06:トール、赤い嘆き。
3話連続で更新しております。
ご注意ください。
「なんだ、これ」
思わず声に出た。
眉を寄せ、シャトマ姫に貰った地図を確認する。
そもそもこの部屋すら地図に無いが、ここから伸びゆくこの道は、未知なる通路だ。
シャトマ姫には寄り道はするなと、言われてるんだけどな。
「ねえ、トール」
「……この先に行ってみたいとか、言い出すんだろ、どうせ」
「あら、何で分かったのかしら」
マキが何を言い出すか、すぐに分かった。
でも彼女はどこか真面目な顔をして、通路の向こう側を気にしている。
「おい、ボヘ。ここを進むとどうなっているんだ?」
「なんてことねーただの、菜園だ、ど」
「菜園。……ああ、さっき言っていた、ここにしか生えない植物っていうやつか」
顎に手を当て、さてどうしようかと思った。
ここから先に進むべきなのか、引き返して、メインストリートを進むべきなのか。
「ボヘ。お前はここら辺の道なら、良く知っているのか? メインストリートに戻りたいんだが」
「大通りの事か? ああ。それなら、そこを通って、俺も良く出て行くど」
「なるほど。なら、ぜひ案内してくれ。美味いもの、少し分けてやっからさ」
ボヘは「黒魔王様の命令とあらば、何だってするど」と、両手を上げて喜んだ。
美味いものを貰える事よりも、俺の命令に従える事の方が嬉しい様で、ああ、ゴドイの奴、子孫に俺の事良い感じに伝えてくれたんだなと、目頭が熱くなった。
「って、おいマキ。危ないから先に行くなって」
ボヘの案内より先に、マキが先に部屋を出て、周囲の壁に散りばめられた様な、真っ赤に光る石を魅入っていた。
「綺麗ねえ。宝石が埋め込まれているみたい」
「へえ。そういうものに興味があるのか。女の子だな、やっぱり」
「別にそう言う訳じゃ無いけれど……。前まで、宝石なんて腐る程持ってたけれど、今は欠片すら無いからね。懐かしいなって思っただけよ」
「……意外だな。案外お嬢様だったりしたのか?」
「ふふ。まあ、そんなとこかしら」
彼女はくすくす笑って、俺から顔を背けた。
なぜだか、彼女は笑いが止まらない様で……
そんな彼女を横目に、俺は壁に埋め込まれているその赤い石を、つついた。
すると、一つ簡単にコロンと落ちて、足下まで転がって来た。
「あ、取れた。やるよこれ」
「……いいのかしら。勝手に持って帰っても」
「かまいやしないだろ。お前には赤い石が似合いそうだな」
「……」
マキはさっきまで大笑いしていたのに、それを一つ手に乗せ、少しだけ頬を染め俯いた。
「ほら、あれだど。あれが俺の食ってる植物だ、ど!!」
赤い石の光る、整えられた通路を進んだ所、ボヘが飛び上がって、俺の袖を引っ張った。
そっちに顔を向けると、丸く広々とした空間に出た。
驚いたのは、そこには薄く一面に広がる赤い水と、その水を苗床にして生える植物があったからだ。
「……なんだ、これ」
「赤い泉?」
サアアアア……
足下を流れて行く、冷たい空気は何だろう。
俺とマキは一時黙りこんで、その奇妙な空間を眺めていた。
真っ赤だ。
真っ赤な泉が光り、白い草花を育てている。
根元は赤い泉の水をすって赤いのに、途中から白く半透明の、透き通る様な花が咲いている植物だ。
壁に埋め込まれている様な赤い宝石の結晶が、生える様にして泉の周りに存在する。
「あれ、俺の食料だ。透明の所がプルプルしていて、美味い。油炒めにする」
「……」
マキが、その泉に近寄り花を一輪摘み、まじまじと見つめている。俺も覗き込んでみた。
「ゼラチン質のものに覆われている……妙な植物だな」
「……甘い匂いがするわ」
俺とマキは顔を見合わせ、首を傾げた。
いったいどうして、こんな地下に、このような植物が生えているのか。
ぼんやりと輝くこの赤い液体は、いったい何なのか。
「……?」
泉の周りを歩んでみると、ある岩場に刻まれた古代文字があった。
「何かしら」
マキも、俺の背中からひょこっと顔を覗かせ、その文字を見つめる。
彼女の意志に反応するのか、手に持っていた槍が、再びその古代文字を浮き立たせ、訳した。
『 私が何をしようとも、いくら血を流そうとも、あの人は私を思い出してはくれないでしょう 』
現れた一文は、このように不可解な言葉だった。
俺はますます顔をしかめるばかりだが、この言葉にハッとしていたのは、マキの方だ。
彼女はただただ瞳を見開き、この文字を見つめては、再びこの真っ赤な泉に咲く花に視線を落とした。
そして、ぽろりと涙を流す。
「お、おい……お前」
「……」
マキはぼろぼろと大粒の涙を流し、それを拭おうともせず、ただただ見開かれた瞳のまま。
その場に立ちすくんでいる。
「どうしたんだ、マキ。おい」
彼女の肩を掴んで揺するが、彼女は見た目の弱々しさとは違い、とても低い冷静な声で答えた。
「……わからないの。勝手に、涙が出てきたから」
そして、くるりと反対側を向いて、一人袖で涙を拭った。
背中は、まだ若く幼い少女の脆さと、でも一人で槍を持ち佇む強さの両方が感じられ、俺は戸惑った。
「……マキ」
「ごめんなさい。何かしら……少し懐かしい気がして。……たまに無い? 知らない場所を、懐かしく思ったりすること」
「……ああ。あるよ」
「そうゆーのよ」
彼女は再び、くるりと向き直り、瞳を細めくすっと笑った。
意味深に、俺をからかう様に。
「驚いた?」
「そりゃあ。いきなり泣かれるとな……」
「あははは。ごめんごめん」
大きく笑う彼女の、からっとした笑顔。
でも涙の流れていた跡は確かに残っていて、俺はますます、良く分からなくなった。
この女は、いったい何なんだろう。
結局その日は、ボヘの住処に泊まらせてもらい、明日、ボヘの案内のもとメインストリートへ出る事になった。
「こっちだ、ど。大通り」
「あ。本当だ! やーっと、出たわねえ。細い道って、いつか行き止まりになるんじゃないかって不安になるから、あんまり好きじゃないわ」
あの不思議な赤い泉を抜け、曲がった小道を進むと、そのうちにメインストリートへ出た。
マキは疲れていたのか、出た瞬間にへなへなと座り込んだ。
「ああ。俺たちもやっと地図上に出たな。このまままっすぐに行けば、シャーハリーに辿り着けそうだ。ま、ここからが長いけどな」
俺はここまで案内してくれたボヘに、向き直る。
「ボヘ。ありがとう。色々と世話になったな」
「い、いやそんな、俺は別に。黒魔王様の為なら、この身を火に焼かれようとも、地中獣に食われようとも」
「……いや、別に自分の事は大事にしてくれ。うん」
ボヘには充分な褒美を与えなくてはいけないな。
俺はすでに、こんな地下迷宮では食う事の出来ない食料を、彼の住処に残していたが、彼にとって黒魔王と言う存在がヒーロー的なものである事は分かっていたから、黒魔王に忠誠を尽くした証として、一つの魔法を授けた。
「これ、持ってろ」
「……」
それは、ただの紙切れだ。
俺の空間魔法を一つ隠し込んだ、ロイヤルチケット。
「魔族の国、アイズモアへの招待状だ。お前がここの暮らしに飽きて、アイズモアへ来てみたいと思ったら、そのチケットをちぎれ。あの空間への扉が開くだろう」
「……黒魔王様」
「いや、まあ。……ここの方が自由で住み心地が良いかもしれないけどな。観光がてら来ても良いし。あ、そうそう。この地下には、まだ魔族が居るんだったよな。お前、交流があるなら、そいつらにも声かけてみてくれ。いつか、みんなでアイズモアへ遊びに来い」
ボヘは感極まった様子で何度も大きく頷いた。
俺が手を差し出すと、ボヘはしばらくキョトンとしていたが、はっと何か思い出した様に手を取って、ブンブンと上下に振る。
彼はまるで、無邪気な子供の様に、キラキラとした瞳をしていた。
マキはヘタンと座ったまま、俺たちのその様子を見ていたが、やがて立ち上がり「さ、行きましょ」と言った。
俺たちがメインストリートを進んで行っても、ボヘはしばらく、その場で俺たちを見守っていた様だ。
しばらく、俺たちは平穏な地下の旅を楽しんだ。
一週間程地下の道を進んだだけだったが、マキと他愛も無い会話をしながら、時に食事し、時に転がって眠って、寄り道をする事も無くただただまっすぐと進んだのだ。
マキは不思議な少女だ。
数日前に出会ったばかりなのに、もうずっと前から知っているかのように“俺”に慣れているし、俺もまた、彼女に遠慮も無い。とても、語りやすいのだ。
だけど、やはり俺は気になっている。
赤い泉で、彼女がいきなり、涙を流した訳を。