08:トール、シャーハリーの空気。
二話連続で更新しております。
ご注意ください。
俺はトール。
シャンバルラ王国の首都、シャーハリーに辿り着いた。
地下通路を通り抜け、どこから出て行ったかって言うと、今は使われていない古い教会の祭壇の下。
シャーハリーの外れにひっそりと建っていた、ヴァビロフォス系の教会だ。
俺はそこで、マキと別れた。
マキは迷う事無く、颯爽と消えた。変な女だった。
ここまでの旅路は、一人よりよほど愉快で楽しかったからか、少々心もとないと思わなくもない。
黒いマントを羽織って、身を隠しつつシャーハリーの街を見て回った。
シャンバルラ王国はフレジールの支援無しでは行き詰まる国とは言え、長い歴史と文化の根付く王国のはず。
とは言え、砂漠の色そのままの、濁った空気や、陰鬱とした人々の表情を見るからに、大国としての栄華は感じられない。
人々は閉鎖的で、皆長いターバンを巻き、どこか疑心的。
女性や子供はあまり外出していない様だ。
大通りから小道に入った、フレジールと繋がりの深い宿へ向かった。
表は“休業中”と書かれているが、それは一般の客を遠ざけるため。
フロントには年老いた老人が一人。しかし、その眼光と額の傷は、ただ者では無いと言う雰囲気を醸し出していた。
主人は元々フレジール王国の要人で、こういった時の為にこの国で宿を営み、暮らしているのだ。
「“尊い方から”」
俺はそう言って、シャトマ姫からの書状をその宿の主に手渡した。
主人はその手紙を受け取って、俺の顔をマジマジと見つめたまま、一つ鍵を取り出す。
「507号室へ」
嗄れたぶっきらぼうな声で、そう告げた。
507号室は簡素な部屋だった。
ここがしばらくの、俺の拠点となるだろう。
窓を開けると、乾いた風と共に砂が入ってくるから、すぐに閉める。
やはり、ルスキア王国の潤いのある空気とは違うようだ。
俺の場合、荷物や貴重品は全て自分自身の収容空間に入れているから、この部屋に置いておくものなど無いため、宿について荷を下ろし、やっと一息と言う感じもしないが、ベッドに座り込むと、長旅の疲れがドッと出てくると言うものだ。
しばらくして、宿の主人が茶を持って来た。
「不備は無いかね……」
「……ああ。居心地の良さそうな部屋だ」
「私はマクナム・ズー。元フレジール諜報員だ。お前さんのサポートをする事になる」
「……トールだ。トール・サガラーム」
マクナムの爺さんは俺の名前を聞くと、ゆっくりと頷いて、お茶を側のテーブルに置いた。
「ルスキア王宮の者と書いてあったが、お前さん、名前や見た目は東よりだね」
「ああ。俺の出身は東の大陸だ。バロメットロード沿いの、クアナ王国ってあっただろ。まあ、連邦にめちゃくちゃにされて、自国じゃどうしようもねーからって、フレジールの傘下に加わったのはあんたも知ってるだろうけど。……俺は幼い頃、南の大陸のルスキア王国に難民として逃げたんだ」
「……なるほどなあ。今は多いらしいな、南の大陸に逃げる者たちが」
マクナムは低く唸って、じっと俺を見つめた。
その時感じられる、ピンと張りつめた緊張感は、流石、元フレジールのエリートエージェントと言える。
「ところで、マクナム。シャーハリーを少し見て回って、この宿に辿り着いたんだけど、この王都の空気はいったいどうしたんだ。もともとこんな風なのか?」
「……」
俺がマクナムに、さっそく王都の様子を尋ねたから、長話になると思ったんだろう。
マクナムは側の椅子に腰を下ろした。
「いいや。……まあもともと、海を挟んで連邦に睨まれていた国だ。緊迫感はあったものの、もう少し活気のある国だった。フレジールに守られているという安心感があったからだ。……しかし、いきなり王宮がフレジールと国交断絶を行ったもんだから、国民は不安にかられて、ごらんの通りだよ……」
「……まあ、そりゃあそうだろうな」
俺はお茶を飲んで、窓辺から覗く、寂しい空を見上げた。
「それに、ここ最近、シャーハリーでは妙な事件ばかり起きる」
「……妙な事件?」
「ああ。子供たちが、行方不明になる事が多いんだ。それも、一般人より魔力の高い子供ばかり……。奴隷市も、子供の数がめっきり減ったとされている」
「奴隷……か」
シャンバルラ王国の奴隷制度は、表向きは廃止とされているが、裏では多くの奴隷が売られているのは知っている。
子供たちが行方不明になった事と、奴隷市の子供が減った事に関連があるなら、魔力のある子供たちが、何かしら別の用途で集められていると言う事になるだろうか……
マクナムはゆっくりと立ち上がり、
「何か用があるときは、言いなさい」
そう言った。
彼が部屋の扉を開けると、その隙間から、小さな女の子の姿が見えた。
濃い茶色の髪を、ポニーテールにして、地味な藍色の服を着ている。
「ああ、ターニャ……。トール、この子はわしの養子の、ターニャだ。口がきけなくてな」
ターニャは10歳程だろうか。マクナムが出て来た側から、彼にぴったりくっついて、扉の隙間から俺を見つめている。
「……よろしくな、ターニャ」
声をかけると、彼女は恥ずかしそうにマクナムの背中に隠れてしまった。
そのまま二人は、俺の部屋の前から去る。
自身の周囲は再び静まり返った。
「さてと……」
瞳を閉じ、俺の部屋の隣、更に隣まで、人がいない事を確認する。
そもそも、この宿にも俺を含め3人しか宿泊しておらず、階層も分けられている様だ。
魔導回路の書き込まれた指輪に触れ、遠いフレジールのシャトマ姫との通信を試みた。
遠いので繋がるのに時間がかかるが。
『……やあ、黒魔王。連絡をよこしたと言う事は、無事にシャーハリーのマクナムの所に辿り着いたと言う事か?』
しばらくして、目の前に半透明のモニターが現れ、シャトマ姫が映る。
彼女はいつもと変わらない軍服姿だったが、棒キャンディーを舐めていた。
「……ああ。すまないな。おやつの時間だったか?」
『あはは。軽い糖分補給だ。考える事が多いと、甘いものが食べたくなる。がっつり食べると、カノンの奴がうるさいからな』
「……」
おやつの制限にうるさい勇者ってどんなだろう……
疑問しか無い。
「言われた通り、地下通路を通ったが、妙なものを沢山見つけたぞ」
『……だろうな』
「魔族が住んでいた。知っていたのか?」
『……ほお。さすがにそれは知らなかったが、大砂漠を横断する程の地下迷宮だ。何が住んでいてもおかしくはないな。黒魔王の国へ連れて行ってやれば良いものを』
「一応、誘ってはみた。どうなるかは分からないがな」
『ふふ。相変わらず、王らしくない王だな、そなたは』
シャトマ姫だったら、そのカリスマ性と巧みな口ぶりで、何としても自国へ勧誘するのだろうけれど。
流石は、誘いの蝶……
「ああ、そうだ。それと、妙な女にあったぞ」
『……女?』
「入口の無人のオアシスに居た。赤みのある黒髪で、衣服はどう見ても女学生のセーラー服。あいつ、異世界からやってきた少女って奴だ。おそらく、レナと同じ……。だが、自由に動いているようだった。無理にでも、フレジール王宮に保護させるべきだったのかもしれないが、どうしてもシャーハリーに行きたいようだったし、どうにも一筋縄ではいきそうになくて……だな。共に地下通路を通って、シャーハリーまで連れて来て、そこからは自由にさせてしまった」
勝手な事をして、俺はシャトマ姫にお叱りを受けるかもしれないと思ったが、彼女は一度目を丸くさせて、すぐにニヤリと笑った。
『へええ。女泣かせの黒魔王に、一筋縄ではいかない女がいるとは。そんなのは“あいつ”くらいのものかと思っていたが……ふふ……そうか』
「あいつ?」
『いやいや。こちらの話だ。しかし、それならば、楽しい道中だったであろう?』
「……」
『答えない所を見るに、答えるのは悔しいと言った所か。そなたの気持ちは分かった』
シャトマ姫は人の感情を探るのがとりわけ上手い。一瞬で判断しやがる。
だからこそ、この早さについて行けなくて、手玉に取られる者が多いんだよな。
恐ろしいお姫様だ……
『まあ、異世界の少女が一人と決まっている訳でも無し。……その娘が本当に“救世主”たる存在であるならば、再び出会う事もあるだろうよ』
「……」
シャトマ姫は、丸いキャンディーを口に含み、コロコロと頬で転がしながら。
まるで俺の望みを知っている、とでも言わんばかりに。
『あ、そうそう』
そして、彼女は続けた。
『……緑の巫女が、ご懐妊との知らせを受けたぞ』
「……」
『ユリシス殿下とペルセリス殿は、仲睦まじい様で羨ましいのう。まあ、教国的には女児か男児かで、まだしばらくは安心できないのだろうが、若い夫婦が子を授かったのだ。めでたい事に変わりは無い。黒魔王、そなたも殿下の友人ならば、一言……』
「……え」
俺は、ワンテンポもツーテンポも遅れて、反応してしまった。
妙な所で会話を切られ、シャトマ姫は顔をしかめた。
え。
ユリシスとペリセリスに、おめでた?
いや、大事な事だけど……いやいや。
ユリシス……おめでとう。
エスカ…………(以下省略)
「え、と。わかりました」
『なぜ敬語なのだ』
「ユリシスには後で、祝いの言葉を送っておこう……って事です」
『……』
シャトマ姫は、ポコンと口から棒キャンディーを取り出し、かわいそうなものでも見る瞳で俺を見つめた。
『まあ、男としては、友人に先を越されて切ない思いもあるのかもしれないが……そなただって、ちょっと本気になればもう一度ハーレムくらい……ハーレムの一つや二つくらい』
「流石は女王様。言う事が違うな。……ハーレムの一つや二つってもう意味が分からねーよ」
これだから魔王ってやつは……
俺は額に指を押し当てた。
「別に、そう言う事じゃ無い。ユリシスとペルセリスが子供を授かったのは、喜ばしい事だ。それ故に驚きも大きかったと言うか……。ああ、そうだ。あいつら、きっととても嬉しいだろうよ」
ユリシスとペルセリスにとって、初めての子供と言って良いのか分からない。
前世から思い合う二人が、再び子供を授かったのは嬉しい。
理不尽に殺された、白賢者と緑の巫女の息子シュマも報われるだろう。
『妾には、我が子と言うものがどういったものか分からないが、そなたには分かるのだろうな、黒魔王』
「……どうだか」
『またまた。元ハーレム魔王が良く言う』
シャトマ姫は俺に対して嫌味を交えからかいながらも、このおめでたい事に、どこか夢心地な表情だった。
若くして亡くなった藤姫は、やはり幸せな結婚を夢見る乙女だったんだろうか。
なにはともあれ、ユリシスとペルセリスにお祝いの言葉をかけたい。
こんな時に、側でおめでとうと言えないのは悔しいってもんだ。