28:『 4 』シャトマ姫、帰還組を迎える。
私の名前は、シャトマ・ミレイヤ・フレジール。
フレジール王国の第一王女である。
千年前の前世では、藤姫と呼ばれていた。
「レナ、よく戻って来たな」
「……シャトマ姫」
レジス・オーバーツリーの天辺に横付けされた小型戦艦フリスト。
降りて来たレナは、以前妾が見送ったその姿より、一回り背筋が伸びて見えた。
表情はすっきりとしていて、ここに居た時の陰鬱としたものがないように思える。
彼女の後ろの、少し離れた所にカノンが居る。
彼はレナを送り届けてくれたのだ。明日には、レイラインへ帰ってしまうのだが。
レナはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございましたシャトマ姫。私のわがままを聞いてくださって」
「いや……そなたが満足したのなら、妾はそれで良い」
確かに、送り出す時には不安もあった。
黄金の林檎は、どちらに転がるだろうかと。
しかし、結果的には良かったのではないかと思える。
レナも、紅魔女も、妾が思っている以上に強い女なのだ。
「つーか、お前、魔王クラスを殺傷できる力があるんだろ? やるじゃねーか。……しかし危ねー奴だなー、俺も気をつけねーと」
妾と共に出迎えた大司教様が、さっそくレナに嫌みを言っていた。
しかしレナは真顔で答える。
「あ、大丈夫です。エスカさんには興味無いので」
「……」
レナの殺意とは、興味の深い魔王クラスにより働く。
大司教様相手に平然とそのように言ってのけた彼女は、その後も前だけを見据えていた。
妾の部屋にて蜜茶を出し、レナに話を伺った。
レイラインの様子や、紅魔女と黒魔王について。
実のところ、妾がレナに帰還の命令を出して、すでに三ヶ月が経っていた。
彼女をすぐに帰還させる事が出来なかったのには、色々と事情もあった。
「グランタワーの建造は、物資の関係もあり、もう少し時間がかかりそうとの事でした。西の大陸に放たれた巨兵が、レイラインの空間の周囲をうろついてさえいなければ、もう少しスムーズに、フリストを行き来させる事が出来たでしょうけれど」
「……仕方がないな。飛行型の巨兵は厄介だ。今回は無事に帰ってこられて良かった」
「外央海から戻ってきましたからね」
外央海とは、西の大陸の西岸から、東の大陸の東岸に繋がる海の事だ。
中央海を渡るよりずっと安全と言えるが、かなり遠回りになる。
「それに、トールさんとマキアが、巨兵狩りをしています。巨兵の残骸を持って帰って、グランタワーや建造物の素材にしているようです」
「逞しいなあ」
蜜茶を飲みながら、唸った。
あの二人が荒廃した西の大陸で、巨兵をぶっ倒し持ち帰る様子を想像するだけで、何故か笑える。
我が国のレジス・オーバーツリーも、巨兵に使われていた素材を持って帰り、利用して作った部分もある。
おそらくグランタワーにも応用するよう、カノンが提案したのだろう。
「ただ、食料不足が深刻なようです。アイズモアに貯蓄されていた食料で、今まではなんとか凌いでましたが、あの国はまだ田畑も耕されたばかりで、穀物が実るのはまだ先ですし。側の森には、果実や食べられる野草、芋があったので、今はそればかり食べてます。あと、海が側にあるので魚ですね。空を飛べる魔族が、野鳥を狩って来たり。……しかし三つの国を併合した魔族の国ですから、人口も多く……トールさんは常に頭を悩ませています。だってマキアがいつもお腹をすかしているから」
「はははは。あの男は悩んでおる方が似合う」
「酷い事を言いますね、シャトマ姫」
レナはそう言いながらも、クスッと笑った。
そして、蜜茶を一口啜る。
妾は背もたれにいっそうもたれ、遠い西の大陸の、まだ見ぬ魔族の国を想像した。
「心配するな。帰りのフリストには、必要な物資を積んで送る。またしばらくは、紅魔女にも贅沢をさせてやる事ができるだろう」
「フレジールの甘いお菓子が食べたいって言ってましたよ、マキア」
「日持ちするかが問題だなあ……妾のお気に入りの饅頭があるが、生菓子は駄目だろうしなあ」
顎に手を当て、戦艦にお菓子を積み込む事を真剣に考える妾。
「なら私が食べます」
そう言って、目の前に出されている饅頭をぱくりと口にしたレナ。
本当に、すっかり遠慮が無くなっている。
妾としては、このあっけらかんとした様子のレナが、嬉しく思えた。
その日の夜の事だ。
「何も、変わった事は無いか」
「元老院のじじいどもが、妾に花婿を迎えるようしつこく言ってくる。まあ、敵の罠の可能性も大きいから、裏で大司教様に探ってもらっているが」
「……」
カノンは妾の部屋で、積み上がった書類を全てチェックしていた。
何も、取りこぼしは無いか。
ミスは無いか、と。
「断り続けろ。相手とも会うな。……信用できないと思った者……いや、信用している者でも、出来るだけ深く関わる事の無いように」
「分かっておる。心配性だなあカノンは」
「……」
「妾は国と結婚するのだ。前世のように、他人を受け入れようとは思わない。前世のようなヘマはしない」
両手を広げ、陽気に言ってみせたが、カノンはちらりと妾を見て、またもくもくと書類のチェックを進めただけ。
奴の仕事の速さは、妾の比では無い。
本当にもう、人外レベルの速さだ。長年の経験がものを言うのだろう。
見ているのか見ていないのか分からない速さで書類をめくる姿は、少しシュール。
「……エスカ……聖灰の大司教を頼ると良い」
「ん?」
カノンは少し手を止めた。
「聖灰の大司教は、ああ見えて思慮深く、勘が鋭い。考え無しを装っているが、知識量も並ではない。何かあれば、奴に助言を仰ぐように」
「勿論。最近ではもっぱら、大司教様に相談に乗ってもらっている」
カノンは、魔王クラスの誰もに厳しい訳ではない。
こう見えて、聖灰の大司教様の事は信用しているようだった。
千年前、同じ目的を持ち、手を貸し合った仲でもあるし、大司教様のぶれの無い行動や信念は、魔王クラスの中では頭一つ抜けていると考えているのだ。
大司教様は誰より若々しく見えるが、おそらく誰より老成し、達観している。
カノンを例外としてみるならば、という話だが。
達観の方向が真逆に向かってしまったのが、カノンと大司教様と言えるだろう。
妾はカノンの隣に椅子を持って来て、ちょこんと座り、彼の仕事を見ていた。
所々、質問された事に答え、またどうすれば良いのか意見を聞いたりして、一つ一つ、確実に処理する。
「問題無い。隙のない仕事ができるようになったな……姫」
「当然だ! そなたの居ない今、ミスをしたら自らの命取りになる。それに、いつまでも教えられた事の出来ない“小さな姫”では無いぞ」
「……」
千年前、妾は聖少女“藤姫”などと呼ばれ、奇跡のような力で国を導いたとされているが、実際の藤姫は、おっちょこちょいで、教えられた事をすぐにこなす事の出来ない不器用な少女だった。
カノンは厳しい存在だったが、妾が出来るようになるまで、何度も教え、何度も叱った。
出来るようになったら、ご褒美をくれた。
小さな小さな姫……
妾はふいに、思い出す時がある。
他の魔王クラスに比べ、藤姫は与えられた長い寿命を感じる間も無い程、とても短い生涯だった。
そして、彼女にとって一番幸せだったのは、藤姫と呼ばれる前の、ただの小さな姫だった時。
カノンを父と呼ぶ事を、許されていた時。
カノンと共に旅をした、幼い日々であったな、と。