*透、真紀子と爆弾おにぎり。
俺は透。さくらぐみの園児。5歳。
今日は自然公園へ遠足で来ている。
「ちっ、ちっ、ちっ、ちっ」
片手にお高い饅頭を持って、自然公園の木陰で一人で居たマキにそれをちらつかせた。
由利が後ろで焦り顔。
「……と、透くん……猫や犬じゃないんだから」
「あ、でも気にしてる」
マキは警戒しつつ、俺の持つ饅頭が気になって仕方が無い様だ。
由利と俺はその様子を見守りながら、少しずつおびき寄せる。
「高級饅頭だぞ〜……一つ……えっといくらだっけ?」
「一つ500円」
「一つ500円だぞ!! こんな事が許されるのか!!」
自分で尋ねておきながら、自分で驚く。
マキはピクリと反応した。目を丸くして、人差し指を唇に当て、てちてちとこちらにやってくる。
何だか可愛らしい素振りで、一瞬こいつが歴戦のババアである事を忘れかける。
「由利の家はすっごいお金持ちなんだぞ……仲良くしてたら、美味い弁当のおかずを貰える……ほーらほ−ら……」
「……こうきゅうな……おまんじゅう」
「そーだ。ほら、食いたいだろ? 美味しいんだぞ」
「……う」
マキがおもむろに手を伸ばし、俺の持つ饅頭を取ろうとした。
ただ、こんな時に幼稚園児と言うのは予想外な行動に出るもので、悪ガキの一人が風の様に俺の手から饅頭をかっさらっていったのだった。
「もーらいっ」
愛らしい声。直後、饅頭を口に放り込み、咀嚼。
飲み込む音まで聞こえてきそうだった。
「うわあああああああっ」
マキ、叫ぶ。
あまりに嘆かわしい様子で地面に伏せて、草をむしる様子が、見るに耐えない。
せっかくここまで彼女をおびき寄せたのに、マキはリュックサックを背負ったまま、近くの林に逃走した。
「お、おいこら! そっちは行っちゃダメだって、先生が!!」
声をかけた時にはもう遅い。
あいつ、案外足が速いな……
「マキちゃん……あんなに嘆かなくても。もう一つあるのに」
由利がリュックサックからもう一つ饅頭を取り出し、ため息。
俺はマキの消えた方向を見つつ、頷く。
「あと少しで手に入ると思ったものが、思いも寄らぬ敵に奪われる悲しみは、俺にも分かる……」
「悟ってるなあ」
「と言うか、あいつを追おうぜ。表に出すはずが、更に奥に追いやっちまった。先生にバレたら怒られそうだし……」
「先生に怒られる事を恐れる元魔王……」
「言いたい事は分かる。だが、幼稚園では先生がボスだ。……それに、マキを放っておく訳にもいかないだろう」
「そうだねえ、お腹も空いたし、マキちゃんも一人でお弁当を食べるのはかわいそうだしねえ」
「探すか」
俺たちは先生に、ここから先は行ってはいけないと言われた林へ向かった。
先生の目をかいくぐってそちらへ行く事は、俺や由利にはさほど難しくない。
「おーい、おーい、マキ〜」
「あ、居た」
マキはすぐに見つかった。
道ばたの垣根の向こう側で、桃色のスモックがチラチラと見えたから。
ただ、髪が木の枝に引っかかったのか、その場で足止めを食らっていた。
「おい、マキ!」
「きゃああっ」
いきなり俺たちが覗き込んだからか、マキは眉を吊り上がらせ、顔を真っ赤にして驚いていた。
「髪がひっかかったのか?」
「ううう、うるさいわね!! あっち行って」
「ああ……けっこうしっかり絡まってるね」
由利が木の枝に手を伸ばしたが、なぜか髪は割と高い枝に引っかかってしまっていて、届かない。
「風が髪を巻き上げたのかな? マキちゃん、紅魔女時代のような、少しウェーブのかかった髪だから」
「……」
「透君なら、届きそうだよね」
「おお」
一応、この中では一番背が高いのが俺だ。
マキにも由利にも届かなかった木の枝に、背伸びをしたら届く。
ただ俺が近寄ったらマキが威嚇を始めるので、どうしたものか。
「あんたなんかに取ってもらわなくて結構よ!」
「じゃあどうすんだよ……」
「引きちぎるのよ!!」
「お前、それはよせ」
髪は女の命と聞くが、彼女には関係ないらしい。
せっかくの細く柔らかい髪を、無理矢理に引きちぎろうとする。
俺はその手を押さえ込む事から始める。
「やだやだやだ。あんたなんかに“借り”をつくるなんてっ」
「園児のくせに“借り”とか言っても……」
「やだやだやだやだ」
「こらっ、あんまり暴れんな。髪が更に絡まるぞ」
マキが文句を言って暴れるので、俺は彼女の無差別攻撃を避けつつ、一生懸命木の枝から髪をほどいた。
「あっ」
それなのにマキと言ったら、髪がほどけた瞬間、脱兎のごとく駆け出した。
また逃げられる、と思った時、彼女は盛り上がった樹の根に引っかかって、結構勢い良く転んでしまった。
「……あ」
リュックサックが元々開いていたのだろう。
中身が全部流れ出て、弁当が……哀れ弁当の中身が全部地面にぶちまけられた。
「……あああ、言わんこっちゃない」
「怪我してない、マキちゃん」
「……」
マキ、無言。
怪我に慣れているからか痛みこそどうでも良い様だったが、彼女にとって何よりショックだのは、弁当が食べる事の出来ない状態になってしまった事だろう。
「お、おべ、おべんとうが……」
「……仕方ないだろう。お前がチャックを閉め忘れていたのが悪い」
「ううっ」
マキが立ち上がり、土だらけのスモックをはたく事も無く、ぶちまけられた弁当の中身を見下ろし目を潤ませた。
由利が少しばかり、マキの膝小僧の怪我を心配していた。
「今の僕には治癒魔法は使えない。……先生を呼んで来るよ。透君、マキちゃんをよろしくね」
「え、お、おう……」
由利は側の樹の根元に自身のリュックサックを置いて、先生を呼びに行った。
俺は無言のマキを任される形となる。
呆然、とした様子の彼女を前に、俺はそこらにバラまかれた弁当を片付け、無事なお菓子を拾った。
あれ、バナナが転がってる。こいつは食べられそうだ。
「おい、弁当がダメになっても、お菓子とバナナがあるぞ。……というか、バナナは何だ。お前、おやつは300円までだって……」
「バナナはおやつに入らないわっ」
「お、しゃべった」
マキが早口で断言したので、少しびっくり。
だが、あまりにしょんぼりした様子の彼女がかわいそうで、俺は自分のリュックサックから、今日の為に母がつくった、妙な具材のおにぎりを取り出した。
おにぎりっていうか、正直なところ爆弾にしか見えないんだけど、丸くてでかい、海苔で隙間無く覆ったやつ。
「これ、食えよ。2つあるし」
「……なにこれ」
「おにぎりだ。悪いな、うちの母は料理がへたくそなんだ。……お前んとこは、ちゃんと可愛い弁当を作ってくれてるみたいだけど」
「……」
マキは俺を見上げた。
まだ疑いを持った視線と言った所だが、纏う空気は少しばかり柔らかくなっている。
おそらく、飯の効果がでかい。
……いけるぞ。
「ほら。由利が先生を連れてくるまで、木陰でこれでも食ってろ。……結構血、出てるな」
俺はリュックサックからタオルを取り出して、樹にもたれて座るマキの傷を確かめた。
傷口には触れない様にして、血を拭う。
「い、良いわよっ。自分でするわよ」
「お前は黙って飯でも食ってろ」
マキはうっと言葉に詰まって、身を強ばらせた。
ただそのうちに体の力を抜いて、ラップに包まれたおにぎりを両手に持ち、小さな口で一口食べる。
「何だかなあ……。紅魔女が血を流している所なんて、今まで何度も見てきたのに」
妙な感じだ。
お互い、小さな姿である事が一番おかしな事だが、こんな所で、こんな事をしている。
大怪我を負っても、お互いケロッとした関係だったのに。
「……おいしい」
「お、そうか? お前、どうせなんだって美味いって言うんだろ。正直コンビニのおにぎりの方が美味いぞ」
「だって、色々入ってるわ。梅干しに……昆布に……おかかに……あ、高菜」
「それだよ。全部混ぜれば良いと思ってる、うちの母は」
変わらず文句を言う俺とは裏腹に、マキはこのおにぎりが気に入った様だった。
見て分かる程度にうきうきした様子で、おにぎりを頬張っている。
お腹が空いてたのもあるんだろうけど……
「ほら、とりあえず血は拭ったからな。……それにしても由利の奴遅いな」
「別に、この程度の怪我、このまま放っておけば治るわよ」
マキは相変わらず、自分の怪我には疎い。
「バカを言うな。お前、いつまでも紅魔女の体だと思ってるんだろう。……ここじゃあ、俺たちなんてひ弱なガキだ。ちょっとした病気や怪我で、大事になる」
樹に背をくっつけて、マキの隣に座った。
俺も腹が減ったから、もう一つのこったおにぎりを食べようと思った。
「……」
「……」
しばらくの沈黙。
緑に囲まれて食う爆弾おにぎりは、いつもより少しは美味しく感じるなあ……
「ね、ねえ……」
マキがおもむろに、バナナを一つ、房からもいで俺に差し出した。
「これ……あ、あげるわ」
「ん? 良いのかお前、どうせそのおにぎりだけじゃ足りないんだろ」
「一つくらい良いわよ……っ」
俯きがちに、一生懸命、そんな口をきくマキ。
「まあ、くれるんならありがたく……」
「まだ少しすっぱいかも」
「いいよ。俺、このくらいの方が好きだし」
見た目の綺麗な、まだ若いバナナだ。
「私はもうちょっと柔らかくて、甘くなった方が好きだけど」
「でも食うんだろ」
「……うん」
マキはコクンと頷いた。
さっきまであんなに暴れていたのに、今じゃすっかり身を小さくして、大人しくしている。
もぐもぐとおにぎりとバナナを食べながら……
だけど、またいきなり、小難しい顔をし始めた。
「ん、どうした。また眉間にしわを寄せて」
「……その」
「ん? 飯が足りないのか? もうちょっと待ってろよ。由利が帰ってきたら、きっと弁当を分けてくれるはずだぞ。あいつん所のは凄いから」
「……いや、そ、そそ、その……」
まるで息を止めているかの様に、小難しい顔のまま頬を染め、何かを言おうとするマキ。
そんな彼女を横目に、俺はバナナを食っていた。
「その……あ、あ、あ、ありが………とう……っ」
「え」
「髪……解いてくれたいし、お弁当も……分けてくれたし。あんただって、それじゃ……足りないでしょう」
「……」
目を泳がせながらも素直にお礼を言ったマキ。
今までが今までだったから、思わず目をパチパチさせ、驚いた。
い、意外だ……
「これ……これ、あげるから」
「は? これお前のお菓子だろ」
「これもあげる!」
「おい、冷静になれ。自分の首を絞めてるぞ」
お礼のつもりなのか、俺にお菓子を与えようとする小さなマキ。
大好きなはずのどうぶつビスケットも、箱ごとこちらに投げる。
彼女からしたら、きっと借りはつくりたくないと言う所なんだろうけれど、でもその姿とお菓子の組み合わせのせいで、やはり見た目の年相応の女の子にも見えてしまい、思わずプッと吹き出した。
何だ、可愛い所もあるじゃないか、と。