40:マキア(マキリエ)、追憶11。
3話連続で更新しております。ご注意ください。
約2000年前
西の大陸・グリジーン王国
マキリエ:200歳〜
ぼんやりしていました。
何も頑張らなくて良くなった……それが、私を、こんなにふ抜けた女にしてしまいました。
お洒落、なにそれ? みたいな。
見た目は若くとも地味で楽な格好をして、毎日同じような日々を繰り返し、何事も無く平和に暮らしていました。勇者に殺されても特に未練も無いだろうと思っていたけど、こう言う時になってぷっつりと勇者一行が現れなくなったから、更に波の立たない毎日で、話し相手も居らず。暇すぎる。
精神の老化は猛スピードで進んでいたんじゃないかしら? と。
今思えば、枯れ期はここから始まってた様な気もします。
王宮から貰ったものを港町で売り払い、そのお金で砂糖や小麦なんかを買っていました。
そろそろ、私自身を着飾るものも、金目のものも、必要ない様に思っていましたから、家の整理もかねてそういったものをあちこちで売っていた訳です。勿論、姿は隠して。
その時、私はある噂を街中で聞きました。
「白賢者様が勇者様に殺されたんだってよ……」
「まさかそんな。魔王討伐まで、あと少しと言う所で」
「勇者様はフレジスタ王国の王子も殺し、今じゃ賞金首さ。こりゃもう、魔王討伐どころの騒ぎじゃねえよ」
港町は他大陸の噂も入ってきやすく、この日、誰もがこの話題を口にしていました。
私はさっぱり意味が分からなかったのです。
なぜ、勇者が?
白賢者は死んでしまったの?
誰もが勇者に大きな期待をしていたので、この大事件に関する民衆の不安はとてつもなく大きく、世界は揺らいでいました。
名を馳せていた異世界の救世主は、今では大犯罪者となり、東のフレジスタ王国を筆頭に、あらゆる国が勇者の命を狙っているらしいのです。
私はこの噂を出来るだけ沢山集めて、すぐに森へ帰り、小屋の中に引きこもりました。
ミルクを温め、砂糖を溶かして飲むと、ザワザワした心が落ち着くのですが、それでも私は勇者の目的を考えずにはいられませんでした。
勇者一行は、見ているこちらが痒くなるくらい、熱く仲間思いでした。
勇者だけが飄々としていたとしても、それなりの絆が見え隠れしていた様に思います。
だけど、何で?
勇者一行は、皆死んだか行方不明か、という事らしく、真相を知る者は勇者しかいないんですって。
でも、勇者は最後に白賢者を殺して行方をくらましてしまった……。
「……そう、白賢者が。ユノーシス・バロメット……」
私は、ミルクのカップを持ったまま、彼の名を呟きました。
とうとう、私たち3人のうち、一人が死んでしまった。敵だったとしても、同じ土俵の人間である、白賢者が。何だか無性にもの寂しく、少しだけ恐ろしくなりました。
今に自分の番が来るのだろうと思ってしまって。
そして、ふと黒魔王はどうしているだろうと考えました。
彼の事を考えない様にしようと思い、会う事の無い日々が続いています。私の人生から見たら、黒魔王に会いに行かなくなった期間なんてとても短いものなのに、長い間会っていないかの様。
無事だろうか……勇者は、今度はどちらを先に殺しにくるかしら。
「多分、私の方を先に殺しにくるわね。だって、一番殺しやすいもの。黒魔王は魔族に守られているし……」
誰に言うでも無く、自分自身に言い聞かせます。
それからの私は、対勇者のための罠をしかけたり、戦いの策を練ったりイメージトレーニングをしたり。
しかし最中、ふっと考えるのです。自分はいったいなぜ生き延びようとしているのか。だって、もう死んでも未練も何も無いじゃない、と。
本当に生き長らえたいのなら、勇者を殺すか彼からとことん逃げた方が良いのでは無いのだろうか、と。
この時の私は、自分が生きたいのか死にたいのか、それすら良く分からず、ただただ、その時の気分と運命に従おうとばかり考えるに至っていました。
それは、私が小屋の外にある両親や祖父母の墓を掃除し、花を添えていた時の事でした。
墓は我が家の裏手の小さな広場の様になっている所にあるのですが、ここ最近この場所にやってきては、側の樹の根元に座り込んで、物思いにふけっていました。
静かな余生って奴ですか。
誰もが恐れる紅魔女……そんなもの、いったいどこへ行ったのやら。
いや、もともとこんな風だったわね。
「……」
生暖かい風が吹いて、ふと顔を上げました。
私は目の前に立つ、金髪の男を見上げています。良い男だったのに、なんかやつれたかな……
「……あら、やっと来たの……勇者。随分遅かったじゃない。どうしたの、なんか疲れているわね」
「……」
「あんた、白賢者を殺したんだって? ふふ、恩知らずね。異世界の勇者が聞いて呆れるわ」
「……」
勇者でした。
彼は女神の加護を持ち、私の目の前に現れたのでした。
座り込んだまま、彼を睨みます。私が森にしかけたトラップは結局何の意味も無かったんですね。
勇者は既に魔王と対等の力を持っているようでした。まあ、白賢者を殺したんだからそうですよね。
「私を殺しに来たんでしょう? 私、もう人畜無害のか弱い魔女よ。それでも殺すの?」
「……お前たちを殺すのが、俺の役目だ」
「ふふ……何よそれ。結局、私たちが何をしようが善人だろうが悪人だろうが、殺すって事?」
「そうだ」
サワサワと、森の木々の葉が揺れ、私たちの顔に木漏れ日を散らしては、静寂とこの場の空気のあまりの差を強調します。
勇者は私を見下ろしたまま、相変わらずの淡々とした態度でした。
何の感情も読めない、冷たい瞳。
「わかんないわね、あんた。……私を殺す前に、一つ教えてちょうだいよ。あんた、本当は何者で、何が目的なの?」
「……」
「聞いた私が馬鹿だったわ。まあ良いわ、別に」
立ち上がり、赤いワンピースの膝をはたきます。
「ほら、さっさとかかって来なさいよ。今の私は割と腕が鈍っているから、殺しやすいんじゃないの?」
「……お前、俺に殺されるつもりか」
「はあ? バカ言ってるんじゃないわよ。ここじゃ、私の家族のお墓が壊れちゃうでしょう? どこか、人気の無い所で相手してやるって言ってんのよ。……その上で、私が殺される事もあるかもしれないわねって事よ。その時は……出来るだけ一瞬で終わらせなさい。痛い思いをして死ぬのは嫌よ。そもそも私、痛いのは嫌いなのよ。血を使うのも憂鬱と言えば憂鬱よ……」
「完全に殺させる気じゃないか」
勇者は冷静なつっこみをしてみせました。
こいつ、こんな芸当が出来たとは。
私は反論が出来ず、ふん、とそっぽ向いて、視線を落としました。
物騒な話をしたものです。死に際の要求とは。
「だって……人は普通、死ぬのもでしょう? 死なない私たちの方がおかしいのよ、それは分かっているの。それに……私、もう……楽しい事なんて何も無いもの」
「……」
勇者はまるで表情を変えませんでしたが、瞳を僅かに逸らした後、その黄金の剣を腰の鞘に収めました。
「……まだだ」
「は?」
「まだ、お前は殺さない。お前は最後だ」
彼はそれだけ言うと、私に背を向け、足取り早く去って行きました。
私は何が何だか分からず、ホッとする以上に拍子抜けと期待はずれで、思わず勇者を追いかけました。
「ちょ、ちょ、ちょっと!! どういう事よ、何なのよいったい」
「……」
「その気にさせといて、直前でやっぱやーめたっとか、最低よあんた。最悪な男よ!!」
「今のお前なんて、いつでも殺せる。先に……あいつだ」
勇者は既に、別のものを見ていました。
森を抜けた、その先を。
私はとっさに、彼を止めようとしました。
「や……っ、やめなさいよ、あんた!! あんた、黒魔王を殺しに行くの? やめて、あいつ今、凄く幸せなのよ!! やっと、大事な人が見つかったんだから!!」
涙目でした。
どうにかして、勇者を止めたいと思っていました。
そうだ。私がここでこいつを止めなければ、こいつは次に黒魔王を狙う。
分かりきっていた事が、やっと分かります。
それだけで私は、こいつを全力で止める事が、戦う事が出来る。殺す事が出来る!!
「勇者!! 私と戦いなさい!!」
私は爪で腕の内側の柔らかい部分を裂いて、血を垂らし、勇者の手前に回ってその腕をかざしました。
本気で殺そうと、血の糸を張り巡らせ、彼の心臓を貫こうと思ったのです。
しかし、それは一瞬の事でした。勇者は歩む速度を変える事無く、この時、私を“女神の加護”で貫いたのです。全くもって、避ける事が出来ませんでした。
「……っ」
勇者はすぐに剣を引き抜いて、ぬかり無く水の精霊による洗浄の魔法を剣に施し、私の血を一滴残らず洗い流します。その精霊は、白賢者の水の精霊“セリアーデ”でした。
私はその場に倒れました。流石に“女神の加護”という伝説の剣に貫かれ、全く立ち上がる事が出来ません。体内で治癒魔法の術式は作用している様ですが、白魔術程の効果は無く、このままでは勇者に他愛も無く殺されると思いました。
「……死に急ぐな。どうせ、黒魔王の次は、お前だ……紅魔女」
しかし彼は私にとどめを刺す事無く、地に伏せた私に低い声でそう告げ、再び足早に去って行きました。
「……ま……って」
待って。行かないで。
黒魔王を殺さないで。
どうして彼がこの時、私にとどめを刺さなかったのか。
それは今でも分からない事です。
だけど私は、勇者が黒魔王を殺しに向かっている事だけは確かだと分かっていましたから、霞む目の前の小さな人影に向かって、震える手を伸ばしていました。
ふっと意識が無くなり、私はこの場でしばらく倒れている事になります。
体内の治癒魔法の術式が、ジワジワと私の体を治療する、そのうごめきだけは感じる事が出来ましたが、黒魔術と言う治癒に適さない魔法のおかげで、それは大変時間のかかる事だったのです。
そのせいで、私は出遅れてしまいました。
もしかしたら、それが勇者の狙いだったのかもしれませんし、意図せぬ歯車の狂いだったのかもしれません。




