07:マキ、追いかけてくる明日はある。
3話連続で更新しております。
ご注意ください。
私は、自称マキ。正しい名前など無い。
「……」
小さなランプを側に置いて、メインストリートの端の平らな部分に寝床を築き、私とトールは並んで眠っていた。
ごそごそと起き上がって、トールの顔を覗き込む。
こいつは結構お上品に眠る。
最初は私の方に背中を向けて寝ているんだけど、そのうちに仰向けになって、静かに寝てんのよね。
私の方が寝相が良く無いから、よくトールを蹴飛ばしているらしい。
寝顔はやっぱり、少しばかりあどけない。
私はそんな顔を覗き込んだまま、彼の前髪を分けたり引っ張ったりして遊んでいたの。
起こさない様に、こっそりね。
「……」
もうすぐ、シャーハリーに辿り着く。
そろそろ、トールとお別れね。
この世界にやってきて、一番最初に思った事。それは、自分の思うままに生きてみようと言う事。
この命は、例外の命。世界の法則から少しだけ逸れた、予想外の命。
だったら、ついに動き出した世界のうねりの中でも、私は常にジョーカーでなければならない。
誰の命令も聞かず、誰の計画にも沿わず、私の意志のみで、救世主たる行動をするの。
だから、シャトマ姫も、私に何も言わなかった。
むしろ彼女自身が、私の要望を何でも聞いてくれると言った。
今回、ただ一人の少年を助けたいと言う、世界の大きなうねりにはおおよそ関わりの無い目的の為にシャーハリーへ行くと言っても、口出しもしないで笑って言った。
「そなたの行動に、無意味な事があるものか。そなたの行った事が、そのうちに世界と関わりを持ってくるのだ。必然的にな。だから妾は、特に何も言うまいよ。紅魔女……そなたの償いは終わった。思うままに、自由に、生きてみろ。何者にも邪魔されない程の力を、そなたは持っているのだから……」
何者にも邪魔されない程の力。
それを知っていながら、放置しておけるシャトマ姫の度量も凄いけれど。
自由にしろと言われて、それでも“彼ら”の前で出て行けなかったのは、なぜかしら……
「トール、あんた何にも知らないくせに、何にも変わらないのね」
久々に出会ったトールは何も変わらなかった。
私の事を覚えていなくても、私に対する扱いはほとんど同じ。
それが嬉しくって、ついつい我が侭を言ったり、彼を振り回したりしてしまったけれど、それでもトールはトールね。
つっこみながらも言う事を聞いてくれる。
私もはしゃいじゃったわ。
トールの前髪を払って、たまらずその額にキスをした。
私って本当に、トールが好きで好きでたまらないのね。
変なの。自分で言うのもなんだけど、変なの。
ずっとそうなのよ。
温かい掛け布団から出て、薄いワンピースからセーラー服に着替える。
服の中に入った髪をまとめて出して、黒いタイツをはいた。
「……おい」
ふと、背中から声をかけられた。
トールがいつの間にか起き上がっていたのだ。
「あら……。起きちゃったの? まさか着替え、見てたんじゃないの?」
「……」
トールは否定しなかったが、真面目な顔だ。
私はくすくす笑うのをやめた。
「こっそり行こうと思ってたのに」
「どこへ行くんだ」
「どこって。シャーハリーよ」
「何で一人で行こうとするんだ。薄情じゃねーか」
「……だって、どうせ明日にはお別れよ?」
「別れ方ってのがあるだろう……」
「……」
トールは頭を掻きながら、立ち上がり、私に近寄った。
「まあ、お前にも事情があるんだろうから、どうしても一人で行くってんなら無理は言わないが、朝飯くらい食ってけよ」
「……そんなことしてたら、寂しくなっちゃうわ」
「……」
私はぎゅっと槍を握って、目を逸らしながら。
トールと居ると心地よく、楽しい。ずっとずっと一緒に居たくなる。
それは悪い事なの? と、私の中のマキアが問う。
だけど、今はトールの目的と、私の目的が、それぞれ別にある。
彼と行動を共にすると、どうしてもトールに甘えたくなるから、用心してたのにな……
「……調子狂うな」
トールは少しばかり考えて、私の腕を掴んで引っ張り、ランプの側に座らせた。
そして、その隣に自分も座り込む。
「寂しくない別れ方なんて、色々とあるだろう。いきなり居なくなるなんてやめろよ」
「……ごめんなさい」
思わず、謝ってしまった。
いきなり居なくなるなんてやめろ、という彼の言葉が、ぐさっと私に突き刺さったのだ。
「なんだ、やけにしおらしいな」
「……」
「……前もそうだった。赤い泉の側の、古代文字を見た時も、だ」
トールは今までずっと気になっていたのか、その話を切り出した。
私は彼につっこまれないように、あれからずっと元気に振る舞っていたのに。やっぱりトールはトール。
こういう女の子、放っておけないのよね。
「あの時、どうしたんだ?」
「……」
答えられないでいる私を見て、トールは小さく息を吐いて、続けた。
「……“私が何をしようとも、いくら血を流そうとも、あの人は私を思い出してはくれないでしょう”……か。いったいどういう意味なんだろうな」
トールはランプの柔らかい灯をぼんやり見つめ、ぽつりと。
私は彼の横顔を伺う。なんだか、少し寂しそう。
「俺もな、一人、忘れている人がいるんだって」
「……え?」
「そいつとどれほど親密だったのかも、良く分からない。誰も俺に、そいつの話を聞かせようともしない。そいつの墓にも近寄らせようともしない。……おかしいよな。そいつの事を忘れただけなのに、色んな事が曖昧になってしまって……。誰もが、よそよそしく思えてな」
「……トール」
私はぐっと、胸元を押さえた。
トールの記憶を封印したのは、彼に悲しい思いをして欲しくなかったからだ。
マキアが死んでしまうのを、彼はきっと自分のせいだと思うに違いないと思った。
こいつが後悔に耐えられる訳が無いもの。
2000年前のマキリエの様に、復讐に身を投じ、それだけのために命を使うかもしれない……トールがマキアの死を背負うくらいならと、マキアに関する記憶の優先順位を、トールの記憶の一番下に位置づける様、命令したのだ。
しかし、“マキア”は沢山の人と関わった。
ユリシスや、お父様や、マキアを挟んでトールと関わった人物との記憶すら、マキアを思い出せない事で、曖昧になってしまうのだ。
「……ごめんなさい」
私は再び謝った。
もしかしたらトールは、訳の分からない寂しさを、この一年程感じていたのかもしれない。
「なんでお前が謝ってんだよ。はは、本当、訳分かんねえ奴だな」
トールは荷物から収容空間からパンを取り出して、「ほら」と私の方へ手渡した。
これくらい食ってけよ、と言う様に。
「あのね、トール。……私、あんたの事、結構好きよ」
「は? いきなりだな」
「ふふ、あんたモテるでしょ?」
「……どうだかな」
トールはもごもごと言葉を濁し、パンをちぎって口に放り込んだ。
私もパンを小さくかじる。
赤い泉の古代文字を読んで、なぜ泣いてしまったのか……
それは、本当に良く分からないの。
遠い遠い所から、込み上げて来た感情。迫り来る切なさに、一瞬とても苦しくなったから。
一体誰の、悲痛の叫びだったのかすら、知らないのに。
「お前の目的が何なのか知らないが、俺はしばらくシャーハリーに居る。何かあったら、力になろう」
「……」
少しだけ戸惑った表情になったけれど、私はパンを齧りながら、小さく頷く。
「トールも何か目的があって、シャーハリーへ行くのでしょう? 今、シャーハリーはとても物騒らしいわよ」
「らしいな。まあでも、心配はするな。俺なんて役に立たないと思っているかもしれないが、こう見えて、フレジールの要人なんだよ」
「……別に心配しちゃいないけど」
「あ、そう」
妙な所でツン。
そうは言いながらも、私はセーラー服のポケットから、ごそごそとあるものを取り出した。
あの赤い宝石だ。
「これ。あげるわ」
「え……良いのか? お前、欲しがってたじゃないか」
「良いのよ。ここ数日、お世話になったお礼よ。食べ物と寝床をありがとう」
「……」
トールは私の差し出すそれを受け取って、マジマジと見つめると、ふっと笑った。
そして、私の頭をぽんぽんと撫でる。
「何だろうな。お前といると、懐かしい気分になるよ……ほんと。誰よりも落ち着くっていうか」
そして、僅かに視線を横に流し、肩を上げた。
「また、会えるか?」
「……そうね。会えると思うわ。私……私も、会いたいって思うから」
もしかしたら、彼を孤独にしてしまっているのも、私なのかもしれない……
マキアの記憶が無いせいで、彼は疑問と、疑念と、周囲と違うと言う孤独感を抱いているのかもしれない。
ごめんね、トール。
だけど私は後悔していない。
でも、もしまた私の事を思い出してくれる時があるならば、私は素直になりましょう。
あんたも私も、寂しくない様に。
今は冬の様なもの。
そのうちに、それぞれの行動が実り、咲く希望はある。
追いかけて来る明日はある。
きっとそれは、春の様に、暖かいものだと思う。
だからまだ、あんたに捕えられる訳にはいかないわ。