08:『 5 』トール、固まった現状。
ライズと会議の場を設けた。
その間マキには席を外してもらい、お互いだけで。
「そうですか……あのアリスリーンが」
石造りの円卓に落ち着き、ライズは少々顔を歪める。
「ああ。お前が北に捕われている魔族を助けるために、ユートピアを制圧しようとしていると。俺はここ2000年の事情を詳しくは知らない。長く生きるお前達にしか分からない苦悩があったのだろうと思う。だが、かつての仲間が争うのは、俺だって辛い」
「ですが、黒魔王様。私はそれだけの為にあのユートピアに攻め入っているのではありません。あのアリスリーンの“ばばあ”は、かつて自らの一族が新生アイズモアを脱する時、我々オウガ族をおとりに使って逃げた過去があるのです。エルフ族は魔力こそ高いですが、我々のように戦闘力はありませんから……。その時の恨みが、我々カルディアの民にはあるのです」
「……なんて事だ」
うーむと唸って、頬を流れたのは汗。
思いのほか、厄介な事が多そうだ。
「しかし私は、それを今更責めようとは思いません。誰しも、あの1000年前の地獄を生き残るのに必死だったのだから。利用できるものを利用しなければ、生き残る事は出来なかった。魔族は一族主義です。アイズモアの全てを救う事が出来ないなら、一族を優先します。アリスリーンは賢かった。故に、そう判断したのでしょう」
「……」
2000年前の、西の大陸の大爆発こそがこのメイデーア最大の惨劇かと思っていたが、魔族にとっては1000年前の魔族狩りの方がよほど地獄だったのだろう。
想像する事しか出来ないが、青の将軍のややこしさを知る今なら、それがどれほど悲劇的な出来事であったか、魔族サイドの俺からしたら苦しい思いしか湧いてこない。
「そもそも私は、このカルディアとユートピアは、一つになるべきだと思っているのです。黒魔王様の神器が、柄と刃で別れてしまっているからこそ、二つの大規模空間が出来てしまい、黒平原などという曖昧な“架け橋”があるだけで、剣自体が一つになれば、空間は一つの安定したものになるのではないか、と」
「おお。ライズのくせに、色々と考えているんだな」
「……一応2000年以上生きているので!」
ライズは声を張った。
脳筋で感情的ではあるが、ライズは悪い奴ではなかった。
それは、俺が良く知る所だ。
そんな時だ。
この会議の間が少しばかり揺れ、小石がぱらぱらと降ってきた。
思わず顔を上げる。
「また、“揺れ”だ」
ライズは深刻な表情だ。
「地震か? いや、違うな、これは空間の振動だ」
「はい、黒魔王様……ここ20年程、定期的に揺れるのです。私はこれを、空間の崩壊なのではないかと見ています」
「……?」
「アリスリーンは、我がカルディアがユートピアに攻め入るばかりだとあなたに言ったかもしれませんが、あっちはあっちで、たびたび刺客を送り私を亡き者にしようとしてくるのです。理由は、神器の刃が欲しいから。……私と同じように、神器が一つになれば、再び空間が安定すると考えているのでしょう。しかし、あちらは我々カルディアと手を組むつもりは無い。故に、争いが続いているのです」
「なるほど」
魔族は一族主義、という言葉に現れるように、特にエルフ族はそれが顕著だ。
アリスリーンは賢く優れた女だったが、エルフ族は血統を重んじ、またそれ故に魔力を高めてきた魔族でもある。
アイズモアにやってくるのも、エルフ族は遅かった。
ユートピアにもエルフ族以外の魔族は居たが、どれも気性の大人しい魔族ばかりで、だからこそアリスリーンは、一般的には野蛮と言われ力を持つオウガ族と国を一つにする事で、国が荒れる事を恐れているのか。
今のこの二つの国には2人の王が立っていて、権力争いも避けられないだろう。
“黒魔王”という、どの一族にも属さない人間の、絶対的な王が居たというのは、おそらく魔族にとって最良の状態だったのだろうな……
「頭が痛いな。だが、一つだけ俺にも譲れないものがある……」
「と、言いますと」
「“時空王の権威”を、取り戻す」
「……!?」
「それが、どういう事か分かるかライズ。ユートピアにある柄と、カルディアにある刃、この二つを一つにして、俺の手元に取り戻す。そうすれば、この西の大陸に出来た大規模空間は、完全に消滅するだろう」
「……そ、それは」
「それは、困るだろう。俺だって、お前達が頑張って守ってきた魔族の国を、消したくはないが……。ただ、時空王の権威があれば、俺はお前たちに再び“アイズモア”を作ってやれるだろう。実際、小さなアイズモアはすでにある。俺の管理している、空間にな。だが……お前たちはお前たちの国を、易々手放したくはないだろうから……難しい所だが」
「い、いいえ、私は、黒魔王様が現れたあかつきには、全権を委ね再びアイズモアの再興をと、願っておりました! あなたのご指示に従います!!」
「……」
ライズの表情は強ばっていたが、それが本心であるのだという事は、よくわかっていた。
ただ、今となっては分からないのは、むしろアリスリーンの方である。
その後、俺はライズに連れられて、マキが侵入したという時空王の権威の“刃”が刺さる岩の間にやってきたが、刃は俺が主だと分かっているくせに、俺を受け入れようとしない。
なぜ、と問いかけても答えない。
俺の力を持ってしても屈服させる事が出来ない剣だというのは、流石に神器と言った所か。
おそらく、そいつを抜くために必要な手順というのがあるのだろう。
「あ、会議終わったの?」
用意された寝室の扉を開けると、なぜかマキが地味な薄手の寝巻きに着替え、ベッドに転がり暇そうにしていた。
俺は思わず、後ろのライズの方を振り返る。
「いえ、お方様とは同じお部屋の方が良いかと思いまして」
「……」
めちゃくちゃ気を利かせたと言わんばかりのドヤ顔。腹が立つ。
こいつ、いつまでマキが俺の妻だと思っているのか。
「オウガ族も野蛮と言われますが、それすら凌駕する野蛮な娘を見たのは久々です。とはいえ、見てくれは良さそうですし、健康的な体つきをしていそうなので、まあ黒魔王様のお方様の一人という事でしたら、私はもう何も言うまいかと」
「めちゃくちゃ言ってるんだが」
つっこんで、ため息。
まあ良い。またマキに、ふらふら一人でどこかへ行かれても困る。
「しかしまあ……あの娘を見ていたら、かつてたびたびアイズモアにやってきて、黒魔王様と争った“紅魔女”を思い出しますね。あれも、かなりの暴力女でしたが、黒魔王様のお方様になる事が無かったので、ああいった娘は好みでは無いのかと思ってましたが……」
「……」
「しかし紅魔女も健気な奴でした。黒魔王様にかまってほしいからと、何度と無く訪れて」
どこか懐かしそうに小声で告げる、ライズ。
俺は少しばかり、目を見開いた。
紅魔女の記憶は俺には無いが、黒魔王は紅魔女に特別な感情は持っていなかったのか。
「ちょっとトール、早く」
「……なんだよ。どうせたらふく飯を食って、風呂に入って、まったりしてた所だろう」
俺はマキに呼ばれ、また小さくため息をつきながら部屋に入った。
ライズが「ごゆっくり」と意味深な言葉をかけてきて、そのまま扉は閉められる。
「話し合いは終わったの?」
「終わっちゃいない。問題ばかりだったが、まあ……一晩考えるしかないな」
「ふーん。あ、トールの分のご飯、そっちに用意されているから。凄くワイルドなご飯よ。肉の丸焼き、野菜の丸焼き、以上、みたいな」
「……」
「でも結構美味しいの。まあ、ユートピアのしけたご飯よりはましよね」
「お前とオウガ族は気が合いそうだな」
岩のテーブルに用意されていた、なんか良く分からない鳥の肉の丸焼きと、マキの言った通り野菜を焼いただけのものが、大きな皿に盛りつけられていた。
俺はとりあえず、腹が減って仕方が無かったので、席について料理に手を付ける。
「……ほお」
おそらく岩の焼き釜で焼いてあるのだろう。
ただそれだけの料理がとても美味しく、味付けは塩だけだったが、また素材の旨味が引き立つ良い塩で、なるほどマキが満足する訳だと思った。
「ね、美味しいでしょう?」
「……そうだな」
後ろからひょっこりと顔を出したマキ。
赤黒い緩やかな髪が、白いシンプルな寝巻きを伝って、俺の肩に流れる。
首元が大きく開いた寝巻きなのか、また彼女には大きすぎたのか……どっちにしろ彼女の鎖骨辺りの白い肌、胸元が露にされていて、肉を頬張りながらも生唾を飲むという事態。
前屈みはよせ、と言いたい。
「ねえねえトール、私にも少し分けてよ」
「……どうぞ」
「わーい、流石トール」
「つーかお前、今日どんだけ食ってんだよ」
結局俺に用意された晩飯を、マキと2人で食べる事になった。
マキにとっては、夜食と言っても良いのかもしれない。
肉は半分くらいマキに持ってかれた。
「食ったら即寝、かよ。全く」
色気より食い気。
マキらしいと言えばマキらしいが、ベッドの適当な場所でくーくー寝るその顔はあどけない。
ここはそれほど寒くないが、一応ちゃんと正しい場所に寝かせ、布団をかけてやった。
「……」
ふと、先ほどライズが言った言葉を思い出した。
黒魔王は、紅魔女をお方様にしなかった、と。紅魔女は、健気な奴だった、と。
紅魔女が黒魔王の妻ではないなどというのは、知っていた事実であったが、改めて言われると、なかなか不思議な事だと思った。
紅魔女の姿は思い出せなくとも、聖地で見た“マキア”ならすぐに思い出せるし、たびたび記憶の空間に会いに行く。紅魔女も似た姿なのだろうと思う。要するに、ただの見た目だけでも心惹かれるとても美しい娘だ。
そうすると、やはり不思議である。
紅魔女は美しかったのだろうし、俺はマキアを思い出せなくとも、マキを見ているだけで少なからず愛しさは湧いてくるし、かつてのトールにとって、マキアは大事だったのだろうと、すでに勘づいている。
ならばなぜ、黒魔王は紅魔女を愛さなかったのか。妻にしなかったのか。
当時の黒魔王にとって、紅魔女はたいした存在じゃなかったのか。
かつての妻を思い浮かべる。
シーヴや、ヘレーナを……だけど、紅魔女は出てこない。
「……マキ」
眠るマキの頬に触れ、前髪を撫でる。
すると彼女は、寝言を言いつつもうつ伏せになり、無意識に俺の寝巻きを掴んだ。
「……」
俺もまた、彼女の隣で横になる。疲れていたし眠たいが、マキの寝顔を見ているとなかなか眠る気にならない。
遡るようにして理解しようとする、俺とマキの関係。
時代も世界もこえて、俺と彼女は、何度出会ったのだろう。
「……はあ」
長く、息を吐いた。
今夜もまた、彼女に会いに行く。
だけど、“マキ”の隣で眠りながら、“マキア”に会いに行くなんて、悪い事をしている訳でもないし、同一人物だと分かっているのに、妙な罪悪感に襲われるのはなぜだろうか。
前世の行いのせいだろうか。