41:マキア(マキリエ)、追憶12。
3話連続で更新しております。ご注意ください。
目を疑いました。
やっと辿り着いた、アイズモアの地で、私は見たくなかった最悪の結果を目にする事になりました。
いえ、でもどこかで、不安は確かにあったのです。
黒魔王が……トルクが、勇者に破れ殺される、そんな悪夢のような。
白い雪原の真ん中の、紅がただただ目立っていました。
「……トルク……トルク……っ!!」
その上にトルクが倒れ、今にも意識を失いそうな、ぼんやりした表情で居ました。私は彼に駆け寄り、しゃがんで名前を呼びます。血の染み込んだ雪を握りしめ。
「どうしたって言うのよ!! あ……あんたがこんな事になるなんて……っ!!」
「………紅魔女……」
彼は絶望を通り越した、虚無の表情でいます。それこそ“死”を思わせる様な。
トルクは私が誰だか分かると、少しだけ微笑みました。
「はは……久々だな……。でも、もう駄目だ。俺は……死ぬ様だ」
「……どうしてよ……っ。あんたがあいつに……勇者に負けたとでも言うの!!」
「ヘレーナが……俺を刺したのだ……」
「え……?」
彼の言葉は痛切で、私は一時信じられませんでした。
ヘレーナが? どうして?
あんなに愛し合っていたのに、勇者では無く、なぜヘレーナが……。
しかし、黒魔王の傷も治癒魔法が働いているはずです。
私だって、腹を貫かれもとりあえず三晩ほどで完治したんだもの。
もっと早く動ける様になっていれば、黒魔王を救う事が出来たかもしれないのに。
私はトルクの上半身を抱きかかえ、その傷の様子を確かめました。だけど、すぐに分かります。彼の体内に構築されていた治癒魔法の術式が、全く作用していない事に。
「駄目だ……治癒魔法が働かないんだ……」
「……どうして……っ」
なんで……。
私のときは、大丈夫だったのに。
訳が分かりませんでした。ヘレーナに刺されたのなら、なおさら、トルクが死ぬ意味が分かりません。普通の人間なら死ぬ傷でも、私たちは死なないからです。
恐怖だけが、私の手足の先からののぼって来て、ただただ首を振りました。
「嫌よ!! あんたまで死んだら、私……本当に一人になっちゃうじゃない……っ!! こんな世界で、私だけが……私だけがたった一人、こんな力を持っていたって……っ」
泣きながら、トルクに訴えました。
このままでは、本当に一人になってしまう。
この世界のどこにも、私と同じ様な人間がいなくなってしまう。
白賢者も、黒魔王も死んでしまったら、私は……。
だけど、それ以上に、トルクがただただ辛そうで、私はそれがとてつもなくやるせなかったのです。
愛する者に裏切られた悲しみとは、いったいどれほどのものなんでしょう。
裏切られて、死ぬの?
トルクはそんな死に方をしてしまうの?
私の愛した人は、そんな残酷な死に方をしてしまうと言うの。
「すまない……」
トルクは、一言、私に謝りました。
その一言で、私は悟るのです。ああ、終わってしまうんだ、と。
200年という長い年月を生き長らえ、沢山の人を見送ったであろうこの黒魔王は、今、死を目前にしているんだ。それは、とてもとても寂しく悲しい事だけど、もしかしたら、ある意味私たちの救いの一つなのかもしれない……。そしてそれを見送るのは私なんだ。
「……ヘレーナ……どうして……」
「……トルク……」
トルクは、最後にやはり、ヘレーナを気にしていました。
私はぐっと唇を結んで、彼の最後の望みは何なのか、それを見定めようとします。
「マキリエ……すまない。俺は勇者に破れた……っ。ヘレーナまで……俺を裏切って……」
「………」
トルクの頭を膝に乗せ、私は彼の髪を指で梳きました。
ヘレーナに殺されたと言うのに、やはり彼はヘレーナを恨む事が出来ず、彼女への未練を抱えているのです。
彼があまりに可哀想で、あふれる涙は止めどなく、私は結んだ唇を震わせました。
馬鹿な男ね。
これだから、あんた殺されちゃうんじゃない。
「……」
トルクに言いたかった事が沢山あります。
あんたの事が、本当はずっとずっと好きだった。
一緒に居るのが楽しかった。
お願い、私を一人にしないで。
だけど、それらの言葉は全て飲み込んで、私はトルクの絶望を、願いを、ただ受け止めたいと思いました。
「大丈夫。あなたの愛した……ヘレーナじゃない。きっと、あなたを裏切ったんじゃないわ……。私が、勇者からあの子を、きっと取り戻してあげるから。助けてあげるから……っ」
「………マキリエ……」
トルクは一度目を見開いて、私を見上げました。
この時少しだけ、彼の体の力が抜けた気がして、私は彼の手を握って小さく微笑みます。
トルクの最後を、決して、辛く苦しいもので終わらせたくない。
それが私の一番の願いでした。たとえ、トルクとヘレーナの絆を再確認するものだったとしても。
その為なら、何だってする。
トルクとの約束があれば、私はまだ生きていける。
「ああ……頼む、マキリエ」
トルクは一筋涙を流し、私の手を握り返し、頼み事をしました。
それは私にとって、一つの救いでありながら、胸を裂く程の痛みでもありました。
ああ。
私は最後の最後の最後まで、ヘレーナを越える事は出来なかったんだ。
私にヘレーナの事を託したトルクは、安心したのか、スッと眠る様に瞳を閉じ、やがて、その息づかいも止まり、私の手を握る力も無くなりました。
「……」
死んだのです。
私の愛した人は死にました。
いったいいつ死ぬんだろうと、何度も何度もお互い考えてきましたはずなのです。だけど、死はこんなにあっけなく、そして残酷なものでした。
少しの間、私はトルクの遺体を抱き締め、無言で涙を流していました。
死にたい。私も死んでしまいたい。トルクと一緒の所に行きたい。
この時の私を蝕んだ弱い気持ちは、トルクとの約束によって、何とか制御出来るものでした。
だけど、約束なんて無いほうが、幸せだったのかもしれません。
ここでトルクと死ねたら、きっとまだ、私にとっての救いだった。
私は冷たくなったトルクの体を地に横たえ、彼の頬を両手で包んで、彼の唇にそっと口付けました。
最初で最後の、別れの口付けでした。
「さよなら……さよなら……っ、トルク……」
自分自身に、言い聞かせるように。
トルクは死んだ。別れを、自分に刻み込まなければ。
ゆっくりと立ち上がり、私は空を仰ぎました。
夜明けの、とても寂しい色をしています。真っ暗でもなく、明るくもない、静かで清々しい時間。
誰もいない雪原の上で、私は大声を上げて泣きました。
自分の中にたまったものを、全部吐き出す様にして泣かなければ、耐えられそうになかったからです。
どうすれば良いのか、何をすれば良いのか、それは、トルクとの約束が私に示してくれる。
だから私は、トルクの剣を手に取りました。
「……っ」
彼の剣“時空王の権威”は、私を拒否し、握った所から身を削ろうと作用します。
だけど、私は体を傷つけながらも、その剣を手放す事はありませんでした。
私の血を飲み込んでより強力な力を得るなら、それで良い。
「いいわよ……私の血なんて、いくらでもくれてやるから………。でも、お願いよ……私に、あいつを倒せる力を…………っ、トルク……っ!!」
勇者を倒す。あの男を殺す。
その決意が、私を立ちあがらせる。それが私を生き長らえさせる。
私はトルクの剣を強く手に持ったまま、一度瞳を閉じて、ゆっくりと呼吸をしました。
そして、瞳を開けた時には、もう私はただの紅魔女では無いのです。
魔王でした。
その力を、ただただ破壊の為に使おうと決意した、史上最悪の魔王でした。
トルクの遺体をその場に置いて、もう彼を惜しむ事も縋る事も無く。
救いを求めようともしないで、私は雪原を下っていきました。
その瞳は、見てはいけない場所を見据えていたのでしょう。