17:ユリシス、我ながら神童過ぎて生きているのが辛い。〈後〉
あれは僕が11歳の頃の事。
その頃すでに王子は10人中4人まで減っていましたから、敵陣営の僕への矛先もいっそう鋭く集中的になっていました。
そう、あの日僕はバスチアンから絶対に外に出ては行けないと言われながらも、中庭に桃色蛍を見つけそれを追ってしまったのです。
心の中ではきっとこれも罠なのだろうと分かっていたのですが、あえてそれに乗ってやろうと思い、子供ながらに嫌な性格をしていたものです。
中庭を越えた所に大理石の噴水があります。
その一つの飾り彫刻の像に違和感を覚えました。
古い9人の神様が象られた彫刻でしたが、その一人の神様が踏みつけている獣の像に、です。何だかその瞳が光ったような気がして、僕はフムと思いました。精霊が擬態しているようです。
その像は僕が目の前に来ると、噴水の水を刃に変え襲ってきたのです。
「おや? 水精霊のウォテールじゃないか………」
僕はその精霊に覚えがあったので、攻撃を仕掛けられながらもにこやかに声をかけた所、その攻撃は僕の直前でピタリと止まり、ただの水となって地面に落ちていきました。
「………」
ウォテールという精霊は、それはそれは驚いた瞳をしていました。
そうです、この精霊は僕がかつて契約していた精霊だったのです。
水の精霊の中では中級の上ほどでしたが、燃費がいいので重宝していた気がします。姿形は水の毛並みをした狐、と言った所でしょうか。割と可愛いんですよ。
「……け、賢者様……?」
「あ、分かる? こんな姿でも」
「勿論でございます!! 私があなた様の魂の匂いを忘れる訳がありませんから!!」
さて、ウォテールは先ほどまで僕を殺そうとしていたくせに、誰だか分かるとすっかり闘志を失ってしまって、あまつさえウォンウォン泣き始めました。
こうなると暗殺も何もありませんが、さあ、どこかで彼と契約している魔術師が居るはずです。
僕は、きっとこの様子を見ているであろうその人物に向かって声をかけました。
「主は誰かな? 精霊に人殺しをさせようなんて、白魔術はいつからそんな物騒なものになったんだい?」
暗い月夜の噴水の水面が少し揺れました。
音も無く現れたのは、濃い茶色の長髪を後ろで束ねた見知らぬ痩せた青年魔術師です。どこかとても顔色が悪く、幸薄そうだなあと言うのが第一印象。
青年は、何が起こったのか解せないと言う面持ちでした。
まあ、当然でしょう。自分の契約下にある精霊が、その命令を守れなかったのですから。
「……いったいなぜ……ユリシス殿下……」
「さあ、何でだろうね」
僕は泣きじゃくるウォテールの水の毛並みを撫でながら、それ以上何も出来ずに居る青年に問いかけます。
「第一王子の陣営の差し金かい? ウォテールと契約するような立派な魔術師が、そんな悪質な事に手を染めてはいけないよ」
「……」
「ほら、少しばかり迷いが見えるよ。君はれっきとした白魔術師だ。もとより暗殺者なんて向いてないんだよ」
「…………はい。お許し下さい…………っ」
青年は深く頭を下げ、悔し気に涙をにじませながらその場に跪きました。
よほど不本意な命令をされたのでしょうか。人を殺すような青年には見えませんから。
やれやれ、分かっているとも。
大きすぎる権力の前には、人は正義を貫きづらいものだ。
僕はちょんと屈んで、その青年の顔を覗き込み、微笑みます。それだけで人の邪念とは少し消え行くものですから。
後に、この青年は僕の下に付き、今でも忠実な家来となっています。
名前を、アイザック・ケリオスと言いました。
ハーブティーの匂いは、朝にもかかわらず様々な記憶を呼び起こします。かつて地球で、僕の愛した抹茶は、逆に嫌な事を忘れさせてくれる、心を落ち着かせるアイテムでした。ハーブティーは頭の中にある覚えておかなければならない事を呼び起こしてくれる、心を少し波立たせるものです。それでも僕はこのハーブティーを、今の状況には必要な物だと考えています。
僕はこちらに転生して、このように高貴な身の上になったと言うのに、日々の生活はサバイバルゲームの中にあるからです。
緊張感は常に持っていなければなりません。
僕はすでに13歳。今や王子は、第一王子と僕だけになってしまいました。
ああ、どうせならこの国に二人しか生き残れない王子になるより、旅人の子供にでも生まれたかった。
そうしたら再びこの世界を自分の足で巡り、長い時間を確かめ、僕らのいた時代から続くこの世界のありようを踏みしめる事が出来たのに。
ただのお城の範囲しか動けないなら、僕がこの世界に生まれ変わった意味なんてあるんだろうか。
ああ、かつての友であるマキちゃんや透君はどうなっただろう。
きっと同じようにこの世界に転生しているに違いない。
無力な王子のままでは探しにいけないけれど。
でもきっと、また会えるってことだけ、僕は知っているよ。
「殿下、よろしいでしょうか!!」
アイザックが少々慌てながら、豪快に部屋の扉を開けました。
彼は臆病者な魔術師なくせに、行動やリアクションはオーバーで面白いです。
「これ、アイザック………殿下の前ではしたないぞよ」
「は、はい」
アイザックはバスチアンに言われるまま丁寧に扉を閉めた後、起きたばかりの僕に言いました。
「さきほど、レイモンド様の使者がこちらに。これを殿下にと」
彼は深いローブの袖から文書の入った筒を取り出しました。
僕はそれを受け取ると、封を解いて文を取り出します。
「……」
内容を読み、僕は困ったように笑います。
「………レイモンド様は何と?」
「午後にお茶においで、とさ」
「どうなさるおつもりで?」
「行くとも。僕は叔父上の事は嫌いではない」
最近更に激化した王位争いのこのタイミングで、僕に話があると言う事は、そろそろ彼も本格的に王手をかけるつもりでいると言う事だろうか。
「殿下、レイモンド様は非常に人を動かすのが上手なお方です。巻き取られますな」
「おや、なぜだい?……バスチアンには悪いけど、僕は王様になんてなるつもりは」
「またそのようなご冗談を」
「……」
さて、僕は本当に王位など興味は無いのですが、これを口にすると周りがうるさいのなんのって。
そりゃあ、僕が生まれた時から僕に期待している家来たちには、悪いと思っているけれどさ。
政策の方向性としては、第一王子の兄上より、叔父上の方が共感出来る。
「まあ、とにかくせっかくのお呼ばれなのだから、無視出来ないでしょう?」
そうして僕はやっとベットから降りました。
長い朝から始まる、長い一日になりそうです。