30:ユリシス、出会いと別れ。
7話連続で更新しております。
ご注意ください。
僕はユリシス。
ルスキア王国の王子であり、教国の緑の巫女の夫でもある。
「……」
フレジールからルスキア王国に届いた、シャンバルラ戦の一部始終。
その映像を何度も見ていた。
巨兵の威力は、以前ルスキア王国に現れた“タイプ・エリス”に比べ遥かに劣る様で、通常巨兵35号と位置づけられた。
トール君やエスカ義兄さんの力があれば、それは難なく撃退したかに思える。
ルスキア王国に留まるこの身が恨めしく思う時もあるけれど、誰かがこの国に留まる必要がある事も分かっている。
それに僕には、一番に守らねばならない者が居るはずだ。
「……ユリシス、またそれ見てるの?」
「ペルセリス」
ペルセリスが僕の居た部屋にやってきて、心配そうにした。
だけど何も言わず、隣にやってきて座る。
少し伸びた彼女の髪が、僕の肩に当たった。
「何だか、この巨兵今までのと違って見えるね。まるで、本物の生き物みたい」
「……そうだね」
「ねえユリシス。もうすぐ、トールとお兄ちゃんが帰って来るよ。また、このルスキアに。みんなを元気づける楽しい事をしようよ!」
彼女は嬉しそうに立ち上がり、僕の手を引いた。
そう。僕が巨兵の映像を見ていたのは、彼らがここへ帰ってくる前にちゃんと理解しておきたかったからでもある。
今日、トール君とエスカ義兄さんが帰って来る。
僕は約半年もの間彼らと離れていたが、やっと再会できるのだ。
「こらこらペルセリス。あまりはしゃいじゃダメだよ。身籠った大事な体なんだから」
「……う、うん」
ペルセリスはどこか照れくさそうにして、横髪を耳にかけて大人しくなった。
そして、僕にぺったりと身を寄せ歩む。
「あのね、ユリシス。私ユリシスといつも一緒に居られるの、とても嬉しいよ」
「……どうしたんだいいきなり」
「……何となく」
ポツリと呟くペルセリス。
戦場で戦う彼らを見送る事しか出来ない、僕の葛藤が、彼女には分かっているのだろう。
ペルセリスの頭を抱える様にして撫でた。
「もうすぐみんな帰って来ますねえ」
ルーベルタワーの展望台から、海を眺めていたら、いつの間にやらメディテ卿が後ろの長椅子に居て声をかけてきた。
「殿下、海ばかり見てますけど、海を渡ってくる訳じゃ無いですよ彼らは」
「知ってますよ、そんなことは」
ルーベルタワーの名物のソフトクッキーを食べながら、メディテ卿はうんうんと頷いた。
「殿下は、トール君たちと一緒に戦いたいのですか?」
「……そう言う気持ちも、当然あります。あなただって、この国を出て魔王クラスを追いかけたいと思う事もあるでしょう?」
「そりゃそうだ」
彼の反応は凄まじく早かった。
今度は、ルーベルタワーに見立てた瓶の炭酸水を開け、飲んでいる。
下の売店で色々買ってきたんだな……
「僕も焦りにかられる時はあります。僕だけ、こんなに平和なルスキア王国に居ていいんだろうかって……。ですが、行きません。決めたんです、前世と同じ道はたどらないと」
「……勇者を捜しに、出て行ってしまった事かい?」
「ええ。僕は、妻と我が子を教国に置き去りにして、勇者を捜しにこの大陸を出て行きました。当然、それは正しい事だったのだと思います。だけど、結果僕は、まだ若い妻と、幼い我が子を残し逝ってしまった。そのせいで、一番大事なあの二人を守る事が出来なかった」
現世で何を一番と定めるのか。
それが、おそらく今後の人生に大きく関わって来るだろう。
生きる死ぬと言う問題よりも、何を守る事が出来て、何を守る事が出来ないのか。
「なるほど。前世で正義を貫いた白賢者様は、現世ではわがままを貫きたいと、そう言う事ですね」
「そうですね。流石メディテ卿……言い得て妙です」
「あはは。だてに魔王クラスのストーカーしてきてないよ」
「……」
そう言うメディテ卿の表情にも影がかかって見えた。
最近は僕やペルセリスばかり観察しているこの人だ。ただ僕らは比較的大人しいので、彼の探究心はいまいち満たされないのだろう。
「殿下ーっ、殿下ーっ!!」
二つに結った黒髪を揺らして、キキルナが僕の所に走ってやってきた。
「殿下、トール様たち、帰ってきたよ!! きゃははは」
はしゃいで、とても嬉しそうにしている。
「おっ、もう帰ってきたのか〜。早い早い」
「ちょっと、何でメディテ卿までここに居るの?」
「何でって、言っとくけどこのルーベルタワーの建ってる敷地は、メディテ家の管理する魔導研究機関だよキキルナ君?」
僕の代わりに返事をしたメディテ卿に、キキルナがじとっとした瞳を向けていた。
多分、この様子だとメディテ卿はトワイライトの一族にも何かとちょっかい出してるんだろうな……
「それにしても、トール君が帰って来るのなら、レナ嬢もお出迎えしたかっただろうな。今は魔導学校に通っているから仕方ないけれど」
「……レナさん、頑張っている様ですね」
「そうだねえ。なかなか優秀な魔術師になりそうだよ。ただ、やっぱり彼女の本当の力は、白魔術なんかではないんじゃないだろうかとは思うんだけど」
メディテ卿は顎に手をあて、モゴモゴと言う。
「……救世主としての、力、ですか」
「本人すら分からないのだから仕方が無いけれど、いったい何なんだろうね」
そう。
今、レナさんは魔導研究学校に通っている。そのため、今回トール君たちが戻ってくる時間に出迎える事が出来ない。
授業が終わればすぐにやってくるだろうけれど、彼女は今、一生懸命魔法を勉強している所なのだった。
早く、トール君の力になれるように。
その健気な姿を見ていると、感心すると同時に少し切なくなる。
レナさんはトール君の居ない所では、遠慮がちにも「早くマキアのようになりたい」と言う事がある。
自分が周りに、マキちゃんと比べられている事を知っているのだ。
今回、ルスキア王国に戻ってきたのは、トール君、エスカ義兄さん、レピスさんのようだ。
「やあ、おかえりトール君。大活躍だったね」
「……まあな。だけど色々とあったからな〜疲れたな」
「長旅だったもんね。少しの間、ルスキアで療養するといい」
トール君はこの国を出て行くときより、やはり少し疲れて見えた。
本人は至って普通にしている様だったけど。
「エスカ義兄さんもお疲れさまです。教国でペルセリスも待っています。……あと、大司教も」
「……」
エスカ義兄さんは僕の挨拶にピクリと反応して、下唇を噛んだり僕を睨んだりしていた。
「……な、なんですか?」
「巫女様……ご懐妊のようだな」
「え、あ、はい。……へへ」
「へへじゃねーよ!!」
エスカ義兄さんはイライラしつつも、司教と言う立場上、教国の花婿である僕を半殺しにする事は出来ず、行き場の無い拳をぶるぶるとさせている。
「……おや」
エスカ義兄さんの背中には、小さな少年が隠れていた。
少年は大人しくしていたけれど、僕を見上げて目を丸くしている。
淡く白い髪の、瞳の大きな少年。
体は細く、着ている品のある衣装に着られている感じだが、背筋はピンと伸びて、どこか堂々としている。
瞬間、言葉を失った。
その子は精霊を連れていて、精霊たちの視線が僕に訴えていた。
「……」
すぐに、彼が誰だか悟る。
だけど僕はしばらく、その事実を受け止められずに混乱していた。
「こいつはスズマだ。えー……と、シャンバルラで“あいつ”が連れてきた。まあ、教国で面倒見てやろうと思ってな」
「……シ、シャンバルラで? あいつ?」
「ああ。つーか、こんな所で立ち話してて仕方がないだろう。とりあえず、教国へ行こうぜ」
珍しくエスカ義兄さんが場をまとめてくれた。
エスカ義兄さんの表情を伺う限り、彼はこの子が、“シュマ”の生まれ変わりであると分かってここへ連れてきたようだ。視線が、「早く巫女様の所へ」と言わんばかりだから。
「えっと……君は、いったいどこで精霊を?」
教国へ向かう途中、僕はスズマの隣で、彼に尋ねてばかりだった。
彼に前世の記憶が無いのは、話し始めてすぐに分かった事だったから、ここは慎重に。
本当は、ただ力一杯抱き締めて、泣いてしまいたかったけれど。
彼は僕を、観察する様に何度も見上げては、質問に答えた。
「オアシスで、だよ。僕、オアシスの町で暮らしてたから」
「ご両親は?」
「……居ないよ。僕は拾われっこだから」
「そ、そうか。……ごめんね」
「ううん」
まだ、心臓がバクバクと鼓動を打っている。早く、早くペルセリスに教えてあげたい。
会わせてあげたい。
無意識に足取りが早くなりそうだったけれど、ちょこちょこと歩くスズマの歩幅が、そう、かつてのシュマのものに近いと気がついてからは、自ずとそれに合わせる様になった。
「ねえ、お兄ちゃん……お兄ちゃんは……」
「ん?」
「……」
スズマは僕を見上げて何かを言いかけて、でもやめた。
「おかえり!!」
教国の、円を描く広間の前で待っていたペルセリスが、僕らを出迎えてくれた。
「お兄ちゃんおかえり!!」
「……」
ニコニコと笑顔でおかえりというペルセリスに対し、エスカ義兄さんはゴホンと咳払いして「ただいま戻りました」と、やけに畏まって言っただけ。
ペルセリスはキョロキョロと、エスカ義兄さん越しに他の者を探していたけれど、すぐに僕の隣に居たスズマに目が行った。
「……え」
彼女は小さく、驚きを零す。
じわじわと目を見開いて、小さなその子を見ている。
おそらく、僕なんかよりずっと早くに、彼女はそれが誰なのか気がついた。
「あ、……シュ」
「待って、ペルセリス」
僕は慌てて、ペルセリスの両肩を掴んだ。
動揺している彼女の耳元で、落ち着かせる様にして言う。
「その名前で呼んではダメだ。彼は前世の記憶も無く、ましてや子供。僕らの記憶を押し付けてはいけない」
「だ……だけど、ユリシス」
「分かっているよ」
「ユリシスゥ……っ」
「大丈夫だ」
僕らは耐えていた。
我が子を失った悲しみを、シュマの遺体を泉に沈める事で見送った。
だけど、決して忘れた訳ではない。シュマへの愛情は確かに、今でもずっと心の中にある。
それを、目の前の“スズマ”を抱き締めて、解き放ってしまいたかった。
だって再び、僕らは巡り会えたのだから。
だけど、彼は子供だ。
いきなり僕らが抱きついて、彼を求めて、彼を我が子の前世なのだと言った所で、スズマはいったいどう考えるだろう。
きっと大きな不安と、混乱を来すに違いない。
だから、我慢だよペルセリス。
少しずつ、少しずつ歩めば良い。
そう、彼女にも、自分にも言い聞かせていた。
「……あの」
だけど、そんな時、スズマが僕とペルセリスの丁度真横にやってきて、僕らを見上げて言った。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは、夫婦なの?」
「……え? え、ああ。そうだよ」
「……」
スズマの丸い瞳が、さっきからずっと、僕らを捕えている。
「だったら……あなたたちは、僕の父さんと、母さん?」
まるで、ポッと出てきた子供の疑問のように、彼はいきなり僕らにそう問う。
僕とペルセリスの方が、ふいの問いについて行けていない。
そのくらい、彼の瞳は澄んでいた。
脳裏を横切った、その問い。
かつて、僕はシュマにそれを問われた事がある。
『あなたたちは、僕の父様と、母様ですか?』
そう。約束の場所で。
残留魔導空間で迷子になったシュマが、僕とペルセリスに会った時、ふいに聞いてきた事。
彼は、彼はいつでも僕らを見逃さない。
それに気づかされた時、流石に耐えられそうにないと思った。
シュマと同じ魂を持った子供が、僕とペルセリスに気がついているのに、首を振る事は出来ない。
記憶が無くても、彼は常に僕らを覚えている……
「ああ……“シュマ”……っ」
僕がその名を呼んではいけないと言ったのに、思わず出てきた名前。
膝をついて、涙を流しながら、僕は彼を覆う様にして抱き締めた。
スズマは驚いていたけれど、僕の予想とは裏腹に、ふふっと笑い、僕を抱き締め返しただけ。
なんて強く尊い子だろう。
ペルセリスも込み上げるものを押さえる事が出来ず、僕とスズマに縋る様にして抱き締めた。
理解など出来ない。
なぜ、彼がこの現世に生まれ変わり、この時、この場所で、僕らの前に再び現れたのか。
ヴァビロフォスよ。
これも聖なる大樹の導きだと言うのですか。
僕ら家族は、いつも“聖地”にいる。
「……おい。言っとくがスズマを、ここに連れてきたのは……俺じゃねえぞ」
「……え?」
僕らの再会を見守っていたエスカ義兄さんは、ふいにそう告げた。
「そいつは“あいつ”が見つけて、連れてきた。……あの女が」
「……あいつ?」
また、エスカ義兄さんの口から出てきた“あいつ”。
誰の事だ?
誰が、僕らの巡り合わせを導いてくれたのだろうか。
エスカ義兄さんはそれ以上言う事無く、ふいとそっぽ向いて、すぐに妙な顔をした。
「……つーか……黒魔王は?」
「……」
彼は周囲を見て、そこにトール君が居ない事に気がついたようだった。
僕もやっと、それを意識する。
スズマの事が気になっていて、僕はトール君が居なくなっている事に気がつかなかった。
なんだろう。
こんな時に、一抹の不安がよぎった。
折っていた膝を伸ばし、立ち上がり、予感のままそちらを向いた。
そう。黒い扉の、ある方へ。
「まさか……」
嫌な予感がして、スズマをペルセリスに任せたまま、僕は長い廊下を抜け、あの大扉まで急ぐ。
やはり、と思った。大扉は一度開かれた後の様に、大樹の彫刻が僅かに光を込めている。
「黒魔王の奴。今までこの向こう側に行こうともしなかったのに、なんで……」
ついてきたエスカ義兄さんまでもが、驚いている。
「そんな……」
ダメだ、トール君。
その階段を下って行ってしまっては、君は“彼女”を見つけてしまう。
「あの、どうしたんですか……?」
「レナさん」
魔導研究学校から直接ここにやってきたのか、レナさんが、黒い扉の前で慌てている僕らに声をかけた。
彼女はキョトンとして、きょろきょろと、辺りを見回している。
おそらく、トール君を探しているんだろう。
「僕トール君を追うよ」
「お、おい白賢者!」
エスカ義兄さんが止めるのも聞かず、僕は黒い扉を開き、階段を下っていった。
妙な感じだ。
トール君にマキちゃんの棺を見つけて欲しくないのに、ここを彼が下っていったかもしれないという事を、嬉しくも思う。
もしかして彼は、マキちゃんの事を、僕らの織田真紀子を、マキア・オディリールを思い出したんじゃないだろうか。
「……」
だけど、僕ははっきりと意識した。
トール君が、この聖地にあるマキア・オディリールの墓前で佇む姿を見て、それはやはり、とても残酷な事だと。
澄んだ空気に滲み、漂う彼の冷たく静かな魔力。
トール君は彼女の墓前に立っていた。
背中だけしか見えていないのに、彼の表情を想像できる。
やがて彼は、彼女の墓を前に崩れる。
「……トール君」
ああ、やっとなのか。
彼はやっと、彼女と出会い、そして彼女との別れを悲しむ事が出来たのだ。




