42:マキア(マキリエ)、追憶・終。
3話連続で更新しております。ご注意ください。
それが、歴史上何を意味する出来事であったのか、私はまだ知りません。
ただ私は、トルクとの約束を守る為に、勇者を捜しました。
トルクが死んで、初めて勇者と出会った時、彼はすでにヘレーナと共に居ることは無く、私は何度も彼に問いました。ヘレーナはどこへ行ったのか、と。
しかし、勇者はそれに答える事無く、ただ私を殺そうとしました。
時空王の権威を持つ私は、周囲の空間を操り勇者の女神の加護を真っ向から受け止める事ができる。その力は勇者を圧倒出来るものでした。
それでも勇者は、今度こそ本気で私を殺そうとしていましたから、その戦いは今までのもの以上に激しく、時にその場の者を巻き込み、土地を飲み込み、国を荒らし、私と勇者の戦いは激しさを増していったのです。
私は無我夢中でした。
勇者からヘレーナを取り返し、トルクとの約束を守らなければならないと。
それだけを支えに戦っていた気がします。
トルクの無念を晴らす為なら、私は何を犠牲にしても良いとさえ思っていました。
勇者もそれを、分かっている様でした。
なかなか決着のつかない私たちの、最後の戦いにふさわしい場所を選んだのは、勇者です。
少しの間姿を捜す事が出来ないと思っていたら、西の果ての広い荒野に、彼は留まっていました。
まるで私を待っているかの様に。
約2000年前
西の大陸・グリジーン王国“西の荒野”
マキリエ:200歳〜
「ねえ、もう良いでしょう、勇者。そろそろ決着をつけましょうよ……」
私は抑揚の無い口調で彼に問いました。
手に包帯を巻き、時空王の権威を握りしめていました。
包帯は赤く血に染まっていて、既に痛みも通りすぎ。
勇者は、その手に二つの剣を持っていました。一つは今まで何度も見て来た、勇者の証である黄金の剣“女神の加護”ですが、もう一つは黒い霧を纏った、形も定まらない様な剣でした。
今まで勇者は、その剣を私に使う事はありませんでした。しかしすぐに気がつきます。
その剣こそが、きっとトルクを殺したのだ、と。
勇者は今日こそ、私を殺す気なのだ。
「……時空王の権威……か」
勇者は私の持つ剣を見つめ、その後自分の黄金色の剣を見つめました。
「それはお前にふさわしくない。……これを使え」
「……?」
彼は女神の加護を目の前の大地に突き刺し、私に使う様に言いました。
それは私にとって意外と言う以上に意味の分からない事で、思いきり眉を寄せ、問います。
「どういう事よ。その剣は、勇者の証でしょう」
「……俺はもう勇者では無い」
「ふふ。まあ、あんた今、もの凄い額の賞金首だものねえ。笑っちゃうわよねえ勇者様だったのに」
「……」
「仲間殺し、王子殺し、賢者殺し、魔王殺し……あんた今、自分がどんなに罪深いか分かっているの? それでも私たちを裁こうって言うなら相当な独りよがりよねえ。あんたいったい、何が目的なのよ」
「……」
勇者はだんまりです。
私は彼につかつか歩み寄り、トルクの剣を彼の喉元に突きつけ、もう片方の手で女神の加護を引き抜き、勇者の足下に転がしました。
「それでも、あんたは勇者よ。私にとっては、憎むべき敵なの。その証を手に取りなさい。私はトルクの剣で十分だわ」
「……そうか」
勇者はわずかに視線を逸らし、私の剣先を気にしつつも女神の加護を拾い上げました。
そして素早く後退して、私との間合いを取ります。
「最後に一つ、教えてちょうだい」
「……何だ」
「ヘレーナはどこへ行ったの。彼女はトルクの、大事な人なのよ。あんた、いったい彼女に何をしたって言うのよ。ヘレーナが……トルクを殺すはず無い。あんたがそそのかしたんでしょう」
「そう思いたいならそう思えば良い。だが……あの女は結局、俺と同じだ。お前たちを殺す為にこの世界に呼ばれた……」
「……」
「黒魔王を刺したのはあの女だ。だが、黒魔王を殺したのは俺だ。……そう思った方が、お前は戦えるだろう」
勇者は結局、彼にしか分からない情報を私に提示しただけでした。ヘレーナがどこへ行ったのか、どうなったのかは、教えてもらえなかったのです。
私は分からないなりに沸々と湧き上がる怒りに身を震わせ、反対に表情は悪意に満ちた笑みを讃え、手に持つ剣に血を垂れ流していました。
「良いわ、勇者。あんたから聞きたい事は、あんたの体に直接聞けば良いんだもの……。私の血、あんたの中にぶち込んでやるわ」
言葉を言い終わる前に、私は剣を大きく振るって、大地を大きく蹴って勇者に斬りかかりました。
私の血を得て赤く発光する剣は、その膨大な情報量を糧にたった一振りでも大地を数キロ先まで抉る程。
「……っ」
そのたった一振りでも、体にかかる負担は大きく、正当な主では無いだけでリスクはいっそう増えるというもの。
剣を持つ手のひらから伝わる衝撃が、腕をずたずたに切り裂くけれど、私はこの痛みを、歯を食いしばり目の前を見据える力にしていました。
勇者は二つの剣を巧みに操り、私の剣撃を受け流し、隙を作る事無く精霊魔法の魔法陣を列ね、多く持つ精霊の数を“女神の加護”に乗算し、その威力を上げるのです。
私の剣撃により舞う砂埃に隠れ、彼は威力を数倍にも乗せ足した女神の加護を、私に向かって振り落とします。私はそれを“時空王の権威”の特質である空間把握能力により察知し受け止めましたが、威力を流す事が出来ず膝をつきました。私を中心に大地は裂け、私もまた、その圧力により口の端から血を流しました。
しかし、その真っ赤な口元を緩めます。奴の女神の加護には、私の血がわずかに付いたのです。
時空王の権威にはたっぷりと私の血が染み込んでいたのもあるけれど、鮮血程威力のあるものはありません。勇者は私の血が自らに付着した場合、精霊魔法を駆使しそれを洗流し穢れを浄化する術を持っていますが、その前に空間を歪め、精霊魔法の目的をずらします。精霊魔法は空間魔法に弱く、トルクの剣は私に無い力を補ってくれていました。
その僅かなずれが、勇者の攻撃の隙間を作ります。
私は女神の加護に付着した血を、その剣の一部を情報量にして爆発させたのです。
激しい爆音の中、私はその大きな破壊力から自らの身を守るため、赤い血の結界を張りました。
勇者がこの程度で死ぬとは思えないけれど、僅かに傷を与えられたのなら……
「……!?」
煙が落ち着いていく中、黒い気味の悪い霧がいくつもの帯を描き、するすると地面を張ってます。
勇者は、立っていました。剣を持っていたその腕は大きく負傷していましたが、先ほどの爆発の原因となった女神の加護を、勇者は手放してはいません。
本当なら、あの爆発の中もっと負傷していても良いはずなのに、爆発の威力も女神の加護の情報量に見合うものではありませんでした。
「なるほどね……その霧の剣って、魔法を何かしらの方法で無力化するのね」
黄金色の剣は黒い霧を纏い、正義の象徴とは思えない気味の悪い姿をしています。女神の加護とは名ばかりの。
私は思わず身震いしました。
その剣は、まさに、魔王を、私を殺したくてたまらないと言う様な邪念を吹き出しています。
彼はもう片方の手で剣を持ち直しました。
「やっと……本当の本気って所かしら、勇者」
ガンと地面に剣をつき立て、それを支えに立ち上がります。
勇者は自らの傷に顔を歪める事も無く、私を見据えていました。
お互い、決してひく事の無い戦いが続き、きっとこの一戦が、最後の戦いのなるのだろうと、私は理解していたつもりです。
どちらが負けるのだろうか、なんて考えていませんでした。私の中にあるのは、一つの結末だけだったから。
あれが、あの霧がとてもやっかいね。
女神の加護の破壊の力に、黒い霧を纏わせたと言う事が、勇者の賭けを物語っている様でした。あの黒い霧の正体が何なのか分からないけれど、私たちの魔法を無効化するような力がある。
トルクが倒されたのは、あの剣だからだわ。
「……っ」
私は彼から間合いを取り、呼吸を整え、血まみれの体をユラリと傾けクスクス笑います。
直接勇者に致命傷を与える事は、もやは不可能でした。彼のあの剣がある限り、私の魔法は力を失う。
ならば……
時空王の権威を、その刃を私は胸に抱きました。
体を裂く様な、削り取る様な痛みに大きな悲鳴を上げそうになりましたが、とにかくもっともっと血が必要です。私の血が。
自分自身の血を吸い込んだ時空王の権威を、その後大地に突き刺しました。
勇者は私が何をしているのか、不可解な表情をしていましたが、何か仕掛ける前に勝負を決めようと思ったのでしょうか。多くの魔法陣を作り出し、それらを精霊の第五戒召喚として女神の加護に上乗せし、一瞬で私の背後に回りました。
きっと、私の首を討ち取ろうと思っていたのでしょう。それで終わりにしようと。
しかし彼が背後に回った瞬間、時空王の権威の能力により、この場の空間が歪み、私たちは落下して行く感覚に包まれました。
黒魔王の残した力です。
私の血は、今まで黒魔王と共に争い遊んだ、その空間魔法を覚えています。
彼の作った緻密で繊細な空間の数々は、間違いなく私たちの思い出の場所なのです。
「……トルク……っ」
私たちは落ちていきました。
沢山の彼の残像の残る、小さな世界の欠片の中に。
大地に伏せる勇者にまたがる様にして、私は彼の首元の衣服を掴みました。
「殺してやる!! お前はトルクを殺した!!」
叫び、静寂。
気がつくとそこはすでに、何も無い元の荒野の上でした。
空には太陽の光を閉じ込めた隙間のある雲。灰色。
ポタポタと血と涙を流し、血まみれの手で彼の鎖骨辺りを叩きました。私の血が、勇者の傷口に零れ、染みを広げていく。
勇者は側に女神の加護があったのに、それを手に取る事は無く、私を見上げていました。
「何でよ。何で殺したのよ!! 何であんな死に方を、しなければならなかったのよ!!」
「……」
「何で、壊しちゃったのよ。大事だったの……大好きだったのに……っ」
“魔王”なんて元々居ない。それを決めたのは、その他大勢だ。
トルクは、ただの優しく生真面目な魔術師だった。
彼は守るべきものを、ただ守り続けていただけじゃない。
人間に不都合なものは、全て悪だと言うのか。
私たちは人として生まれながら、人と違う力を持っていたからこそ、人の営みに居場所を見いだせ無かっただけなのに。
私を最初に認めてくれたのは、トルクだった。
だから私は、トルクを殺した勇者を絶対に許さない。例え、それが世界にとっての正義だったとしても。
そんな正義は、世界からはみ出した私には関係ない。
私は自分自身に多くの事を言い聞かせ、その度に勇者の胸を拳で叩きました。
その力は既に弱く、私自身、“致命傷”により全身を血に濡らしていたのです。
そして、最後の最後に、命令しました。その血をもってして。
「全身を血に染め、苦しみながら死ぬがいい!! これが命令だ!!」
私は泣き叫ぶ様に告げました。
その時の勇者の表情を、今でも覚えています。
もう、何もかも終わったんだと言いたげな、どこか穏やかな瞳の色でした。ぼんやりとしている様な。
それでも私は、自分自身の抱える膨大な情報量を糧に、勇者をこの手に掴んだまま、最後の魔法をかけたのです。衝動と憎しみのまま。
私の肉体は血のタンクであり、情報の宝です。
それがどんなに恐ろしい膨大な量であったのか私は知らなかったのです。
きっと勇者を道連れに出来るだけの力はあるだろうと、彼を手に掴んだまま瞳を閉じました。
淡い光に包まれた気がして、最後に見たのは、勇者の……
後はもう、光だけでした。耳で捕える事の出来ない激しい爆音だけでした。
その後の熱と煙を、私は知らない。
立ち上る爆発の柱も知らない。西の大陸を焼き払った、その破壊を知らない。
その前にきっと塵となった。
紅魔女は大罪を残して、勇者と共に死んだのでした。
やっと、長い長い人生を、終える事が出来る。
勇者を道連れに。
結局私は、トルクに会いに行く理由を作りたかっただけでした。
もう、充分でしょう。
私はもう疲れた。
体が痛くて仕方が無いのよ。
ああ……また……トルクに会いたい。
別にどんな姿でも、どんな場所でも良いの。
もうあなたへの恋心は、世界を壊したのと同時に封じてしまったけれど、会いたい気持ちは別のところからやってくるもの。
もし、世界を越えたどこかでまた会えたなら、今度こそ、ただただ健やかに遊び語らいましょう。
痛みも苦しみも無い、平和な場所で。
緩やかな波の音。生暖かい緑色の液体に抱かれ、私は夢見心地の中、目を覚ましました。
まるで、産まれたばかりの赤子のよう。
産まれたての赤子は血まみれだけど、私の場合死ぬときもそうよね……なんて、こんな時にぼんやり考えてしまいました。
安心と、前世に残して来た何かへの悲しみ。
複雑な思いに胸を締め付けられ、赤子は新たな世界の光を仰ぎ、泣くのです。
「……」
目元を手で覆って、私は静かに呼吸をします。
ふふ……と意味も無く笑って、ゆっくりと顔から手をのけ起き上がりました。
体にまとわりつく水が音を立て、流れていく……
「ねえ……“勇者”、今、あんたを……殺して来た所よ」
部屋の隅の椅子に座り、今もまだ私を見守っていた“勇者”に、私は語りかけました。
彼は、落ち着いた様子で、ただただ私を見つめ「そうか」と。
「おかしなものね。さっきまであんたの事、あんなに憎くて、殺してやりたくて仕方が無かったのに、目が覚めてすぐでも、今じゃすっかり、そんな気無いんだもの……」
時代を超え世界を越え、今こうやって奴と語り合っている事が不思議で仕方がありません。
頬を流れるその水は、今まで浸かっていたカプセルの液体なのか、涙なのか。
心は穏やかでいて、これ以上無く澄んでいました。
痛み苦しみ、憎悪と後悔、大罪への懺悔の念を、通りすぎ。
立ち上がり、カプセルから一歩踏み出します。
濡れた体のまま。その白い衣服と髪が体にまとわりつき、例え不格好だったとしても、凛と。
勇者はそんな私の前に立ち、腰に下げていた剣を抜いて、それを私にかざしました。
「……それは、女神の加護?」
洗練された冷たさを帯びた金色の剣を、私はただ見つめます。
「……こうやってただ見ると、凄く綺麗な剣ね」
「当然だ。これは……この剣は、本来お前がもつべきものだ」
勇者はその柄を、濡れた私の手に握らせました。
彼を見上げた途端、その表情にハッとします。
どこか……どこか、あの時と同じ様で。私が死ぬ間際に見た、勇者の小さな安堵の微笑み。
「……勇者……あんた……いったい」
「受け取れ紅魔女。今後大業を成すには、必要になるだろう。忘れるな……この剣の本当の名前は……“戦女王の盟約”だ」
「……戦女王の……盟約」
盟約……約束。
その名を、私は知っているのでしょう。何だか、懐かしい響きでした。
体を伝って足下にこぼれ落ちていく水が、私をとりまいていた2000年前のしがらみの様。
“戦女王の盟約”を手にする私は、今度こそ、濁り無い眼で、まだ知らない確かな場所を見つめていました。