01:トール、バロメットロードにて。
二話連続で更新しております。
ご注意ください。
俺はトール・サガラーム。
ルスキア王国の顧問魔術師だ。
俺は今、東の大陸の砂漠を横切る、白綿道の、フレジール王国国境辺りの村にある宿に留まっていた。
ルスキア王国を出たのは2ヶ月ほど前のことで、その後はフレジール王国で、ある計画の為の任務を得た。
「ああ、くっそ。ふざけやがって。マジでシャンバルラは連邦の手に落ちてんな、こりゃあ」
エスカが双眼鏡を覗き、文句を垂れている。
東の大陸の二つの大国、フレジール王国とシャンバルラ王国。
バロメットロードでつながった二つの大国は、同盟を組んだ仲だったが、約半年前、シャンバルラ王国の態度が急変したという。
今まではフレジールとの協力関係上行き来も貿易も密に行われていたのに、突如としてフレジール側の入国を制限した。
フレジールはこれを条約違反とし、シャンバルラ王国を攻撃することもできるのだが、シャトマ姫はこれすら連邦の罠だと思っているようだ。
……シャンバルラはすでに連邦の手に落ちている。
それを確かな事実として調査すること、それが今の俺の任務である。
「おい黒魔王、国境には兵士がウロウロしてやがる。シャンバルラには無かったはずの戦車も大砲もあるようだ。地上から入国するにも、こりゃあ、騒がしくなるぜ」
「やはり地下から行くべきか」
バロメットロードには陸路と地下がある。
しかし地下の存在を知るのはフレジール王国の限られた者だけだ。シャンバルラ側は200年前に王家が分岐しているらしく、地下の存在はその頃前王家が墓まで持っていったとか。
以前シャトマ姫が確認している。
とはいえ、そこは地下迷宮と言われるほど複雑で、今やどうなっているのか分からない危険な道だ。
できるなら表からシャンバルラに密入国したかったのだが、どこにも隙は無いようだ。
「シャンバルラ王国の、中核に、おそらく“青の将軍”の一人が居るのでしょう。速やかに捕えなければなりません」
「わかっている。だから俺が一人で乗り込むのが一番だ」
レピスが人数分のお茶を入れていた。俺と、エスカと、レナと、自分の分だ。
ここ2ヶ月の行動を共にしてきた仲間でもある。
教国の調査団の一員として、東の大陸にも北の大陸にも詳しいエスカをシャトマ姫が説得し、今回の任務に同行させた。その代わり、ユリシスが教国に残ることになったのだが、仕方がない。
ただ、“救世主”として俺たちと行動を共にしているレナは、すっかり疲れきっているようだった。
彼女は最近白魔術をいくつか覚えたが、特別なことができるというわけではない。
ただ異世界からやってきた“救世主”というだけで、こんなに危険な旅に同行させられている。
シャトマ姫曰く、彼女がそこにいることに、意味があるらしい。
「レナ……大丈夫か?」
「……」
俺が気にすると、彼女はこくんとうなづいて、お茶を飲んだ。
そして、戸惑いの表情で俺を見上げる。
「でも、トールさんは明日から、たった一人で地下の迷宮へ行くんでしょう? やっぱり、そんなのは危険だわ」
レナは当初から、俺が一人で地下迷宮を行き、シャンバルラに侵入するのを心配していた。
しかしレピスは言う。
「大丈夫です。トール様はこれでも一魔王。神器無しと言えど」
「……容赦ねえなお前は」
俺を心配するレナと、俺を危険な場所へ送り込むことに容赦のないレピス。
感情的なレナと事務的なレピス。
かつての二人の妻を彷彿とさせ、俺はため息をついた。
「くそが!!俺が一人で行くって言った時は、お前たちみんな『あ、はい』みたいな感じだったくせに、なんでこいつが一人で行くってなったらモメんだよ!!」
「……」
「死ねよもう、お前ら!! うわああああっ」
窓辺のエスカの問いに誰も答えられない。レナは申し訳なさそうに身を小さくさせ、レピスに至っては「人望では?」と身も蓋もないことを。
事実、エスカが行ければ良かったのだが、青の将軍を捕えるための“黒の幕”は、数人しか利用できない。今のところソロモン・トワイライトと、俺と、レピスだ。ソロモンが管理人である事にかわりないが、ルーベル・タワーの魔導回路のおかげで、その空間は3人が同期して利用することができるのである。なので、どこで将軍を捉えようが、同じ空間に閉じ込めることができるのだ。
「私一人では青の将軍に太刀打ちできませんし、あくまで出張ブラック・カーテンとしてエスカ様やレナ様に付いておくくらいしかできません。故にトール様が適任です。シャンバルラ王国の実態がつかめなければ、我々は次の行動に移せません」
「で、でもレピス。トールさんのこと……心配じゃないの?」
「いいえ、特には。むしろやっていただかねばという気持ちの方が強いです」
「……」
レピスの言葉に、レナはすっかり何も言えなくなった。
「レナ、お前の気持ちは嬉しいが、こればかりは俺がやらなければどうしようもない。まあ俺、神器は無いけど」
「……」
最近のからかわれ方の一つが、“神器無し”だった。
というのも、俺の傍にいる魔王クラスどもが皆神器を持っていることが発覚してから、俺だけ持ってないという事が様々なネックとして取り上げられるのだ。
神器があるというのは、ただのパワーアップと違い、存在を世界に認めさせる“証明”になるらしい。
何だかよくわからない話だが。
「でも、トールさん、病み上がりですし」
「病み上がりって、いつの話だよ。もう一年も前のことだろう」
エスカがつっこんだ。
確かに一年前、俺は生死をさまようほどのリスクの支払いを体に背負ったが、既にそれは終わったことだ。
レナは懸命に看病をしてくれていたから、その時の印象が強く俺の事を心配してくれているのだろうか。
「ですが、やはりトールさんの魔法には、リスクが伴います。治癒魔法の使える白魔術師が側に居なければ……っ」
「で、お前が黒魔王についていくってわけか? そりゃあ、足でまといをくっつけるだけだぜ」
「……う」
「それに、ぶっちゃけお前の治癒魔法より、黒魔王が自分でかけた治癒魔法の方がよっぽど効果があるだろう。俺様くらいの白魔術師ならまだしもよお」
「……うう」
エスカは呆れた様子で、レナが何かを言う前に論破。
レナはもうかわいそうなほど項垂れた。
しかしまあ、エスカの言うことは正しいのだ。
俺のリスクに対する効果的な治癒魔法を施せる白魔術師は、ユリシスと、シャトマ姫と、エスカくらいのもの。そこらレベルの白魔術師が何かするくらいなら、俺が自分で治癒魔法をかけたほうが良い。
「それにレナ様、レナ様は他に役目があります。トール様が気になるのもわかりますが、ご自身の事を第一にお考え下さいませ」
「……」
レピスの言葉に、レナはボボボっと顔を真っ赤にした。
それからは何も言うことなく、俺たちの作戦の話を聞いていたっけ。
俺は少々、レナが不憫だった。
それでなくとも、救世主という立場の彼女に、落胆の声が聞こえ始めるこの頃だ。
一時期滞在していたフレジールでは、レナを旅に同行させる時に陰で様々な声が飛んだものだ。
何の役に立つのか、どんな力があるのか、救世主としての証はなんなのか……ただの足でまといにしかならないのではないか。
そして、ちらほら聞こえてしまった言葉が、「あの人は偉大だったのに」である。
レナと比べられるあの人とは、いったい誰だというのか……誰もがその人の名を俺の前で出すことはない。しかし、俺は知っている。
ユリシスが無意識のうちに、俺の前で口にするから。
……マキア。
俺はそいつのことを知っていたらしいのだが、リスクの支払いの時に何かあったのか、そいつの記憶がすっかり無いらしい。
なぜか周囲も、俺に教えようとしない。
俺とそいつは、それほどに関わりのない奴だったんだろうか。
いったいどんな奴だったんだろうか。
国境の宿での、最後の夜。
俺はなかなか眠ることができず、外の空気でも吸おうかと思って、廊下に出た。
すると、どこか寂しげな顔をしたレナが、窓から夜空を眺めていた。
ここら辺は高い建物も無く、透き通るような広い星空が拝める。
本当に、明るくどこまでも澄んだ紺色の。
「おい、レナ。ここら辺は夜寒い。風邪をひくぞ」
「……トールさん」
薄着で、ただぼんやりしょんぼりとしたレナ。
どこまでも気がかりな娘だ。
「おいおい、大丈夫か? 明日から俺も居ないぞ」
「……はい」
「はいって。全然大丈夫そうに見えないが……何が不安なんだ。こんな時代に、元の世界に帰れないだけでもそりゃあ、不安だろうが」
「トールさんは、不安は無いのですか? だって、知らない国に一人で……」
レナは、不思議そうに尋ねる。
少しばかり考えてみたが、特に不安と言うものは、自分の中には無かった。
「まあ、どうなるか分かったもんじゃないが、青の将軍は本体を捜すより、一人一人確実に捕えるというのが、ルスキア王国とフレジール王国の決定だ。ここ一年で、世界の情勢は激しく動いたといっていい。……時間はあまり無いだろう。できるだけ早く、手を打たないとな」
「……」
「それに、俺は連邦に捉えられているトワイライトの者たちを助けたい。今回の任務が、トワイライト奪還に繋がっているんだ。何とかやってみせるさ」
「……トールさんは、凄いですね」
レナは視線を逸らした。
「私は、自分が何をしたいのか、何をすべきなのか……この世界に来て一年も経つのに、全くわかりません。何も出来ない足でまといだもの」
「そんなことはない。お前だって、この一年、白魔術を学んでいたじゃないか」
「そんなの、誰にだってできます。私だけの力なんて……みんなのような、特別な強さなんて、何も。救世主って、何なんでしょう」
「……」
彼女はまた、空を見上げた。
誰より彼女自身が、自分がここに呼ばれた存在意義のようなものを考えていたようだ。
「私、トールさんが居なくなったら、いったい誰に頼っていけば良いんだろうって、そんなことばかり考えているんです。救世主として、最悪です」
「……誰だって、お前を助けてくれるさ」
「それは、私が異世界からやってきた娘だからです。そんなことを考えずに、私を助けてくれるのは、トールさんくらいだもの」
「いやまあ、エスカも口は悪いけど、そんな悪い奴じゃないぜ。あいつ馬鹿だし。レピスも淡々としてっから、冷たい印象があるかもしれないが、案外面白いこと言うぞ、あいつ。シャトマ姫やユリシスだって……」
「……」
レナはふるふると首を振った。
もう、我慢できないというように、涙を流す。
「でも、だって……みんな絶対思ってる。何で、私なんかがここにいて、“あの子”が居ないんだろうって。マキアが……っ」
その名を出してしまい、レナはハッとしていたが、それでも俯いたまま。
俺は、またそいつか、と思ったくらい。
むしろめそめそ泣くレナに困ってしまって、胸ポケットからハンカチを取り出し、差し出した。
彼女は俺を見上げ、僅かに頬を染め、それを受け取った。
目元にハンカチを押し当てる仕草なんかは、前世のへレーナのものにそっくりだ。
「俺の任務だって、そんなに長引かせるつもりはない。すぐにまた会えるさ」
「……はい」
レナは素直に、こくんと頷いた。
俺はぽんぽんと彼女の頭を撫でる。レナの頭は小さく、丸く形が良い。
今まで泣いていたレナは、少しだけ落ち着いたようだった。
「トールさんは、ずるいですね」
「……何が?」
「いいえ」
彼女は一度、小さく微笑んで、それでもやはり、小さくため息をついたようだった。
「明日から、トールさんが居ないなんて……」
「まあそう、寂しがってくれるのがお前くらいだから、ありがたいぜ。あとの二人なんて見ろよ。さっさと行けと言わんばかりだ」
仕方のないことだがな。
エスカはここで、他の調査団と合流後、正面からシャンバルラに乗り込んで俺の行動の目くらましをする役目だし、レピスとレナはまた別件がある。
「それぞれが別のことしてたって、最後に行き着く場所は同じだ」
「……はい。私も、できるだけ頑張ります」
「ああ。お前にしかできないことは、きっとあるはずだぞ。自分に自信を持て」
「はい」
最後だけ、力強く、彼女は頷いた。
もともと前向きな娘のはずだ。彼女の役割というものは、彼女自身が見つけられると俺は思っている。
「あの、トールさん……もし私が、ちゃんと、自分のやるべきこと、見つけられたら……その……」
「……?」
「いえ……いえ、その。……やっぱり、なんでもない……です」
「なんだよ。もじもじしやがって」
吹き出すように笑ってしまった。
レナは少し膨れて「トールさんはひどいです」と言っていたけれど。
俺のハンカチを握ったまま、
「これ、持っていてもいいですか?」
どこか勇気を振り絞った様子で、彼女はそう聞いてきた。
「え、まあ良いけど。でもそれ、結構使い込んでるぞ。洒落っ気も無いし」
「これが、いいです」
「そうか。なら、やるよ。ああ、ついでに魔法陣宿しとこう。何かあったら、使え」
「?」
俺は宙に小さなキューブの魔法陣を作って、それをハンカチに宿した。
「お前を守る小さな要塞を作ってくれるだろう。何かあったら、これを使って逃げろ。良いな」
「……はい」
レナはまた涙を浮かべていた。
キラキラと輝く立体魔法陣が、そのハンカチに宿るのを見つめながら。