29:マキア、銃口と青い花。
*二話連続で更新しております。ご注意ください。
メディテ家の屋敷を出た後、私は教国へ向かいました。
聖教祭の間は、いつも静かな教国の敷地内には多くの人で溢れています。丁度、お祈りの儀式が終わった所でしょうか。
私はその人ごみをするすると通りすぎ、大聖堂の裏に出ました。ここまで来ると、さっきまでの賑わいが嘘の様に、人はもうほとんど居ません。
教国の奥へ奥へと進んでいって、私は関係者以外入る事が出来ない、ある黒い扉の前で立ちすくみました。
ちょうど一年前、この教国でトールと共に彷徨い、黒い運命の扉を見つけた訳ですが、今ではもうこの扉を開けるのなんて慣れたもの。
私はその扉に手を当てます。
すると、紅い光が扉に彫刻された樹の枝葉に駆け巡るのです。
「おや、マキア嬢。どうされたのです」
ふと声をかけられました。振り返ると、教国のデルグスタ司教が、聖教祭の装いで立っていました。
「司教……ちょっと、ここに立ち寄っただけよ。今、ペルセリスって忙しいわよね?」
「巫女様の儀式は、先ほど終わってしまいましたから、今はお部屋にいらっしゃいますが」
「……そう。でも、ちょっと疲れているかしら」
ペルセリスと少し話したいと思っていたのですが、聖教祭の間、彼女はとても忙しい。
会うのは難しいかしら。
「とりあえず私、“下”に行っているわ。かまわないわよね?」
デルグスタ司教にそう聞くと、彼は頭を下げ、言いました。
「あなた様の思うままに。それがヴァビロフォスの意志でございます」
カツン、カツンと靴を鳴らし、長い階段を降りていきました。
何度もやってきたはずの場所ですが、一人で来る事は少なかったかしら。
みずみずしい空気を感じ始める頃、ああ、あの庭まで後少しねと気がつきます。
多くの植物と、清らかな泉と、大樹のある地下庭園。真理の眠る庭。
「……ふう」
そこは太陽が届かないはずなのに、柔らかな光が降り注ぎとても清々しく気持ちが良いのです。
聖地、と呼ばれるだけの魔力が溢れています。
柔らかい草を踏んで、大樹の根元まで行きました。
大樹の葉からこぼれ落ちる雫が、定期的に泉に水紋をつくっては、小さな音を鳴らす。
そんな、静かで空間で、私は一つ一つの“棺”を確認して行きました。
魔王クラスの、遺骸の収められた棺です。
「白賢者は……ユリシスとそんなに変わらないわね。相変わらず白くて、繊細で、端正ね」
私が見た2000年前の夢の中に、白賢者はまだ出てきませんでしたが、その眠る様な表情を見ていると懐かしくなります。
「緑の巫女は……今のペルセリスより、もっと大人っぽいわね」
2000年前、私は緑の巫女に会う事はありませんでしたが、オリーブ色の髪は、今のペルセリスの髪の色と全く同じ。いまより、もう少し長い髪をしているけれど。
「これは……誰かしら。うーん、教国の制服を着ているけど……うーん。なんか、“奴”にしてはえらく穏やかで慎ましやかな表情をしていると言うか……」
緑の巫女の隣の棺に納められていた男性の遺骸を、私は冷や汗ながらに見ていました。
今まであまり意識した事が無かったのですが、多分、これは“奴”です。でも、何か……今の奴と比べたら随分良い人に見えると言うか。いかにも聖人と言うか。
「おい」
私が棺の隣に座り込んで、マジマジと表情を覗き込んでいた時、後ろから思いきり頭を掴まれ、ドスの利いた声をかけられました。
「てめえ……なに人様の棺を覗き込んでんだよ。お前が覗きこむべきは反対側の空席の棺だろうがよ……」
「……エ、エスカ……い、いたたたたた、頭割れるっ」
奴が現れました。
きっちりと司教服を着ているくせに、顔は極悪なエスカです。
「お一人で寂しい事だな。このまま棺に押し込めてやろうか。あ?」
「ちょっとちょっと、ふざけないでよあんた!!」
私は必死に奴の手をつねったり殴ったり引っ掻いたりして、何とか引き離しました。
奴の腕力は相当なものなので、本当に頭がクラクラする程痛かったですね。
乙女にこんな事をする男はろくな奴じゃないわ。
「ああ……痛い……」
頭を押さえながら、私はキッとエスカを睨みました。
エスカはニヤニヤしつつ、私を見下ろしています。
「その様子なら、もう体調は良いってことか? 残念残念」
「残念がらなくても良いわよ。一応“体調不良”って事で、公務は全部お休みだし」
「何だそれ。サボリじゃねーか」
私は立ち上がって、ドレスをはたきました。
せっかく一人静かに、棺の中の魔王たちを見て回ろうと思ったのに、とんだ騒がしい奴がやってきたものです。
「私はペルセリスに会いにきたのよ。あんたなんかお呼びじゃないわ」
「は? お前人様んとこの庭で、何堂々とそんな偉そうな事言ってやがる」
「別にあんたの庭って訳じゃ無いでしょう? こんな神聖な庭、あんたの顔には似合わないわよ」
「おめーみたいな悪女面にも似合わねーよ。やっぱりこう、巫女様の様な純粋なお方じゃないと……」
「……相変わらずねあんたも」
変な所でシスコンなエスカ。
でもこんな奴が、ペルセリスと両親を同じくする兄妹だとは、言われなければ分からない程似ていない訳だけど。
私はふんとそっぽ向いて、スタスタと空席の棺の方へ向かいました。
本来、2000年前の紅魔女が入るはずだった棺の方へ。
少し前まで、白賢者と当時の緑の巫女の息子シュマが、収められていた場所です。
「……」
コポンコポンと、水泡が下から浮かんできては、ガラスの扉にぶつかっている、その繰り返しを見つめながら、私は棺のもの言わぬ存在感に気圧されるのです。
一度、息を呑みました。
「え、何? お前、そこに入ってみたいって?」
エスカが私の後を追って、そんな冗談を言いながらやってきましたが、私は真面目な顔をして彼に向き合いました。
少し戸惑いましたが、首元に結んである紅いリボンをほどきます。
レースのシャツを止めていたボタンを外し始めると、エスカはあからさまに驚き挙動不審な態度でした。
「……え? は、何? いやいや俺は聖職者だから」
「は?」
何を勘違いしたのかこの男、聖職者のくせに。
今日は首元まであるドレスを着ていたから、仕方なく外しているだけなのに。
いつもは胸元晒したドレス着てるじゃない私。
「何を勘違いしているのか分からないけど、私はこれを見て欲しいだけよ」
レースのシャツで隠していた、左の鎖骨の下の、胸元。
シャツをめくって、エスカにそれを見せます。そこに浮かび上がっている、青い呪いの模様を。
エスカは瞳を見開き、瞬きもせずそれを見つめていました。
「覚えはあるかしら。“聖灰の大司教”さん」
探る様にそう問うと、エスカは片口を上げニヤリと笑い、額に手を当てました。
「ははは……もう二度と見たく無いものを見てしまったぜ。ああ、理解した。全てだ。……お前が以前、魔力を乱して倒れたのも、これのせいか」
「……そうね」
私が落ち着いた声音で答えた所、エスカはその広い袖の中から銃を取り出し、私に向けました。
「下手を打ったな紅魔女。だったらもう何も言うな。俺ももう何も望まない。お前は、ここで死ぬべきだ」
「……」
エスカの瞳は本気でした。
それだけ、この“呪い”を良く知っていると言う事でしょう。
「“青の将軍”の呪いは、それだけマズいものだと言うの?」
「当たり前だ。それのせいで、1000年前、どれだけ俺が苦労したと思っている。奴は一回殺したくらいじゃ死なない。意味が無い。新しい器に乗り移る、それを繰り返すだけだ。……お前の体を乗っ取られたら、それこそ手に負えなくなる」
「……」
「しかし、そうか。あの野郎、すでにこんな先手を打っていたとは。どこに潜んでいるのか、分かりづらいのが難点と言えるな…….。そもそもお前、まだ“紅魔女”なのか? ま、いいやどっちでも。殺せば紅魔女の遺体は手に入り、緑の幕は完成に至るんだからな」
エスカはじりじりと寄ってきて、銃口を呪いの痣の上に押し付けます。
私は動きませんでした。ただ拳を握って、彼を睨みます。
「……別に、あんたとはそう長い付き合いでもないし、信用して欲しいとか信頼して欲しいとか思わない。あんたの判断は多分正しいんだと思うわ。“勇者”だって、そう言っていたもの。……でも、もう少しだけ待ってちょうだい。私、まだ何も……」
「待てねえよ。その呪いは、いつ完全に発動するか分からない。お前を野放しにする訳にはいかねーんだよ。死にたく無いなら抵抗しろ。俺と戦ってみせろよ」
「……」
私は握っていた手のひらをほどき、瞳を細めます。
こうなることは分かっていました。それでも、エスカに言っておきたい事があったから、この呪いの痣を見せたのです。
勇者に魔法を使うなと言われたけど、彼に話を聞いてもらうには、やはり戦うしか無いのでしょうか。
私は親指を唇に当てました。
緊張感のあった私とエスカの距離ですが、それは一つの大きな殺気と魔力の前に意味の無いものになります。エスカはバッとそちらの方へ銃を向けました。
勇者……カノン将軍が、地下庭園の入口辺りで立っていたのです。
「……お前……回収者か」
エスカはチッと舌打ちしました。
カノン将軍はつかつかとこちらへ寄ってきて、エスカに言います。
「紅魔女はまだ“大業”を成していない。手を出すな」
「は? そんなの知ったこっちゃねーよ。お前だって分かってんだろうが。青の将軍の呪いと紅魔女の力、合わさったら相当厄介だ。厄介どころじゃない。もう、世界は奴の独壇場じゃねーか。紅魔女の力は、大陸を焼く事だって出来るんだぞ!!」
「……分かっている」
カノン将軍は相変わらず冷めた低い口調で、ただ一言それだけ。
エスカは何か言いた気に額に筋を作り歯を食いしばっていましたが、それ以上は何も言わず、彼らしく無い様子で銃を懐に収めました。
エスカも、シャトマ姫に近い部分があります。カノン将軍に対し、“敵対”の意志がいまいち無いのです。
私たちにとって“勇者”だった宿敵のこの男は、シャトマ姫やエスカと言う1000年前の魔王クラスにとって、どんな存在だったのか。
「……勇者」
私はカノン将軍を見上げ、思わず“勇者”と呼んでしまいました。
もう、彼を勇者と呼ぶのはやめておこうと思っていたのに。
「紅魔女、ヴァルキュリア艦はお前を迎え入れる用意がある。シャトマ姫のご意志だ」
「……え?」
「あの戦艦にある魔力制御装置は、呪いの進行を抑える効果がある。お前はもう、地上を離れた方が良いだろう」
「いま、すぐって事?」
「出来るだけ早い方が良いだろう」
「ちょ、ちょっと待って……っ」
私ははだけた胸元を抑え、目を閉じました。
そして、ゆっくり頷きます。
「……分かったわ。それが、一番良いのでしょう? だったら、あなたの言う通りにするわ。ただ、もう少しだけ待ってちょうだい。一日……いや、今晩には、ヴァルキュリア艦に向かうから」
「……良いだろう」
カノン将軍は思いの外あっさりと、私の我が侭を許してくれました。
エスカは表情を歪め、イライラとしています。多分、何か言いたい事があるのに私とカノン将軍の話に割って入れないから。
「おい、お前たち俺を無視するな。ふざけやがって」
いよいよ突っ込んできました。
私は胸元のリボンを結び直し、髪を払って、エスカに向き直ります。
「エスカ、あんたの心配は最もでしょうね。こんな事言えた義理じゃないけど……一つ、あんたに頼みがあるの」
「……?」
私はエスカに、一つ“頼み事”をしました。
それは、私の事を大事に思ってくれる人には頼めない事で、だからこそエスカが適任でした。
流石のエスカも少し驚いた表情をしていましたが「なるほど」と一言呟いて、斜め上を見ていました。
「あ、みんなー」
そんな時、ペルセリスがこの庭にやってきて、私たちを見つけ声を上げました。
デルグスタ司教に聞いて急いできたのか、聖教祭用の、ひらひらした衣装姿です。
ペルセリスはこの場にカノン将軍が居る事に気がついて、ハッと立ち止まりました。
カノン将軍も、静かにペルセリスを見つめます。
「……また、ここに来てくれたのね……“カヤ”」
ペルセリスは少し眉を寄せ、微笑みました。
彼女にとって、勇者は、カノン将軍は、“カヤ”という名の人物です。
私はチラリとカノン将軍を横目に見上げました。
彼は魔王クラスにとって、多くの立場と名前を持った存在。様々な時代を同じ目的の為に生きた存在。
それ故に、とても不確定。
様々な姿を持っている彼の、本当の“名前”はどこにあるんだろう。