はうつ伏せの姿で、自らの部屋のベッドに寝かされていた。
痛む背中に、それでも温かく優しい光が降り注いでいるのが分かる。
「……大司教様」
「お加減は、いかがです……シャトマ姫」
大司教様が、露になった妾の背の傷に、治癒魔法を施していた。
とはいえ、これはただの傷ではない。
薄く背中を斬られただけで命に別状は無さそうだったが、体内の自動治癒を担っていた魔導回路が破壊されたのだ。
妾の治癒魔法も働かず、大司教様の治癒魔法でもすぐに傷を治す事は出来ないようだった。
ただ、痛みと言うのは少なからず引いていて、妾は苦笑する。
「何もかも……ギリギリの所で順調に進んでいると思っていたのにな」
「……レナの、力の事ですか」
「ああ。妾が傷を負ったのは別に良い。……普通の兵士であれば、常に背負っていた傷だ。女王となる妾が痛みを知るのも悪くないだろう」
「……“藤姫”様らしいですね」
大司教様の口調は、いつもの調子ではなく、どこか千年前の様子を彷彿とさせるものだ。
妾がこのような状況でも少しだけ安心できるのは、大司教様が居るからだ。
「妾がこのような状態になってしまった事で、あらゆる者たちが動き出すだろう。カノンも居ない、絶好のチャンスだしな」
妾はうつ伏せのまま、小さくため息をついた。
大司教様は目を細める。
「あいつを……カノンの奴を呼び戻しましょうか」
「……いや、それはダメだ。レイラインは今後の要。おろそかにする事は出来ぬ」
「……」
大司教様は妾の答えを知っていて、あえて尋ねたのだろう。
治癒の作業を止める事無く、変わらないしかめっ面でぼそっと言った。
「……大丈夫です。何もかも、俺にお任せください、姫。あなたは少し休むべきだ」
「大司教様は、強いな」
「ま、俺は強いです」
「……」
あ、いつもの大司教様だ。
自信にあふれたその様子に、思わず笑みがこぼれる。
大砂漠に巨兵が居る。
レナの力が暴走しつつある。
これから、我々はどうなるのだろう……
不安は多くあったが、それでも妾は笑ってしまったのだ。安らかな心地で。
「大司教様……いつもあなたを頼ってしまって申し訳ないが、もうひとつ頼み事をしても良いか?」
「なんなりと」
「妾は……藤姫だった頃の事を、少し思い出したい。最近、忘れかけている何かがある気がするのだ……」
「……」
純粋で、ただ世界の平和を願っていた聖少女藤姫。
今の私は、その聖少女とはほど遠い程に現実的で、無情で、疑心的だ。
それが悪いとは思わないし、そうならざるを得ないのだが、そればかりでは少し疲れる。
「分かりました。……後の事は全部俺に任せて、ゆっくり、お休みください……藤姫」
大司教様は、妾が詳細を言わずとも、意思を汲み取ってくれたようだった。
妾はゆっくりと手を伸ばし、側に居た黒紫色の蝶の精霊フィフォナを指に止まらせる。
そしてそっと、彼女の羽に口づけた。
小さな魔法陣が、妾を紫色の眠りへと誘う。
眠りの奥にある、千年前の記憶をたどる為に。