32:マキア、トールを置いていきたくない。
*3話連続で更新しております。ご注意ください。
「カヤ、もう帰っちゃうの?」
地下の庭園“真理の墓”にて。
ペルセリスは「もう少し居れば良いのに」と、カノン将軍に対し恐れる事も遠慮もなく言います。
流石に彼女に対し、カノン将軍も無下に扱えない様で、少し困った様に眉を寄せているのが面白い。
ユリシスが居たら頭を抱えそうな光景です。2000年前の白賢者サイドの事情は興味深いわね。
「相変わらずせっかちだよね、カヤは」
「……」
しまいにペルセリスは唇を尖らせてしまいました。
カノン将軍は軍帽を摘んで「では」とだけ言って、逃げる様に去って行きます。
「じゃ、俺もそろそろ行くか」
「あれ、お兄ちゃんも行っちゃうの?」
「巫女様もまた、役割がありますから。今のうちに少し休んでいてください。……こら紅魔女、あんまり巫女様の貴重なお時間を奪うなよ」
エスカが私に念を押しつつ、足早に去って行きました。
私は「分かってるわよ」と。
「もう……ごめんねマキア。お兄ちゃん、いっつもあんな感じで」
「いや良いのよ、もう。何か、あれで“エスカ”って気がするし」
今更エスカに丁寧に扱われても、怖いだけだし。
もう出口の方から見えなくなりそうなカノン将軍と、小さく揺れる司教服のエスカの背を見送りました。
ペルセリスは多忙でしたが、少しの時間を作って私と話してくれました。
大樹の裏手に回って、二人でその根元に座り込みます。
「それにしても、マキア、もう体調は大丈夫なの?」
「うーん……可も無く不可も無くと言うか」
「それってダメじゃない。休んでいないと」
「あはは、大丈夫よ。何だか少しペルセリスとお話したくなったの」
「……マキア」
ペルセリスは嬉しそうに口に弧を描きました。素直でとても可愛らしく、ユリシスはペルセリスのこう言った所に癒されているんだろうなと思ったり。
ユリシスは大丈夫そうね。だって、ペリセリスが居るんだもの。
ふっと、私はそう思いました。
「新婚さんなのに、聖教祭でとても忙しそうね」
「まあ、そうなんだけど。でも聖教祭が終わったら、ずっと一緒だもん。一週間なんて我慢出来るよ」
「そうよねえ、このあと散々いちゃいちゃできるものね〜」
「もうマキアったら!!」
ばしばしと私の背を叩くペルセリス。幸せそうに頬を染めている。
う、羨ましい……っ
「ユリも幸せもんだわ。前世の奥さんと、また結ばれて」
「……マキアだって、トールが居るでしょう?」
「べ、別に私たちはそんな関係じゃないわよ……」
なぜ、皆にバレているんだろう……。
ペルセリスが「うそだー」と笑っています。
「ま、私やトールの事はどうでも良いのよ。ただ……私はペルセリスに、改めてユリシスの事よろしくって言いたくて……。ごめんなさいね、何だか小姑臭くって」
「良いよ。だって、マキアは私よりずっとユリシスと長い付き合いだもの。紅魔女もそうだったし、“一つ前の転生先”だってそうでしょう? ユリシスは、マキアの事、本当に家族の様に思っているよ」
「……ペルセリス」
何だか泣きたくなって、私は膝を抱えました。
改めて、私とユリシス、トールの三人の関係を大事にしていた思いが込み上げてきたのです。
私は本当に、この三人の関係を大切にしてきました。前まではそれしか、私には縋るものが無かったからです。
でも、関係は変化していきます。これは必然で、どうしようもない事。
寂しいけれど、嬉しい事でもあるべきです。
「ペルセリス……ユリシスの事、お願いね。ずっと、彼の側に居てあげて。ユリシスはしっかりしているし余裕があるけれど、その分頼る事をあまりしない人だから。……きっと、本当の弱さを見せるのは、あなただけよ」
「……うん」
「あなたが居れば、ユリシスは大丈夫……」
「……マキア?」
堪えきれず、私はポロッと涙をこぼしてしまいました。
ユリシスは大丈夫……ペルセリスが居るもの。
でも、じゃあトールは?
もし私が居なくなったら、トールはどうなるの?
それを考えた時、無性に苦しくなったのです。
あの寂しがりを、私は一人にしてしまうかもしれない。長い人生が待っているであろう、あの人を。
その怖さを、一番知っているこの紅魔女が。
「……マキア、どうしたの? やっぱり、体調が悪いのでしょう?」
「いいえ、ごめんなさい。……違うの。少し、考える事があって……っ」
ペルセリスが、泣く私の肩を抱きました。事情はよく分かっていないはずなのに、彼女のこの包込む優しさは、やはり緑の巫女の特別なものです。
「マキア、もし何か抱え込んでいる事があるなら、話してちょうだい……」
事情がある事を察したのか、ペルセリスはそう語りかけてきました。
私を大事に思ってくれる人には、絶対に話したく無かった事なのに、私は自分の弱さに差し伸べられるその手に縋りたくなってしまいます。
「……ペルセリス……私……っ」
話してしまいたい。
そう思った時、この大樹の表側から、酷く嘆く声が聞こえてきたのです。
痛切なその泣き声に驚き、私とペルセリスは立ち上がり、そちらへ向かいました。
「……レナ」
そこには、大地に伏して泣くレナが居ました。
どうしてここに彼女が、と思う前に、私は悟ります。彼女の目前には、黒魔王の棺がありました。
「レナ……思い出してしまったのね」
私は彼女に駆け寄って、その背を抱きました。
一年前、この場所で全てを知った私と彼女が重なります。
「……マキア……私、私……黒魔王様を……殺してしまったのよ……私がこの手で……っ」
「レナ、しっかりしてちょうだい」
レナは突然思い出した記憶に、混乱した様子でした。
可哀想に、こんなに肩を震わせて。
ただの女子高生だった彼女が、突然記憶を思い出したのですから、無理もありません。
一年前、私だってあんなにダメージを受けたのだもの。特に罪の記憶は、生をやり直したとしても、自分を責め続けるもの。
「しっかりしてちょうだいレナ。あなたの……あなたの愛した黒魔王でしょう? それをしっかり思い出して。あなたと……私が愛した……っ」
グッと、彼女を抱く腕に力を込めます。
罪の部分がそれほど苦しいなら、きっとヘレーナも黒魔王を愛していたのです。
なぜ、彼を殺したのか。それは今問うべき事ではありません。
ただただ、意識するのはそれより前の記憶。
あなたが愛されていたその記憶のはずよ、レナ。
「落ち着いて……レナ。あなたが思い出した事は、全て2000年前のメイデーアの真実よ」
「……2000年……前?」
「そう。あなたは“ヘレーナ”と言う名前で、ここで眠る“黒魔王”の妃だったの。あなたはとてもとても愛されていた。それは、側で見てきた私がそう言うのだから、そうなのよ」
「……」
レナは少しだけ落ち着いて、顔を上げて棺を見つめていました。
「……黒魔王様……」
そしてまた、ジワジワと込み上げ溢れてくる涙を、留めようも無く。
彼女は、フッと意識を失って、私の腕の中に倒れ込みました。
「レナ……!!」
私は彼女の背を支え、その心臓の鼓動を確かめます。
ただ、気絶した様でした。無理もありません。突然膨大な記憶が自分に流れ込んできたのです。
こればかりは、少しずつ受け入れて行くしか無いのでしょう。
「私、人を呼んでくる」
ペルセリスがこの状況を見て、事情の通じる人を探しに行こうとしましたが、急に足を止めます。
真理の墓の入口に、息を荒くしたトールが居たのです。私もそれに気がつきました。
「……トール」
トールは拳を握りしめ、足早にこちらへやってきます。
ペルセリスを通りすぎ、私の抱えるレナを見下ろしました。
「……マキア、これは……」
彼は酷く複雑な表情でした。
ここにレナがやってきて、かつての自身である黒魔王の棺の前で倒れていた。
それだけで、この状況を察したのです。
「ええ……思い出してしまったわ。自分がヘレーナだった時の事。酷く、取乱してしまったの。自分が黒魔王を、殺してしまったって。……可愛そうね、混乱して、倒れてしまったわ」
彼女の頬を親指で撫で、伝う涙を拭いました。
「……くそっ」
トールは額に拳を当て、長く息を吐きました。
私自身、ザワザワとしていた心の奥の感情を押し込め、一度下唇を噛んで、そして肩を落とします。
「ほら、あんたこの子の護衛なんだから、どこか休める所に連れて行ってあげなさいよ」
「……いや、しかし」
「だってもしかしも無いでしょう。ほら、あんたの仕事よ」
私はレナを連れて行く様、トールに指示しました。
トールは眉を寄せたまま、レナを抱えます。
「あんた……逃げてばかりも居られないわよ。レナが目を覚ましたら、ちゃんとレナと向き合って話をしてみなさいよ。それからの事は、あなたたち自身でそれぞれ決めれば良いじゃない。別に、恨んで居る訳じゃ無いんでしょう? 彼女の事」
「今更、恨みようも無い」
「だったら、大丈夫よ。しっかりやんなさい」
私は彼の肩に手を置いて、ポンポンと。
いつもと変わらぬ態度で彼を励ましました。
「じゃ、私も準備をしますか」
「……準備? 何のだ?」
「あれ、言ってなかったっけ? 私、藤姫のご好意で空にある第七ヴァルキュリア艦に少しの間お世話になるの」
「……は? 何だそれ、初耳だぞ」
それもそのはずです。さっきカノン将軍に告げられた事だもの。
私はさも大した事の無い様子で続けました。
「何か、私の体調不良を治す、最新機器があるんですって。魔力の乱れを整えるものね。ついでに美味しいものごちそうしてくれるって言うから、それならって事で」
「……何だか胡散臭いな。だって勇者がいるんだぞ」
「何よあんた、疑り深いわね。あいつは私が大業を成すまで手を出せないわよ。今の所エスカよりよほど安全よ」
「いつまで滞在するんだ」
「……そうね、聖教祭の間かしら。今晩迎えが来るの」
とぼけた様子で、よくも平然と。
私は自身の演技に呆れます。
トールは瞳を細め少し考えた後「分かった」と頷きました。
「だが俺が送ろう。勝手に行くんじゃないぞ」
「またあんたは……過保護だわ」
「まだ話したい事がある。できるだけ早く」
「……」
トールは私を見つめ、はっきりとそう言います。
とても力強い視線で、私は思わず顔を背けました。
「……わ、分かったわよ。部屋で待っているから……早く、帰ってきてね。じゃないと私、あんたを置いていってしまうわよ」
胸に手を当て、頬を染めつつ。
早く、帰ってきて。
意図せず、その言葉が出てきてしまいました。
それは私の弱さでもあり、まだトールと一緒に居たい、私の側に居て欲しいと言う、切実な願望でもありました。