38:マキア(マキリエ)、追憶9。
3話連続で更新しております。ご注意ください。
勇者を初めて見た時の、妙な違和感を今でも覚えています。
名前も知らないのに、見た瞬間、その存在に疑問を持ったのです。
初めて彼を見た時、彼はまだ若い15歳程の少年でしたが、その淡々とした瞳と妙な存在感は格別で、それなのにどこかこの世界と繋がっていない様な、ふわふわした存在。
そんな印象がありました。
アイズモアから少し外れた北の大陸の雪山で、黒魔王と共に峰を裂く程の激しい戦いを繰り広げていたのですが、一筋の金色の剣撃により私と黒魔王は戦いを中断せざるを得なくなったのです。
白賢者が勇者を連れて、紅魔女と黒魔王の戦いに初めて割って入って来たのが、この時でした。
「何よその子供。あっはははは、まさか、まさかそれが噂の勇者様だって言うの? 白賢者、あなた私たちの力を知らない訳じゃ無いでしょう? 耄碌じじいになっちゃったの?」
私は白賢者が連れて来た勇者があまりに若造だったので、腹を抱えて雪原の上を笑い転げてしまったのです。異世界からやってきた勇者を、白賢者が教育していると言う噂を聞いていましたが、まさかこんな子供とは。
しかし分かっていました。
私も、トルクも。たとえ子供でも、一目見ただけで分かるその強烈な眼光と存在感を、体中が察知し警戒していたのです。一応余裕ぶって笑って馬鹿にしただけ。
馬鹿にしながらも冷や汗を流したのはこの私です。
手に金色の大きな剣を持って、感情の見えない面持ちで佇む少年。
白賢者は「今日はほんの挨拶ですよ」と微笑んで彼を紹介したっけ。
「異世界からやってきた勇者……名前をカヤと言います」
「……カヤ?」
私は目を凝らしましたが、魔力数値も何も見えてきません。
きっと偽名なのでしょう。白賢者、ぬかり無い奴め。
「私は本気ですよ、紅魔女、黒魔王。あなた方は……私たちは生き過ぎている。異世界からカヤがやってきたのが、その証拠です。世界が魔王を打ち倒そうとしているのです。あなた方とは色々ありましたが、ここからは完全に敵となります。覚悟なさってください」
「……白賢者、あんた」
私は白賢者がこのように言った理由を、この時は理解出来ていません。
せっかくの楽しい事を終わらせようとするなんて、馬鹿な事だわと憤慨したのは当然として、その後勇者が私たちにとってどのような存在になっていくのか、訳の分からない不安だけがあったのです。
私以上に、黒魔王はもっと深刻な表情をしていました。
瞳を細め、魔導要塞を構築し、今すぐ厄介な芽を摘んでしまおうと周囲の空気を歪めています。
勇者をここで倒してしまうつもりなのです。
「ならば今すぐ、空間の塵にしてくれる」
彼の足下から別の空間が構築され始め、それは白賢者と勇者を捕えようと凄い早さで広がって行きましたが、もともと今回はすぐに去る算段だったのか、勇者も白賢者も、精霊に乗って空に飛び立ち、私たちを一瞥し去って行きました。
「……チッ」
黒魔王は舌打をして、遠く小さくなって行く彼らを見上げていました。
私は彼の様子を伺います。
「何か、変な事になったわね、トルク」
「……大した事じゃないさ。どんな奴が現れたって、俺たちに敵うものか」
「……そ、そう……よね」
私の、訳の分からない違和感と不安は、きっと世界の大きな流れによるものだったのでしょうか。
魔王討伐の動きは、勇者が現れた事で加速して行きました。
勇者はその後、魔王討伐の為の仲間を集め、白賢者と共に世界を旅してその名を轟かせました。
彼らは世界の人々を見方につけ、私たちを少しずつ、静かに追いつめていたのです。
約2000年前
東の大陸・グリジーン王国
マキリエ:200歳〜
「……っ」
私はグリジーン王国の端の森の中で、勇者一行に行く手を阻まれていました。
魔女リーリアの炎の矢によって、腕を焼かれてしまったのです。
「何すんのよ地味カボチャ娘!!」
勇者一行の紅一点リーリアに向かって、私は“地味カボチャ娘”という愛称を勝手につけていました。
いや、愛らしいお嬢さんだったんだけど、何となく全体的にオレンジ色だったので。
「何よあんたなんてただのババアじゃない!!」
リーリアはいつもこんな風に私をババア扱いしたので、こちらも何か文句言ってやらないとと、ムキになったのでした。いや、良い歳して小娘みたいな。
私にやけくそな攻撃をしようとするリーリアを、他の仲間が押さえつつ。
「ねえ、白賢者は? 今日は居ないの?」
勇者一行の中に白賢者が居なかったので、髪を払いつつ訪ねました。
弓使いアレンが「白賢者様は聖域にて奥様とお子様と休暇中だ」と。
あ、そう。
と、その時、勇者がその場の空気も話の流れも無視して、その風格のまま私に黄金の剣を向け、斬りかかってきました。
「ちょっ、ちょっと、邪魔しないでよ!! 私、北の大陸に行くんだから!!」
勇者の剣をとっさにかわし、リーリアに焼かれた腕に流れる血を振って、鞭の様にしなる大きな血の刃を作り出し反撃します。
しかし、勇者はこれを軽々避け、仲間の白魔術による足場を踏みつつ、自由自在に私に攻撃を重ねて行くのです。
「きゃー、そんなババアさっさとやっちまって勇者ーっ!!」
リーリアの黄色い声が腹立たしい。誰がババアよ。
私は小さな剣の切り傷なんてすぐに治ってしまうので、煩わしいだけで何と言う事も無いのですが、最近勇者一行の力が増したのか、彼らを振り払って逃げるのが困難になっていました。
「ふーん、勇者、あなた腕を上げたでしょう?」
余裕ぶって聞いてみたけど、勇者は何も答えません。初めて会ったときよりずっと大人びて、体つきもしっかりしてきたようです。白賢者に、どこに出しても恥ずかしくない勇者に育てられたものです。
「……」
でも、どうしてかしら、なかなか私にとどめを刺せずに居る。
前からそうだったけれど、彼はその力を全て晒す事も無く、私の力を試すように戦うのです。
それが私には少し恐ろしく、勇者が苦手な一つの要因でした。
まるで、いつでも殺せるけど、まだ生かされているだけな気がして。
私は血の糸をそこらに張り巡らせていたので、それを一気に引っ張って、勇者一行の足下を絡めとりました。
「ふふん、動けないでしょう? その糸は私の血で出来ているから、あんたたちをここでボッカーンってする事も出来るけど。それかズタズタの輪切りにしてしまうのも悪くないかしら? あっははははは」
「……あいにくだが、お前の血は俺たちの体に密着してはいない。風の膜が体を覆っている。精霊魔法は紅魔女の弱点だ……」
「……え」
勇者の淡々とした切り返し。私の糸に体の自由を奪われても、その表情を焦りの色に染める事は出来ませんでした。
私はますます不気味に思って、後ずさります。
「で、でも、それで体の自由は奪ったわ。……いいこと、しばらく立ち惚けていなさい!! お腹が空いて死にそうになるまで、じっとしてなさい!!」
逃げるが勝ち、と言う様に、私は糸に束縛の命令をして、彼らの自由を奪ってその場から去りました。
一刻も早く黒魔王の居る北の大陸へ向かいたかったのと、これ以上勇者と戦いたくなかったのと、色々理由はあるけれど。
でもやっぱり、早く黒魔王に会いたかったのです。
勇者は怖い。
200年生きた紅魔女が、たった20歳かそこらの青年に恐れを抱くなど屈辱も良い所でしたが、それほどに、いつの間にか彼は私の脅威となっていました。
自分はいつまで生きているんだろう、いつ死ぬんだろうと考えていた時期もあったのに。
きっと自分はこの男に殺されるんだろう、生き長らえる私たちを殺す為にこいつは居るのだ、と、頭の隅で考えてしまうだけでとても恐ろしかったのです。
だけど、そんな態度を奴らに見せれば、あっという間に殺されてしまう。
そんな確信があったので、私は常に突っ張った様な、余裕のある態度で立ち振る舞っていました。
だって、私自身を守れるのは、私だけだもの。
黒魔王、あんたは気がついている?
私たちはそろそろ、余裕ぶっていられないわよ。